2008年7月31日木曜日

自己反省をしない危うさ

2週間前から公開され、以後入場者数の新記録を打ち立てているのがバットマンの新作である。実はこの映画にはシカゴの街並みがふんだんに盛り込まれている。バットマンが普通の人間の時オーナーとして君臨する会社のオフィスビルはCBOTのビルを模したものだ。その意味では先物の注文をシカゴに発注した事はあってもまだシカゴを訪れた事のない人にはぜひ見てもらいたい映画である。

ところで、この映画にはヒロイン役でマギーギレンホールと言う米国人女優が出演している。彼女はどちらかというと遅咲き。映画一家に生まれながら、映画によりも一流大学でしっかりとした勉強をしたタイプである。彼女は前の作品で物議をかもした。

オリバーストーンが同時多発テロを再現した映画、「ワールドトレードセンター」で、瓦礫に埋まったまま奇跡的に助かった消防士の妻の役を彼女が演じた際、彼女は「同時多発テロは、米国にも責任がある・・」と言ってしまったのだ。オリバーストーンは常に反体制的作品を作る。この映画は興行的には成功しなかった。

そんな中でベルリンで20万人を集めたという外国人のオバマへの期待は米国が変化する事へ期待の表れだ。今週のエコノミスト誌は、米国は過去の危機「冷戦」「ウォターゲート」「ベトナム」「オイル危機」を自己反省とともに解決策を見出してきた。だが近年の米国は自らの危機の原因を自己反省するより他人に責任を押しつける様になったとしている。

大統領選挙に向け、この状態が改善されない事態、即ち、米国が自己反省の欠如を続ければマケインにもまだ可能性は出てくる。そしてその米国の命運を見て他の世界どう行動していくか、それが世界の運命である。

2008年7月30日水曜日

正義は強者の利権

オバマ・エコノミック・ チームと冠した会議に集まった顔ぶれに意外な人物が二人いた。ルービン・サマーズ・ライシュ・タイソンのクリントンチームに加え、カーターに任命されたボルカー、またグーグルのCEOやWバフェットまで電話で参加するという華やかさの中、その二人は異質だった。二人とはブッシュ政権初代の財務長官のオニール氏と前SEC長官のドナルドソン氏である。

二人は現共和党政権下の重要スタッフであった。そして共通するのが当時市場からの評価が決して高くなかった点だ。特にオニール長官のへの市場からの批判は酷いものだった。しかし今、ブッシュ政権の歴代財務長官を振り返ると、個人的に一番まともだったと感じるのはこのオニール氏である。

2代目のスノー長官は、同じく実業出身でありながら、オニールの轍を踏むまいと必死にイエスマンに徹していた。そしてポールソン。彼は住宅を救済する法案のサインを拒むブッシュに状況を説明して法案を設立させた。しかし、彼にも堅固たる一貫性は全く感じない。

オニール氏は2003年の株の下落局面で何もしなかった。何もしなかった事を批判され罷免された。しかし、あの時に米国はむしろもう少し苦しんだ方が良かったかもしれない。なぜなら「イエスマン」のスノー時代にまき散らされた誘惑やステロイドが災いとなり、今それがポールソンに襲いかかっている。

いずれブッシュのエコノミックチームには後日正しい評価が下されるだろう。では外交チームはどうか。外交も常に対立の構図があった。パウエルとチェイニーの確執は有名だったが、後を受けたライスも結局は最後にチェイニーと対立した。

チェイニーを取り巻くネオコンの中で最も影響力があったのはリチャードパール。そのパール氏の周辺に火が付き始めた。本日、WSJは彼とイラク周辺のOIL採掘を牛耳る関連企業との間にイラク戦争前からビジネスの利権に関して約束があったとの衝撃のリポートをしたのだ。この事が証明されると彼は大変な事になる。

恐らく、ドナルドソンとオニールがオバマの経済会議に選ばれた理由は前時代への反省である。ただオバマの時代も同じ事が必ず起こるだろう。なぜならその昔プラトンが「国家」で触れているように、正義とはいつの時代も強者の利権だからだ。

但し、最後まで周りの人に担がれたブッシュと、最初から自分で判断するオバマの違いは共和党と民主党の特徴でもある。アメリカ人ほど単純ではない欧州でオバマが期待されているのはその違いが見たいからだ。

ただ政策を自分で決める大統領、あるいはその力がある大統領は時に国内で利害の対立する勢力からは邪魔な存在になる。その意味ではオバマも妥協が必要だろう。いずれにしても、時代の織りなす人事の背景は実は意外に面白いのである・・。

2008年7月22日火曜日

ノーマンの世界

フロリダがハリケーンシーズンを迎える少し前、先に暴風雨に入ったフロリダのフォークロージャー市場には一つの目玉商品が出た。それは数年前は25Mを超えていた地元の著名デベロッパー自身の自宅だった。そしてCNBCで中継されたこの物件の入札説明会に顔を出していたのがグレッグノーマンである。

CNBCにノーマンが登場するのは珍しい事ではない。ただそれはゴルファーとしてのノーマンではなく、資産500M、また今では珍しくなくなったプロスポーツ選手のジェット機所有者のパイオニアとして、ビジネスで世界を駆けまわる一流企業家としての登場だった。

彼が凄いゴルファーだったとはいえ、53歳にして全英の3日目まで単独トップを走れば周りは大騒ぎだ。そんな中、彼のジンクスであるメジャー最終日の悲劇を念頭に、土曜日米国ABCの記者は「今晩はどういう予定?」と聞いた。

するとノーマンは「会社の社長とのビジネスディナーがある」と答えていた。これには解説を担当していたトムワトソンとポールエージンガーも絶句。そして最終日ジンクスは健在だった。途中、前述の二人はなぜここでドライバーを持つのかと、ノーマンの相変わらずのプレイスタイルに呆れていた・・。

それでも人はノーマンに魅了される。ゴルフクラブを初めて持ったのは今から20年前だが、その時の世界のトップはバレステロスとファルド、そしてノーマンだった。

そして、数々のメジャーの悲劇はともかく、世界ランク1位になったプレイヤーはそれからタイガーまで入れても実は12人しかいない。(ランガー/バレステロス/ノーマン/ファルド/ウースナム/カプルス/プライス/リーマン/エルス/デュバル/BJシン) 期間を比べれば、タイガーの505週をトップに次がノーマンの331週。後は全員が100週以下である。つまり二クラウスの後、世界のゴルフを圧倒したのはタイガーとノーマンである。

ワトソンは、ノーマンを称し「彼はタイガーが出る前のタイガーだった」と言った。今の時代プロゴルファーは大半は大学卒だ。特にワトソンやタイガーからはスタンフォードらしさも感じる。対照的にノーマンは高校からすぐにプロになると、まさに七つの海をまたにかけて獲物をるサメの様な人生を送ってきた。そして今、フロリダの不動産ではトランプ氏でさえ一目置くビジネスを展開しながら53歳にしてあの体躯を維持。

ノーマンは米国のメジャーで8回優勝をし損ねたといわれる。ただその原因となった「積極的すぎる最終日のゲームプラン」は人生のゲームプランにおいては十分ペイオフしている。なぜならこの様なゲームプランは他に誰も持っていない。だからこそ彼は今でも人を魅了する事が出来るのだろう・・。

2008年7月20日日曜日

スポーツ駐在員

野茂が引退した。日本では彼の引退を惜しむ声と、ドジャースの重鎮ラソーダ氏による米国人評が話題になっていた。ラソーダが野茂を評価するのは当然、ただ野茂に対する米国人の評価は日本人考える程は高くない。両リーグでノーヒットノーランを達成した野茂の事はそれなりに今も米国人野球ファンの記憶にある。しかし彼は最後まで自己表現があまりにも下手だった。下手だったというより意図的にソレをしなかった。

米国社会は自分から同化しない存在に対し冷たい。旬な時はいいがピークを過ぎれば人々の記憶から消えて終わりだ。イチローにも同じリスクがある。何日か前の日経新聞に、同僚がイチローを批判しているとの記事があった。野茂もそうだったがESPM(スポーツチャンネル)のインタビューでもイチローは未だに英語で答えようとはしない。実はここに彼の将来の評価に対して大きなリスクがある・・。

そんな中で二日目のTHE OPENで首位になったK.J.CHOYがESPNのインタビューに驚くほどの流暢な英語で答えていた。彼は30歳で渡米して8年、今はメジャーで勝っても違和感がないレベルまで来た。試合中の彼は韓国人男性特有の険しく寡黙な表情を崩さない。よって決してファンに人気がある選手とは言えない。ただ一方で彼の英語からはイチローや野茂にはない「同化力」も感じる。個人的にはこの差は米国在住の日本人と韓国人の標準的な境遇の違いが実は関係しているとみる。

まず全米の日本人人口は80万人前後らしいが、日系米国人としても重複する加州とハワイでの人口が半分以上の50万。残りの30万のは所謂駐在員である。一方200万人と言われる韓国人は戦後の移民が大半、そしてその半分は非合法との分析である。要するに、戦時中の不幸はともかく、既に米国に同化して余裕がある日系移民か或いは駐在員という比較的恵まれた環境にあるのが米国の標準的日本人社会とするなら、米国の韓国人社会にはまだまだ悲壮感が残っている。

この悲壮感からの圧倒的な家族のパワーを支えに多くの韓国人女性ゴルファーが米国を席捲している。彼女たちの成功に刺激を受けながら巨大な米国韓国人社会は米国に同化していく事の重要性も皆が認識しているはずだ。そしてこの同胞と同じ感覚がなければK.J.CHOYの英語はあそこまで進歩しなかったのではないだろうか。

個人的在米経験から端的に米国における日本人と韓国人の違いを表すキーワードは駐在員と難民。通常駐在員の立場では同化の必要性は希薄である。それと同じく多くの日本人プロスポーツ選手にとっても米国はチャレンジの場であっても彼等に母国を捨てた難民の悲壮感は感じない。その意味で彼らの活躍はスポーツ駐在員の活躍でもある。ただイチローは誰の目にもメジャートップの一人であり、また野茂が大リーグへの道を切り開いた功績は誰も否定できない事は言うまでもないが・・。

2008年7月15日火曜日

インフレで新陳代謝

洞爺湖サミットの翌週から、ヨーロッパではフランスを中心に「地中海サミット」が開かれている。サルコジ大統領は日本では退屈そうな表情だった。だが地中海に隣接するアフリカ アラブ ヨーロッパの全首脳を招き、自分が主役の今回は実に活き活きとしている。前から彼は同国の往年の名優、ジャンポールベルモントにそっくりだと思っていたが、会議での彼は政治家と言うよりエンターテイナーの様相だった。

さて、地中海に無関係の英国がなぜこの会議にいるのかともかく、豪華な参加者の顔ぶれから洞爺湖が全く霞んでしまった。その洞爺湖では開催国日本が威信をかけて議題にしようとした案件があった。其の案件とはヘッジファンドや彼等の背景にある流動性についての規制。しかしこの案件に関しては議題に挙げる事を米国が頑なに拒んだ事実が日経新聞や文芸春秋などで取り上げられた。

もともとインフレ対策はサミットの最重要議題だったはずだ。にもかかわらず、最早その原因として誰も疑わない過剰流動性とヘッジファンドについては不問にするという。米国はインフレに鎮火よりもむしろその後の展開に実は興味があるのか。これでは欧州からすれば洞爺湖が全く意味のない会議だった。インフレに対する考えが米国とは違う欧州(サルコジ)が開催国の日本に失望した本当の理由はそこだろう。

2008年7月12日土曜日

洞爺湖サミットは八ヶ岳

久しぶりの日本では丁度サミットが開催中だった。サミットは70年代に始まり、冷戦後はG7にロシアが加わり、そして今回は更に世界中から主要人物が集まっていた。

会議では、参加者が増えれば増える程、重要な決定がなされる確率は減る。イベントとして盛り上がる日本を尻目に、事前に外国のマスコミは今回のサミットの重要性の低下を皮肉っていた。

だが、少なくとも現時点でまだ世界は平和である事が確認できただけでも、このイベントは全く無意味という事ではなかった。しかし今回の会議がサミットの歴史の転換点にはなるだろう。なぜならそもそも「サミット」と言う英語の意味は「頂点 頂上」である。その鋭利な形状は中国やインド、更には南米やアフリカと言う国が新たに参加する事によって頂点の角が削られる。即ちそれは「会議」がエベレストから八ヶ岳高原になる様なモノだ。

持論だが、組織や「世界」を動かす上で理想の形はこのサミット(頂上)型である。頂点の支配者(層)が知識と情報の適度な格差を保ち、それが下方に下ると同時に拡大していく。このピラミッドの形状が世界に存在する事は貧富の差とは別の意味で実は重要だった。

しかし冷戦後のフラット化は国力だけでなく知識や情報までフラット化してしまった。これではそれまでサミットを構成した層が世界を動かす事は不可能だ。多国家が利害関係で四つに組めば世界は動かない。そのまま行きつく所まで行くだけだ。特に情報の露出はイラクで失敗した米国が深刻。

その昔「サミット」と言う言葉が相応しかったあの86年の東京サミットから22年が経過した。頂点が削られてしまった事が象徴的だった今回の洞爺湖サミットは、この会議の未来を示している・・。