2009年7月9日木曜日

影の主役

ケネディーが主役の様々なドラマに必ず登場してきたマクナマラが遂に亡くなった.93歳の大往生だった。彼の現役時代は知らない。だが一回見れば絶対に忘れない風貌とあの時代の貴重な生存者として研究の対象だった。ここで仮定の話をする。仮に不測の事態が今オバマに起こると、大統領は今話題のバイデンになる。

近年ジョンソン副大統領は映画などで露骨にケネディ暗殺の黒幕の一人のように扱われる。ただ当時の米国人は暗殺を受け、ケネディーの持っていたカッコよさと(恐らく日本人が石原裕次郎に感じたモノ)、政治家として年輪を重ねる事で染み付いたジョンソンの風貌との落差にまずはショックを受けたという。(HISTORY CHANNEL :THE PRESIDENTから・・)

それに比べれば、今のオバマとバイデンの風貌の落差は小さい。そしてケネディとジョンソンの時代、米国にとっての最大の難題はベトナムだった。その意味ではこの時代の表の主役はケネデイーとジョンソンとしても、陰の主役は二人が抱えたベトナムという難問を一貫して仕切ってきたマクナマラであったと考える事も出来る。そんな中で市場では週末のバイデンの発言めぐって新たなる材料が飛び出してきた。早速オバマはバイデンの発言を否定したが、政権発足以来初めて表舞台に登場したバイデンが意図せず早々にオバマに否定される展開を強いらた事はどこかにしこりを残さないだろうか。

バイデンは陽気なおじさん、オバマが選挙に勝つ為に用意された存在と片付ける事も可能かもしれない。だが大勢がそのような軽挙な風潮に傾くと、歴史は思わぬ結果を用意している事がある。個人的にジョンソンは暗殺には絡んでいないと考えているが、そのような嫌疑をかけられる状況が常に存在したのがあの時代である。そして其れが今はないと言い切れるだろうか。

本来この様な重要人物だったマクナマラの死は日本でもNHKが特集として取り上げてもよい題材である。そしてマクナマラ以降米国政治の影の主役はキッシンジャーに移り、今は影の重要人物としてブレジンスキーの名前が出る事がある。(カーター政権の要人)ただキッシンジャーはさすがに老いた。またその著書からはブレジンスキーを裏の要人とするのは抵抗がある。

まあこの政権の命運がどんなものであるにせよ、米国という国はよりドラマ性の強い展開に自然と引き込まれていく運命にあると感じてきた。一方で自分も含め、ことの他相場関係者は何事も相場の材料としてしか考えない風潮がある。言い換えるとソレ意外には興味を示さない割には自分が万能だと勘違いしている人もいる。だが予感がある間は市場の話題に関しての軽挙妄動は控えたい。根拠はないがその謙虚さが歴史が今を生きる現代人に対して与えるメッセージではないだろうか。


2009年7月8日水曜日

オバマ チルドレン

こちらから見てもどうやら日本の政局が煮詰まってきた。自民党は静岡県知事選や東国原宮崎県知事との関係をみてもその衰退感を国民に露呈した。そんな中で東国原氏個人に対しては賛否両論がある様子。実は米国でも似たような現象がある。ソレはミネソタ州の話だ。ミネソタは白人の比率が高く(88%)、カソリックよりもプロテスタントが多い「古い米国」を色濃く残した中西部の州だ。シカゴからは7時間ほどなので何回が車で通ったが、はっきり言って田舎の州である。だが州民一人辺りの所得は米国で10番と高く、また昨今は大半の州で雇用が削減される中で州都のミネアポリスでは地方公務員の雇用を拡大。都会で職を失った金融マンが同地に移り住む話まで特集になったほどである。

そしてこの保守中の保守であるミネソタ州は政治家を選ぶ点では実は米国で最も革新的な結果を残している。まずは90年代後半にはカリフォルニア州知事であるシュワルツネッッカーと映画プレデターで共演し、その後プロレスラーに転したジェシーベンチュラ氏を州知事として選んだ実績があり、また今回は政治家としては州知事より名誉職的な意味合いのある上院議員にコメディアンだったアルフランケン氏を選んだ。ミネソタの現状の好業績とその州民の特質からしてこの事実は大変興味深い。

では一体政治家に求めらる資質とは何か。当然時代によってその要素は異なるだろう。だが近年の米国史で最も輝やかしい評価のあのレーガン大統領の経歴が然り、結果的に米国の影響を受けてきた日本国民が政治家に対してどんな資質はを求めているいるかについて、気付いていないのは実は日本人自身なのかもしれない・・。

<オバマ チルドレン> 市況から

やはり昨日のSPの値動きがまやかしだった事は皆が知っていたた様子。本日は再び売り圧力が強い。そしてCNBCに登場するエコノミストには急に弱気ムードが漂い始めた。恐らくは本日発表された住宅ローンの延滞率が全く改善されない事、それどころか4~6月の株の上昇期間も悪化が続いていた事実にさすがの楽観論者も出番を失ったのだろう。ソレを受けて一部の人気取り優先の民主党上院議員はタイソン女史等の政権外部の民主党実力者に加わり、早速景気刺激策の第二段を言い始めた。まだ市場からその声は大きくない中で政治家が先に動いた様子である。この動きは昨日のバイデン副大統領の発言(政府は第二の刺激策を今は考えていない)を受けての事だろうが、これで政権がどう動くか。そこからが市場へのインパクトとなろう。今のところ株は昨日の安値を更新するリズムにある。(結果もその通り)


さてこれらの動きも含め、ミネソタの元コメデイアンが民主党として上院議員になった事で民主党のフィルバスター(牛歩)阻止体制が完成した事は米国にとってとんでもない結果を齎すリスクを感じる。なぜなら上院の任期は6年で任期が2年の下院とは違い、名誉職的な上院で一旦ついた「色」は簡単には変化しないからだ。また、そもそも下院は民意を反映する事でその時点の国の傾きを現わすのが使命としても、それを永年の知識と豊熟した人間性で党派を超え調整するのが本来は上院議員の使命だ。だから彼等を敬意を込めてセネター(SENATOR)と呼ぶ。(下院はCONGRESSMAN)。
しかしブッシュ時代の反動は大きく、オバマ大統領を生み出した勢いは多くの民主党系の新人を上院議員として「元老院」に送り出した。この状況は政治経験や無論実績も乏しい「トレンドの落とし子」である「小泉チルドレン」が米国においてはより重要な参議院を占める事態と考えればよい。民主主義(議会選挙)結果とはいえ、上下両院の存在する意義までも台無しにするような政治勢力のバランスの崩壊のリスクは大きい・・。








2009年7月7日火曜日

ジレット社の選択

この10年、世界の一流スポーツ選手の中で、「相場師」としても勝てるだろうと感じたスーパースターが二人いた。その二人とはタイガーウッズとロジャーフェデラーだ。その二人は昨日粗同時にスポーツ中継の主役になり、そして当然の如く勝った。ゴルフの不確実性からタイガーの試合は観戦してきた。ただフェデラーの試合は彼の独走態勢が始まってからは殆ど見なくなった。だが昨日のウインブルドン決勝では久しぶりに彼のプレイを堪能した。そしてその印象は最後に彼を見た時と同じだった。

その昔の試合もロディックが相手だった。当時二人の評価はそれほど開いていなかった。試合は地元の声援を背にロディックが優位に進めた事を覚えている。ところが雨の順延で流れが変わり、翌日ロディックは自滅した。そして昨日。確かにフェデラーの満月は欠け始めたのかもしれない。ロディックにもチャンスがあった様に思えた。だが史上最多数のゲームカウントとは裏腹に、状況に応じた勝ち方の着地点をイメージしているフェデラーに対し全力でぶつかるだけのロディックの無邪気さは5年前と同じ印象だった。

素人なのでテニスの技術論は控える。だがこの二人の差は技術の差というより、相場にも通じる全体の流れの中で、どういう形にせよ、最後に自分が勝ち残るパターンを意識している冷静なマネッジメント能力の差に思えてならない。そして一方のタイガーは今大会の格と選手の顔ぶれからしても、またゴルフ特有の不確実性を持ってしても彼のマネッジメント能力の方が勝っていた。楽勝だった

ところでこの二人に別の黒人スーパースター選手が加わり、3人で共演したTVコマーシャルがあった。2年前から始まったそのCMとはジレットのカミソリのCMだった。その商品は私自身も愛用していた。この3人のスーパースターと同じ商品を愛用する偶然に子供の様な喜びを感じた。ところが今年のCMでは3人目の黒人スター選手が降板となり、代わりにヤンキースのDジータが加わった。理由は明らかだった。大半の米国人とっては彼が誰だか判らない。何のスポーツの選手なのかさえ多くは知らなかったはずだ。だが彼は欧州ではタイガーとフェデラーと共演させてもさほど違和感はないと想像する。その黒人選手とは、バルセロナに移ったT オンリーだった。

今から思うとジレット社はなぜロナウジーニョを選ばなかったのだろう。当時のロナウジーニョはナイキのCMにも登場し、米国でもそれなりに顔は知れ渡っていたはずだ。まあよい。究極的結論は米国におけるゴルフとテニスに比べてたスポーツとしてのサッカーの価値。もっと言うなら他国では単なるスポーツの意義を超越する事もあるサッカーの米国における存在価値である。

そんなサッカーの価値に関してCNBCの常連コメンテーターであり、歴史家としても評価がある珍しい経歴のザッカリーカラベラ氏が面白い分析をブログでしていた(添付参照)。彼は先のコンフェデレーションカップで米国がブラジルに惜敗した事を喜んでいる。簡単にブログを要約すると、現在の欧州のサッカー列強であるスペイン/イタリア/蘭/英/独はそれぞれ皆が一時世界を支配した。だが今は国家の経済支配力は衰えた。そして国民はサッカーに夢中になった。また往年のサッカー王国ブラジルは近年BRICに数えられるられるようになり、その経済力が世界の注目を集めるようになった。だが逆にサッカーのランキングは下がっている。(現在はトップに返り咲いた)

この歴史的現象を米国に当てはめるなら、カラベラ氏からすると米国は絶対にサッカーが強くなってはならないという事である。なぜなら米国のサッカーが強くなるという事は、歴史的には米国の衰退の動かぬ証拠になるという分析である。最後に言うまでもなくゴルフやテニスは個人スポーツだ。よってタイガーやフェデラーの個人の卓越した能力はそのまま評価される。だが集団スポーツであるサッカーの個人評価は難しい。その分オンリーは不運だった。個人的にはストライカーでありながら状況に応じて力任せだけのシュートだではないオンリーの判断力は、日計りに徹すれば十分相場でも通用すると感じている・・。


<参考>

http://blog.rivertwice.com/2009/06/30/you-can-be-great-at-soccer-or-globally-dominant-you-cant-be-both/


2009年7月1日水曜日

桃源郷への懲りない願望

サブプライムなどの新商品を次々にぶち込んでは机上の空論で永遠の右肩上がりの成長を謳ったクレジット市場は、結局金融市場における幻の桃源郷だった。そして今、人々はその愚かさを悟り、様々なところでその反省が流行りになった(例えばNHK特集マネー資本主義など)。だが桃源郷はなにも小難しいオルタナとしてのクレジット市場だけではない。今の米国の株式市場は全く根拠のない回復説を前提にしている。いいかえればこれも新しい桃源郷である。本日はその話をしよう。

まず、3月から世界の株式市場は回復基調に入ったが、理由は二つある。一つは中国などの新興国が積極的な財政政策を打ち出した事。そしてもう一つは危機の震源地米国でも、それまで直因となった金融機関に対して厳しい態度だったオバマ政権が方針を変えた事だ。いくら金融機関が問題だったとはいえ、まずはその金融機関を助けない事には落ち込んだ実体経済にも回復のメドが立たない。その事に気付いたオバマ政権は3月中旬から金融機関への懲罰的態度を緩めたのである。

その結果世界の株式市場は回復した。だがその中でも米国の株の戻りは鈍い。そしてその戻りの鈍い米国の株式市場の戻り方を分析すると、まずは金融機関のうち政府の助けをかりながらも自発呼吸のメドが立った金融株が買い戻された。そして次に材料になったのは中国だ。ここがこれまでとは違う点。これまで米国の実体経済とその株式市場は世界経済の中心だった。しかし今はその米国の株式市場は中国という他国の成長(回復)に頼っているのが実情である。これでは世界の株式市場が戻り基調になっても米国が遅れるのは当然である。

ただそれでもここまで株が戻った事で、その効果が米国内の一般消費者の購買力に還元される期待が生まれていた。それが昨日までWSのエコノミストが掲げたストーリーだった。そして4月と5月の指標をみる限り順調に消費者の自信は回復したかに見えた。しかし本日発表された6月の消費者の自信は再び下落基調へと転じた。これはWSには衝撃的である。だが当然だ。なぜならいくら株が戻っても、米国の一般消費者の財布である住宅価格は下落のペースが鈍ったというだけで完全には下げ止まっていない。米国人は失業中でも住宅価格が上昇した事で消費を続けた。それがあのテロから金融危機発生までの米国の姿だ。それほどまでに重要で根幹である米国の住宅価格は簡単には上昇基調に戻せない。それほど住宅バブルの規模は大きかったのである。

では一体このWSのエコノミストのいい加減な予想は何だ。無論WSには株式市場の旗振り役としての使命がある。よって彼らがいつまでも悲観的では国家戦略上もプラスにならないのは事実だ。だが問題は彼らの予想が自分が政府に最初に助けられた事をいいことに、政府の救済が届かない一般庶民の懐までも簡単に回復すると錯覚している事である。

そこでちょうどいいCITIの事例がある。CITIはまだ政府からの税金による援助を受けている身。しかしその最中にもかかわらず、残った社員の給料のアップを発表した。その表向き理由は、早く救済処置の税金を返還する為には優秀な社員に会社に留まってもらう必要がある。そのためには給料の上昇が不可欠だというもの。しかし同社がタイタニック号だった事は先見性のある社員はとっくに悟って会社を辞めたのが実情である。言い換えれば、現在会社に残っている人はそれが出来なかった人々だ。その人々をして「優秀な社員に残ってもらう必要がある」とは笑い話である。

結局は米国の限界が露呈したという事だろう。限界とは寿命ともいえる。米国は、どんな時でも米国は永遠に成長すると公言してきたが、現状は矛盾している。なぜなら米国が本当にこれからも成長する若い国なら金融危機という大失敗も甘んじて受け入れたはずだからだ。受け入れる事は相当な苦痛を伴う。その痛みとは恐らく我々が昨年来経験してきた苦境などは序の口にすぎないモノだ。それが本来「100年に一回」の意味である。だが米国はバーナンケを擁してそれを回避し、残りの世界もその方針に続いた。そしてその過程で金融機関は助けられた。理由は金融システムの崩壊を絶対に回避するとの公約である。

一見この公約は正しい響きを持つ。だが見方を変えれば敗者を救い、成長への新陳代謝を妨げたともいえる。要するに皆がいい時代を享受しすぎ、自己否定ができなくなっただけではないか。そして米国は建国以来その発展の原動力だった新陳代謝の精神を捨てた。この米国の姿は復活への荒療治が不可能となり、薬に頼りながら残された時間を過ごす老後と同じである。結果愚かにも自己反省のない金融機関では、そこのエコノミストによる根拠ない予想が繰り返えされている。だがこれはサブプライムを育んだ桃源郷の再来であろう。そして運命は変えられない。起るべき事はいずれ必ず起こるだろう・・。

2009年6月30日火曜日

相場とハリウッド

先週子供と観賞した「トランスフォーマーⅡ」が世界を含めると公開から数日で既に$400M(400億円)の売り上げになったとCNBCが紹介した。ただこの続編は初作に比べて凡作だった。だが3部作の中間としては最終作に期待を持たせる意味で逆に効果的だったかもしれない。ところで、MAJORITY(大衆)がどう反応するかに賭ける点で相場と映画作りは似ている。それもあり、自分は映画やTVをよく見る。そしてこの週末は日本映画として初めてアカデミー賞を獲得した「おくり人」を鑑賞した。感想は米国人がこの映画を評価した背景は何よりもテーマの斬新さが一番の理由だったのだろうという事。監督の演出は尊厳的テーマをコミカルに描いていたが、恐らくこの手法は欧州より米国で受け入れられる。

そしてこの映画が日本でヒットした時期が金融危機後の混乱の最中だった事は、浮かれた時代の反動として小説も含め文芸作品で更に厳粛性を追求する日本人の自虐性の一面が現れたと考えている。逆に社会が暗い時こそ通常の楽観主義に加え、ことさらアメリカンヒーローが活躍する映画がヒットするのが米国だ。そもそも米国ではヒットする映画に求められるモノは芸術性ではない。個人的分析ではソレは現実社会に足りなり刺激の充足か、逆に現実社会からの逃避のどちらかである。そしてこの特徴を先取りする事がハリウッドや相場で「当てる」コツであろう。

そして最後にもう一つ。日本でも公開されたクリントイーストウッドの「グラントリノ」は米国の金融市場をみる人には参考なる映画の一つ。最大の理由は自動車産業が衰退した今のデトロイトの雰囲気を最もよく現わしているからだ。ただ映画のメインストーリーそのものはあまり参考にはならない。だが米国が抱える問題である銃の氾濫、人種差別、またイーストウッド演じる主人公が朝鮮戦争の傷跡を引きずりながら、彼らの存在自体がベトナム戦争の後遺症でもある米国内のモング(Hmong/mong)の人々の扱いなど、社会性の高いサブストーリーは一見が価値はあるだろう。


2009年6月26日金曜日

貴重な清貧

昨日の午後、帰宅途中でラジオをつけたらスポーツの結果がを流れていた。まずスポーツ記者が、「カブス・・負け、ホワイトソックス・・勝ち、ベアーズのセーフティ、カンザスに移籍・・」そして「コンフェデレーションカップで米国が優勝候補のスペインに勝利・・」 続いてメインアナウンサーが「それってラグビー?それともサッカーの話」と確認していた・・。

まず米国人のサッカーに対する関心度はこの程度である。関心が低いとビジネスとしてのサッカーは貧しい。それは選手の給料をみると一目瞭然だ。ビジネスの規模で最大の野球は選手の稼ぎもアレックスロドリゲスの年収30億円超をトップにメジャーの平均は3億円を超えている。そして2軍以下を入れても80年台と比較して選手の平均年収は30倍になった。この成長力はまさしく金融市場と似ている。金融市場で働く人々の年収も野球とほぼ同じペースで拡大したが、この二つの共通するのはいうまでもなく「ステロイド」である。(金融市場のステロイドとは90年代以降の過剰流動性と規制緩和を指す)一方で米国のサッカーの年収はナショナルチームのトップ選手でも国内リーグでは6000万円前後だ。

そんな米国のサッカーチームの国際試合は時々見る。またスペインリーグは冬の間の楽しみだ。この両チームを比べ、米国がスペインに2—0で勝つ事は奇跡ではない。米国にはその力が十分ある。だが恐らく昨日の試合でも、米国チーム11人の全員の年収の合算はリバプールで活躍するトーレス(スペイン代表のフォワード)一人の年収に届くかどうかだろう。その意味でスポーツの「レベル」には2種類がある。まずは純粋な勝利への気迫のレベル。そして恵まれた環境と有り余る金によって造り出されたビジネスとしてのレベルである。

個人的に米国のサッカー代表チームは好きだ。汚いプレイが少なく、全体がキビキビし何より清々さがある。汚れた英雄が多くなった野球とは対照的に、恐らくマネー主義米国に残された希少な「清貧」である。そして彼らのレベルは高い。そのレベルの差は実力以上にチヤホヤされる「ジャパン」との比較でも野球よりもサッカーの方が格段に開いているだろう・・。



2009年6月24日水曜日

米国の最大の敵とは

エコノミスト誌 が毎年発表する様々の指標の一つに世界の人々の健康度がある。国民一人当りのエイズや栄養失調の割合等、アフリカ諸国が突出する項目に並んで高血圧や糖尿病などのいわゆる贅沢病の割合で突出する国がある。それはどこか。因みに米国は4位。答えはアラブ首長国連邦、クエート、サウジなどが首位争いをしており、近年はアラビア半島の産油国が上位を占める。

彼らの特徴は石油収入で税負担は少なく、国民はガムシャラに働く必要がない。労働者といえばアジアからの出稼ぎだ。だからと言ってオリンピック等の結果からも国民に積極的にスポーツをする習慣がある様子もない。そういえば今その国々ではスシがブームだというが、そんな生活習慣からは高脂血のイメージが浮かぶ。いずれにしてもそんなアラブ人とイランを構成するぺルシャ人では民衆のエネルギーは大分異なる様だ。この観点で北朝鮮やイランの情勢が騒がしくなる中、超大国として国民が消費する豊かさを享受してきた米国にとっての最大の敵を考えた。そして出した結論はそれは「国家」ではなかった。

確かに消費文化に慣れた「アラブ」に比べてイランは将来強敵になる可能性はある。だがイランをテロ国家と騒いでいるのはイランに噛みつかれた経験とイスラエルの影響を受けた米国の過剰なプロパギャンダである事は同盟国で日本人が一番知っているはずだ。ではロシアはどうか。ロシアも一度は消費からの豊かさを知った。だが金融危機でその限界が見えるとプーチンは嘗てのソ連時代の超大国のプライドの復活を目指している。それはそのまま反米感情を促進する可能性はあるだろう。だが現状のロシアはまだソ連崩壊からの復活の途上であることが今日の共和党新聞に紹介されている。

具体的には共和党は今のロシアは核兵器を実際の使用する国家として最も可能性が高いと警戒している。背景は、プーチンがどれほどの勢いでソ連復活を目指そうが、一旦崩壊した国内軍事産業の技術力の遅れは米国との間に埋められない溝を残したまま、そんな中でロシアは若者に愛国心を復活させて軍事エリートを育てるソフト面に力を入れているものの最先端の兵器の拡充はいつになるかわからない状態だからだという。だとするとこの様な状況下で決定的事態が起こればロシアは核兵器の選択をする可能性があると共和党は騒いでいる。だが論理的に違和感はないがこれも私にはプロパギャンダにすぎない。

結局米国の敵はどこかの国家ではない。最大の敵、最大の脅威はやはり「米国売り」というコンセプト(観念)が世界を支配する事だろう。この場合物理的な勝者を強いて挙げれば代替としてのGOLD。そしてソレを支配した集合体や個人がそのメリットを受ける事になる。だが具体的に米国売りのコンセプトを世界に広める力を持つのは言うまでもなく金融市場である。最近の相場から窺えるのは金融市場に再び増築された過剰流動性を現在誰も完全に制御できていない事。そしてその力が米国の敵になった場合、米国は最大の危機を迎えるという事だ。

米国は「グリーンスパンの流動性」に端を発した危機を「バーナンケの流動性」で食い止めた。そしてそれが過剰かどうかの判断は食べてからの塩加減と同じだ。バーナンケの流動性で株をここまで戻したところまでは良かったが、今はそのインフレが病み上がりの米国の消費力を減退させる脅威になった。そんな中で米国とFEDは盛んにEXIT POLICY(出口政策)を言いたがる。ただソレを受けて市場がインフレ効果かデフレ恐怖かで揺れている間は米国はそれほど心配してはない。恐らくそのコントロールは昨日紹介したPIMCOを筆頭にした「四銃士」で何とかなると考えているはずだ。米国が一番心配しているのはバーナンケの流動性が先導し、新しく生まれたグローバルの流動性が一斉に「米国売り」に回る事。その時は四銃士も自分が助かるためには逃げ出すしかない。その最大の仮想の敵に比べれば、北朝鮮やイランというプロパギャンダ上の敵国はむしろ米国には味方となる可能性もある。今日からのFOMCはその外部環境の中で粛々と進んでいる・・。