2011年1月14日金曜日

中東に勝て

エコノミスト誌の新年号は「オバマの避けられない戦争」とのタイトルが付いていた。どこの戦争?と思いきや、中東の話だった。そう言えば、ここ数年イスラエル関連では小康状態が続いている。だが同誌の予想ではそれも昨年までの話。今年はイスラエルとヒズボラの争いは避けられない状態だという。

背景は、イラク戦争が一段落し、世界の関心がイランの核開発疑惑に移る中、その間隙をぬってヒズボラはいつのまにか5万発ものミサイルを準備してしまったという。その性能はイスラエルの中核都市を狙えるモノであり、殺傷力はこれまでイスラエルとの小規模紛争の切欠となったミサイルとは規模が違うらしい。

オバマはこのミサイルがイスラエルに向けて発射される事を恐れている。犠牲者が千人規模になれば、イスラエルはその10倍の攻撃力で仕返しをする。そうなるとシリアは間違いなく参戦、もしかしたらイランも加わるかもしれない。米国の一部にはイランとの戦争を欲している勢力がいるが、少なくともオバマ個人は望んでいないのは確かだろう。

ところで、そんな中そのシリアとイランと対峙して堂々と勝利した日本のサッカーは評価できる。今日の試合、イランの審判団はあからさまにシリアに味方した印象はないが、あまりにも審判としてレベルが低かった。そんな中で驚かされたのは本田。てっきり遠藤が蹴ると思った勝ち越しのぺナルキーキックを当然のように自分が蹴ってしまった。

遠藤のぺナルティーキックの成功確立は本田よりも高いはず。だが解説者が言っていたように、本田はボールを放さなかった。監督は本田が蹴るのを了承したのだろうか。そんな事にはお構いなしに本田のキックは決まった。

まさに気合い。真正面に蹴っただけでどう見てもミスキックが入ってしまうのが本田の真骨頂なのだろう。外した場合の責任など全く考えていない自分本位は、タイガーマスクがブームになっている今の日本では異質である。だが孤立した個性が組織の活性化には重要。その重要性を海外から眺めて一番感じるのは、実は日本の政治家の群れ。民主党も自民党も群れているだけで小泉総理以後、個はいない。



2011年1月12日水曜日

インモラル バタフライ (儲かる不道徳。顧客レター)

日本でも報道されたアリゾナの議員集会銃撃事件。今日の3大紙(WSJ NY TIMES WPOST)の一面トップは全て不気味な笑みを浮かべた容疑者の顔だった。オバマは明日アリゾナまで飛び葬儀に参列する。この事からも、いかにこの事件がインパクトがあったか、窺えると言うものだ。

ところで、6人が亡くなったこの事件では、殺人罪は二件に分かれる。理由は判事などの国家公務員への犯罪は連邦法が適用され、アリゾナ州法とは区別されるからだ。今回は犠牲者の二人が連邦法の対象者である。そして連邦法の最高刑は死刑。だが州法では最高刑は異なる。米国では死刑を廃止した州はNYを直近に現在16州(15州+DC)ある。ただアリゾナは死刑を堅持している35州の一つだ。よって責任能力があれば被告が死刑になるのは間違いないだろう・・。

この様に米国は州によって何から何まで違う。昔からテキサスでは一人殺せば死刑といわれる一方、マサチューセッツでは10人殺しても死刑にはならない(州法のみ適用なら)。そういえば以前州によってモーゲージがノンリコースかリコースか別れている事を紹介したが、では死刑もありモーゲージもノンリコースではないイリノイがなぜ真っ先に財政危機に陥ったかのか。理由は何度も紹介した。イリノイは全米で最も2大政党のバランスが取れた州だからだ。そしてソレが右肩下がりの民主主義の運命・・。

恐らくイリノイが米国の先行指標である事を知っている人は既に動いているかもしれない。自分が非情な投資家なら、イリノイ州債売り/ カリフォルニア州債買い/ 米国債売り/の「バタフライ」でもするだろう。

いずれにしても過剰流動性量下ではインモラルプレーがスマートプレーだ。ただそれが人間社会に何を齎すか、本来そこは国家の英知が責任を持つところ。ところが今の米国ではオバマ政権は当初の志が消滅し、「金融の僕」に下ったも同じだ。ソレが何を意味するか。あくまでも覚悟した上での金融ゲームである・・。






2011年1月11日火曜日

ミステリージャパンへの挑戦

テレビ東京の「ガイアの夜明け」を観た。新年の初回、取り上げられたのは日本一の名門旅館の加賀屋だった。日本の温泉を海外へ。この大胆な試みとして同社が選んだ先は台湾。ただ日本特有の「もてなし」の心をいかに現地のスタッフに教えるか。番組はここを追った。そして筆者が一番興味をもったのは、加賀屋ではなく、台湾では日本のように入浴の際にスッポンポンにはならず、水着を着ている事だった。

台湾人は日本人と外見は変わらない。裸になれば尚更だ。ところが日本人と同じ顔の老若男女が水着で温泉につかっている。筆者にはここが不自然に見えた。戦中戦後を通して日本の文化が最も浸透したはずの台湾でも、日本文化のこの部分だけは浸透しなかったのだ。

この日本人の「スッポンポン文化」はザビエルが本部に向けた手紙の中で最初に西洋に紹介されているという。ザビエルはかなり驚いた様だがそれも当前。なぜなら彼は名目上キリスト教の普及のために日本に来ていたわけで、そのキリスト教の古典でもある旧約聖書では、禁断の木の実を食べたアダムとイブが最初に隠したのがお互いの陰部だった。

つまり神との約束を破った人間の弱さの象徴が「性」なら、その弱い部分を隠す心理を持たなかった日本人にザビエルは驚いたに違いない。これではキリスト教が浸透するか、疑問に思っただろう。そして今、ザビエルと同じ疑問に直面しているのがFACEBOOKのマークザッカ―ブルグである。

今日のニューヨークタイムスは、世界に6億人のユーザーを抱え、上場を控えて破竹の勢いで拡大する同社が全く浸透できないのがジャパンである事が紹介されている。同社は2008年に日本にも拠点を構え広告収入拡大を図った。だが現在もFACEBOOKの日本人ユーザーは200万人に届かず、先行するMIXIなどが2000万口座を優に超える中で全く歯が立たない状態だという。そしてその最大の理由はコンテンツの中身ではなく、「日本人は自分を隠す」という根本的な違いからだという。(FACEBOOK関係者)

日本人は自分を隠す?。ザビエルは「隠さない日本人」に当惑したが、FACEBOOKは、本名を使わず、仮名で全てが進む日本のネット社会の異様さに当惑している。それでも同社は日本を避けて通る事は出来ないという。だが筆者はFACEBOOKの日本での普及は疑問だ。なぜなら同社の強みはまず自分が誰であるか明かし、其処からの自己主張でユーザーを引き寄せるネットワークがビジネスの基本らしい。ならばそれは今の日本文化には存在しない価値感だからだ。

そしてそのジャパンミステリーに日本の大企業のCDSを買う事で挑戦しているスコットランド人がいる。その人の名はHUGH HENDRY。ECLECTICA FUNDのファンドマネージャーの彼は、添付した投資家向けのサイトの中で、NIPPON STEELのCDSを邦銀から購入した事が紹介されている。彼によると日本は世界経済の胸部(中枢)に取り残された核爆弾との事。そうだろうか。個人的には彼にはまだジャパンミステリーの本質を知らない未熟者の部分を感じる。

ただこのブログは役所関係者も見ているらしいので敢えて言うが、彼の話が本当なら、日本企業のCDSを邦銀が安い価格で今販売している事になる。まあ西欧の真似しなくてもよいところまで真似ると、場合によっては日本に禍を引き寄せる可能性は否定できない・・。


http://kingworldnews.com/kingworldnews/Broadcast/Entries/2010/9/28_Hugh_Hendry.html




2011年1月8日土曜日

今年のキーワード、NORMALCY BIAS (正常性へ傾斜)顧客レターから

NORMALCY BIASと言う言葉がある。直訳すると「正常性への傾斜」。これはずっと警告されていた危険が現実になっているにもかかわらず、既に予見された事と、過去の経験がアダとなり、危険を回避する行動が遅れる現象を言う。例えばカテリーナの上陸を軽く見た犠牲者。或いはヒトラーのユダヤ人排斥の度合いを見誤り、ナチスが乗り込んできても逃げようとしなかった人々を指す。彼等がどうなったかは言うまでもないが、個人的には今年のキーワードはこのNORMALCY BIASと考える・・。

ところで、下げ幅は少ないが、株が今日下がった意味は大きい。なぜなら市場は住宅などの現実の癌には目をつぶりいい話ばかりをしてきた。これからもソレが続けられるかどうかのヒントは微妙な小さな下落が続く事かどうかだ。そして何よりも興味深いのは、本日GSは公式にSPが1500に到達するとの予想を出したこと。この予想には二つの見方が出来る。GSはヤン氏が昨年11月にQEは総額で2数兆ドル超になると予想。ところが年初のGSの顧客レターは「QEはQE2で終わる」修正された(CNBC発表)。つまり、GSの予想はマーケを動かすが、結局当らないと見る事も可能だ。一方で悪くもなく良くもない今日の様な数字が続けば、批判をかわしながらダラダラとQEを続ける事も可能。その時はPOMOプログラムが株式インデックスへの買いになるとしてS&Pの1500は達成可能。ただその前提はインフレが起きない事である。つまりこの国の今年の最大のリスクはインフレである。バーナンケは「15分で利上げは出来る。だからインフレはコントロール出来る」と断言した。だがバーナンケの実績も完璧なネガティブインデイケーターである・・。

さて、ここでは2004年頃から、米国はインフレよりもデフレが致命傷になると言い続けてきた。そしてその見方は昨年一般化された。ならばここで断言しよう。次にこの国がインフレになる時、その時はTHE ENDである。なぜならデフレはもう怖くない。バーナンケがいる。彼がQEをすればよい。だが米国の健全な体は既に死んでいる。今は死んだ体を薬で動かしているにすぎず、そのワンダーランドは副作用のインフレによる突然死で終わる。それまではインフレの危険性を皆が語りながら誰も本気にしないNORMALCY BIASが続くだろう・・。





2011年1月6日木曜日

FAITH バリューリスク (顧客レターから)

こちらではヘッジファンドによる円売りと日本国債の空売りが再びゲームになる気配がある。では迎え撃つ日本の情勢はどうだ。今の日本は、為替はともかく、老齢化と低成長が当たり前になり、個人の預貯金という限られたコップの水しかない。だが実際の債券市場では、その限られた水でこれまで何度も海外勢のショートの仕掛けを跳ねのけてきた。では円債市場は今度も海外勢を打ち破れるだろうか。個人的にはかなり苦しい局面が来る可能性は否定しない。だが最後には勝つだろう。そしてそれは坂の上の雲のもう一つの側面である。

まず、当時高橋是清が戦費工面にかけずり回った事はドラマでも紹介された。だが当時の日本の国家予算が2億円の時代、既にロシアとの戦争が視野に入る中で、第1回発行分の1億がどれほどの大金だったかを司馬遼太郎はあまり誇張していない。日本は日清戦争に勝ったとはいえ、当時の欧州は欧州以外の国に戦争で負けた事がなかった(台湾を除く)。その常識の中、一体誰が強国ロシアに立ち向かう日本の国債などを買ったのか。

半分の5000万を同盟国の英国が出資した。そして残りの半分を仕切ったのは米国人のジェイコブシフだ。まあ同盟国家として日本にコミットした英国はともかく、シフは民間人である。またルーズレルベルト大統領を配する国家としての米国は、日本が強国ロシアに勝てると思っておらず、日本に投資はしなかった。ではいったいジェイコブシフは何を考えていたのか。

その前に、ジェイコブシフはFED設立時の陰謀説を探るとその端に出てくる人である事を紹介しておく。そもそもFED設立は、欧州を支配するロスチャイルドが、子分のJPモルガンを使い、事前に米国に放っていたウォーバーグに策略を練れさせて10年がかりで達成したと言うのが通説である。そのウォーバーグを義弟に持つシフは、FED設立の中心人物ではないものの、数々の国家への貢献で最終的にFED設立を決めたウイルソン大統領への影響力は絶大だった。その点からFED設立とも無関係ではないという扱いである。

結果的に彼の力で日本は20億の資金調達が可能性になり、それで坂の上の雲のドラマの土台が出来上がった。(恐らくそれが無ければあの物語り事態が存在しない)そして世界中のユダヤ人に働きかける上でシフが重視したのは日本人の責任感だったという。確かに破産という法の逃げ道を知る前の日本人には責任を取る方法は切腹。きっと今の日本人よりも更に責任感が強かっただろう。ユダヤ人で世界にネットワークを確立していたシフは、日本人からその責任感が消えない限り、仮にロシアに負けたとしても、日本の使い道はあると考えていたはずである。

いずれにしても、FEDさえまだ存在していない当時の世界の流動性は今とは比較にならなかった。そんな中でもリスクを求める投資家は世界中にいた事に驚く。そしてゴールドを嫌ったシフが選んだ投資基準が日本の地理的妙味と日本人FAITH(矜持、信頼性、信義)だった事は注目される。

ではその時代と比べて今はどうだ。お金はあり余っている。だからギリシャもアイルランドも潰れない。だがFAITHはあるのか。そしてそんな中で日本国債のリスクとは何だ。筆者には判らない。あるとすれば日本がFAITHを失った時だろうが、その前に既にFAITHが失われかけている国はいっぱいある。しかし市場は全く気にかける様子もなく相対価値のゲームをしている。最大の原因は、この時代まで世界を牽引しスタンダードを築いてきた米国からFAITHが失われかけているからだ。

そういえば正月に子供達が人生ゲームで遊んでいた。子供達はゲームで紙のおカネを使いサイコロを振っていた。筆者にはこのゲームと米国から見た今の金融市場の違いがよく判らなくなった。そして今の株高もその中での話だ。ただ一つ言えるのは、次に待っている国債のリスク、つまり真のソブリンリスクとは、FACE VALUEをGDPで測るのではなく、その国の責任感を反映したFAITH VALUEのリスクだろう。




2011年1月5日水曜日

庶民の初夢

この国でお金がどうなっているかを現わすバロメータに宝くじがある。初めてアメリカに渡った90年代は、ビックゲームと呼ばれる全国系宝くじ(パワーボールとメガミリオンの二種類)でさえめったにくり越し額が50億円にまでなる事はなかった。ところが2004年頃からだろうか、あっと言う間に100億円を超えるようになり、ソレが当前のように続いた。しかし金融危機後、ここでもおカネの勢いが衰えた。プール資金の鈍化が明確になったである。生活が苦しくなれば宝くじでも買うか・・そんな人が増えるイメージは逆だった。

そもそも宝くじを買う人はおカネが必要な人だ。つまり金持ちではない。金融危機後、恐らく彼等の多くが宝くじに回すポケットマネーに窮したに違いない。だが今回久しぶりにメガミリオンの繰り越し賞金が300億円を超えた。庶民の懐具合はあまり変わらないが、たばこ一箱、ビール数本を抜いてでも300億円の夢でも買うか。庶民が夢に払うお金が動き出した証拠だろう・・。



2011年1月4日火曜日

年初雑感、おカネは稼ぐモノか、創るモノか、

個人的な2011年初頭のテーマは、お金は稼ぐモノか、それとも創るモノかである。通常米国ではその英語表現に区別はない。「メイク マネー」である。だが昨年末のG20の頃、財政健全化に舵を切り、米国の掲げた成長最優先と決別した欧州を代表してドイツのメルケル首相が「お金は創るモノではなく、稼ぐモノです」と敢えて区別した。

メルケル首相は中央銀行の量的緩和に頼るだけの米国に警鐘を鳴らしたわけだが、これは「セカンドバージン」で金融王子が検事に非難される場面の「汗水たらして働かず、マネーゲームで儲けるなんて間違っている」という日本人の感覚に近い。だがそんな警鐘は今の米国には全く無意味である。

その理由は二つ。まず今の米国はモノ作りのDNAが希薄だ。よって進化論からしてもその選択は有効ではない。そしてDNAに関係なく、レーガン政権後の成功例ではマネー(富)は創られる(た)モノだったからだ。どうやらその最新のパターンがFEDのQEというハシゴ経て今新たに始まろうとしている。その主役はズバリFACEBOOKである。

米国内でFACEBOOKがクリックされた回数がグーグルを抜いたのは今から半年前。その時からFACEBOOKがグーグルに代わる次世代の主役との見方は一般化されていた。たが、年明け早々、ゴールドマンサックスが中心になり、いよいよFACEBOOKの新規上場の話が具体化してきたのは驚きである。

振り返ると、ブラックマンデイ直前の86年に上場したマイクロソフトは90年代の主役であり、ドッココムバブルが弾けた後の2004年からの復活ではグーグルが主役になった。そして金融危機を経て今度はグーグルがFACEBOOKにバトンを渡す。こんなリレーが完成すれば国家としてもありがたい話だ。ではなぜ彼らがマネーをメイクした事になるのだろう。

まず彼らには共通の特徴がある。それは後にドル箱に成長した分野には元々先行者がいた事だ。その先行者たちのモデルは市場を席巻するまでの力はなく、彼らが改良を重ねる事で消費者の理想に近づいた。(マイクロソフトの前のアップル、グーグルの前のYAHOO、そしてFACEBOOKの前のマイスペース)そしてちょうどその頃を見計らってウォール街の錬金術師が近づいてくる。

錬金術師は老獪だ。本日ゴールドマンはFACEBOOK株の時価総額は非公開の現時点で既に4兆円を超えているとのレポートを出した。だがその前にゴールドマンはFACEBOOKに400億円の自己資金を投下していた事が判明した。

こうして競争相手に決定的な格差をつけたところで株を公開し更に自己資金を潤沢する。そうしておけばその後の開発競争も有利に進む。グーグルもこうして最高の人材を集め更に飛躍していったではないか。

この様に、発明者でなくとも改良の技術力をベースに決定打を打ち、そのあとの会社の付加価値はWSの錬金術師たちに委ねる。この仕組みからはマネー(富)は稼ぐというよりやはり創るモノと言った方がふさわしい。これが米国流であり、そしてそこには国策に近い策略の印象さえ受ける。

ではゴールドマンが演出するFACEBOOKがもたらす国家利益とは何だろうか。FACEBOOKはマイクロソフトのような生産性の革新をもたらすとも思えないし、グーグルの様な「知」への探求心をサポートする使命を背負っているとも思えない。まあ来年の今頃には判ってるかもしれないが、原石の選び方そのものが人類にとって最後のバブルの領域に入った感もするのは自分だけだろうか・・。