このブログは終了しました。 日々のつぶやきはデイオブレコンに、 http://otakizawa.blogspot.com/ 解説はゴゴジャンTakizawa レター 今日の視点 明日の視点に移りました
2013年1月25日金曜日
アーセナルオブデモクラシー(マネー原理プロから)
日本経済をめぐる議論。バブルを知るオジサンも、知らない若者も、結局どちらも正しくないだろう。なぜなら、経済はサイクルを繰り返しながら規模は常に大きくなっている。ただし80年周期の終りに来る4THターンニングは混乱になる。全員が生き残り次の周期に入れる保障はない。今は自分が経験した1~3のターニングのどこかを前提に皆が議論をしている。
そして次の周期では規模は変る。過去は大きくなってきた。そこで昨日紹介したルーズベルトの「アーセナル オブ デモクラシー」をもう一度触れる。この結果米国は圧倒的支配者となったが、この時の規模の変化は想像を超えるものだった。
まず国家予算。1940年まで米国の国家予算はミリオン単位だった。そしてその規模はGDPの4割程度に収まっていた。しかし1941年から1945年までの4年間で米国は300ビリオンの国家予算を使った。これは建国から1940年の150年間に使った国家予算の総額の2倍である。
一方米国は1900年前後には既に英国を抜き世界の超大国になっていた。それからすれば共和党の緊縮財政の主張には整合性がある。そして1940年、ルーズベルトがナチスのボートが南米に現れたという理由で徴兵令を出すまで、米国陸軍の規模は世界で30番前後だった。
伝統的に米国は海兵隊と海軍であり、南北戦争後、実質陸軍は必要なかった。しかし第二次世界大戦で米国は1000万の米国人男性を戦場に送り出し、4300万人を予備兵に登録した。
そしてこの4年間に米国は7000隻の軍船 60万台のジープ(年間15万台は現在の車の販売台数に匹敵)88万台の戦車 30万台の軍用機 2400万丁の銃器 4兆発の弾丸を生産した。
当時日本兵に支給された物資の総重量が一人平均で700グラムといわれた(食料武器を除く)。一方米兵に支給された物資の総量は一人平均4トンになった。米兵を今もGIと呼ぶのは、欧州の連合国の兵士から見ても当時の米兵の圧倒的な物資(Government Issue)に対する羨望からきているという。
この結果1939年に20%を超えていた失業率は2%以下に低下(実質ゼロ)。1939年のTAXリターンの総額が僅か4ミリオンだったのに対し、1945年のTAXリターンは42ミリオンに増加した。
そして添付チャートが示すように、GDPに対する国家予算の比率は140%まで膨れ上がったものの、国内は増税を受け入れ、何よりも戦争で荒廃したアジアと欧州に圧倒的物資を供給する役割を米国は独占。米国経済は70年代にまでに圧倒的支配力を完成させた。
では、今が新たなる周期を迎えるための4THターニングなら、今後中央銀行による「フィアットマネー オブ デモクラシー」(フィアットマネー:ゴールドなどの裏づけのない任意の国家紙幣)が、過去の常識を超えるものになっても驚く必要は無い。
つまり、今の中央銀行のバランスシート拡大議論は、井の中の蛙の議論だということ。ましてや中央銀行によるマネー供給、通貨安戦争は人を殺すためではない。逆に人類を甘やかし、生かすためのもの。結局は誰も反対できないだろう・・。と、ここまではクルグマンと同じ主張をした。
しかしこの人類に対し、神のペナルティーが待っていることもどこかで覚悟している・・。
2013年1月21日月曜日
危機突破時代、社会科科目の実用性
日本では大学入試のシーズンを迎えたが、世界でいろいろなことが起こる中、これまで当たり前だったことが疑問になった。単純比較だが、米国の高校生が受ける共通学力テストには日本の「社会科」科目はない。あるのは「地理」だけだという。
理由は、地理以外の「公民」の価値観、「政治」の態勢、それぞれの「歴史」や「経済」モデルの有効性の答えは一つではないないことを、米国は受け入れざるをえないからだろう。
これは世界を相手にする日本にとっても重要なポイントだ。入試で社会科の試験がないアメリカだが、現実の政治経済の実務では柔軟性を持つ。一方で正解を決め付ける日本は、自分の正論でアメリカを見ることが多い。そしてアメリカをわかったつもりでいる人もいる。
そんな中でアルジェリアで悲惨な事件がおきてしまった。日本政府と日揮にとっては政府軍がこんなにも早く強攻策に出たのは予想外だったと思う。施設にはいろんな国の関係者がいたが、日本人の被害が一番大きい可能性が出てきた。
こちらの記事では、米国は特殊部隊と無人飛行機をマリまで派遣したことが伝わっている。英国は事前にアルジェリア政府に特殊部隊の派遣を問い合わせたようだ。当事国の一人のフランスは自国の人質が少ないことは早くから知っていたらしいがそれ以外の情報はない。
ではもしアルジェリアが欧米の干渉を嫌って強攻策に出たなら、この場合は英国ではなく米国の素早い行動が仇となったことになる。これで思い出したのが世界史の観点での日米関係の始まりである。
そもそも日本人は明治維新を日本人として語る。最近の英雄は坂本竜馬だ。個人的にはずっと佐久間象山の扱われ方に不満を持っていたので、今年の大河ドラマには期待している。それはそれとして、江戸末期の日本にはアメリカ人よりも先に欧州商人が入り込んでいた。彼らにとって黒船の来航は迷惑だったと思う。
当時のアメリカは建国の魂を引き継いだジェファーソンージャクソンの民主党支配が終り、東部重商主義者のホイグ党から大統領が出ていた。ペリーを日本に遣したフィルモアは、植民地支配で欧州に遅れているアメリカに焦っていた。
一方植民地支配は経験済みの英国は大国の清朝で現地商人を通してアヘンを売り始めていた。欧州はまず商人が静かに入り込み政権に取り付く。そして政権が欧州の意図に気付いたときには手遅れ。もし軍事行動でも起こせば武力で圧倒的にな欧州には絶好のチャンス。内戦になれば両方に味方して儲ければよかった・・。
一方アメリカはそんな遠回りはせず、いきなり黒船で現れ日本人の目を覚ました。今から考えると日本はアメリカに起こしてもらって ラッキーだったと思う。このショックがなければ日本は老獪な英国かフランスの餌食になっていたのではないか。いずれにしてもそれで明治維新へのインセンテイブが生まれた。日本にとって、明治維新はこの後のドラマをいう。
しかし今回のアルジェリアの悲劇は、オバマ政権がビンラデイン殺害以降誇ってきた危機突破の成功率が、ベンガジで暗転してしまったことと無関係ではないかもしれない。ヒラリーはベンガジの不手際を責められる公聴会を仮病を使って避けたとえいわれるが、財政でワシントンが難題を抱える中、英国に比べてアフリカは得意ではないアメリカの素早い行動は日本にとって仇となったのではないか。つまり黒船のような刺激が逆効果だったという事である。
ただし時代はこのような危機がこれからもあちこちで起こる可能性がある。ならば日本人は入試の社会科科目の正解を一度忘れるべき時が来ているのかもしれない。教えられた公民の概念、経済の仕組み、社会人としての常識は、日本の社会を守るためには大事なことだが、ソレを前提に海を渡ってはならない・・。
理由は、地理以外の「公民」の価値観、「政治」の態勢、それぞれの「歴史」や「経済」モデルの有効性の答えは一つではないないことを、米国は受け入れざるをえないからだろう。
これは世界を相手にする日本にとっても重要なポイントだ。入試で社会科の試験がないアメリカだが、現実の政治経済の実務では柔軟性を持つ。一方で正解を決め付ける日本は、自分の正論でアメリカを見ることが多い。そしてアメリカをわかったつもりでいる人もいる。
そんな中でアルジェリアで悲惨な事件がおきてしまった。日本政府と日揮にとっては政府軍がこんなにも早く強攻策に出たのは予想外だったと思う。施設にはいろんな国の関係者がいたが、日本人の被害が一番大きい可能性が出てきた。
こちらの記事では、米国は特殊部隊と無人飛行機をマリまで派遣したことが伝わっている。英国は事前にアルジェリア政府に特殊部隊の派遣を問い合わせたようだ。当事国の一人のフランスは自国の人質が少ないことは早くから知っていたらしいがそれ以外の情報はない。
ではもしアルジェリアが欧米の干渉を嫌って強攻策に出たなら、この場合は英国ではなく米国の素早い行動が仇となったことになる。これで思い出したのが世界史の観点での日米関係の始まりである。
そもそも日本人は明治維新を日本人として語る。最近の英雄は坂本竜馬だ。個人的にはずっと佐久間象山の扱われ方に不満を持っていたので、今年の大河ドラマには期待している。それはそれとして、江戸末期の日本にはアメリカ人よりも先に欧州商人が入り込んでいた。彼らにとって黒船の来航は迷惑だったと思う。
当時のアメリカは建国の魂を引き継いだジェファーソンージャクソンの民主党支配が終り、東部重商主義者のホイグ党から大統領が出ていた。ペリーを日本に遣したフィルモアは、植民地支配で欧州に遅れているアメリカに焦っていた。
一方植民地支配は経験済みの英国は大国の清朝で現地商人を通してアヘンを売り始めていた。欧州はまず商人が静かに入り込み政権に取り付く。そして政権が欧州の意図に気付いたときには手遅れ。もし軍事行動でも起こせば武力で圧倒的にな欧州には絶好のチャンス。内戦になれば両方に味方して儲ければよかった・・。
一方アメリカはそんな遠回りはせず、いきなり黒船で現れ日本人の目を覚ました。今から考えると日本はアメリカに起こしてもらって ラッキーだったと思う。このショックがなければ日本は老獪な英国かフランスの餌食になっていたのではないか。いずれにしてもそれで明治維新へのインセンテイブが生まれた。日本にとって、明治維新はこの後のドラマをいう。
しかし今回のアルジェリアの悲劇は、オバマ政権がビンラデイン殺害以降誇ってきた危機突破の成功率が、ベンガジで暗転してしまったことと無関係ではないかもしれない。ヒラリーはベンガジの不手際を責められる公聴会を仮病を使って避けたとえいわれるが、財政でワシントンが難題を抱える中、英国に比べてアフリカは得意ではないアメリカの素早い行動は日本にとって仇となったのではないか。つまり黒船のような刺激が逆効果だったという事である。
ただし時代はこのような危機がこれからもあちこちで起こる可能性がある。ならば日本人は入試の社会科科目の正解を一度忘れるべき時が来ているのかもしれない。教えられた公民の概念、経済の仕組み、社会人としての常識は、日本の社会を守るためには大事なことだが、ソレを前提に海を渡ってはならない・・。
2013年1月16日水曜日
ワシントンDCが首都になった理由
クラブインベストライフが無料化され、このブログをリンクしていただいた記念に、一部マネー原理プロから抜粋しました。
http://www.investlife.jp/
そのGSの株を管轄当局であるNY連銀理事長の任期中に買い増したフリードマン氏が罪にならなかったのは驚きだ。ただ今はそんなことはどうでもいい時代になった。そんな中でダイモン会長が辞めるのは、上院にエリザベス・ウォーレン女史が入り、このままではもっと批判にさらされることが明らかだからだろう。
この後70年以上米国は中央銀行な存在しなかった。(日銀の方がFEDよりも歴史が古い。ここは注目。維新直後の日本は、米国ではなく欧州を参考にした)だから常に資金不足。散在する民間銀行は、ローカル紙幣を発行するものの完全には機能しなかった。
フィスカルクリフと国債発行枠は本質は同じだが市場へのインパクトは違う。まずフィスカルクリフは国内の需要の話。一方で国債発行枠は利息の不払いというテクニカルデフォルトの可能性の話。米国のソブリン性を揺るがす話である。
http://www.investlife.jp/
日銀総裁の人事が注目されている。そんな中JPモルガンのジェイミーダイモン会長がNY連銀の理事の職を去った。彼はリーマンショック直前、2007年に理事に就任した。その後殆ど公にならないこの立場に静かに座っていた。
そもそも地区連銀は民間組織、よって人事が公表されることは殆ど無い。FED法で決まっているのは、9人の理事の中で、3人は地元の金融機関から選ばれること。後は3人が有力企業、3人が識者といった区分けだ。そしてこの9人が地区連銀総裁を決める。
NY連銀では3人の銀行理事の中に、2009年までゴールドマンサックスのフリードンマン元会長も入っていた。つまり金融危機でNY連銀から巨額な救済を受けたJPとGSの関係者がそのNY連銀の理事だったということである。
そのGSの株を管轄当局であるNY連銀理事長の任期中に買い増したフリードマン氏が罪にならなかったのは驚きだ。ただ今はそんなことはどうでもいい時代になった。そんな中でダイモン会長が辞めるのは、上院にエリザベス・ウォーレン女史が入り、このままではもっと批判にさらされることが明らかだからだろう。
オリジナルのドットフランク法では、NY連銀総裁の人事にも改定安が盛り込まれていた。ワシントンのFRBの理事を同じく、「上院の承認を必要とする」が盛り込まれていたのだ。これはクリス・ドット氏の案。
一方法案の共同発起人のバーニー。フランク議員は、クリス・ドット氏の引退後、FOMCに参加するメンバーからタカ派を締め出すという法案を画策した。さすがに実現しなかったが、NY連銀総裁人事も不問になった。
さて、ワシントンDCが首都になった理由は、米国に中央銀行を設立することに反対していたトマスジェファーソンと、中央銀行設立を主張していたアレキサンダーハミルトンの妥協の産物である。
一方法案の共同発起人のバーニー。フランク議員は、クリス・ドット氏の引退後、FOMCに参加するメンバーからタカ派を締め出すという法案を画策した。さすがに実現しなかったが、NY連銀総裁人事も不問になった。
さて、ワシントンDCが首都になった理由は、米国に中央銀行を設立することに反対していたトマスジェファーソンと、中央銀行設立を主張していたアレキサンダーハミルトンの妥協の産物である。
当時ハミルトンは人口や経済で圧倒するニューヨークを首都にすることを主張。一方権力の集中を嫌うジェファーソン。結局独立戦争で州が背負った負債を国家が引きつぐ事。また首都をニョーヨークより南の中間に置くことで二人は妥協。そこがワシントンDCになった。
そして20年に限り、初期の中央銀行が設立された。(ファーストバンクオブUSA)。ただ予定通り20年で消滅。その後中央銀行なしの時代に米英戦争が勃発。再び資金が無くなった米国は、もう一度暫定的に20年間限定の中央銀行を設立した(セカンドバンクオブUSA)。
20年後、中央銀行は有効だとする東部の意見を押さえ、アンドリュージャクソンは1837年に中央銀行を完全に米国から消した。
この後70年以上米国は中央銀行な存在しなかった。(日銀の方がFEDよりも歴史が古い。ここは注目。維新直後の日本は、米国ではなく欧州を参考にした)だから常に資金不足。散在する民間銀行は、ローカル紙幣を発行するものの完全には機能しなかった。
そして南北戦争で更に資金難になった米国は、リンカーンが地銀の一部を国営に換え、財務省が発行した紙幣(グリーンバック)を流通させた。それまで実質米国内の基軸通貨はスペイン銀貨だった。
いずれにしても、この時代の米国は中央銀行を頑なに拒んだ。この不便さが、米国では金融(中央銀行を頂点とした信用システム)より、証券(投資)が発達した背景だと考えられている。
ところが冷戦後、歯止めが取れ銀行と証券を分けていたグラススティーガルが廃止されると、案の定のバブルが発生した。そしてその崩壊・・
その後は独立の志とは相反し、米国も嘗ての欧州のように金融が国家を支配する状況に入ってしまった。今の我々はこの歴史的転換点にいる。
そして今の共和党は、中央銀行の重要性を主張した東部重商主義者に、元来ジェファーソンの民主共和党の流れを汲み、南北戦争後も南部のスピリットを継承した人々や、リンカーンの移住政策で西に移り住んで自力で生きた人々の子孫で構成されている。今の共和党の中で金融に対する考えがまとまらないのはここに原因がある。
その後は独立の志とは相反し、米国も嘗ての欧州のように金融が国家を支配する状況に入ってしまった。今の我々はこの歴史的転換点にいる。
そして今の共和党は、中央銀行の重要性を主張した東部重商主義者に、元来ジェファーソンの民主共和党の流れを汲み、南北戦争後も南部のスピリットを継承した人々や、リンカーンの移住政策で西に移り住んで自力で生きた人々の子孫で構成されている。今の共和党の中で金融に対する考えがまとまらないのはここに原因がある。
一方民主党は都会に済む移民や黒人、進歩主義者で構成されている。多くは政府の救済プログラムの恩恵を受ける立場。ゆるい金融政策にも賛成である。
こうなるとTEA PARTYが「この国に中央銀行ははいらない」「財政規律は重要だ」などと言ったところでそれが米国の総意になる事は最早にないだろう。フィスカルクリフから国債残高上限枠問題にかけての議論が、金融市場やヘッジファンドには「議会のカブキダンス」と揶揄されるのはこの絶対構造がある。
フィスカルクリフと国債発行枠は本質は同じだが市場へのインパクトは違う。まずフィスカルクリフは国内の需要の話。一方で国債発行枠は利息の不払いというテクニカルデフォルトの可能性の話。米国のソブリン性を揺るがす話である。
これで(国債発行枠問題)二度とカブキダンスはさせないとオバマが言うのは、政権を預かる立場としては当然だ。
しかし、だからこそ追い詰められている共和党の一部が噛み付くかどうか。これも民主主義の一端である。
2013年1月3日木曜日
年初特別号 <クリムソンタイド 深紅の潮流のなかでの孤高の判断>
あけましておめでとうございます。
新年をどう迎えたかはぞれぞれとして、今年のテーマとして挙げたいのは局面での個々の判断力です。相場のタイミングは当然ながら、組織もトップから末端までそれぞれの判断力が試されるでしょう。
当前といえば当然ですが、これまで判断を他人に任せていた人や国家にとって、運命を自分で決める事は意外に難しいと思います。そこで年初の今回は一人の旧ソ連軍人の話を紹介します。
ご存知だったらすいません。しらなければ、彼のことを知れば、我々国民全員がそれぞれの立場で今年起こるかもしれないリスク管理や危機管理の現場で何をどう判断すべきか。必ず参考になると思います。
彼の名はVasili Arkhipov。彼は1998年に被爆の後遺症で癌を発祥し亡くなりました。ケネデイー政権で国務長官だったマクナマラは、後にロシアでの冷戦終結の記念行事に出席し、彼を人類を放射能汚染の危機から救ったヒーローとして最大の賛辞を送りました。
しかし旧ソ連では彼はヒーローとして扱われず、生前彼はその事実を人に話すことは無かったといわれいます(未亡人の証言)。
それが、最近になって米国人のオリバーストーン監督が彼を取り上けました。それで筆者も彼のことを知る事ができました。今は自分を鼓舞するために今年から彼をフェイスブックのカバーにしました。
彼の生前の判断については、皮肉なことに彼にとってずっと敵国だった米国がハリウッド映画にしています。それが1995年の「クリムソンタイド」と2002年公開の「K19」です。
こちらでは俗に潜水艦モノ映画に不作はないといわれますが、興行はともかく、この2作もスリリングな展開が続きます。そしてこの二つの映画でダンゼルワシントンとハリソンフォードが演じた主人公が彼だと考えてください。
クリムソンタイドは1995年の制作ですから、西側に彼の存在が知られるようになったのが2002年のため、映画との因果関係は証明できません。しかしそこはヒットメーカーのドラッケンミラー、どこかで彼の噂を聞き、実話では悪者のアメリカを、映画では正義にして撮ったといわれても仕方がない内容です。(国家の役割が逆)
またそれより以前に起きたK19の放射の漏れの事故の際は、彼の任務はハリソンフォードが演じた艦長ではなく、リーアムニーソンが演じた副艦長でした。K19は原子力エンジンが放射能漏れを起こし、大爆発の恐れの中乗組員が命を投げ出して危機対応に当たります。
この事故は現在も原子力潜水艦の事故として唯一のものといわれていますが、この事故の際も、Vasili Arkhipovの判断で被害が最小限にとどめられたと乗務員が証言しています。
事故で彼も被爆していますから、映画での役としてはで被爆したヒーロー艦長のハリソンフォードとなります。(映画では副艦長リーアムニーソンがヒールでハリソンンフォードが英雄)
話を冷戦時代の実話戻すと、K19の事故後、彼が副艦長兼チーフコマンダーとして乗り込んだ原子力潜水艦B59は、原子力ミサイルを搭載したまま、キューバ沖で本国との連絡が取れなくなりました。B59 がやっと傍受できたアメリカのラジオ。そこではケネディー大統領が、「最終局面が近づいており、米国民には裏庭に放射能よけの防空壕を掘れ」と呼びかけていました。(実話)
B59は米国海軍の探知機から逃げるために、船内の温度が40度を超える中、一日に取れる水分がコップ一杯の水だけという極限状態のまま、数週間も深海でじっと耐えました。
これがダンゼルワシントンの映画のタイトルの「クリムソンタイド 深紅の潮流」です。このような局面は我々の生きるビジネスの世界でもあるのではないですか。
そしてついにB59は米海軍の探知機に察知されます。米海軍は、ニュートラルの海域で、隠れている潜水艦を挑発するため、命令上は演習しかし実際は実戦さながらのなDEPTH CHARGE(機雷の一種)を落としてきました。これは最後まで開戦回避を探っていたケネデイーの意向を無視したものでした。
この時代、ソ連との間で「もし敵が一人生き残り、こちらが二人生き残れば、戦争は勝ちだなどといってはばからない米軍の好戦的雰囲気がありました。
この軍を押さえる役割でケネデイー政権の中枢にマクナマラはいました。ですから、マクナマラは当時の一触即発の事体がケネデイーとフルシチョフの両首脳の能力を超えていたことを身近で知っていたわけです。
そして情報もなく、忍耐が限界に達する中、B59の艦長は決断します。原子力ミサイルの発射を命令したのです。
この判断は妥当だったと現場にいた船員が後に証言しています。ただソ連海軍の規定で、通常兵器ではない原子力兵器の発射には、現場の判断が優先される緊急時であっても、艦長と副艦長二人のカギの3つがそろわなければ、ミサイルは発射ができない規約がありました。
もう一人の副艦長は艦長にカギを渡して発射に同意しました。その時、Vasili Arkhipovは最後まで鍵を渡しませんでした。
結局、挑発した米軍戦艦は去っていきました。この後、有名なキューバに迫っていたソ連艦隊がフルシチョフの命令で引き上げ、同時にケネデイーはトルコからモスクワに向けていた核弾頭ミサイルの撤去を命じます。我々が知るキューバ危機はこのことをさします。
しかし本当の危機は別にあったのです。米国が、ロシアの原子力潜水艦B59でこんなドラマが合った事を知ったのはずっと後のこと。多くの日本人はまだ知らないと思います、
もしこの時にB59からミサイルが発射されていれば世界はどうなっていたでしょう。最後に添付したドキュメンタリーに登場する米軍関係者の自嘲気味なコメントが全てを物語っています。
アイゼンハワーは引退の際に、大統領の権力ではもはやコントロール不能になった軍産複合体の力をケネデイーに警告したのは有名です。
震災後、日本でもこれだけ原子力がテーマになる中、我々日本人もVasili Arkhipovを知らないわけには行きません。ただ彼は結果的にソ連からは評価されず、よって誰にもそのことを語らず。母国が崩壊する中で静かに死んでいきました。未亡人によると、彼は普段は物静かで無口だった様です。
そしてK19の事故での被爆と、そこで優秀な部下を犠牲にした経験が、B59での孤高の判断力になったのだろうといっています。
そこでVasili Arkhipovのことを、読者の皆さんにも知っておいてほしいと思います。そして皆さんの判断で、日本がよい方向に行くことを願います。
http://www.pbs.org/wnet/secrets/episodes/the-man-who-saved-the-world-watch-the-full-episode/905/
2012年12月28日金曜日
解析ニッポン 哲学と戦略の両立 クラブインベストライフから抜粋
ハーバード大学には行ったことがないのですが、そこでは日本にもファンが多いマイケル・サンデル教授が哲学を教える構内で、リバタリン経済学者としてジェフリー・マイロン教授は麻薬合法化の経済効果を教えています。
この多様性がハーバード大学の凄さの一面と想像します。言い換えると、ここではフィロソフィー(哲学)と、ストラテジー(戦略)が、学問として明確に分かれているということだと思います。
人間社会の歴史を振り返ると、哲学をおろそかにすればかならず報いがくる。しかし豊かさへの欲望などの動機がストラテジーを生み(資本主義のメカニズム)、結果的に進化、発展にもつながってきました。
米国は2006年から、過去80年周期で繰り返したサイクルの第4コーナーに入ったという意見があります。過去の第4コーナーでは、独立戦争 南北戦争 第二次世界大戦と動乱が起きました。そしてその危機を乗り越えて新しい周期に入りました。
日本も近代の大変革を維新と敗戦とするなら、起点になった黒船来航と満州事変の開きは約80年です。そして現在は敗戦から70年の大台が見えてきています。やはり日本も大変な時期を迎えたと思います。
自分で達成した明治維新と、米国の力の前に変革を受け入れた敗戦ではその後の運命が違いました。ところが敗戦後の日本は不幸ではなかった。奇跡といわれた経済成長を成し遂げ概ね幸福だった。この事実は今の日本人の感覚を支配しています。しかしそこでは戦後の世界の潮流が日本に有利に働いたことを考慮する必要があります。これまでの日米関係は其の潮流が基盤でした。
本来は其の潮流の変化の可能性を踏まえ、国策の議論がなされなければならないのですが、総選挙に臨む政治家の主張は、現象にとらわれ、世界の潮流に対するストラテジーの吟味の甘さが目立ちます。何かにはストラテジーとフィロソフィーの混同も見受けられます。
これではしたたかな外国勢に囲まれた今の日本の危機の本質を国民に理解させることは無理でしょう。ただ歴史の力は巨大です。たとえ本質を理解しても、何かが変わるかどうかは判りません。それでもイメージを促し、準備をしておくことは重要です。そこで最後の寄稿となる今回は、中世以降、フィロソフィーを重視した中国と、ストラテジーを積み重ねた結果、変化した英米の比較をしてみたいと思います。
<ヘンリー8世が英国を変えた>
まず国王がローマ法王の傘下にあった頃の欧州の冴えない均衡を打ち破ったのは、16世紀に英国に登場したヘンリー8世だったと考えます。彼の登場によって英国は単独でストラテジー国家へ変貌し、一方で欧州は現在につながるウエストファリア条約へ次第に傾いていきました。
そもそも均衡を崩したヘンリー8世の動機は不純でした。愛人ができてカソリックで認められないスペイン王女との離婚をするため、国王は英国をローマ教皇の傘下から独立させるという行動に出ます。
これはスペインやフランスなど、当時欧州では英国より格上の国からみれば暴挙でした。怒ったローマ教皇はヘンリー8世を懲らしめるため、国王を破門、フランス国王に英国を攻撃するように命じます。しかしヘンリー8世は動じず、さっさと英国国教会を独立させてしまいました。
一旦カトリックの強大な縛りが緩むと、いろんなものが動き出します。まずフランスやドイツで生まれた新しい宗教が、新しい学問といっしょに英国に入ってきました。そしてそれまでのタリー(木片)を使った国王によるマネーの管理も、民間のゴールドスミスなどに主役が移っていきました。
この過程で信用創造という現在の金融のコンセプトが生まれます。加えて戦争には膨大なマネーが必要です。国王による国家統治の威厳を利用する形で、民間のマネー支配者が中央銀行のシステムを構築していきました。これが今の形態の世界最初の中央銀行、バンクオブイングランドです。
このように、ヘンリー8世は浮気という欲望を正当化するためにいろんなストラテジーを考えました。これで均衡が崩れたのです。ただ反対する人もいました。有名なのは「ユートピア」を書いたトマス・モアです。国王は友人でもあった彼を、有能な官吏だったトマス・クロムウェルの進言で殺してしまいます。(参考:1966年アカデミー賞受賞作"わが命尽きるとも")
こうしてトマス・モアに代わって国王の寵愛を受けたクロムウェルでしたが、膨大なカトリック教会の財産を没収して国王の財政基盤を確立に多大な貢献をしたにもかかわらず、その大出世を貴族に疎まれ、嵌められて、何度も斧を振り下ろされるというむごい殺され方で断頭台の露に消えました。
この時もクロムウェルを見捨てたヘンリー8世ですが、愛人を新しい王妃にするために要らなくなった王妃を次々に断頭台に送りました。そしてその子供であるメアリとエリザベスは、ヘンリー8世没後、母親の恨みを引き継いだ統治をしました。
メアリーはスペインと関係を修復し、カソリック回帰で新教(主にピューリタン)を弾圧し、その結果、清教徒が米国大陸を目指し、今のアメリカの基礎が生まれました。一方腹違いの妹エリザベスは、メアリーの死後、姉とは逆に多様性を重視しました。目的のために手段を選ばないところは父親からチューダー王朝のDNAを強く引き継いだともいえます。
エリザベスは植民地からの銀で繁栄するスペインの船を襲う海賊を影で支援していました。そして怒りが頂点に達したフェリペ2世が無敵艦隊を英国に向けると、中世的貴族的戦いを想定していた無敵艦隊に対し、エリザベスは海賊戦術用いて圧勝しました(アルマダの海戦)。
ここで英国が19世のビクトリア時代に頂点を迎える基礎が固まるわけですが、後に国王を殺して議会制民主政治の指導者になったとされるオリバー・クロムウェルは、ヘンリー8世に仕えて大改革を推進しながら、恨まれ、見捨てられ、無残に斬首されながら、シェークスピアのせい?で未だにあまり好かれていないトマス・クロムウェルの末裔です。
このようにいち早く議会政治を導入し、産業革命から世界の頂点に立った英国の起点は、その動機は何であれ、フィロソフィーを支配した宗教の縛りを打ち破ったヘンリー8世だったと考えています。
< なぜ米国が英国に取って代わったか >
世界最大手ファンドの一角であるPIMCO社のストラテジスト、トニー・クレセンジ氏は、400年前まで欧州と中国の豊かさは同じだった。しかしその後の資本主義は欧米に富をもたらしたが、15%が富を独占する一方、85%は貧困に追いやられ格差は拡大した。その格差が縮小に向かい始めたのは1950年代以降だといっています。
この分析はすばらしいものです。スペインやポルトガルは、英国よりも早く海を支配して植民地を手に入れました。しかし彼らはカトリック国家の宗主国としてキリスト教を現地に広めることをしましたが、植民地から銀を搾取し、それを本国が散在したら終わってしまいました。
一方で英国は植民地に「経営」を持ち込みました。彼らに物を売りつけ本国の産業を興すと同時に、植民地では消費財と輸出品目に課税したのです。これは植民地に投資をする一方、植民地との格差を利用した経営です。米国も最初はこの英国の敷いた資本主義の中でもがいていました。
しかし建国の父たちが独立を果たすと、勤勉であり、貯蓄をおもじんるカルバン派プロテスタントの米国人たちは、英国よりもダイナミックな資本主義を起こしました。(バチカンから独立した英国国教会は、実はカソリックからそれほど変わっていない)これを欧州からみていたのがマックスウェーバーです。
ただその格差は尋常ではありませんでした。米国の資本主義は南北戦争での鉄道のバンダービルドから、その後のロックフェラーとカーネギーに、JPモルガンが絡む三つ巴の競争を軸に一気に英国を抜き去ったといえます。
どっちが米国一の大金持ちになるか。先行したロックフェラーを猛追するカーネギー。彼らに共通するのは発明ではなく、リスクを恐れず私財を投入してモノポリーを構築するスピードでした。(オイルの大量採掘技術はテキサスでハミル兄弟が生み出し、鉄鋼の大量生産技術は英国にあったもの)そうなると決め手は労使関係です。どちらが安い賃金で労働力をより酷使できるか。この競争に割って入ったのがJPモルガンでした。
英国的金融カルテルを理想とする偉大な父の影で、若い頃のJPモルガンはくすぶっていました。しかし自分もいずれロックフェラーやカーネギーと同格になりたいと考えた彼は、リスク嫌いの父親がM&Aの仲介で満足したのに対し、世の中を変える技術革新への投資が彼らと肩を並べる条件と考えました。そこであのエジソンに巨額投資をします。(現在価値で80ミリオン)
エジソンは研究室で直流白熱球を研究していましたが、ロックフェラーのオイルビジネスの根幹であるオイルランプ全盛の時代、JPモルガンの画策するオイルから電気へのエネルギー大転換は、ロックフェラーにとって脅威となりました。しかたなくロックフェラーはガソリンなどの新商品の精製に傾斜していきます。
結果的にこれは自動車の時代を迎え、正しい選択だったことになるのですが、一方JPモルガンの思惑は簡単には実現しませんでした。ライバルのウエススティンハウスが、エジソンの部下だったステラー氏を発掘し、直流ではなく交流電流でエジソンとJPモルガンに挑んできました。
JPモルガンは本業の金融市場を使って対抗しました。あえて株式市場に悪い噂を流し、資本力に劣るウエスティンハウスを兵糧攻めにしたのです。こんなことに巻き込まれた株式市場も大変ですが、最後はステラの交流電流電球がエジソンの直流を駆逐しました。
その後JPモルガンはエジソンをクビにして会社を完全に自分のものにします。それが現在のジェネラルエレクトリックです。このGEとウエスティンハウスの競争は現在のNBCとCBSなど100年間続きました。そして、金融市場を牛耳ることで、カーネギーやロックフェラーとは別の力を得たJPモルガンは異次元に踏み出しました。まず富でロックフェラーを上回ることが悲願だったカーネギーに買収話を持ちかけます。
迷ったカーネギーは、半信半疑で当時としては天文学的数字だった480ミリオンというオファーをします。JPモルガンはO.K.と一言いって返しました。こうしてできたのがUSスチールです。USスチールは結果的に粗100年に渡り、モノポリー状態を維持しました。
当時の480ミリオンは現在価値で300ビリオンダラーです。(24兆円)。カーネギーはもし480ミリオンではなく、580ミリオンだったらあなたは買ったのかとJPモルガンに問いかけました。JPモルガンはそれには答えず、これで貴方はロックフェラーを抜いて、米国最大の金持ちになったと答えたといわれています。
ところで、この3人が手を組んだのが1896年の大統領選挙でした。格差が広がり、庶民の怒りを背景に民主党のビル・ジェニングス候補は名指しでロックフェラーやカーネギーを非難しました。そこでこの3人が打ち立てたのが共和党のマッキンリー氏でした。当時3人は一人当たり現在価値で30ミリオンを拠出しマッキンリーを勝利に導きました。
おもしろいのは、この頃に共和党にはNY州知事だったセオドア・ルーズベルトが、リベラル層からも支持を集め、大統領への期待があったことです。ただもし彼が大統領になってしまうと、ビッグビジネスに対して反旗を翻す可能性を感じた3人は、彼を副大統領候補にし、操り人形であるマッキンリーを大統領にすることにしたのでした。
ところが、ビッグビジネスの言いなりとなったマッキンリーは、JPモルガンの買収によってよって整理された会社を解雇された労働者によって暗殺されます。そして大統領になったセオドア・ルーズベルトは一気にビッグビジネスの解体に動き出します。3人の画策は裏目に出たのです。
この頃、アメリカの進歩的資本主義が、英国の格差資本主義を超えたと思います。その象徴として登場したのがヘンリーフォードです。
それまでの米国の資本主義は、前述のビッグビジネスの3人に代表される資本家のためのもの。モノポリーが当たり前で、自動車産業も、モノポリーを守るために協会がすべてを仕切っていました。フォードはコストが安く庶民にも手が届きそうな車を開発し、協会に販売許可を願い出たのですが協会は許しませんでした。そこでフォードはレースに出ます。レースに勝って車の性能を紹介すると同時に、協会からの支援が無くても事業を継続する資金を得るためでした。
フォードはレースに勝ちました。そして裁判所はフォードが自分で車を製造販売する権利を認めました。ここから米国は新しい時代に入ります。労働者の権利は劇的に改善され、フォードが始めた週休二日制、8時間労働、最低賃金法がスタンダードになっていきます。そしてミシガン湖の周りには労働者が集まり中間層が生まれていきました。
後に人々はこれを第二次産業革命とし、ヘンリーフォードをその象徴として特別に評価にしました。ただしアメリカの資本主義のメカニズムが本領発揮したのはこの後です。
ギルト時代が終り、ルーズベルトを副大統領にした画策が裏目にでてスタンダードオイルは解体されたのですが、6社に分解された会社でも株主だったロックフェラーの総資産は、フォードの車が売れ、家庭にGEの電気が届き、米国の中間層が豊かさを実感し始めたときに頂点を迎えました。
その金額はスタンダードオイルの株を単体で持っていた頃をはるかに超え、660ミリオンに達しました。それは現在価値で415ビリオンダラー(33兆円)です。
< なぜ中国は発展からとりのこされたのか>
では英国や米国がこのような変貌をとげていたころ、中国は一体何をしていたのでしょう。前述のクレセンジ氏の指摘した400年前に戻るなら、中国は漢民族による「明」が終り、満州人による「清」に移行する頃だと思います。この頃までは、たしかに中国の豊かさは欧州と比べて全く引けをとっていなかったと思います。それどころかそれ以前はどう見ても中国は世界で最も先進国でした。
その中国がなぜ遅れをとったかというテーマで欧米人が研究したものに「高水準均衡説」があります。簡単にいうと、中国社会は放伐を繰り返しながら、清の時代には庶民までがある程度の幸福感に浸ってしまい、社会が高水準均衡のわなにはまった状態になったことをさします。
確かに康熙帝から乾隆帝までの3代150年間は、人々が豊かになった証拠として人口が4億人に到達しました。これは当時の欧州全体の人口より多かったといわれます。
それまで何回が他民族の支配を受けた中国では漢民族はすぐに蜂起しました。しかし清朝では近代になり日本や欧米に侵食され、孫文が登場するまで起きませんでした。これは清の治世をほめるべきか、漢民族が衰えたのか、悩ましいところです。
そして別の意見として、儒教という哲学の存在を示唆する人がいます。本来中国には老荘思想の道教と、同時期に孔子が広めた儒教が混在していたはずです。ところが、途中から社会の安定に役立つ儒教の思想が強くなり、道教が持っていた自然科学への探究心が薄れてしまったというのです。
今の日本が注目すべ点は、国家は他国の支配に満足すると、崩壊するまで自分で実験はしないというこの頃の中国人の教えです。バブルが崩壊して20年、今の日本は何事においても実験をしなくなったように感じます。民主党が一度失敗するとすぐ見捨てる。経済も原則を超えた話をすると、日本人は誰も近づかない。(反応したのは外人)結局何もしなくなった。それは追い込まれていない証拠でもありますが、均衡社会の特徴が出ているのではないでしょうか。
ここにヘンリー8世という異常な人物による英国の突然変異や、米国の強欲ギルト社会が織り成した資本主義のダイナミズムとの違いを感じます。
更に、中国は3000年の西欧との貿易の駆け引きで、前半の成功体験から、後半に決定的ミスをした証拠があります。これはこれからTPPに臨む日本にとっても参考になる事例です。
そもそも中国の古代文明は4大文明で孤立期間がもっとも長かったわけですが、交わる必要が無かったともいえます。ミソポタミアで穀物は小麦しかなかった時代、中国では米など様々な穀物が食料になっていました。
武器の発展も、ヒッタイト人がはじめて鉄の武器を作り、後にローマ軍はその武器の使い方を極めたとされます。しかし秦の始皇帝が中国を統一したころの中国は、鋳造技術が発展し、鉄の形を自由自在に変えられました。
秦の武器は圧倒的な飛距離と殺傷力を備えた鉄製のボーガンでした。弓矢など歯が立ちません。もしこの頃にローマと戦っていたららどうなったでしょう。それは300年後、ゲルマン人が西ローマに移動したのは、西域のアジア系遊牧民(フン族)がゲルマン人を襲って彼らが居場所を失ったからだという説が有力です。
恐らくこの頃は中国は欧州よりも武器は進んでいたでしょう。ローマは5賢帝の頃から中国(後漢)に盛んに使者を送りますが、その最大の目的だったシルクの作り方を中国はぜったいに教えませんでした。
この頃の西洋ではシルクは植物、木になっていると考えられていました。シルクロードができ、中国にシルクを買いに着た商人は密かにシルクの木を探していたといわれます。そんな西欧人をみてきっと歴代の中国王朝は高笑いをしたことでしょう。
こうして中国は3000年間貿易のドル箱であるシルクの秘密を守ったのですが、その一方で紙や火薬、羅針盤、印刷といった学問や産業発展の基盤になる最先端の技術を、清朝のころまでには西欧に渡してしまいました。今から振り返ると、どちらを守るべきだったのでしょう。TPPでは日本に同じ過ちを犯してほしくないところです。
< 日本の課題、フィロソフィーとストラテジーの両立 >
日本の歴史をざっと見ると、1000年間は中国に教わり、明治維新前後の50年は英国から教わり、そして戦後から現在の70年間は米国から教わっています。しかしずっと主張していますが、日本のマスコミは中国を新興国と呼び続けています。これは知性のなさの証明でもあり、日本の戦略の無さの証明でもあります。
中国経済が台頭してから10年。経済の軸を中国に移しながら、実は米国しかみていないのは米国からでもよくわかりました。米国の民主党政権はしっかり中国の変化に対応しているのに、自信をつける中国人に対して隣の日本は何も配慮しない。全くナンセンス。尖閣は起こるべくしておきましたが、別のやり方もあったはずです。
ここからはメデイアの役割はきわめて重要になると思います。現象面の解説だけで終わるのは極めて危険です。読売新聞は他が有料化したWEBを今も無料で行っている点はさすがですが、中国に対する日本人の親近感の減退をことさら強調している。これは危険です。メデイアなら、そうならないように知恵をしぼるべきところです。
言うまでも無く中国と米国にはさまれた日本は重要な位置にあります。有利でもありピンチでもある。もし自分の足で立てば、周りを見て自由な自分の手を使って立ち回れる。しかしもし米国にしがみ付くと手は使えない。ならば周りを見る余裕など生まれないでしょう。
世界で様々な現象が起こる中、一体今は世界史の中でどんな局面なのでしょう。現象と本質は反対語ですが、米国のような多様性の妙を持たず、むしろ均衡の罠に近い今の日本では、こと更指導者が本質を客観的に分析する必要があります。
日本国民の多くは1000年も教わった中国からの儒教的精神をベースに、近代は英米のシステムをただ乗りしたことをあまり意識していません。ですから欧米の経済のシステムが理想と考える一方、そのシステムがどのような経緯で今日があるかには興味はない。ところが、フィロソフィーではここまで影響を受けた中国を新興国と呼んでも違和感を覚えない。
日本がこの特性を維持したいなら、相当のしたたかさが必要です。個人的にはなんとしてもそれを成し遂げるべきとだと思います。そうすれば19世紀が英国、20世紀が米国が言われる中で、21世紀は中国ではなく日本の世紀になるかもしれない。
それは日本が覇権を握るということではなく、米中の間でしっかりと自立し、アジアを要らぬ混乱からも守るという意味です。日本はアジアにかなりの貢献をしていますが、ここからの国家のしたたかさは、ぶれないフィロソフィーと、柔軟なストラテジーの両立。その一歩はその二つを混同しないことだとおもいます。
2012年12月25日火曜日
A Very European Christmas 欧州のクリスマスイブ
http://youtu.be/hvayG8DiUXc
先週のエコノミスト紙の特集は、英国のEU離脱の可能性だった・・。サッチャーの時代にも話題になったが、アジアの孤島の日本からでは解りににくい欧州のしがらみ・・。そんな時、このYOU TUBEはよい教材になるかも。
先週のエコノミスト紙の特集は、英国のEU離脱の可能性だった・・。サッチャーの時代にも話題になったが、アジアの孤島の日本からでは解りににくい欧州のしがらみ・・。そんな時、このYOU TUBEはよい教材になるかも。
2012年12月22日土曜日
情けない役所
外務省は21日、2003年のイラク戦争における同省の対応についての検証結果を公表した。当時の政権によるイラク戦争支持について、「おおむね適切」と結論づけた・・・。
読売新聞から
小泉政権時代、イラク戦争への賛同が、当時の日本の国益に適ったと思うなら、'ちゃんと国民にその説明をすればよい。そうすれば、憲法改正に対する国民の見方も変るかもしれない。
それもせず、ただ単にアメリカに逆らえないという情けない現実を取り繕うだけの情けない役人の集まり・・ これで頭がいいと思うっているなら、もう少し恥を知ったほうがいい。
読売新聞から
小泉政権時代、イラク戦争への賛同が、当時の日本の国益に適ったと思うなら、'ちゃんと国民にその説明をすればよい。そうすれば、憲法改正に対する国民の見方も変るかもしれない。
それもせず、ただ単にアメリカに逆らえないという情けない現実を取り繕うだけの情けない役人の集まり・・ これで頭がいいと思うっているなら、もう少し恥を知ったほうがいい。
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