ブラックスワンの著者のナシーブ氏が、ハンムラビ法典には簡単に家が壊れたら、建てた建築士を死刑にするルールがあったとコメントしている。自分でその家を建てた建築家は見えない内部をよく知っている。上辺だけをよく見せて売ってしまうことも可能だ。彼はこれを投資家を騙してデタラメな商品を販売した金融に見立てて話している。バビロニアの「目には目を・・は」無責任な市場関係者を駆逐する上で健全だったらしい・・
たしかに相場で大損しても欧米銀行は救済され、トレーダーは無罪放免だった。それに対し、高額な報酬をもらうわけでなく、相場で負けた場合左遷されるかもしれない邦銀トレーダーは、昨今のアベノミクスへの対応でも違う。これが株が上がって盛り上がる欧米と、債券が下がって困る邦銀の違いだ。ただトルコの自国の大使館爆破に加え、イスラエルとシリア、またいつ起こるかわからないアジアの紛争より、ダウの14000に浮かれる米国市場もそろそろ調整だろう。
そういう日本も、マーケットが経済を支える本末転倒の競争の仲間入りをした。そうなると本当のリスクはも誰もわからない。報道でも「清い正論」財政とマネー規律をという人は殆ど黙ってしまった。昔はこうして反戦の声も消され、誰もが悪いと認識している戦争に世界は突入していったのがよくわかる。
ここでも長谷川平蔵を紹介し、今はフィロソフィーよりもストラレテジーに徹するべきとこの流れを煽った。なぜなら戦いは海の向こうから仕掛けられていたらだ。鎖国をしない以上、日本はいずれ死ぬ運命だったと思う。
そして人間の歴史は定期的に戦争をしてきた。日本人だけが浸っている人命至上主義から一旦頭を切り替えれば、戦争が科学技術の発達と経済の拡大に一定の歴史的役割を果たしたことは否定できない。それは一定の周期で繰り返される高揚(High)覚醒(Awakening)解放(Unraveling) 危機(Crisis )の中では避けられない運命なのだ。(ニコラスーハウの4thターニングより)
ただ今回は実弾は使わない通貨戦争。破壊も無ければ人も死なない。ではこの通貨戦争が人類史に対する役割はなんだろうか。簡単に言うとそれは先進国をスポイルすることだ。本来は淘汰されるべき失敗者や弱い人を大量に保存し、その付けを市場原理の終焉と、資本主義を信用主義へ変えることでそのつけを後世に残す。
その意味では、過去のどの戦争よりも世界史の健全性からは実はタチが悪いかもしれない。
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