2013年11月1日金曜日

「半沢直樹」より面白い「リーガルハイ」




世の中は白黒つけられない現象に支配されている。しかし白黒つけなければならない時がある。法治国家ではそのために法律がある。では法律はシンプルがいいのか。或いは網の目を小さくした方がいいのか・・。

友人の何人かが弁護士だ。中でもフロアーでピットブローカーのアシスタントをしていた友人は、今はシカゴで殺人犯の弁護をしている。彼によると、こちらで弁護士になるのはそれほど大変ではないらしい。だが良い弁護士、成功する弁護士になるのは大変だという。資格は勉強成功は才能ということか・・。

なるほど。そんな中、半沢直樹の俳優が弁護士をやっているドラマをみた。痛快だった。半沢直樹より面白い。また意味のあるドラマだと思う。日本ではこういう番組がもっと流行ってほしい。

海外に出れば駆け引きがモノをいう。そのとき重要なのは、灰色をコントロールする能力だ。米国では社会化科目は簡単な歴史と地理以外はない。なぜなら答えが一つではないからだ。むしろ重要なのは弁論や演技力。つまり人の頭と心を支配する訓練。

一方日本では社会科は受験科目。法律家を目指すなら道徳も必須だろう。ただ弁護士という職業を比べると、元々法律の専門家で人間としてのレベルも高い裁判官を相手にする日本の裁判と(陪審員制導入前)、様々なバックグラウンドで宗教も知性もバラバラの普通の人を動かす能力は別だと思う。このあたりの突っ込みが「リーガルハイ」の脚本はアメリカ的だ。

そして、善悪の判断、有罪無罪の判断に限らず、TPPなどの国際交渉で日本がアメリカを相手にする時は、このような世界で鍛え抜かれた連中を相手にする。ほとんどの高級官僚はロースクールか、ビジネススクールを出ている。

当然ながら、国際交渉では国内のルールをどれだけ知っているかというより、シンプルな叩き台に対する議論の展開力が勝負。弁護士の資格はないが、給料の交渉、トラブルの交渉などは自分も経験した。こういう時は絶対論を持ち出してもだめだ。相対論で主張の優位性を冷静に展開しないとだめだと痛感した。

ただしアメリカ社会では納得いかないこともある。金融危機後、リーマンショックは誰の責任かという問題に対し、アメリカは未だに答えを出していない。

規制緩和の扉を開いたレーガン。グラススティーガル廃案に署名したクリントン。彼は好調な経済と引き換えに、破廉恥行為を国民に許してもらった(上院の弾劾)。

この頃から米国はモラルよりも結果優先になったが、ブッシュの頃になると、9・11で頭にきた米国は完全に客観性を欠いていた。ほとんど議員がイラク侵攻に賛成、間違いだった事が判明しても、誰も責任は問われていない。

経済でも、JPモルガンは罰金が2兆円を超えそうだ。2兆円の罰金を払ってもつぶれもせず、平気な会社があるとすれば、ソレはいったいどんな社会だろう。トップのジェイミーダイモン会長は、この窮地を救うのは彼しかいないと、この期に及んで株主から絶対の信頼を得ている。

日本には独自の価値観で司法や行政があるのは当然だと思う。ところが同じ日本人がTPPの交渉もしなければならない。そしてメーカーや農業のような明確な壁のない金融では、ウォール街の青血の日本侵攻にメガバンクや野村は立ち向かう必要がある。彼らを管理するのは金融庁などの役所。こうみると役所は日本の未来を背負っている。

前にも言ったが、日本はアメリカの相対的判断の産物である。アメリカは戦争を仕掛けてきた日本を、処罰するよりうまく使うことを優先した。ソレがアメリカの国益に適うという相対的な判断があったからだ。そして70年経った今、日本はアメリカの国債を買い、アメリカに技術を提供し、アメリカにはできないアジアへの食い込みを日本が担当している。

では日本はこれから先アメリカから何を学ぶのだろう。個人的には、上に立って国益を担う人は、彼らの相対的なバランス感覚が参考になると思う・・。

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