2014年6月1日日曜日

KNOWING BEYOND KNOWING・・ 世界大戦100周年の戒 ( レター抜粋 )

             


             

今はマーケット動かす情報の主役が欧州のドラギ。アメリカを見る立場では、傍観するしかない。
ただ4年前のギリシャ危機で、ドイツを説得したのは結局アメリカだった。・・

再選を控えたオバマ政権は、強硬なドイツと甘えの南欧の膠着を黙認できなかった。欧州の人々は解決策は判っている。だが当事者だけだとエゴもあり進まない。そこで結局アメリカの登場・・。

・・・ ちょうど100年前の6月、サラエボ事件をきっかけに、第一次世界大戦が勃発した。この時も勢力が均等したため戦争は泥沼化した。

もしあのまま大戦が続けば、英国 フランス ドイツはどうなっていただろう。次の時代の人材は、皆死んでしまったのではないか。

しかし、ぎりぎりのところで、前線で戦ったヒトラー(終戦時は負傷で病院)やチャーチルやムッソリーニは生き残った。

だから第2次大戦も起きたことも否定しないが(特にヒトラー)マッカーサーとパットンに率いられた米軍が参入し、膠着状態を打ち破った。アメリカの参入で、第一次世界大戦は終わった・・。



・・・当時ウイルソン大統領は、欧州の戦争に参戦するつもりは毛頭なかった。しかし準備だけはしていた。進言したのは海軍参謀だったルーズベルト。後に彼はウイルソンと同じ立場になる。

ウイルソンを決断させたのは、ドイツがメキシコに送った極秘文書。諜報網を引いていたアメリカは、ドイツがアメリカを参戦させないために、国境で紛争を促したこと知った。

参戦を決断したアメリカ。ただ当時の米国陸軍は10万人。欧州列強に比べ貧弱だった。でも、一旦戦争になると、ウエストポイントのマッカーサーとパットンに率いられた米軍は強かった。

この後、パリ講和会議で、ウイルソンは国際連盟を含めた14か条の平和宣言を提唱する。だがベルサイユ条約には、議会の反対もあってアメリカは調印できなかった。

それでもウイルソンはパリの会議のためにパリに6ヶ月も滞在。米国の大統領としては異例だ。
このことからも、アメリカは敗戦国ドイツにも配慮した条約にさせる努力をしたことは確か。

しかし欧州のエゴはアメリカの進言を受け入れず、結局アメリカは条約を批准しなかった・・
そして20年後、起こるべくして第二次世界大戦は起こった・・

このアメリカと欧州の力学は、舞台を第二次世界大戦に移しても同じ。だが違いはロシア。
第一次世界大戦では、ドイツはレーニンに莫大な資金援助を行い、ロシアを革命で封じ込めた。

勢力が均衡していなければ、サラエボ事件はそれだけで終わったかもしれないし、戦争はもっと早く終わったかもしれない。

そして第二次世界大戦では、スターリンはヒトラーを打ち破った・・・。



・・・・さて、現代は中央銀行が財政ファイナンスを堂々とやるようになった。そんな時代に本当は金利をまともに議論してもしかたがない。

今そこにある事実は、マーケットはシステムに支配され、昔のチャートポイントはすべてアルゴに組み込まれていること。

そんな中、先を語れないなら、アノマリーを紹介するしかなく、先を語る人も、パターンの可能性が限られている。

そういえば、数週間前、アイホーンがバーナンキとビジネスランチをしたときの逸話があった。

QEの効果に疑念を呈したアイホーンに、よどみなく回答したバーナンキ。そこでアイホーンはバーナンキに言った。

「なるほど、よく判りました」。「でもトレーダーの自分が確信したのは、(貴方は)自分が(全部は)知らないことを知らないことです・・」


・・KNOWING BEYOND KNOWING・・これは、名著「4th TURNING」の中で、ビル ストラウスとニールハウが使う表現。

仕方ない、ホーグでも読むか・

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