2013年7月22日月曜日

3万円の家とギャッビーカーブ (7月19日のレター抜粋)



                            (売値)


 

                          (300ドル) 

                           (450ドル)
 



                                                                   ( 39ドル ) 
                                                   
 
(200ドル)



                         ギャッビー指数




2002年ごろ、このレターの前身「今日の視点」で「哀れなタンポポ」というコメントを書いた。「哀れな」としたのは、旅の途中に立ち寄ったデトロイト郊外の家々の庭先に咲くタンポポがあまりにも物悲しかったからだった。

その頃は自分でも家を買って数年、庭の手入れに精を出した。楽しかった。庭でタンポポは天敵、タンポポを野放しにするのは手入れを諦めた証拠。どんな事情にせよ、庭の手入れを諦めるのは悲しい。デトロイトにはそんな家が多すぎた。

当時郊外の一軒家はアメリカンドリームの象徴だった。ただデトロイトでは崩壊が始まっていた。そして住人がさらに減り、ついに破産した。ではその家々はどうなったか。添付はデトロイト郊外の3万円前後の売家。デベロッパーによると、仕入れた時に家の中には死体が残っていたケースもあったという。(CNBC)

これは極端な例かもしれない。だがそこにはこの国の中間層の現実がある。資本主義が始まって400年。50~60年になってやっとこの国に中間層が生まれた。デトロイトはその象徴だった。しかしそこをピークに中間層は徐々に減少にむかう。

米国社会が不満を抱えた70年代、「華麗なるギャッビー」が上映された。主演はレッドフォード。登場する架空の超超高級住宅街のイーストエッグのモデルはロングアイランドのサンズポイント。そこは駐在員時代のジョギングコースだった。1%の人々の家に圧倒された。

その「華麗なるギャッビー」からとったギャッビーカーブというグラフがある。これはオバマ政権でCEAだったアランクルーガー提唱した指標だ。横に格差、縦は貧困が年代で変化するかの流動性を表している。(添付)

この値が大きい南米や中国では、貧困の結果教育が受けられず、格差が世代を超えて固定化する。日本は格差は北欧並みに少ない。だが流動性は見劣りする。これは制度というより日本人の個性の問題だろう。

レーガン政権は凄い政権だった。ギャッビーカーブが示唆したように、左翼政権が生まれた中南米では反政府ゲリラを支援した。軍事政権も後押した。レーガンは反共で手段を選ばなかった。一方で国内では規制緩和と財政拡大のパンドラの箱を開けた。何よりもレーガンは米国民のマインドを一変させるメッセージ力を持っていた。

そしてソ連が倒れると、ドルへの還流資金でアメリカンドリームも復活した。しかしブッシュ政権がイラク戦争をごまかすために節度を外すと住宅市場は崩壊してしまった。後からバブルだったといわれた。

こうみると近年の米国経済には明確な脈略がある。そんな中、再び「華麗なるギャッビー」が映画になった。今度はデカプリオ・・。

食物ピラミッドも然り、個人的に格差は必須だと思う。ただルールはある。昔の日本や欧州には1%は社会に相応の責任を負う有徳思想やノブレスオブリジーがあった。そして米国には、誰もが1%を目指せる機会均等がある一方で、既存の1%も弱肉強食の新陳代謝からは逃れられない市場原理があった。ところが、リーマンショック後このルールが曲がってしまった。

今の格差がTOO BIG TO FAILでさらに広がるなら健全とはいえない。反動は必ずある。ただ今の市場はそんな本質に興味を示さない。これからの世情が有機質になるなか、市場はどこまでも無機質だ。

しかしそれがテールリスク・・まずは参院選で共産党がどの程度躍進するかに注目している。

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