2013年7月25日木曜日

木を見て森を変える力 (7月21日レター抜粋)



終にか、やっとか、CNBCのマリアバルチェロモが、他局に移るらしい(まだ噂)。長らくCNBCの看板として同局で最高の高給取りだったが(噂では2ミリオン)、既に昔の新鮮味はなく、若手の女性キャスターが台頭するなか、同局では「引け前」の微妙な持ち場に追いやられていたのが実情だった。

彼女は市場番組の女性キャスターとしては一時代を築いた。女性の時代は日本でも重要なテーマだが、益々すべての分野で女性が中心になる中、マリアのような先駆者が曲がり角を迎えるのはある意味で自然の成り行きか。

そして市場を管理する当局にも女性による変化が見られる。再び新女性長官を迎えたSECでは、一旦許した大手ヘッジファンドSACのオーナー、S.コーエン氏を個人として民事で再び起訴した。

SAC本体は刑事告訴の可能性があり、実行されるとSACのスタッフ1000人は路頭に迷うかもしれない。また既に起訴された別のヘッジファンド大手のハービンジャーのファルコーン氏への罰金を18円億から更に追徴する話もあり、グレーゾーンにいるヘッジファンドは戦々恐々だろう。

ここで女性と男性の端的な違いを考えてみた。一口でいうと、女性はミクロ的、男性はマクロ的だろうか。仮にマクロを大局観と訳すなら、ミクロに拘り過ぎる?女性の特徴は、責任者としての最終判断では男性に劣るという考えもあった。しかし昨年あたりから、森を見ず木に拘る女性の視点がすばらしい結果を残すようになった。その例がビンラデインを追い詰めたことだ。

この捕り物で中心的な役割を果たした女性CIAオフィサーは、男性の同僚が無視した小さなヒントに何年も拘った。彼女が仕えた二人男性の上司は、大局観からは彼女の拘りは無駄だと切り捨てた(彼女は左遷されそうになる)。しかし彼女の拘りがついに実を結ぶ。この間5年以上結果が出なかった。

結果が出なければ、通常は性別に関係なくそのプロジェクトはボツ。彼女には運も味方したと思う。だが諦めない女性の強さ。このあたりはドキュメンタリータッチで描かれた映画ゼロダークサーテイーや、オバマが大好きなTV番組の「ホームランド」でも強調されている。

一方今回の参院選でも、中年男性候補を倒す若い自民党と共産党の女性がいた。また、敗れたとはいえ、脱原発と憲法改正反対を叫ぶ女性候補の熱い思いは多くの人に伝わったと思う。

これまで個人的には男性として大局感を重視した。だがこれからの女性の時代は、大局観や男性特有のなーなーだけでは相手にされないと思う。

上院でグラススティーガル復活を訴えるウォーレン女史を侮っている金融界は後悔するだろう・・。



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