スコットランドの自慢のオーツクッキー
英国王室ではケイト夫人がまたご懐妊。
どうやら日本の皇室より、後継者の心配はいらない様子。
そもそもアジア人が、イングランドとスコットランドの違いを感じるのは難しい。常識的には、五賢帝の一人、ハドリアヌスの城壁のせいで、ローマが去った後にもケルト文化が残った北部と(スコットランド)、アングロサクソンが進入した南部(イングランド)程度の認識。
英国は、隆盛の基盤となったチューダーからスチュアート王朝にかけて、直系の世継ぎがいない状態になった(エリザベスとアン)。その際血縁のスコットランド王がイングランド王を兼務する状態を受け入れた。
ならばスコットランドには日韓併合的なアイルランドのようなイメージはない。ただしスコットランドがより貧しかったのは確かだろう。だから有能なスコットランド人はロンドンに出たはず。
その一人が「バンクオブイングランド」や、「南海会社」のビジネスモデルをイングランドに提案したウイリアムパターソン。
国債を原資にバンクノートを発行するアイデア。(バンクオブイングランド)
国家の権威で国王が国策会社にビジネスの独占権を与え、儲かること前提に株式を発行。民間を資本市場に参加させる仕組みを考えた。
これらのアイデアは、パターソンがスコットランドで失敗したダリアン計画が原型とされる・・。
スコットランドではできないことがロンドンならできる・・なんとなく現代にも通じるロンドンの魅力。(イングランドというよりロンドンの魅力)
結果、南海会社は国債を国家から引き受ける際のファイナンシャルエンジニアリングで、有利に株を発行し、ペーパー上の利益を出した。東インド会社が貿易である程度まともに稼いだのに対し、南海会社は殆ど実貿易をせず、金融会社としてポンジー業務に励んだ。
一方国家としても、国債が捌けるのでハッピーだった。(無から有を生み、アセットが上昇してソレが更に続く感覚は今と同じ)
しかし、一部の議員がバンクオブイングランドが南海会社に侵食されていることに危機を感じ、
さらに、この仕組みが一般化し、ロンドンではデタラメなIPOが隆盛となった。そこで、会社設立が限定される法案が制定された。これがバブルという表現の起源となった「バブル法」・・
その後、バンクオブイングランドからカウンタービットで窮地立たされた南海会社は自滅。我に返った参加者は投売りに転じ、株は一ヶ月で900から100まで下落した。イングランドとスコットランドが正式に一つの国家になったのはこの頃だ。
(パターソンのダリアン計画の失敗の影響もあるとされる)
南海泡沫事件では、国王をはじめ、政治家や民間人の全員が酷い目にあった、だが失敗から学んだ英国はその後覇権を握る。ただし、立ち直ったエリートと庶民の格差はさらに開いていった。それから世の中は300年が経ち、ふとみると、中央銀行と国家のポンジーが隆盛になっている。
2000年頃の実体経済はグローバルGDPでみると60兆ドル前後。それから14年。中国が台頭しても、グローバルGDPは80兆ドル弱だ。一方この間主要中央銀行のバランスシートは3倍、格差は開いた。
何度言うが、資本主義では格差は当然。英国の発展期から米国のギルト時代にも格差はとんでもなく開いた。ただこのころは民主主義が浸透し、全員に一票が与えられていたわけではない。
戦争が終わり、全員に一票が与えられたころからは、米国や英国では労働者へ軸が動き、株価は上がらなかったが中間層が増えた。個人的には、だから民主主義と資本主義は同時にワークしたと考えるが、その構図は危うい。
今は全員に一票があり、そして世の中の仕組みがインターネットで丸見え状態。ならば戦争でもない限りマルクスが勝つ。これはリーマンショック前からここで言っている警告。さもなくば、若者はISISに入るかもしれない・・
そういえばバフェットは、GDPに対する時価総額の割合を言わなくなった。
数字は創れる。だが本当に経済が成長し、ソレにふさわしく金融資産の価格があるのかどうか。
18日の選挙では、バブルの仕組みを英国に提案したスコットランド人のパターソンを思い出そう。
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