以下はバーナンキ議長の最初の救済策、QE1が終わりにさしかかった2009年5月の投稿。しばらく一番閲覧数が多かった。だがわけあってその後非公開にしていたが、FED誕生100周年を記念にもう一度アップ・・
ジキル島の陰謀 (2009年5月投稿)
最近のバーナンケ(中央銀行総裁) の顔は、実験に没頭していた時とはやや違う顔つきだ。昨日もボソッと危機後としては初めて緩和策の終焉の可能性について発言していたが、その時の顔つきはどこか苦しそうで、金融危機以前の彼の顔に戻っていた。
ところでその発言はアトランタFEDが主催した会議でのモノだったが、会議が行われた場所があのジキル島(JEKYLL ISLAMD)だった事は何かの因縁だろうか。
ジキル島の名前を聞いてピンとくる人はかなりの「FED通」(米国の中央銀行の政策)である。ただ「FED通」には二つの意味がある。まず90年代までのFEDウオッチャー。この人たちはジキル島の話とは無関係だ。
93年までFOMCの結果さえも発表しなかったFED。90年代はFEDを引退した人々が、過去の人脈を頼り、リサーチ会社を興していた。そして日系金融機関もFOMC前後になると高額の情報料を払ってそこからレポートを手に入れ、それを目を皿のようにして分析した時代があった。
今から思えば牧歌的な時代。だがFEDが情報開示に傾き、そんな時代が終わりかけた頃から、FEDに関し、別のグループが静かに活動を始めた。
そのグループこそ下院議員のロンポール氏などを担ぎ、FEDの廃止を訴える集団だった。そして彼らにとってこのジキル島こそが今から100年前にFED創設という彼らにとっての「世紀の大陰謀」が始まった場所なのである。
自分がこの陰謀説を知ったのは今から5年程前だ。当時は既に米系大手を離れ自由だった。FEDはFEDERALという公称をもちながら、実は民間であるとの彼らの主張に興味を持った。
そしてこのグループが96年に作成したDVDを手にれた。だが内容があまりにも衝撃的だった事と、確証の点で商売には使えないと感じた。ところが時代は変わった。
金融危機前後から、FEDの陰謀説を唱える人が巷で増え始めた。そして今やNYタイムスやWSJなども「FED」は民間であり、その中核となるNYFEDの株主はWSの金融機関である事を堂々と紹介する時代になった。
恐らく先週NY連銀会長職を辞任した旧GS会長のフライドマン氏へのNYタイムスの追及記事などはその流れの延長だ。、またWSJでさえも最近は以前なら考えれらえなかった密約の裏話をすっぱ抜くようになった。これは新聞が最早ネットの影響力に対抗できなくなっている証拠だろう。
そんな中でバーナンケは世紀の大実験に没頭したわけだが、ふと気がつくと、下手をすると実験結果は陰謀説の骨子である「FEDは金融政策の名の下で意図的にバブルとその崩壊を演出、結局は金融カルテルだけが焼け太りし、国民と通貨はその購買力を失っていく・・」との主張を笑い飛ばせる状況では無くなっている様子。
その事に気づいた今、彼の顔つきは以前の鬱を取り戻したのではないかと考えている。いずれにしても、彼は腹芸の出来ない人。その意味で陰謀について彼個人の無実は証明されている・・。
<ジキル島の陰謀とは EDWARD GRIFFIN説から>
1910年の11月、サウスバウンドの最終便の出発を控えたニュージャージー駅の構内では人はまばらだった。そしてそこに上質のコートを着た一人の紳士が、付け人に荷物をもたせ現れた。
彼はロードアイランド出身の有力共和党上院議員であり、当時の米国企業利益を代表してWSと深い繋がりを持ち、また政治家でありながらJPモルガン顧問を続け、さらに娘をジョンDロックフェラーに嫁がせたネルソンオルドリッチ(NELSON ALDRICH)その人だった。
そしてそのオルドリッチに前後し、6人の紳士がそれぞれ他人を装って最終列車に搭乗した。その面々は以下の通りである。
「ABRAHAM PIATT ANDREW」: ASSISTANT SECRETARY OF U.S. TREASURY
「FRANK VANDERLIP」 :PRESIDENT OF THE FIRST NATIONAL CITY BANK OF NEW YORK (現在のCITI)
「HENRY DAVISON」: SENIOR PARTNER OF JP MORGAN COMPANY
「CHARLS NORTON」: PRESIDENT OF JPMORGAN‘S FIRST NATIONAL BANK
「BENJAMIN STRONG」:JPMORGAN‘S BANKERS TRUST COMPANY
「PAUL WARBURG」: A PARTNER IN KUHN LOEB&COMPANY(後のリーマンへ) A REPRESENTATIVE OF ROTHSCHILD BANKING
一般客が搭乗した事を確認し出発した列車は、なぜか突如ニュージャージー駅に戻った。そこで最後尾に特別車両が取り付けられた。そして目的地のノースキャロライナのRALEIGHで一般客が下乗すると、オルドリッチと上記の6人が乗った特別車両は再度アトランタに向けて出発した。
最終的な目的地は、当時JPモルガン本人が個人で所有していた島。それがジキル島である。この島でこの7人は9日間の秘密会議を持った。既に政治家として顔が知れていたオルドリッチは別として、他のメンバーはファーストネームだけで呼び合い、身分を隠した。
この会議はその後も極秘裏の処理されたが、最初にこの秘密会議をすっぱ抜いたのは新進気鋭の金融記者として注目されていたBC FORBES本人である(後にフォーブスを設立)。
彼はウォーバーグとのインタビューの中で、ウォーバーグがジキル島で上記のメンバーと秘密会議を持った事をほのめかしたと1916年の「LESLIES WEEKLY」の中で紹介した。
そしてFED設立を目的に秘密会議が持たれた事が公式に明らかになったのは、FEDが設立されて12年が過ぎた1930年、ポール ウォーバーグ本人が寄稿した1750ページの大作「THE FEDRAL RESERVE SYSTEM」でである。
彼は本の中で、場所とメンバーを開示しないで会議があった事を認めた。(THE CREATURE FROM JEKYLL ISLAND参照)
この陰謀説を信じるかどうかはともかく、会議の後オルドリッチがFED設立を提唱。議会の激しい抵抗で挫折を繰り返しながらも、最終的に民主党のウィルソン大統領がサインして設立された。
そして現在まで、FEDの実際のオペレーションの要となるNY連銀の現在の株主名が、先々週、NYタイムスがゲイトナー財務長官の特集記事の中ですっぱ抜いた。
本来非公開の株主名簿には、当時の秘密会議に参加したJPモルガンやCITIの関係者に加え、今はGSが入っていた。時代によっては陰謀が現実味を帯びる。まあそれも事実だろう・・。
ジキル島の陰謀 (2009年5月投稿)
最近のバーナンケ(中央銀行総裁) の顔は、実験に没頭していた時とはやや違う顔つきだ。昨日もボソッと危機後としては初めて緩和策の終焉の可能性について発言していたが、その時の顔つきはどこか苦しそうで、金融危機以前の彼の顔に戻っていた。
ところでその発言はアトランタFEDが主催した会議でのモノだったが、会議が行われた場所があのジキル島(JEKYLL ISLAMD)だった事は何かの因縁だろうか。
ジキル島の名前を聞いてピンとくる人はかなりの「FED通」(米国の中央銀行の政策)である。ただ「FED通」には二つの意味がある。まず90年代までのFEDウオッチャー。この人たちはジキル島の話とは無関係だ。
93年までFOMCの結果さえも発表しなかったFED。90年代はFEDを引退した人々が、過去の人脈を頼り、リサーチ会社を興していた。そして日系金融機関もFOMC前後になると高額の情報料を払ってそこからレポートを手に入れ、それを目を皿のようにして分析した時代があった。
今から思えば牧歌的な時代。だがFEDが情報開示に傾き、そんな時代が終わりかけた頃から、FEDに関し、別のグループが静かに活動を始めた。
そのグループこそ下院議員のロンポール氏などを担ぎ、FEDの廃止を訴える集団だった。そして彼らにとってこのジキル島こそが今から100年前にFED創設という彼らにとっての「世紀の大陰謀」が始まった場所なのである。
自分がこの陰謀説を知ったのは今から5年程前だ。当時は既に米系大手を離れ自由だった。FEDはFEDERALという公称をもちながら、実は民間であるとの彼らの主張に興味を持った。
そしてこのグループが96年に作成したDVDを手にれた。だが内容があまりにも衝撃的だった事と、確証の点で商売には使えないと感じた。ところが時代は変わった。
金融危機前後から、FEDの陰謀説を唱える人が巷で増え始めた。そして今やNYタイムスやWSJなども「FED」は民間であり、その中核となるNYFEDの株主はWSの金融機関である事を堂々と紹介する時代になった。
恐らく先週NY連銀会長職を辞任した旧GS会長のフライドマン氏へのNYタイムスの追及記事などはその流れの延長だ。、またWSJでさえも最近は以前なら考えれらえなかった密約の裏話をすっぱ抜くようになった。これは新聞が最早ネットの影響力に対抗できなくなっている証拠だろう。
そんな中でバーナンケは世紀の大実験に没頭したわけだが、ふと気がつくと、下手をすると実験結果は陰謀説の骨子である「FEDは金融政策の名の下で意図的にバブルとその崩壊を演出、結局は金融カルテルだけが焼け太りし、国民と通貨はその購買力を失っていく・・」との主張を笑い飛ばせる状況では無くなっている様子。
その事に気づいた今、彼の顔つきは以前の鬱を取り戻したのではないかと考えている。いずれにしても、彼は腹芸の出来ない人。その意味で陰謀について彼個人の無実は証明されている・・。
<ジキル島の陰謀とは EDWARD GRIFFIN説から>
1910年の11月、サウスバウンドの最終便の出発を控えたニュージャージー駅の構内では人はまばらだった。そしてそこに上質のコートを着た一人の紳士が、付け人に荷物をもたせ現れた。
彼はロードアイランド出身の有力共和党上院議員であり、当時の米国企業利益を代表してWSと深い繋がりを持ち、また政治家でありながらJPモルガン顧問を続け、さらに娘をジョンDロックフェラーに嫁がせたネルソンオルドリッチ(NELSON ALDRICH)その人だった。
そしてそのオルドリッチに前後し、6人の紳士がそれぞれ他人を装って最終列車に搭乗した。その面々は以下の通りである。
「ABRAHAM PIATT ANDREW」: ASSISTANT SECRETARY OF U.S. TREASURY
「FRANK VANDERLIP」 :PRESIDENT OF THE FIRST NATIONAL CITY BANK OF NEW YORK (現在のCITI)
「HENRY DAVISON」: SENIOR PARTNER OF JP MORGAN COMPANY
「CHARLS NORTON」: PRESIDENT OF JPMORGAN‘S FIRST NATIONAL BANK
「BENJAMIN STRONG」:JPMORGAN‘S BANKERS TRUST COMPANY
「PAUL WARBURG」: A PARTNER IN KUHN LOEB&COMPANY(後のリーマンへ) A REPRESENTATIVE OF ROTHSCHILD BANKING
一般客が搭乗した事を確認し出発した列車は、なぜか突如ニュージャージー駅に戻った。そこで最後尾に特別車両が取り付けられた。そして目的地のノースキャロライナのRALEIGHで一般客が下乗すると、オルドリッチと上記の6人が乗った特別車両は再度アトランタに向けて出発した。
最終的な目的地は、当時JPモルガン本人が個人で所有していた島。それがジキル島である。この島でこの7人は9日間の秘密会議を持った。既に政治家として顔が知れていたオルドリッチは別として、他のメンバーはファーストネームだけで呼び合い、身分を隠した。
この会議はその後も極秘裏の処理されたが、最初にこの秘密会議をすっぱ抜いたのは新進気鋭の金融記者として注目されていたBC FORBES本人である(後にフォーブスを設立)。
彼はウォーバーグとのインタビューの中で、ウォーバーグがジキル島で上記のメンバーと秘密会議を持った事をほのめかしたと1916年の「LESLIES WEEKLY」の中で紹介した。
そしてFED設立を目的に秘密会議が持たれた事が公式に明らかになったのは、FEDが設立されて12年が過ぎた1930年、ポール ウォーバーグ本人が寄稿した1750ページの大作「THE FEDRAL RESERVE SYSTEM」でである。
彼は本の中で、場所とメンバーを開示しないで会議があった事を認めた。(THE CREATURE FROM JEKYLL ISLAND参照)
この陰謀説を信じるかどうかはともかく、会議の後オルドリッチがFED設立を提唱。議会の激しい抵抗で挫折を繰り返しながらも、最終的に民主党のウィルソン大統領がサインして設立された。
そして現在まで、FEDの実際のオペレーションの要となるNY連銀の現在の株主名が、先々週、NYタイムスがゲイトナー財務長官の特集記事の中ですっぱ抜いた。
本来非公開の株主名簿には、当時の秘密会議に参加したJPモルガンやCITIの関係者に加え、今はGSが入っていた。時代によっては陰謀が現実味を帯びる。まあそれも事実だろう・・。
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