2014年8月21日木曜日

シラク(SYRAQ)の地図 レター抜粋

         


そもそも2011年ごろ、アサド政権に最初に反抗したFSA。(FreeSyrian Army) 基本的に彼らは代々アサド政権にいじめられた部族や民族というより、純粋な軍人によるクーデターを狙った集団だった。彼らをサポートしたのはアメリカ・イギリス・フランス・サウジなど・・

西側から援助を受けたFSAは、2013年にはアサド政権を転覆寸前まで追い詰めた。このころには、部族的な集団が、イスラム開放戦 イスラム戦線等と名乗りながら、反アサドの戦いに加わっていた。アサド政権の陥落が視野に入り、後をにらんだ攻防が始まっていたのだろう。

だが結局は統率が取れず、西側からの武器や資金をめぐってFSAと対立。FSAはモーメンタムを取り戻したアサド政権側からも攻撃を受け、結局弱体化してしまった。(リーダーの国外逃亡)

西側メディアがいうところの穏健派のなかで、ISISと明確に対峙したのはFSAのみ。FSAの弱体化で残ったのは、部族集団の集合体としてイスラム戦線( Islamic Front)など。だが、彼らはISISにどこまで敵対心があるのか疑問。特に下っぱを過激派と区別するのは難しい・・。

これが、米国の専門家の意見を綜合したところ・・

ISISにつかまってしまった日本人にはある種共感するところがある。組織ではなく、個人でビジネスをするにはリスクテイクは必要。

だが何かあった時、自分の安否を遠いヨルダンに聞くしかないという日本政府の危機対応能力。さらに助かった場合も、救済にかかったコストを自費で負担する覚悟は必要。

まあイスラム戦線を穏健派などという、アメリカ発の一般向け解説を鵜呑みにしたような行動は、
本当はとるべきリスクではなかったのだろう・・


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