小椋佳 生前葬コンサートでのコメント NHK特集から
それは、その変化っていうのは一口で言って、組織から個、へ、という変化ですね。その戦後復興って言うかな。日本は経済の効率的運営って言うのを主眼にしました。で、そのため方策として、人間の組織化、個の囲い込みって言う方向に突き進みましたですね。
働く殆どの人が、何らのかたちで組織に帰属して、組織内存在となって、かつ組織の価値構造に、身も心も染め上げられていく。そうした構図が、日本中にまん延して行きました。
それが平成という時代が始まるあたりから、そう、あの年功序列制の崩壊とか、終身雇用制の終焉とか、そんなことを持ち出すまでもなく、ようするに、経営側が、君らの面倒は、従順なる一生を面倒見るよ、という世界ではなくなってまいりました。
ようするに個の側から言えばですね、その個人としては、それぞれが、ただ帰属、組織に帰属していれば安泰だ、と言うんじゃなくて、いわばそれぞれが、自己選択的に生きることが要請される時代が、始まっている・・て言えるんだと思います。
言い換えると、それはそれぞれに、自己の価値観を創造的に構築して、生きていくことが要請されている時代。まああの、今後の日本。生きていくだけでも、結構むずかしくなった時代ではありますが、ええ、まあでも別の言い方をすると、本来、人間のあるべき個の、個としての生き方が、ようやくなんか始まった時代とも言えそうだな、とも思います・・
ちょっと生意気を申し上げましたけど、 そんな変化を感じながらつくった歌があります・・ 」
「流されはしなかった」へ・・
平成が始まったころ、冷戦が終わった。さすが小椋佳。メッセージはその通りだったと思う。でも日本の学校が、組織に従順な優秀な人間をつくるのが目的なのは、あまり変わらなかった。
この時代、日本はデフレだった。不景気で親の収入が減れば、子供はわかる。ならよりいい学校からいい会社に入りたい。ところが、若者は学校を出ると、閉塞感のなか個の時代だとか言われた。コンフューズだっただろうな。きっと。
でも、そんな中から、羽入君や錦織君が出てくる。
矛盾の中、なんとか組織で従順な一生をすごした世代はもういい。今は矛盾の「冷戦後」’が終わり、また「COLDER WAR」の時代がはじまったらしい。でも若者は怖がるな。怖がると、利用されるだけである・・。
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