基本的に見聞録を忠実に再現しているようだが、そもそも見聞録が、どこまで信憑性があるのか不明。ただ南宋との駆け引き、イスラムの人材の登用のしかたなど、逆サイドからの資料でも示唆されているフビライ像はよく出ていた。
男の子なので、英雄には憧れる。ただ小説は井上靖から始まり、これまでフビライは、チンギスハーンほどの器ではないと勝手に思っていた。しかしそれは完全に間違いだった。
いうまでもなく、チンギスハーンからその息子までの時代、モンゴルの強さはアレキサンダー大王やシーザーでも比べ物にならない。そもそも馬の数が違うが、重装歩兵ではモンゴルの機動力には太刀打ちできない。
プーチンは五輪開会式の演出で、バイキングの血を引くルーシの歴史を協調した。ロシアこそがルーシ(キエフ)の正当な後継者であることを強調、英仏でさえ軍門に下ったバイキングの強さを誇りたかったのだと思う。
でもそのルーシ(キエフ)を、キリスト教世界が恐れたイスラムの強国、ホルムズを倒したのそのおまけで殲滅してしまったモンゴルの強さ。その後200年間、プーチンの祖先たちはモンゴルの支配下に。(タタールのくびき)
生前メンターだった博学なハンガリー人法学者は、自国の歴史の話をする時、モンゴルの残酷さは故郷のトランシルバニアで誰もが知っている呪いだといっていたが、歴史コラムで見つけた以下の引用は、当事の世界のモンゴルへの恐怖が出ている。
1236年以降のルーシーへの侵攻により、その驚異的な強さ、残虐さが、ハンガリー、ポーランド等を通して伝えられ、タタール*10をギリシア語のタンタルと重ねて地獄からの軍団と恐れられた。レグニツァの戦いはドイツ騎士団等の宗教騎士団が参加していたため、その敗北は西欧にも強い印象を与え、さらに1245年~48年の教皇特使プラノ・カルピニのバトゥ、大ハン・グユク訪問の報告から、欧州を征服対象と見ていることが明らかになり、これを聞いたフランスのルイ9世(聖王)は「イスラム教徒の脅威が無くならないまま、地獄から軍団が現れるのは我々が罪深いからで、この世の終わりが近づいているのではないか」と嘆いている。
(引用、ZORAC 歴史サイトから)
フビライは伝統的な軍事力に、ラテン(マルコポーロ)やイスラムの知恵を取り入れ、ユーラシア全体における統治では、チンギスハーンを超える柔軟性を見せた。
征服した国の文化が優れていれば、(宋)それを自国(モンゴル)の文化と融合させ、(儒教)国名までも、モンゴル的なものから中国名にするのを厭わなかった(元)ところが、そのフビライをして、どうしてもモンゴルが手に入れられなかったのが日本だ。
この世界史を踏まえ、改めて鎌倉武士には敬意を払うが、モンゴルさえも越えられなかった日本の地形はやはり特別だと思う。(フビライは3度目の攻撃を準備中に死去)
そして、最強のフビライの凋落は、最愛の妻シャビが先に死んでからだ。(Chabi: 1286)マルコポーロでも、シャビはフビライを支えた賢い妻として描かれている。
歴代の中国王朝の寛容さと、戦後のアメリカの政策に感謝しつつも(スターリンに感謝?)、今は逆にその神がかり的な地形が生んだ「空気」を懸念しながら、白鵬の優勝を眺めているが、
「強い男の影に賢い妻あり・・」
もしかしたら。白鵬は歴史最強?のフビライを意識したのだろうか。
「強い男の影に賢い妻あり・・」
もしかしたら。白鵬は歴史最強?のフビライを意識したのだろうか。
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