2013年7月30日火曜日

シカゴの未来を知る男(レター抜粋)

            


デトロイトの破産を受け、俄かにシカゴの未来も騒がれ始めている。シカゴ市のバランスシートの酷さはデトロイトに劣らないからだ。ただシカゴには十分な人口があり、悲壮感はない。一方でミシンガ州はデトロイトをサポートする余裕があった。しかしイリノイ州は州として全米で最悪のバランスシート。シカゴを支える余裕はない。下手をすれば共倒れ?である・・。

この実態はここに暮らすと実感できない。シカゴは先物を中心に金融が発展し、郊外のメーカーに勤める保守派や農家は地道に生きている。表面的にはバランスが取れているのだ。だがここ何年か、バランス重視の危険も感じている。二極化の中でバランス重視は埋没するからだ。平時から乱世へ。経済では中間層が疲弊する際にそれは顕著だ。

ところで、狭いところに日本人だけが住む日本は、ブームになると、政治も相場もオセロのゲームのような展開になる。だが広大なアメリカではそうはいかない。平時はそれでいいが、国家が困窮すると、世界を巻き込む大掛かりなドクトリンでバインドする必要がある。さもないと分裂する。ではその際どこが分岐点になるのだろう。

英語でMEAN CENTERという言葉がある。これは様々なカルチャーが各地に散らばる米国の人口動態の中心という意味だ。因みに日本は岐阜県がMEAN CENTERらしいが、米国のMEAN CENTERはミズーリである

これまでここではFRBの地区連銀本部がなぜ経済規模の小さなミズーリに二つもあるのか。(セントルイスとカンザスシティー)そしてセントルイスのバラード総裁がなぜ硬軟を繰り返すのかを触れてきた。
 
 
岐阜県が日本政治で重要かどうかはわからないが、ミズーリ州は大統領選の予備選では重要だ。ミズーリ州を勝った候補が本選で強いとされる。一口では集約できない米国全体のトレンドをミズーリの結果から判断しているのである
 
なら隣接するシカゴの未来を一番感じているのは、セントルイスのバラード総裁ではないか。彼は今最も米国経済の見通しに弱気な地区連銀総裁である・・。

2013年7月25日木曜日

木を見て森を変える力 (7月21日レター抜粋)



終にか、やっとか、CNBCのマリアバルチェロモが、他局に移るらしい(まだ噂)。長らくCNBCの看板として同局で最高の高給取りだったが(噂では2ミリオン)、既に昔の新鮮味はなく、若手の女性キャスターが台頭するなか、同局では「引け前」の微妙な持ち場に追いやられていたのが実情だった。

彼女は市場番組の女性キャスターとしては一時代を築いた。女性の時代は日本でも重要なテーマだが、益々すべての分野で女性が中心になる中、マリアのような先駆者が曲がり角を迎えるのはある意味で自然の成り行きか。

そして市場を管理する当局にも女性による変化が見られる。再び新女性長官を迎えたSECでは、一旦許した大手ヘッジファンドSACのオーナー、S.コーエン氏を個人として民事で再び起訴した。

SAC本体は刑事告訴の可能性があり、実行されるとSACのスタッフ1000人は路頭に迷うかもしれない。また既に起訴された別のヘッジファンド大手のハービンジャーのファルコーン氏への罰金を18円億から更に追徴する話もあり、グレーゾーンにいるヘッジファンドは戦々恐々だろう。

ここで女性と男性の端的な違いを考えてみた。一口でいうと、女性はミクロ的、男性はマクロ的だろうか。仮にマクロを大局観と訳すなら、ミクロに拘り過ぎる?女性の特徴は、責任者としての最終判断では男性に劣るという考えもあった。しかし昨年あたりから、森を見ず木に拘る女性の視点がすばらしい結果を残すようになった。その例がビンラデインを追い詰めたことだ。

この捕り物で中心的な役割を果たした女性CIAオフィサーは、男性の同僚が無視した小さなヒントに何年も拘った。彼女が仕えた二人男性の上司は、大局観からは彼女の拘りは無駄だと切り捨てた(彼女は左遷されそうになる)。しかし彼女の拘りがついに実を結ぶ。この間5年以上結果が出なかった。

結果が出なければ、通常は性別に関係なくそのプロジェクトはボツ。彼女には運も味方したと思う。だが諦めない女性の強さ。このあたりはドキュメンタリータッチで描かれた映画ゼロダークサーテイーや、オバマが大好きなTV番組の「ホームランド」でも強調されている。

一方今回の参院選でも、中年男性候補を倒す若い自民党と共産党の女性がいた。また、敗れたとはいえ、脱原発と憲法改正反対を叫ぶ女性候補の熱い思いは多くの人に伝わったと思う。

これまで個人的には男性として大局感を重視した。だがこれからの女性の時代は、大局観や男性特有のなーなーだけでは相手にされないと思う。

上院でグラススティーガル復活を訴えるウォーレン女史を侮っている金融界は後悔するだろう・・。



2013年7月22日月曜日

3万円の家とギャッビーカーブ (7月19日のレター抜粋)



                            (売値)


 

                          (300ドル) 

                           (450ドル)
 



                                                                   ( 39ドル ) 
                                                   
 
(200ドル)



                         ギャッビー指数




2002年ごろ、このレターの前身「今日の視点」で「哀れなタンポポ」というコメントを書いた。「哀れな」としたのは、旅の途中に立ち寄ったデトロイト郊外の家々の庭先に咲くタンポポがあまりにも物悲しかったからだった。

その頃は自分でも家を買って数年、庭の手入れに精を出した。楽しかった。庭でタンポポは天敵、タンポポを野放しにするのは手入れを諦めた証拠。どんな事情にせよ、庭の手入れを諦めるのは悲しい。デトロイトにはそんな家が多すぎた。

当時郊外の一軒家はアメリカンドリームの象徴だった。ただデトロイトでは崩壊が始まっていた。そして住人がさらに減り、ついに破産した。ではその家々はどうなったか。添付はデトロイト郊外の3万円前後の売家。デベロッパーによると、仕入れた時に家の中には死体が残っていたケースもあったという。(CNBC)

これは極端な例かもしれない。だがそこにはこの国の中間層の現実がある。資本主義が始まって400年。50~60年になってやっとこの国に中間層が生まれた。デトロイトはその象徴だった。しかしそこをピークに中間層は徐々に減少にむかう。

米国社会が不満を抱えた70年代、「華麗なるギャッビー」が上映された。主演はレッドフォード。登場する架空の超超高級住宅街のイーストエッグのモデルはロングアイランドのサンズポイント。そこは駐在員時代のジョギングコースだった。1%の人々の家に圧倒された。

その「華麗なるギャッビー」からとったギャッビーカーブというグラフがある。これはオバマ政権でCEAだったアランクルーガー提唱した指標だ。横に格差、縦は貧困が年代で変化するかの流動性を表している。(添付)

この値が大きい南米や中国では、貧困の結果教育が受けられず、格差が世代を超えて固定化する。日本は格差は北欧並みに少ない。だが流動性は見劣りする。これは制度というより日本人の個性の問題だろう。

レーガン政権は凄い政権だった。ギャッビーカーブが示唆したように、左翼政権が生まれた中南米では反政府ゲリラを支援した。軍事政権も後押した。レーガンは反共で手段を選ばなかった。一方で国内では規制緩和と財政拡大のパンドラの箱を開けた。何よりもレーガンは米国民のマインドを一変させるメッセージ力を持っていた。

そしてソ連が倒れると、ドルへの還流資金でアメリカンドリームも復活した。しかしブッシュ政権がイラク戦争をごまかすために節度を外すと住宅市場は崩壊してしまった。後からバブルだったといわれた。

こうみると近年の米国経済には明確な脈略がある。そんな中、再び「華麗なるギャッビー」が映画になった。今度はデカプリオ・・。

食物ピラミッドも然り、個人的に格差は必須だと思う。ただルールはある。昔の日本や欧州には1%は社会に相応の責任を負う有徳思想やノブレスオブリジーがあった。そして米国には、誰もが1%を目指せる機会均等がある一方で、既存の1%も弱肉強食の新陳代謝からは逃れられない市場原理があった。ところが、リーマンショック後このルールが曲がってしまった。

今の格差がTOO BIG TO FAILでさらに広がるなら健全とはいえない。反動は必ずある。ただ今の市場はそんな本質に興味を示さない。これからの世情が有機質になるなか、市場はどこまでも無機質だ。

しかしそれがテールリスク・・まずは参院選で共産党がどの程度躍進するかに注目している。

2013年7月16日火曜日

東証の夜

http://www.ustream.tv/recorded/35708931

真っ暗な室内、東証のビルに入ったのは25年ぶりだった。

東証は大証と合併するらしいが、何でもアメリカのマネをする日本が、今もスペシャリストを大事するNYSEのマネをしないのはなぜだろう。ここにも「個」に対する価値観の違いを感じる。

2013年7月9日火曜日

自衛心のない完璧主義 (6/28 マネー原理プロより)



今日フェイスブックを見て気付いたのは、過去の失敗への批判が凄かったこと。その対象は鳩山さんみずほ銀行だった。鳩山さんは、彼が何を言っても、もう誰も受け入れない雰囲気。そしてみずほは、過去のシステムトラブルをいまだにブレームされていた・・。

米国では、システムトラブルどころか、銀行は残高さえ間違える。だから自分がしっかりしなければならない。これは自衛。それに慣れた今、フェイスブックの批判からは、自衛心のない完璧主義の危うさを感じた。大震災後、言葉では「想定外」への批判があった。だがやっぱり日本は想定外は想定していないのではないか・・。

鳩山さんは総理として国民の期待を裏切った。期待が大きかっただけに、多くは鳩山さんが大嫌いになった。まあしかたない。だがだからと言って、鳩山さんの言動の全てを否定するのはおかしい。彼は総理大臣としての能力はなかったのだろう。しかし米中について、大半の国民より正しい知識を持っていると思う。

自衛心のない完璧主義。この象徴が日米関係。自衛といいながら精神的に米国を頼っている。だから、最終的に米国批判につながるものは消される。日米同盟を否定するつもりはない。だがそれ以外に全く想像力を持たないようでは、日本はとても一流国家とはいえない。

そして黒船後の日米関係から思うのは、日本は太平洋戦争へ突き進んだ失敗の本質を未だ繰り返している可能性だ。

日米開戦の原因は学者がいろいろいう。でもその時の日本人が米国が嫌いでなければ、いくら軍部が煽っても開戦は無理だっただろう。

今とは逆。ではなぜそんな事がおきたのか。

近年1920年代に米国で起きた日本人排斥運動を取り上げるメディアは少ない。当時の日本人が米国嫌いになった原因には、事前の友好関係を唐突に変えた米国があったと思う。(これは強制収容とは別の話・・)

一説には、日本の外務省はワシントンで政権だけを頼っていたため、議会の力や西海岸の情勢がどう米国の国政に影響するかの認識が甘かったという分析がある。結果、反対派議員に押されたクーリッジ政権は日本対し予定外の行動に出た。

これが日本人に米国に対し悲劇につながる憎悪を生んでいく・・

結果論だが、戦後日本人は、昭和天皇を殺さなかった米国に今度はイチコロになったと思う。ただし正確には米国ではなくマッカーサー陣営である。もしここでマッカーサーが政争に負けていれば昭和天皇はどうなっていたかわからない。

今日本ではマッカーサーと昭和天皇の美談ばかりが強調される。だがこれも完璧とはいえない。美談とは別に、マッカーサーが日本の使い道で相対的判断をしたことはいうまでもない。日本では知られていないが、マッカーサーは1930年に、ドイツではなく、英国攻撃を画策した人でもある。

このように、今の日本は、戦争に勝った米国側の相対的な判断の産物であるにもかかわらず、自分は敗者や失敗者を上手く使う相対的判断をしてこなかったと思う。失敗経験の少ないエリートが国政や外交も担ってきた。そしてその間に今度は米国大好きに傾斜して行った。

今の金融市場にも、ワシントンとNYの情報だけで米国が解ったと思っている人がウヨウヨしている。でもソレは本当に正しいのか。もし違ったら誰を利するのか。株式の損得ならまあよい。だが昔と同じ大失敗をしないためには、日米の近代史や米国内の政治に注目すべきだとおもう。そう考えると、今のFRBを中心とした相場にも、別のシナリオが浮かぶと言うもの。ところが今はあまりにも単純で直情的である・・

いずれにしても、そのような幅を持たないのは、究極的には「自衛心の欠如」の象徴だと思う。もしかしたら、鳩山さんは米国の変節の怖さも知っているかもしれない・・

2013年7月5日金曜日

世紀のクイズ、中国の一党支配崩壊とアメリカ分裂ではどちらが早いか (6.27日 マネー原理プロから・)・



市場では参加者が「QE」がどうなるかという「風」を気にしている。そんななか、少し前に米国では地殻変動につながる大きな話があった。同姓愛結婚に対する社会保障という社会の根幹に関わる判断で、最高裁は国家として認めていく方向で動き出した。

この方向は連邦に税を納める保守派にとっては健康保険どころではない、絶対に超えていけない一線を越えようとしていることになる。彼らは黙ってはいないだろう。下手をすると、米国の分裂は早い。

そもそも個人的には他人を干渉しないリバタリアンだ。よって同性愛者を否定しない。しかし国家が社会の仕組みとして肯定してしまうのは別の話。もしそんな展開になるなら、これも戦後世代のクリントン世代の特徴というしかない。彼らには「ならぬものはならぬ」がないのだ・・。

そもそも大統領になったクリントンは、中道右派として同性愛結婚を認めなかった。ところがオバマ政権になり、民主党支持層の変化を見て変節した。クリントンが変節すれば当然オバマも逆らはない。再選を控えたオバマ大統領は同性愛者の権限を認める立場を取った。

以前も触れたが、自分が同性愛者である事実と、大統領として同性愛を公認するのは別の話である。公式にクリントンもオバマも同性愛者ではない(その噂もない)。一方同性愛者だったとされるブキャナン大統領(リンカーンの前任)や、噂があったニクソンは、大統領として同性愛者の権限を認めるようなことはしなかった。
 
一方米国議会史上、議員として初めて同性愛者であるとカミングアウトしたのはあのバーニーフランクだ。(ドット・フランク法案)。この10年、彼は有力議員として米国の金融ルールの中枢に君臨した。

ワシントンのFRBの理事の承認権は上院。しかし、オバマ政権は誰を候補にするかで下院金融委員長のバーニーを無視することはなかった。バーニーはFOMCからタカ派の一掃を画策した。
 
また、ドットフランク法案の原案に、相棒のクリス・ドットが、NYFED総裁の国家公務員化(その場合は上院承認が必要になる)を入れようとしたところ、ウォール街にとって都合が悪いその提案をバーニーは阻止した。

このように、米国の金融を今の姿にした立役者の一人はバーニーだ。当然彼は同性愛者も援護した。しかし、議員として、国家の仕組みここまでの要求した記憶はない。
 
そういえば、有精卵子を使った医学の進捗を認めなかったブッシュ大統領に違和感を感じたが、今はクリントンの変節とオバマの民衆迎合主義には危機感を感じる。


そこでクイズ。中国の共産党の一党支配の崩壊と、アメリカの分裂はどちらが早いか
 
今の日本人にこんなアンケートを出しても意味はない。しかしもしブックメーカーがマーケットメークをすれば、絶対に逃してならないチャンスだ。そして相場の次のアルマゲドンも、こんなところにきっかけは隠れていると思う。

中国経済でアメリカは倒れない。(そもそも中国の共産党支配が倒れるとは思わないが)また、オバマ政権が、ルーズベルトがやった第ニ次世界大戦の効果を画策しても、株は磐石だろう。むしろ株は更に上がるかもしれない。だがもしアメリカが分裂の危機を迎えれば、その時は金融アルマゲンドンを覚悟している。
 

2013年7月3日水曜日

風と大地 (6月24日 マネー原理プロから・・)



 
 
少し前にクレデイースイスが出した試算では、現在の世界の富の総額は227兆ドルで、成人の人口で割ると、一人当たり5万ドル前後になるらしい。しかしそのうち86兆ドルは全体の0.6%のによって支配されている。つまりよく言う1%VS99%は既に正くはない・・

そんな中、都議選での自民圧勝は、昔民主党にも吹いた追い風が自民にまだ吹いているだけと思う。それよりもメデイアは共産党の躍進をなぜもっとシリアスに取り上げないかが不思議。恐らく一時的現象か、民主と維新の会の惨敗の漁夫の利程度にしか考えていないのだろう。

知人が「本当の大変化は、地面から湧き上がってくる。」と言っている。つまり大変化は「風」ではないらしい。彼との付き合いは20年、本業が坊主、サイドビジネスで銀行マンをしている変わり者だ。だが彼の話はどこかで世の中の本質を突く凄みがある。

2006年、米国の住宅市場が崩壊したら、資本主義の崩壊、マルクスが台頭するとした。今もって多くの人にそんな意識はない。運用すべきお金がジャブジャブなので相場関係者は風向きの話に特化している。だが彼らは大地を感じているだろうか。

リーマンショックの前、米国の格差は既に開いていた。そこで金融危機。TBTFではまず金融を救済。それが大企業を潤す。これはマクロではやむ終えない処置だ。当然バーナンキは解ってやってきた。その結果格差は更に開いた。

金融危機の前、既にこのパターンを想定していた人たちがいた。本物のTEA PARTYの人々だ。(TEA PARTYは多くが偽者。ブームに乗った人種差別主義者などもろもろをさす)。そうなる前に彼らは中央銀行の力を弱めようとした。しかしダメだった。

資本主義と民主主義の歴史を振り返れば、簡単な原理がある。格差だ。昔は投票権を持つ人は限られていた。建国の父は格差は必要だと考えた。むしろ民主主義を警戒した。(人種感を除き、勝者になるためのチャンスは平等に)でも今は平等に投票権がある。税金を払う人払わない人。平等である。

ならば中央銀行の政策で益々格差が広がる中(日銀政策も同じ)、1%と99%に平等に投票権があるなら、行き着く先は自然と決まっている。米国の保守派は、健全な資本主義を守るため、中間層を殺すなと訴えた・・。

この4年間、オバマ政権は、マクロで1%を尊重し、投票では99%を囲う政策をマネジしてきた。この器用さは共和党にはない。だがそのグリップが揺らぎ始めている。それが今だ。恐らくこれから起こることは、風の話ではない。大地の変化の話だと思う。

クリントン時代のコピーに失敗すると、次のコピーはルーズベルト。その際中間層のいない民主主義では、右に行くか、左に行くかしかない。ヒトラーがいいか、スターリンがいいかの選択。

スターリンはヒトラーよりも多くの人を殺した。その点日本の共産党は平和主義者。躍進しても日本は大丈夫だろう。寧ろ安部さんがヒトラーのような力を持っている。彼はこの力をどう使うだろう。

ヒトラーは戦争に負けたので、殊更悪者にされた部分もある。一端戦争が始まったら、誰をどれだけ殺したかなどの議論は意味はない。今はどうしたら戦争を始めないようにするか。歴史の大きな力には逆らえないが、一人一人が客観的に世の中を眺め、批判し、賛同し、動くしかない・・。