2011年3月31日木曜日

オバマチャート

今米国には、リビアの反政府勢力に対し、武器を供給する話が持ち上がっている。オバマとしては人的コミットはできないが、武器をやるから「勝手にやってください」と言う事は可能だ。何やら冷戦時代の米ソのよう。だが、国防省の専門家は慎重な姿勢を崩していない。なぜなら、専門家として、彼らはリビアの反政府勢力の半分がアルカイーダと重なっている事を知っているからだ。

今もアフガンでは米兵がアルカイーダによって日々殺されている。そんな中、別のアルカイーダには米国が武器を供与する?一見矛盾するが、実はこれをやりきるのが国家経営である。

ところで、今日はそんな重責のオバマについて各メディアが最新の支持率を発表した。(添付WEB参照)そこで意外だったのは、ここ数カ月、オバマは海外に向けては活躍した印象だが、国内の支持率が下がっていた事である。

調査は上下の極端な層を除外したRCPが参考になる。そこでは年初回復していたオバマチャート(支持率)はここにきて再び下がり、今はデットクロス(支持が不支持を下回る)寸前である。これは再選を狙う過去の民主党の大統領と比べても、再選に失敗したカーター次ぐ低い値。

なぜだろう。この3カ月、彼はクリントン路線を踏襲したはず。だが結果はカーターチャートだった。何度か触れたが、過去2年、株はオバマチャートの影響を受けている。つまり政権が支持率で盤石な時に大幅に戻し、政権が苦境にあると下落したのである。ならばチャートがこのままデッドクロスを完成すると、株は早晩そのあとを追う可能性が高い。

ただ再選についてはカーターと大きな違いがある。それは今の共和党にレーガンがいない事。レーガン大統領については、近々米国史における彼の存在意義を今後の相場に絡めて説明したい・・。

http://www.realclearpolitics.com/epolls/other/president_obama_job_approval-1044.html




2011年3月30日水曜日

日本語英語

癒される事のない日本からの震災レポートと、さしたる根拠もなく「6カ月で日本は復活する」と力説するCNBC。もともとこちらの市場関係者は、日本人がこの災害で何を感じ、何を思い、どんな復興をしたいのか、そんな人間の尊厳には興味がない。ただこの一週間この構図にずっと挟まれさすがにキレそうである。そこでこの馬鹿なアメリカ人(無論全員ではない)を懲らしめる方法はないかと考えた。答えは一つ。それはマネーのツナミ(TSUNAMI)以外にない。

その前に「日本語英語」の話をしたい。こちらで英語になった日本語と言えばまずは「SUSHI」、そして次は「TSUNAMI」だろう(それ以外にはSAKE /KAMIKAZE等)。日本人が意識しないところでTSUNAMIが英語になっていたのは今となっては皮肉だが、今こちらの市場関係者は本物のTSUNAMIを映像を通して知り、驚いている。だが結局は他人事。だから6カ月で元に戻るなどと言えるのだ。

そして彼らはこの震災を9・11のテロやカテリーナのケースとも重ね合わせている。確かに9/11のテロでは株式相場は3か月で復活した。またカテリーナはリーマンショックを引き起こした住宅バブルの出発点になった。つまりこの二つの悲劇は株にはプラスだったのだ。ではこの間米国は豊かになったのか。元々株を持って豊かだった人はより豊かになった。だが貧困層が多かったカテリーナの被災地は今もっと貧しくなっている。そしてその現実が近未来にこの米国に何をもたらすのか。今金融関係者はそのリスクを考慮している様子はなく、日本の悲劇も彼らにとってはその延長線上の話である。

だから震災から2週間ここで何度も主張してきた。傷は自然にふさがるが、日本はこの復興を単なる被災地の復興にしてはいけないと。世界一の大金持ちが生まれても、少数の金持ちと圧倒的大多数の貧困のメキシコは日本の向かう姿ではない。ニュースを見る限り、今のところその課題は良い方向に行っている。だがこれからが本当の勝負。被災地の不満が高まり、逆にそれ以外が自分の世界に戻る瞬間は必ず来る。その時に指導者の真価が問わるのだ。

そんな中、こちらの新聞では菅総理に対するコメントが散見される。どれも「及第点かもしれないが輝きが無い」というモノ。某新聞が飛びつきそうだが、今日本のメディアがすべきは菅総理の批判ではなく国家の団結を促進する事ではないのか。ここは日本のメディアの真価も問われているのだ。

いずれにしても確信した。ここからでは被災者の役には立たない。だが本業やこのブログを通して日本のお金を次の金融大ツナミから守る。これをもう一度己の使命としたい。そのためには米国の金融市場の風潮に踊らされていてはならない。彼らの多くは次のTSUNAMIで消えるだろう。次の金融大ツナミの原因となるインパクトとは何か。知恵を絞り、想像力を張り巡らして探したい・・。


2011年3月29日火曜日

オバマ政権の臨戦態勢

考えてみるとオバマほど数奇な運命の大統領も少ない。自らは平和の象徴のように思われノーベル賞まで貰った。だが歴代の大統領を振り返っても、任期中に3か国と別々の戦争状態になった大統領は見当たらない。難題を前任者から引き継いだとはいえ、彼自身の性格に起因するグリップの弱さも一因だろう。

特にリビア攻撃は後手に回った。背景は政権がクリントン人脈の意向を強く受けながら、防衛長官はブッシュ政権のゲーツ氏を残した歪さがあげられる。元々ゲーツ氏は米国のリビアへの参戦には否定的だった。ところが、93年のソマリアの失敗が尾を引き、ルワンダの大虐殺を傍観した米国を大統領夫人の立場から観たヒラリーは、今回リビアへの参戦に積極的だったという(NBC)。

確かに、週末の討論番組に出た彼女の顔は、娘の結婚を心配する母の顔から、政治家ヒラリーの顔に戻っていた。加えて、政権を取り巻くクリントニアンは、クリントン政権の功績とされるセルビア空爆によるコソボ終結の再現をもくろんだらしい。

いずれにしても、米国は、政権内の思惑のずれを修正している最中に、フランスのサルコジ大統領に先手を取られた。たださすがの米国もこれほど次々に紛争や自然災害が同盟国の日本で起こる事態には対応しきれない。シリアは手つかずとなり、そんな米国を見限り、サウジはバーレーンへの軍事介入を米国への通達なしに断行している。

この様に、中東はイランが頂点のシーア派対サウジ王室を頂点とするスンニ派の戦いを軸に、リビアとカタールの間に見られるアラブ特有の民族や利権をめぐる確執が交錯している。ただアラブ同士が共倒れになるのはまだいい。問題はバーレーン イエメンの親米政権が倒れ複雑なシリアも完全に原理主義になると、中東はいよいよイスラム原理主義がイスラエルを包囲する。こうなると世界は第二次世界大戦以来の緊急事態だ。

今の米国は中東ではこの最悪の事態を避けるべく最善を尽くす一方、難題をアフガン・パキスタンでも抱えている。ここも大変なのはパキスタン国内で殺人罪で拘束された米国人スパイの処遇を見ても判る。元来彼の存在が表に出てきてしまう事自体が異例だが、米国はパキスタン政府の指示に従って遺族に2億円を払った。あの貧乏なパキスタンでスパイの存在を露呈し、また犠牲者に2億も払う失態を演じながらもパキスタンの協力がなければアフガンも終わらない。

今、平和ボケが覚め、未曾有の天災に立ち向かう日本人からすれば、これだけの情勢をいっぺんに抱える米国はやはり凄いという見方もできるだろう。だがこんな状況は米国にとっても異例だ。こうなった事自体が衰退という見方もできるが、あの金融危機を引き継ぎ、休む間もなくこの事態に立ち向かうオバマ政権は凄い政権である。だが日本は決して米国を頼り過ぎない事、復興においてこの基本を忘れてはならない。


2011年3月26日土曜日

楽天的への褒美




添付したグラフを見てほしい。この欧州金融機関の試算によると、日本は2011年の第一四半期は年率換算でマイナス8.6%の成長となるが、翌期には7.8 %になり、第三第四四半期は、災害が無かったケースよりも大幅に上回るとの見方である。このグラフを出した金融機関は東京から真っ先に逃げ出した会社らしいが、そんな事はどうでもよいとしても、対岸から眺めるエコノミストが作成する外国の金融機関のリポートがいかに現実に直面する人間の尊厳を無視しているかを現わしていている。

ただ楽天的になると褒美がある時がある。そもそも暗い見通しよりは良いという考えもあるだろう。ただこんな机上の空論に意味が無いのは苦難に直面する日本人が一番知っている。一方で外国人は日本人の魂をどこまで考慮しているだろうか。ならば今は日本人の魂を見せる時。そんな中NHKの番組で、日産自動車の重役が「合理性だけで良いモノは作れない。日本が地震大国でも日産は海外に製造拠点を移す考えはと言い切った事には感激した。次の車を買う時は日産に決まった。

ところで、本日米国ではフォーブス誌から米国のベービーブーマーの平均的(予定)相続資産の額が発表された。一人当たり平均30万ドル(2500万円)。米国のベービーブーマーは日本の「団塊の世代」よりも範囲が広く、1945年から1965年生まれまでを言うが、この世代全体では8.7兆ドル(650兆円)になるという。

ではこの世代は米国の歴史ではどんな位置づけなのか。私見を言うと、レーガンによって新しい財布を授かり、クリントンによって資産を膨らまし、そしてブッシュには意見が分かれたが、一方で誰も住宅バブルに違和感を覚えなかった人々である。

つまり米国史の見地からは平和で平凡な世代。ハイテクで革新的技術がいくつか生まれが、米国の歴史に特別貢献した世代とはいえない。ではなぜこの世代に米国史でも稀に見る褒美があるのか。

もう一度中身をみると、戦後の米国の役割はカーター時代に行き詰り、「楽天的への変節」を掲げたレーガンによって米国は消費経済に生まれ変わった。すると家を持っただけで別の財布が生まれる構造が生まれ、消費をすればするほど国家のGDPは伸びた。

そしてそれを更に後押しする金融の仕組みがクリントン時代に完成、ドットコムバブルが終るとブッシュに大量のステロイドを打たれた。

当然ながら副作用で心筋梗塞を起こしたが、オバマによって株はだいぶ戻してもらった世代である。では彼らはこのままご褒美を貰えるのかどうか。未来に向けての米国史として興味深い・・

2011年3月25日金曜日

金融の正体

今日本では野菜に市場原理が働いている。原発事故の近隣の商品は暴落。逆にそれ以外の産地物は割高だ。ただでさえ被災地の人はお金が必要だというのに、市場原理とは残酷である。ならば市場原理の本家、金融ではもっと残酷な世界が広がっていると普通の人は考えるだろう。ところが、実体は全く逆である。

その一例が国債。日本を含め、今先進国の国債はどこも不健康だ。NHKも特集を組み、納税者が減り年金受給者が増加した日本の窮状を訴えていた。しかし、中でも最も破産に近いとされるポルトガルまたスペインの国債の金利を見ると、実は大した事はない。どれも5%~10%に収まっている。

確かに、水準は日本の1%台、米国の3%台と比べれば高い。だが金融危機が起こる前、米国債は6%の金利だった。ではなぜ健全だった頃の米国債の金利は、今の不健全なスペイン国債の金利よりも高かったのか。これは二つの理由で解説される。(文中の国債の満期は10年)

まずは成長率。当時の米国は、国が6%の金利を払っても、それ以上のリターンがあったと言う事。この場合株などへの投資は6%以上のリターンになり、その見返りで債券金利もある程度高くないと投資家は買わない。そしてもう一つはお金の絶対量。2006年と比べても今は圧倒的にお金の絶対量が多い。だから運用する人は「危ない」と判っている商品にも低リターンでも投資するのである。そしてこのお金の絶対量は金融危機の前にも空前の規模になり、それが原因で危機になった。ではなぜ同じ事が今また起きているのか。それは金融には市場原理が働かないかないからだ。それがTOO BIG TO FAILである。これは金融が危機を引き起こしたにもかかわらず、その原因を世の中は駆逐できない現象をいう。

では金融は世の中でそれほど特別な存在なのか。その通りである。だがら以前米国では一口に「金融市場」とは言うものの「金融」と「市場」を分けていた。簡単に言うと金融は銀行、市場は証券会社の領域だった。そして伝統的に銀行が主役だった日欧に対し、米国は市場が花形だった。つまり証券会社の方がカッコよかったのだ。だがそれゆえその派手さにおぼれた証券を米国は救わなかった。

そう。この頃までは金融市場にも市場原理があった。(それが映画ウォールストリート)ところがレーガン政権からの規制緩和を切欠に、それまでパートナーの自己資金で勝負していた証券会社が上場会社としてより多くの資金を持つようになった。そして金融と市場が最後の一線を越えたのがグラスステイーガル法の廃案だ。

これは大恐慌の原因になった銀行証券の混同を反省した法律だった。だがクリントンが99年にサインして廃案になると、銀行(例えばCITI)が市場で証券会社(例えばGS)に負けじと相場で勝負にでたのである。そしてまた同じ失敗が繰り返された。だが更に規模が大きくなっており、リーマンと言う小者を除いて個が責任を問われる事はなかった。(これがウォールストリート2)

リーマンは小者?。瞬間あれほどのインパクトだったリーマンが小者だったと言われては怒る人もいるだろう。だがソレが本質。そして先の危機で笑止だったのは、米国は証券を救う理由に窮して彼らに銀行の肩書を着せた事だ。おまけにQE1ではヘッジファンドにまで資金を提供した。そして証券も銀行も同じ低金利で(殆どゼロ)FED(中央銀行)から資金を調達すると、ソレをゼロよりは利回りの高さそうな全てのモノに振り向けている。

それが今の世界の金融市場の姿であり、膨大なマネーは株債券の金融証券を満たし、オイル、通貨の円、世界中の農地、そしてく最後は「水」にまで向かっている。こうなると運用マネーを持たない世界の大多数の人はどうする事も出来ない。彼らは「金融」が買い上がるガソリンや食べ物に悲鳴を上がるだけだ。そして米国は国家として金融の責任を追及するどころか、彼らをコントロールするグリップを完全に失っている。

つまりこのままでは「3度目の正直」は必然であり、それは1929年、2008年よりも更に究極的なモノになるはず。そして今日ここで「金融の正体」の話をした理由は、そのタイミングは恐らく日本の復興と重なると考えるからである。その時に日本の真価が問われるが、世界に惑わされず、己の価値観を確立していれば恐れる事はない。(ただそこが菅直人民主党政権の弱点だが)そして、独自の価値観という意味では日本の金融も然りだろう。災害の最中にメガバンクで振り込みに支障が生じた。日本の標準からすれば利用者は不満だろう。だが米国では銀行の間違いは日常茶飯事である。

彼らは相場のトレーダーには100億円を払っても、窓口のスタッフにはお金をかけない。日本にいる日本人は知らないだろうが、それに比べ、安心という意味では日本の銀行のレベルは圧倒的に高い。それは対面での窓口業務を大切にする日本の特徴であり、そこに膨大な人件費を懸ける日本の金融機関を外銀と単純比較するのは愚かしい。いずれにしても、人災である次の究極の金融危機で、日本だけは今回の天災からの教えが活かされる事を祈念するのみである・・。



<糠の効用>

ところで、そろそろトマトの種をまかなければならないが、2年前から始めた糠床も良い味になってきた。米国に来て18年。これらの作業は旨いトマト、旨い漬物を求めて自分で始めたものだ。ただ元々糠漬けはあまり食べなかった。なぜなら故郷には野沢菜があったからだ。それが10年程前、北陸名産の河豚の卵巣を食した時、猛毒を解毒する糠と塩の効用に魅かれた。そして北陸の人が大昔から食べてきたその食品の仕組みを今の化学では解明できないと知り、以後好んで糠漬けを食べるようにしてきた。だが家族には不評だった。この2年、自宅でケーキ教室を開く妻には糠の臭いは邪魔な存在。また米国で育った子供は糠床が人の排泄物と同じ色で、また臭いも似ている?とのことで蓋を取るだけでその場から去った。結局この2年間の熟成を食したのは自分だけだった。そんな中、福島原発の事が伝わると、米国でもEBAYでそれまで10ドル前後で販売されていた放射能汚染の抵抗薬のヨウ化カリウム粒がいきなり200ドルに跳ね上がった話が伝わった。

まあ米国はまだ金儲けの話、東京でペットボトルの水が瞬間に消えたのはそんな余裕のある話ではない事は承知している。だがここは冷静になるべきだろう。まず資源貧国の日本がヨウ化カリウムの原料のヨウ素に関しては超大国らしい。海藻が原料なら当前だが産出量は米国の5倍になるという。いずれにしても、大都会がパニックにならないためには、悪い話を早く流すだけではなく、隠された良い話も早く出す事も必要だろう・・。



2011年3月23日水曜日

水の時代 欠陥を求める歴史的欠陥




以前紹介したこちらの人気番組「PAWN STAR」。直近の放送で持ち込まれた商品は、1ドル札の不良品だった。古いモノではない。印刷の途中で折れ曲がり、その上を活版が通った稀なケースというだけの商品。ただその希少性から鑑定士の判断は市場価格で1000~1500ドル。番組の主人公でラスベガスの質屋の店主のリックはソレを750ドルで買い取った。一方別に持ち込まれたのが今は流通していない500ドル札と1000ドル札。これらは1934年の恐慌の際にFEDが刷ったモノだ。ともに1969年にリコールされた。こリックはこれも(500ドル札)1000ドル(1000ドル札)5000ドルで買い取った。

そういえば少し前、出回る予定だった新100ドル札が印刷機の不備で大量の不良品を出した。どうやら今は欠陥でも希少なら価値をもつ。つまりイレギュラーが価値だ。ではこれらはどんな価値があるのだろう。

ところで、リックの取引は今のペーパーマネーの本質を表している。まず切手でもなく、骨董美術として価値を持たない不良品が額面の750倍で取引された事。そして1934年という年に集中してこの様な大きな額のお札が発行された事が重要だ。この年には流通紙幣として5000・10000ドルまで発行され、またゴールドとの交換を目的に100・1000・10000・100000ドルの高額札が発行された。

高額札はFEDが設立される前にも財務省が発行しているが、1934年はバーナンケによって批判されるFEDの失敗(流動性の枯渇)の大転換が始まった年だ。また前年の1933年には大恐慌を受けて様々な金融法が施行された。つまり環境が今と酷似している。そしてFEDは生みの親のウイルソン大統領を最高額札の100000ドル札の顔にしたのも興味深い。また最も重要な事としてルーズベルトは金本位制を停止し、国内では個人が大量のゴールド持つ事を禁止した。その交換のためにここまで高額な交換証が必要になったのである。

こう考えると、バーナンケが批判する当時のFEDは、国内を犠牲にしても基軸通貨としての価値が確立する前のドルを守ったとも言える。言い換えるとあの苦しみがあって米国は強くなった。逆にバーナンケはドルが基軸になった恩恵をUNWIND(巻き戻し)しているだけではないのか。ならばどこかで再び金への回帰が必然。だが金本位制停止の手段はもうない。一方ペーパーマネーは平時の相対価値のゲームのチップとしての有効性は証明された。だがカオスにおいてはただの紙だ。過去の人間はその危険をいつも感じていた。ところが平和が続き、世界が発展し、カオスが遠くなるとFEDにもバーナンケの様な議長が現れた。先進国で金融経済が中心となり、危機後に世界は彼を褒め称えたが、人間の普遍の歴史からすると、実は現代は緩慢な平和の後に訪れるイレギュラー(欠陥)を求める歴史のイレギュラー(欠陥)の瞬間ではないだろうか。

そしてそのUNWINDとしてのバイタル(必須)なモノへ回帰が始まる中、もっとも重要な水が危ない。その警告はなぜかまた日本で始まった。日本は台風も来るが豊かな水が強みだと考えてきた。ところがこれも人類の産物である放射能がその強みさえ無にする事が判った。どこまでも日本を虐める神。そしてマネーは水面下で水に絡む利権に向かう話がある。ただ水さえ手に入らなくなったら資本主義も終わるはず。よってそんな話にうろたえても意味はない・・。






若きメシア



「 階上中学校と言えば、“防災教育”と言われ、内外から高く評価され、十分な訓練もしていた私たちでした・・。しかし、自然の猛威の前には、人間の力はあまりにも無力で、私たちから、大切なものを、容赦なく奪っていきました・・。天が与えた試練と言うには、惨すぎるものでした・・。つらくて、悔しくてたまりません・・。しかし、苦境にあっても、天を恨まず、運命に耐え、助け合って生きていく事が、これからの私たちの使命です・・。」   
                     

                                                   
階上中学校 卒業生代表  梶原裕太


実はこの歳になるまで、人のスピーチに感動した事は一度もなかった。ただそれは、しゃべり手の能力の問題ではなく、また、多少シニカルだが(特にここでは)、自分が極端に偏屈だったからとも考えていない。要は、我々の世代は、その必要もない、恵まれた、そんな時代を生きてきたという事だろう。だがソレが46年目にして変わった。

今日のNHKのニュースで、この被災した階上中学校の卒業式のシーンを観た人は多いはず。私もその一人だが、この歳になり、初めて人のスピーチに感動した。彼(梶原君)が無事成長し、日本をリードする日を見たい・・。



2011年3月21日月曜日

月の怒り (顧客レターから)






週末チャンピオンズリーグの2回戦の残りを観た。レアルマドリッド、チェルシー インテルが勝ち進んだ2回戦の残り試合はすべて日本語で「私たちは日本と共にある」というメッセージが冒頭で紹介された。インテルには長友がいる。だがレアルやチェルシーに日本人はいない。この欧州人の対応に、日本人としてありがたいと思う一方、今回の大災害が日本という先進国で起こった意味を知った。

失われた人命ならスマトラ沖地震やハイチの方が甚大だ。だがあの災害でこんな「演出」はなかったように思う。米国で同じ気持ちを感じたのが昨日の「60ミニッツ」。CBSはテキサス出身の臨時英語教師の米国人が「松島」で津波に巻き込まれた状況をリポートした。小学校で授業中に被災した彼は、津波に巻き込まれながらも子供数人を抱え耐えたという。彼もヒーローだった。しかし助けられなかった子供も多く、番組は、毛布にくるまれながらも無残に手足を出し体育館に無造作に並べられた子供たちの遺体を写した。(この描写は日本の報道にはない)。そして、リポーターとして派遣された番組のアンカーは、先進国の日本で、子供の遺体が瓦礫のように置き去りされたまま何もできない状況に事の重大さを訴えていた。

そして上の写真は上から順にオランダ、チリ、ワシントンで撮影されたスーパームーン。この月と今回の震災の関係はいずれ科学者が解明するだろう。ただ考えてみると、人類は太陽を崇めることはしてきたが、地球よりも小さく、属国のような月には十分な敬意を払ってこなかったのかもしれない。だが所詮人間など小さい。人間におごりがある限り、宇宙の原理は人間を戒める。そしてその手段は「水」だ。今回大震災で水の恐ろしさと力を知った。人は水の前に無力、だがその水が放射能から人を守る。これで判った。なぜ創世記で神は洪水という手段を使ったのか。水は人間が宇宙の原理を感じる最たるもの。そして今マネーは静かに水に向かっている。

ところで、今日の金融市場は再びリスクオントレード。ただこの時間帯米国内の要因は関係ない。その米国の株の買い材料はAT&TのM&AとCITIの配当復活。一方悪材料は中古住宅が控えている。そんな中で朝のCNBCではバフェットが日本行きを辞めた事を紹介していた。もともと投資しているタンガロイ社を訪問する予定だったらしいが、日本側から遠慮してほしいと言われたらしい。そのバフェットは今日は韓国の大統領と会談、存在力を誇示していた。どうでもよいが、民間人はともかく日本の政府要人が寄付をするでもないバフェットに頭を下げるのは辞めてほしい。今の日本に必要なのは彼ではない。






2011年3月19日土曜日

想定外

そういえば、ここで今年のキーワードとして年初に挙げた言葉はノーマルシーバイアスだった。(1/8、正常性への傾斜参照)。

起こってしまえば仕方ないが、ただこちらでは、政権で国際情勢を見張るスタッフはWE KNOW WHAT WE DO NOT KNOW という言い方をよくする。(我々は、未経験の事象をいつも意識している・・)

これは相場にも言えるが、国民を守る立場の政治家が「想定外」を口する日本は甘いのかもしれない。米国の戦略は多面性を持ち、また昨今の相場でも生き残っているプレーヤーはスプレッド(逆方向の二面性)を有効に使っている。

想定外は起こる。ならば日本もこれからはスプレッドを持つ事が重要だろう。



2011年3月18日金曜日

今日のCNBC

考えてみれば、9・11/イラク侵攻/カテリーナの災害が過ぎた米国には長らく実需要がなかった。仕方なくマネーゲームに走るか、あるいは新興国に大量の資金をつぎ込んだ。そこに突如現れた日本の復興需要。黙って見ている手はない。

まずは日本人の気持が大事。人命救助で米国の力を見せつけ、同時に恩も売る。次は金融を含めたビジネスが繰り出す。まるで戦後の構図だが、米国にとって日本の戦後の復興は大した話ではなかった。なぜなら当時の米国には十分な国内需要があり、またヨーロッパにも大量の需要があった。だが今は違う。

9・11/イラク/カテリーナ。これらは数カ月で全て株にはプラス要因になった。これがその本質。ならばこれらの時よりも更に金が余る米国のビジネスが、この事態で日本人の感情とは違う次元で空想を描くのもしかたがない。そしてビジネス人が勇み足で不注意な失言をすると、すぐにただすオバマ政権。この辺は流石だ。

ただ本来今の米国は自分の足元に注意すべき時だ。個人的にはこの勘違いがこの国に何をもたらすかに注目。まあ日本が強い意志を持たないと、彼らの思い通りになる可能性もある。

嘗ては米国という国家と、米国のビジネスを同類に考える必要はなかった。だが平和に慣れた昨今は、アプローチの仕方が違うだけで、(共和党は軍事、民主党は金融)国益とは企業収益だ。そしてこれが、非常事態が続く日本に対するCNBCから感じる今日の雰囲気である。

最後に、この様なビジネスとはまったく無関係に、普通の米国人が日本に向けて集めた小口の募金は既に50億円になている事も触れておかなければならないだろう。

2011年3月17日木曜日

震源 (顧客レターから)

国際社会の注目が日本に集中する中、ニューヨークタイムスによればリビアではカダフィー側の勝利が固まりつつある。結局米国の態度が決まらず飛行禁止区域の設定が出来なかったため、反政府組織は各地で敗走した。ここにいたり、米国は英仏が米国抜きで飛行禁止区域を設定する邪魔はしないが、最早それが勝敗に影響を与える事はないと、米国は反政府勢力を見捨てた状況。一方で米国政府は凍結したカダフィーの資金を反政府勢力に回すなどとも言っている。つまり米国は実質カダフィーを助けながら、一方で国際世論に同調し、反政府勢力も応援するポーズだけは取っている。

さて、下にYOUTUBEを掲載した。まずこれは自己責任で観てもらうしかない。ここではサウジ警察がバーレーンのシーア派の反体制派を路上で虐殺するシーンが出てくる。そしてリンクではそのように殺害されたバーレーンの男性の半分頭が吹き飛んだ死体が病院に運ばれてくる。そしてこのYOUTUBEをの載せたトレーダーが集まるTWITTERでは、これはチュニジアで動乱の震源となった果物売りの男性の焼身自殺以上のインパクトを中東に及ぼすとの見方が広がっている。
http://www.youtube.com/watch?feature=player_embedded&v=gtrZaHTIJK8

一方で日本では欧州系の金融機関やヘッジファンドのスタッフが逃げ出している模様。ヘッジファンドの中にはとんでもない輩もいて、彼らと取引がある業者によれば、あるヘッジファンドは地震当日の約定を一方的に反故にし、さっさと日本から退去したという。一方米国の最大手のJPモルガン銀行では、会長のジェイミーダイモン氏が日本に来て社員を鼓舞するらしい。これは今の米国の得意な両面外交の一環。在日米国人の安全を確保しつつ、オバマがリードをとり、軍隊もビジネスも日本ににコミットする姿を焼き付けるのである。これで日本は再び彼らのモノだ。

ただこの様な事態を受け、今日のVIX(市場の波乱指数)の値動きは近々にフラッシュクラッシュ2が来る事を示唆している。ただそれは日本の原発危機だけが原因ではなく、バーレーンの動乱が併発するケースでその可能性が高まる。そしてその大津波は最終的に米国の住宅市場に決定的な打撃を与えるだろう。

その時はこれまで我慢してきた米国庶民の怒りにも火がつく。そうなるとオバマ政権が取る手段は二つに一つだ。まずは金融機関に住宅ローンの元本減免を強要する。この場合米国債市場にはブラックスワンが来よう。或いは既に計画がある大手金融機関に総額3兆円規模の罰金を課す事で庶民が納得するかだ。そのどちらかしかない。だがどちらにしても株は下がるだろう。







http://www.youtube.com/watch?feature=player_embedded&v=gtrZaHTIJK8







2011年3月16日水曜日

石原慎太郎氏への提言




平時にはモノがあふれた日本。その日本で人々はマナーを守りがらも食料品店から食べ物が無くなりつつある。これで判った。なぜ神が日本を選んだのか。この地震で、日本は先進国の中で一番早く何が最後は大切なのかを実感したはず。まず人間である意味。それは腹が減れば殺しあって相手を食べる動物との違いだ。そして次は、平時では命の次に大切なペーパーマネーも、平時でなければ生きるために必要なモノには勝てないこと。恐らくこれで外資系の金融へ就職する人も減るだろう。なぜならそこで一時的にぺーパーマネーで潤されても、極限においてそれが人間にとってあまり意味が無い事が判ったからだ。逆に、社会からの逃避ではなく、本気で農業に従事する若者が増えるかもしれない。そして、今が一時的な困難と思っている人に、今が極限かどうか、実はそれさえも本当は判らないと考える科学者が米国にはいる事を敢えて触れておかなければならない。

そしてもう一つ。それは石原都知事へ提言をしたい。彼は4選を目指すという。それもよかろう。個人的に彼の発言が傍若無人なのは全く構わない。あまりにも他の政治家のレベルが低すぎたので、そんな彼の言動に溜飲が下がる事もあった。だが地震を受け、彼が国益を考えて再選に挑むというなら彼に諫言がある。ソレは再選の後は東京の機能分散を自ら提言する事である。なぜならこのままでは、東京が壊滅すれば日本が壊滅する。国益としてはそんな事はあってはならない。石原都知事は首都機能移転に反対してきたが、それが東京人のエゴだったなら、石原氏は「国益」など口にして選挙に臨むべきではない。

一方でこの国はまだまだバカな人間が多い。上のチャートは神戸の時と今回との違いを比べたモノ。こちらのTWITTERで出回っていた。こんなものを出して何の意味があるのか。そしてその横はマンハッタンで売りだされた80億円のアパート。この物件、FRANK WOOLWORTHが娘の為に建てたもの。今の持ち主がアパートとしては米国史上最高で売り出したという・・。

まあいいか。人類を惑わした後、行きすぎた金融の最後とは、恐らくこんなことから始まることを日本は一番早く知った・・。



2011年3月15日火曜日

傍若無人のラリークドロー

実は今日はサウジの軍隊が入ったバーレーンも大変な事になっていた。だがこちらのマーケットは日本一色。そんな中一部の株関係者は、神戸の震災時のチャートを出し、中長期なポジテイブな話をしていた。一方で債券市場では、日本の保険会社の負担は一社あたり5000億円と想定していた。愚かしい。これは神の怒りである。机上の論理が機能するはずがない。まずあの95年と比べても、今の過剰流動性は膨大。ならばその流動性が、どんな方向でどんな大波になるかわからないではないか。既に再保険の拠出やプレミアムの悪条件でこちらの保険会社株は大幅安である。津波は震源地から次第に威力を増す事が今回も実証された。日本への一撃は世界へ向け金融市場においても大津波になる可能性もある。

ソレを象徴するのがCNBC自身の慌てぶり。まず下のYOUTUBEを観てほしい。ここでは金曜日の昼前、株が朝の下落からプラスに回復したのを観て、CNBCのラリークドローは「人命が失われた事は残念。だが株を見よ、上がっているではないか。これは喜ぶべきことだ・・」とHUMAN TOLL VS ECONOMIC TOLL 論を展開した。(The human toll here looks to be much worse than the economic toll and we can be grateful for that)。そしてこの時間帯から米株はさらに上げ幅を拡大した。

ところが本日クドローは自分のコーナーで冒頭から平謝りだった。10年以上CNBCで彼を観ているが、彼がこんなになったのは初めてだ。そもそもこの男は本来民主党だったにもかかわらず、レーガン政権で経済を担当すると、それ以後は共和党に転じた。そして今はCNBCのコメンテーターとして異例の二つのコーナーを持ち、共和党の広告塔として誰が出ても言いたい放題だった。その言動における傍若無人はまさに石原都知事と同じ。しかし今回はオバマ政権からよほど怒られたと見える。彼のこの慌てぶりは、これから米国の金融市場受ける天罰の予兆かもしれない・・。

<金曜日のCNBC>
http://www.youtube.com/watch?v=lX80vWJhtMk&feature=player_embedded#at=49



2011年3月14日月曜日

復興の先

「誘惑に負け、禁断の木の実を食べたことで生きる苦みを知ったアダムとイブ。そして子のカインは己の心の闇を知り、弟のアベルを殺してしまう。この様に神は人間を弱い生き物として生み出した。そしてその弱さ故に神の教えを守る事を期待した。ところが、愚かな人間は神の教えを忘れ、乱れた生活をするようになった。だがそんな中でノア(アダムとイブの三男セツの子孫)だけは神の教えを守った。そこで神はノアに箱舟を作る事を命じた。ノアは神の指示に従い家族と動物の雄雌を入れた。その後、神は大洪水を起こして残った全てを消し去った・・・。」(創世記から)

この二日間、なぜ神は日本にこの苦難を与えたのかをずっと考えた。すると息子が言った。これは罰ではない、テストだ。なるほど。では何のテストだろう。菅総理の涙にその答えを見た。「この復興は被災地の復興ではない。日本の復興である・・。」その通りだと思った。考えてみればこの20年、日本はまるで迷い船だった。80年代は順風満帆。だがその航路は起点となった戦後の復興から米国が敷いた海図の上だった。ところがクリントン政権後、米国が護送船団を解散すると日本は新たな航路を国民に示す船長が育たないままさ迷った。それでも沈没しなかったのは過去の貯蓄があったからだ。一方その貯金が邪魔となり必要なリスクも取れなかった。そしてさらに混迷するかと思った瞬間神は日本に苦難を与えた。

だがこれで目標ができた。菅総理の言う通り、復興は被災地の復興ではなく、日本の復興でなければならない。日本は今回の被災地をそのための犠牲として考えられるだろうか。そんな中でこちらの報道は日本を二つの点で称えている。一つは高層建築の耐震性。これで評判が実証され、日本の建設会社の株は上がるだろう。そしてもう一つは混乱時でもマナーと規律が堅持された社会だ。ならば新しい復興の指針は見えたのではないか。

時間が過ぎれば傷口はふさがる。だがその先が貧富の差が更に拡大したメキシコのような世界では意味がない。神はそんなことの為にこの試練を与えたのではない。明治維新も戦後の復興も日本人の特性が活かされた奇跡。だがその奇跡の後日本が世界に影響を与える事はなかった。なぜなら物質的な豊かさは先進国の模倣だったからだ。だが今世界はその極致だった米国型の自壊局面を迎えている。今彼らが日本を褒めるのは、彼ら自身が米国型社会の限界を感じ始めたからだろう。ならば今こそその時。復興の先には日本に独自の新しい価値観が確立していてほしいものだ。




2011年3月11日金曜日

ローマ帝国の虫歯(特別号 顧客レターの写し)




TAKIZAWA レタ― ファイナル

サウジの話もここでは先月末に紹介した話。だとしたらどこまでのインパクトなのか。まあこの喧騒の後、株は50日移動平均を割れて200日を目指す展開になるかどうか。個人的には来週にかけてその1点に注目。それを確認してポジションを取っても遅くはないだろう・・。
 
 <ローマ帝国の虫歯>

ところで、上のチャートは1870年代から現在までの対インフレの株価パフォーマンスである。確認事項としてNYSEのダウ指数が確立していなかった1870年前後、株は暴落していた。

つまりチャートの起点は当時の株のボトム。そしてチャートの作者の結論は、経済の成長と共に株も商品(インフレ)も上がり、今は先にインフレが走っているが、これらから株が追いつくというもの。

だが違和感だ。むしろ個人的には初めてレンジバンドが切れ、株の収益は商品に比べ限りなく下がる可能性を感じる。その根拠は今FEDがやっている事はやはり神への冒涜だからだ。

それを具体的に解析する前にそろそろゴールドとオイルと/穀物を同じに扱うのは止めたい。これからは①ペーパーマネーの代替としてのゴールド、②経済活動に必須なオイル、③人間に必須な食べ物(穀物)として別けるべきだ。

そして神への冒涜としたのは、FEDは①と②は自分でコントロールできるが、つまりやり過ぎたと思えば調整が出来るが、③には力は及ばないこと。そして神を冒涜した罪は、必ず③からほころびが始まるという事だ。

そしてここからはエコノミスト誌の特集の紹介になるが、人類は先進国が想像する以上の食糧危機の淵にある。

まず地球の人口は2050年には90億になるらしいが(最上段のチャート)、その前に2010年から1960年代以来の現象が始まったという。現象とは穀物生産が人口の増加に追い付けない構図。

同紙は小麦の例で解説していた。小麦は肥料による増収が本格化する前、数字が存在する1855年から1960年代初頭までは概ね1ヘクターあたり2トンの収穫が「自然の恵み」として延々と続いていた。

それが肥料の改良で爆発的な増産が可能になり、最先端技術の米国では9トン、米国以外の地域でも6トンまで伸びた。だがここからは同じ土地を利用する限界があり、一方で人口は爆発的な増加が続き、穀物生産が予想需要を下回る60年代以前に逆戻りするという。(エコノミスト)

これは小麦の話。ならば別の穀物で代替するか。しかし世界には、小麦の代わりに米でもパンを作ってしまう日本の器用さはない。

昨今もインドは玉葱、エジプトは小麦で暴動になったではないか。こう考えるとエジプトの動乱は穀物高騰が一因でその結果がオイルの高騰。この二つの現象を同類にすべきではない。

見方を変えるとFEDが緩和政策を辞めればオイルは下落するだろう。続けたとしても、上昇はどこかで必ずバランスを崩し経済は崩壊する。そうなれば需要は落ちる。その前に別のエネルギーにとって代わられるかもしれない。だが人口が増え続けるかぎり食べ物の需要は増え続ける。

そうなるとある時点で既存の過剰流動性は一気に食べ物か、その次は水や空気といった人間の生命に必須なモノに襲いかかる。さすれば金を持たない大多数は暴力に訴えるしかない。

恐らく今の若い市場プレーヤーは「マーシャルプラン」は知っていても、マーシャルが復興プランの前に、まず食べ物の確保を優先した事は知らないのだろう。そしてそれはバーナンケも同じではないか・・。

最後に、エコノミスト誌が面白い教訓を紹介していた。

ローマ時代の歴史家LIVYは、ローマ帝国の衰退の起源をセレブの間でクッキングの習慣が始まった時としているという。つまりローマが健全だった頃はシーザーもマークアンソニーも採れた食べ物をそのまま食べていた。

ところが、クッキングの習慣が始まり、レジャーが始まると、それはまるで虫歯が広がるようにローマはゆっくり衰退に向かったというのだ。

ならば、今、英語圏で一番視聴率が取れるテレビ番組は料理番組と言う現実はどう観るべきか。



2011年3月10日木曜日

NHK特集の欠陥

NHKの「なぜあの戦争に突き進んだか」シリーズの最終回を観た。良くできていたと思う。シリーズを通し、日本が戦争に突き進んだプロセスは垣間見えた。だが、今の日本への有効なアドバイスにはなっていなかった。なぜなら特集には重大な欠陥がある。

当時日本は、常識やデータで理解できる日米の差は上層部も認知し、誰も米国と戦争をするつもりがなかった事は新鮮な発見だった。だが悲劇につながった直因として、米国が状況によってどう変わるか、その予想の重要性と、その予想に基づいた合理的なリスクテイクの重要性について全く触れられていなかった。つまり戦略の欠如である。代わりに当時の指導者の決断力のなさ、あるいは組織論に埋没する精神的な弱さばかりが強調されていた。だがそれでは答えにならない。だから日本は今も重要な事をしらないままだ。それは今の日本の指導者がいまだに米国を知らないという事である。

こちらから見ていると、日本は米国の実態調査を自分ではしない事が一目瞭然である。国家はせいぜい役人をワシントン等の拠点に配置し、そこの有力者から情報を取るのみ。これはロシアや中東では有効な方法だろう。だがこの国では有力者は常に流動的である。そして有力者は無知な米国庶民につかえている。庶民がどう出るか。また彼らがその時々の政権にどのように誘導されようとしているかを知らずして、本来米国の次の一手など判らない。ところが、日本にはメディアを通し膨大な米国の情報が入ってくる。結果日本人は米国の事はよく知っていると思っている。だが、米国に対する日本の無知は今も全く変わっていない。

ところで、特集ではリーダーシップの欠如が日本の悲劇の原因の様に扱われた。だがそもそも聖徳太子以来の日本人の特徴の組織の和と、独断で決めるリーダーシップは平時には相いれないものだ。この二つが妥協するのは通常追い込まれてから。だが、サッカーならともかく、追い込まれてからの戦いは勝てない。ソレが本質である。あの小泉首相は日本が追い込まれてから登場したからそのリーダーシップで人気が出た。でも平時は彼は変人。そしてその彼もやりきる前に退陣すると政治はこの結果である。まあNHK特集は国民にその矛盾を理解させればよしとしよう。

いずれにしても、ロシアに国土を占領され、中国に国家の約束(ガス田)を反故にされ、呑気なオーストラリア人にも捕鯨船を攻撃され、そして命知らずの海賊もタンカーに襲われても反撃しない・・。どうか神よ、そんな日本を助けたまえ・・。

(本日のジャパンタイムスは、中国は日中共同開発の条約を無視し勝手にガス田の採掘を開始したという重大ニュースを掲載した。)

<ジャパンタイムス>
http://search.japantimes.co.jp/cgi-bin/nn20110309x4.html 

2011年3月9日水曜日

暗黒帝国の復活(顧客レターから)

この後カダフィーはスピーチに及ぶが、今日の株高騰の背景は、カダフィーのステップダウンの話が、英仏二カ国による飛行禁止区域設定交渉に米国も加わった事で現実味を帯びたからだろう。だが時間内に予定されたカダフィーのスピーチはなかった。この事は米英仏で話がまとまらなかった可能性が残る。その場合サウジのデモの話を前に、明日は急落もある。(ステップダウンが発表されても、株は既にある程度織り込んでいる)・・。

ところで、今回の中東の動乱では常任理事国の中で中国は中立の様相。ではロシアの立場はどうか。言うまでもない。ロシアは態度にこそ出してしていないが、この混乱が長引けば長引くほど圧倒的な勝者なる。そもそもロシアでは年初財政の見通しが厳しく、2008年に立ち上げたソブリンファンドを国家の運転資金に回さなければならないと思われていた。ところが、このところのオイルの高騰で一気に増収となり、当該ソブリンファンドは枯渇どころか年末には4兆円に膨れ上がると見通しを変えてきた。そして気を良くしたプーチンは先日財務大臣と共同でテレビ会見を行い、国家経営を攻めに転じる発表までしたという・・。

この記事を伝えたニューヨークタイムスによれば、日本のような老人型人口動態のロシアでは、中東の様に若者のエネルギーが暴発する可能性は全くないらしい。それどころか、米国と覇権を競った70年までのソ連に郷愁を感じる中高年が多いということは、これから国家として一番まとまり安定するのは実はロシアではないか。ならば北方領土返還交渉などは永久に消えたと思った方がよく、また今回のオイル急騰がFEDの政策にも起因するなら、米国も取り返しのつかない失敗をしたかもしれない・・。




2011年3月4日金曜日

遺恨あり

難役の岩崎弥太郎にも触れ、それなりに満足した「竜馬伝」の後、今年の大河ドラマは酷い。そんな中で民放で秀逸な時代劇を観た。先日テレビ朝日が放送した「遺恨あり」。実話らしいが、脚本俳優演出の全てに満足した。何よりも「遺恨」というテーマが良かった。

ところで、メディアは今の中東情勢を民主化へのプロセスだとという。そうだろうか。本質はこの「遺恨」ではないか。そもそも日本人は民主主義を自分流に解釈している。それは日本人が本当の民主主義を望んでいない裏返だ。それを一番感じるのが「水戸黄門」。あの番組は40年以上続いているが、民主主義を代弁していない。それは「大岡越前」も「遠山の金さん」も同じ。これらの番組は為政者に正義があれば、社会が平和になるという理想を表している。

つまり日本人が本当に望んでいるのは民主主義でなく平和である。確かに本当の民主主義の不効率で醜い。成長が止まった国では醜態だ。それでも米国が民主主義を貫くのは、独裁主義よりは良いという消去法に他ならない。性悪説ではどんな清廉君主も最後は腐敗する。そしてそこは中東も同じだ。

リビアは建国以来憲法も議会もないらしいが、カダフィーと国家が若かった70年代まで民衆は熱かった。世界を敵に回し、堂々とミュンヘンオリンピック惨劇の実行犯を受けいれたカダフィー。国民は彼に歓喜したではないか。だが熱気は去り、不平等が生まれ、怒りが生まれた。すると遺恨があちこちに生まれた。そして今崩壊を迎えている。だがそれでも中東の多くの国民が期待するのは恐らく新しい指導者であって、「議会と法律」ではないだろう。

そういえば「遺恨あり」で重要な役どころの中江兆民が、ルソーが原点とされる有名な民約訳解を手に民主主義の理想を語るシーンがあった。「国家の為に人民がいるのではない。人民のために国家あるべきだ。そしてその人民を守るのが法です・・。」

確かに素晴らしい理想。だが筆者が今この国で観ているのは「人民のために国家があるべき」が行き過ぎ、国家そのものが危うくなる初期現象である。そしてそのきっかけになった金融危機ではこの国の内部でも遺恨が蔓延した。だが結局政権は原因の金融に贖罪を求めるのはやめ、逆に彼ら許す事で経済の表面的効果を優先させた。それが今の金融市場の姿である。

では結果生まれるであろう世界からの米国に対する遺恨を、この国はいつまで無視するのだろう・・。


From: OTakizawa





2011年3月3日木曜日

王子の結婚



イギリスのウイリアム王子の結婚式が近い。日本の皇太子徳仁親王も雅子様を伴って出席するとのことだが、この様なイベントでは、米国も及ばない嘗ての大英帝国の威厳が招待客の中に感じられるというものだ。そして出席する皇太子の事をふと考えた。今皇太子は大変だ。雅子様は完治していないと聞くし、愛子さまも学校に戻っていないらしい。

仮にこの環境を下世話な庶民にあてはめるなら、「女房はノイローゼで娘は登校拒否」という状況。お父さんが普通のサラリーマンならとても耐えられない。だがそこは皇室。また皇太子はやさしい。一人頑張っていることをお察しするが、独断的考えをいうと、せっかくなので皇太子も英国王室の寛容さを真似たらよい。英国王室ではチャールズ皇太子は離婚したし、今年のアカデミー賞―をとった「英国王のスピーチ」はヨーク公の2世代の治世の頃の話。

この頃の英国王室には王位を投げ捨てて米国人女性との愛に走ったエドワード8世がいた。略歴としてのエドワード8世の奔放さは、欧州の田舎だった英国を「大英帝国」に変えたヘンリー8世に勝るとも劣らない。そんな中で徳仁親王はこのまま頑張って天皇になるのもよいが、ぜひ自由に生きてもらいたい。王位を秋篠宮に譲るもよし、雅子様と愛子さまとどこか海外で暮らしながら日本の側面外交で活躍するのもよいではないか。

ところで、米国に国王はいない。だが2000年のころはブッシュ一族はダイナスティーと呼ばれた。それが近年はクリントン家をダイナステイーと呼ぶ人が現れた。確かに米国おいてブッシュ家は名門。家系図は先祖がメイフラワー号の生き残りである事を証明している。だがクリントン一族は名門とはかけ離れている。

日本で米国の陰謀説を唱える馬鹿げた連中は、証拠もないのにビルクリントンをロックフェラーの傍流の落し子だなど言う。10年ほど前アーカンソーのホットスプリングの温泉に行った際、途中のリトルロックで寄り道してクリントンの育ったところを訪ねた。あんなところにロックフェラーの落し子がいるはずない。またヒラリーの育ったイリノイ州PARKRIDGEは今自分が住んでいる。彼女の生家は小さかった。やはり彼らをダイナスティーと呼ぶのは間違いだ。

そしてそのクリントン家で娘のチェルシーの結婚式が行われたのは昨年の7月。当時はオバマの人気が落ち、巷ではヒラリーの登場を望む声がちらほら聞こえた。この頃クリントン家は絶頂だった。ところが、秋口急にヒラリーに元気がなくなった。

筆者は仕事柄政治家の顔色や表情を意識して注視しているが、オバマで中間選挙を大敗する事が避けられない状況でなぜヒラリーに元気が無くなったのかをずっと探ってきた。そしてその原因と思われることにやっと行き着いた。

おそらく原因は娘夫婦。チェルシーの結婚相手のマークメズビンスキー氏はゴールドマンのエリートだった。だが結婚後彼はGSを辞め今はワイオミングにいるという。そしてその理由は何と精神病。最早ノイローゼのレベルではないという。そして彼がおかしくなった原因が、クリントン夫妻からの犯罪歴のある実父エドメズビンスキーへの対する中傷と、実父と縁を切るよう迫られたプレッシャーだという。(注、WEB参照。)

仮にこの事がヒラリーンに影響を与えたとしても、彼女の顔に元気が無くなったのが政治的野望が邪魔さらたかれではないと思いたい。筆者は大統領選ではオバマを応援した。だがヒラリーは最も凄い女性として今も尊敬している。彼女の憂鬱は母として娘を心配する気持ちであってほしい。

一方ヒラリーの憂鬱な顔つきと前後するように、オバマの周りでは急に再選への準備が始まった。中間選挙の結果を待たずオバマが変わった事を筆者は気づいたが、その時「再選されるより信念を全うする」と言っていたオバマはもういなかった。

英国王室の例をみるまでもなく、一つの結婚や離婚が世界史を変える事がある。ならばヒラリーが諦め、オバマが大統領の再選のために政治信条を妥協してしまった事は、この国の運命をどう変えるのだろう・・。

<チェルシーの結婚生活の惨状をすっぱ抜いたタブロイド紙>

http://www.nationalenquirer.com/chelsea_clinton_husband_marc_mental_breakdown_fears/celebrity/70251


2011年3月2日水曜日

50年前のアカデミー作品賞

そもそも中東問題といってもアフリカとアラビア半島では意味が違う。動乱はチュニジア、エジプト、そしてリビアに移ったが、オイル相場などへの影響の本番はアラビア半島に火がついた時だろう。そんな中で株式市場の注目は3月11日である。

アラブの盟主を争ったエジプトがこんな状態の中で、その日はサウジアラビアでも大規模デモが呼びかけられている。その動きを警戒し、サウジ王室は国民にオイルマネーを慌ててばらまいたのはご存じの通り。金で保身(平和)が買えるかどうか面白い実験となろう。

ところで、今年のアカデミー賞では久しぶりにいい俳優がいい演技をした芸術映画が作品賞を取った。ただそれは英国との合作。ここ数年、作品賞を取った米国映画は政治色が強く、芸術的要素は少なかった印象。またその政治色も70年代の様な社会派ジャーナリズムとも違った。言い換えればアカデミー会員の趣味に合うかだった。

そして大金をかけたハリウッド映画も、一本の出演料が十億と言われながら、簡単に戦略的破産で住宅投資失敗の借金逃れをするニコラスケイジの様な俳優に大枚を払っている始末。それに比べ60年代の作品賞は素晴らしかった。そんな中時節は50年前の作品賞、あの「アラビアのロレンス」を思い出させる。参考までに映画の冒頭でロレンスが道案内役のアラブ人に質問されるシーンを紹介する。

「イギリスはどんな国ですか?」「太った国さ、大きくはないが太った人間ばかりが住んでいる・・」

ロレンスのこの答えには当時の英国の立場が良く出ている。そして映画の最後、アラブ独立の為に戦ったロレンスが、当時のアラブの太守であり、現ヨルダン国王に通じるファイサルに別れを告げるシーン。ファイサルは、ロレンスと、そのロレンスと一緒に独立のために戦った国民を裏切るのを承知で保身のために英仏の策略に乗る。

「(アラブの独立が成し遂げられ)私はあなた(ロレンス)にどれ程感謝していいか判らない。だが若者よ、戦争の良さは若者の良さだ。皆が正義や目的に命をかける。だが老人は平和が好きだ。これからは再び老人がこの国をの運命を決める。ありがとう・・」この言葉を聞き、失意の中でアラブを去るロレンス。

この映画のファイサルの立場が今のサウジ国王だろう。彼にはオイルマネーがある。だが若者のエネルギーが金で抑えられるかどうかだ。ロレンスを失望させたファイサルは、その後現在のサウジ国王の父に敗北し追われた。そしてその初代国王が死んだあとは異母兄弟たちが順に国王を継いできた。ソレが今のサウジの姿だ。

ただ現国王のアブド―ラもすでに80歳半ば、その次は何人いるかわからない「プリンス」が自分の出番を待っている。まあそんな現実を忘れるほど映画の砂漠のシーンは美しい。またすべての戦闘シーンは生身の人間とラクダと馬が躍動している。CGに慣れてしまった今こそその美しさは際立つが、老人ばかりになった先進国にいてはこの映画も忘れさられるだけなのだろうか・・。