2009年6月30日火曜日

相場とハリウッド

先週子供と観賞した「トランスフォーマーⅡ」が世界を含めると公開から数日で既に$400M(400億円)の売り上げになったとCNBCが紹介した。ただこの続編は初作に比べて凡作だった。だが3部作の中間としては最終作に期待を持たせる意味で逆に効果的だったかもしれない。ところで、MAJORITY(大衆)がどう反応するかに賭ける点で相場と映画作りは似ている。それもあり、自分は映画やTVをよく見る。そしてこの週末は日本映画として初めてアカデミー賞を獲得した「おくり人」を鑑賞した。感想は米国人がこの映画を評価した背景は何よりもテーマの斬新さが一番の理由だったのだろうという事。監督の演出は尊厳的テーマをコミカルに描いていたが、恐らくこの手法は欧州より米国で受け入れられる。

そしてこの映画が日本でヒットした時期が金融危機後の混乱の最中だった事は、浮かれた時代の反動として小説も含め文芸作品で更に厳粛性を追求する日本人の自虐性の一面が現れたと考えている。逆に社会が暗い時こそ通常の楽観主義に加え、ことさらアメリカンヒーローが活躍する映画がヒットするのが米国だ。そもそも米国ではヒットする映画に求められるモノは芸術性ではない。個人的分析ではソレは現実社会に足りなり刺激の充足か、逆に現実社会からの逃避のどちらかである。そしてこの特徴を先取りする事がハリウッドや相場で「当てる」コツであろう。

そして最後にもう一つ。日本でも公開されたクリントイーストウッドの「グラントリノ」は米国の金融市場をみる人には参考なる映画の一つ。最大の理由は自動車産業が衰退した今のデトロイトの雰囲気を最もよく現わしているからだ。ただ映画のメインストーリーそのものはあまり参考にはならない。だが米国が抱える問題である銃の氾濫、人種差別、またイーストウッド演じる主人公が朝鮮戦争の傷跡を引きずりながら、彼らの存在自体がベトナム戦争の後遺症でもある米国内のモング(Hmong/mong)の人々の扱いなど、社会性の高いサブストーリーは一見が価値はあるだろう。


2009年6月26日金曜日

貴重な清貧

昨日の午後、帰宅途中でラジオをつけたらスポーツの結果がを流れていた。まずスポーツ記者が、「カブス・・負け、ホワイトソックス・・勝ち、ベアーズのセーフティ、カンザスに移籍・・」そして「コンフェデレーションカップで米国が優勝候補のスペインに勝利・・」 続いてメインアナウンサーが「それってラグビー?それともサッカーの話」と確認していた・・。

まず米国人のサッカーに対する関心度はこの程度である。関心が低いとビジネスとしてのサッカーは貧しい。それは選手の給料をみると一目瞭然だ。ビジネスの規模で最大の野球は選手の稼ぎもアレックスロドリゲスの年収30億円超をトップにメジャーの平均は3億円を超えている。そして2軍以下を入れても80年台と比較して選手の平均年収は30倍になった。この成長力はまさしく金融市場と似ている。金融市場で働く人々の年収も野球とほぼ同じペースで拡大したが、この二つの共通するのはいうまでもなく「ステロイド」である。(金融市場のステロイドとは90年代以降の過剰流動性と規制緩和を指す)一方で米国のサッカーの年収はナショナルチームのトップ選手でも国内リーグでは6000万円前後だ。

そんな米国のサッカーチームの国際試合は時々見る。またスペインリーグは冬の間の楽しみだ。この両チームを比べ、米国がスペインに2—0で勝つ事は奇跡ではない。米国にはその力が十分ある。だが恐らく昨日の試合でも、米国チーム11人の全員の年収の合算はリバプールで活躍するトーレス(スペイン代表のフォワード)一人の年収に届くかどうかだろう。その意味でスポーツの「レベル」には2種類がある。まずは純粋な勝利への気迫のレベル。そして恵まれた環境と有り余る金によって造り出されたビジネスとしてのレベルである。

個人的に米国のサッカー代表チームは好きだ。汚いプレイが少なく、全体がキビキビし何より清々さがある。汚れた英雄が多くなった野球とは対照的に、恐らくマネー主義米国に残された希少な「清貧」である。そして彼らのレベルは高い。そのレベルの差は実力以上にチヤホヤされる「ジャパン」との比較でも野球よりもサッカーの方が格段に開いているだろう・・。



2009年6月24日水曜日

米国の最大の敵とは

エコノミスト誌 が毎年発表する様々の指標の一つに世界の人々の健康度がある。国民一人当りのエイズや栄養失調の割合等、アフリカ諸国が突出する項目に並んで高血圧や糖尿病などのいわゆる贅沢病の割合で突出する国がある。それはどこか。因みに米国は4位。答えはアラブ首長国連邦、クエート、サウジなどが首位争いをしており、近年はアラビア半島の産油国が上位を占める。

彼らの特徴は石油収入で税負担は少なく、国民はガムシャラに働く必要がない。労働者といえばアジアからの出稼ぎだ。だからと言ってオリンピック等の結果からも国民に積極的にスポーツをする習慣がある様子もない。そういえば今その国々ではスシがブームだというが、そんな生活習慣からは高脂血のイメージが浮かぶ。いずれにしてもそんなアラブ人とイランを構成するぺルシャ人では民衆のエネルギーは大分異なる様だ。この観点で北朝鮮やイランの情勢が騒がしくなる中、超大国として国民が消費する豊かさを享受してきた米国にとっての最大の敵を考えた。そして出した結論はそれは「国家」ではなかった。

確かに消費文化に慣れた「アラブ」に比べてイランは将来強敵になる可能性はある。だがイランをテロ国家と騒いでいるのはイランに噛みつかれた経験とイスラエルの影響を受けた米国の過剰なプロパギャンダである事は同盟国で日本人が一番知っているはずだ。ではロシアはどうか。ロシアも一度は消費からの豊かさを知った。だが金融危機でその限界が見えるとプーチンは嘗てのソ連時代の超大国のプライドの復活を目指している。それはそのまま反米感情を促進する可能性はあるだろう。だが現状のロシアはまだソ連崩壊からの復活の途上であることが今日の共和党新聞に紹介されている。

具体的には共和党は今のロシアは核兵器を実際の使用する国家として最も可能性が高いと警戒している。背景は、プーチンがどれほどの勢いでソ連復活を目指そうが、一旦崩壊した国内軍事産業の技術力の遅れは米国との間に埋められない溝を残したまま、そんな中でロシアは若者に愛国心を復活させて軍事エリートを育てるソフト面に力を入れているものの最先端の兵器の拡充はいつになるかわからない状態だからだという。だとするとこの様な状況下で決定的事態が起こればロシアは核兵器の選択をする可能性があると共和党は騒いでいる。だが論理的に違和感はないがこれも私にはプロパギャンダにすぎない。

結局米国の敵はどこかの国家ではない。最大の敵、最大の脅威はやはり「米国売り」というコンセプト(観念)が世界を支配する事だろう。この場合物理的な勝者を強いて挙げれば代替としてのGOLD。そしてソレを支配した集合体や個人がそのメリットを受ける事になる。だが具体的に米国売りのコンセプトを世界に広める力を持つのは言うまでもなく金融市場である。最近の相場から窺えるのは金融市場に再び増築された過剰流動性を現在誰も完全に制御できていない事。そしてその力が米国の敵になった場合、米国は最大の危機を迎えるという事だ。

米国は「グリーンスパンの流動性」に端を発した危機を「バーナンケの流動性」で食い止めた。そしてそれが過剰かどうかの判断は食べてからの塩加減と同じだ。バーナンケの流動性で株をここまで戻したところまでは良かったが、今はそのインフレが病み上がりの米国の消費力を減退させる脅威になった。そんな中で米国とFEDは盛んにEXIT POLICY(出口政策)を言いたがる。ただソレを受けて市場がインフレ効果かデフレ恐怖かで揺れている間は米国はそれほど心配してはない。恐らくそのコントロールは昨日紹介したPIMCOを筆頭にした「四銃士」で何とかなると考えているはずだ。米国が一番心配しているのはバーナンケの流動性が先導し、新しく生まれたグローバルの流動性が一斉に「米国売り」に回る事。その時は四銃士も自分が助かるためには逃げ出すしかない。その最大の仮想の敵に比べれば、北朝鮮やイランというプロパギャンダ上の敵国はむしろ米国には味方となる可能性もある。今日からのFOMCはその外部環境の中で粛々と進んでいる・・。


2009年6月19日金曜日

美味しいトマト

今年は日本の梅雨を思い出すシカゴの6月だ。そんな中NYでの全米オープンも雨のスタートとなった。そしてやはりこの天候のせいだろうか、今年はトマトの生育が悪い。もしかしたらまたあの失敗もしたかもしれない。「あの失敗」とは子育てにも通じるリスク。それは発芽した時に喜びすぎて栄養過多な土に早く移してしまう事である。

シカゴの6月の気候を利用してトマト栽培を始めて10年になる。そこで発見したのは苗が10センチ程度になるまでは痩せた土地で育てたほうがよいという事。そして根が本来持っている自分で成長するDNAを覚醒させて肥沃な土壌に移すとトマトは正しく栄養を吸収しておいしくなる。だが難しいのは毎年変わる土地の質と天候で調整が必要となる点である。早い段階で栄養が多すぎると根が甘やかされて伸びない。根が伸びないと当然葉も腐る。

ところで昨日はあのエディーバウアー(ユニクロを高級にした存在)が破産を申請した。気がつくと、サーキットシティー(コジマ電気の様な存在)やシックスフラッグ(富士急ハイランドのような遊園地)など、これまで身近にあったブランドが次々に姿を消していく。ただ逆に売り上げを伸ばしている会社もある。その一つが消費から自給自足へ繋がる商品だ。

昨日はホームデポが「マイクログロ」という商品の売り上げが例年の2倍のペースで伸びていると発表した。マイクログロとは日本で盛んに広告を出している「HB105」の米国版、強力な植物栄養剤である。そういえば以前タンポポを野菜として食べる人が増えている話をしたが、どうやら自家菜園もブームになっている様子。

これまで無駄に消費し、無駄にガスを出していた米国人のライフスタイルも、こんなところから変わっていくのかもしれない。


2009年6月18日木曜日

悪魔のような男

本日オバマ政権は米国の歴史上とてつもない重要な変革を発表した。変革とはズバリFEDの位置づけである。ただ発表された内容はあくまでも政府案。議会の承認を経なければならないものあり、金融市場がこの変革案に反応する事は無いだろう。

そして変革だが、簡単に言うとFEDに金融市場を管理する上で必要な殆どの権限、即ちこれまでの金利調節と紙幣発行の権限に加え、市場参加者である金融機関を取締る役割まで持たせる内容となっている。この内容では米国が市場経済の看板を下げない限り実質政府より強権を持つといっても過言ではない。ただ議会にはそもそもFEDのここまでのオペレーションを良しとしない向きもある中、これ以上の権限をFEDに与える事には反対の意見が民主党からも出ている。

確かに今回の事態はFEDの怠慢が原因との意見が政権の外では聞かれる。従ってそのFEDに権限を集中させる事は政権として道義的なリスクがある。そんな中議会きっての「役者」であり、議会の金融委員会の中心人物バーニーフランクは「FEDにはどちらかというと新しい任務である取締強化を期待しており、これまでの通貨幣管理(流通量の裁量)に関しては役を緩める余地もある・・」などと、よく考えると大変な発言だが、彼のキャラクターだと今のところ意味不明で済む発言をしていた。

ところで、ここでこれまでFEDを攻撃してきた米国の保守派の立場をもう一度整理しておく。そもそも米国の保守派は米国建国の精神を今も大事にしている。その精神とは政治はジョージ3世からそして経済は当時欧州を支配していた金融カルテルから独立する事であった。当時本国英国に中央銀行は存在したが、「中央銀行」とは現代の表現であって紙幣発行を独占するBANK OF ENGLANDが元々は私企業であるがゆえに結果的に特定金融のカルテルに優位な状況を作り出していると建国の父は考えたのである。

そして米国は世界の頂点を極めるまで成長した。だがその達成において紆余曲折はあったものの中央銀行は必要としなかった。ここがポイント。彼等はこの事実から中央銀行が米国にとって絶対に必要な機関として考えてはいないのである。しかしあのロンポールでさえも現代の米国人が西部劇に出てくるコインを持ち歩いて生活する様は想定していない。保守派でさえも中央銀行の存在意義は認めている。だが保守派が主張する中央銀行は特定の人々を利さず、あくまでも国家の為に存在する「真の国家機関」であるとの条件付きなのだ。

そこで現状を確認すると、FRBはワシントンにいる議長を含めた理事は大統領が任命し議会が承認する手続きをとる。だが実質FOMC以外でそのオペレーションの根幹を握るNYFEDの人事権に議会は介在しない。そしてNYFEDの形態は民間組織のままでその株主にWSの金融機関が名を連ねる事は今は公になった。(NYTIMESが報道)この構図を今回の危機を参考に保守の主張をそのまま解説すると次のようになる。

「そもそもFEDは自らの失態で過剰流動性を創り、その結果経済が崩壊して国民は困窮した。だがその改善策は金融システムを守るという御旗の元、実質はNYFEDが中心となって株主である金融機関を救済しているにすぎない。その手段は過剰なドル札の発行であり、顛末としての通貨価値の変動を金融機関の様にはヘッジできない庶民はドルの下落(インフレ)で苦しむ・・」。保守派はこの主張をグリーンスパン時代から叫んでいるが、実際にこの通りなった事に個人的には正直驚いている・・。

そしてこの「悪行」を大統領の立場で容認、容認どころか本日オバマはバーナンケに対して最大の賛辞を送った。恐らく保守派にとって現政権は「アメリカをアメリカでなくした」悪魔の様な政権に映るだろう。だが私からすればそれはあのブッシュへの反動でもあり、今の状況はブッシュを担いだ保守派の自業自得である。そしてバーニーフランクは相変わらず食えない。共和党を懐柔させる「呟き」をわざと残した。ただ彼もこのままでは済まない事を承知している。もしかしたら米国はFEDに権限を集中させる代わりに先輩である欧州の道程を模索するのではないか。それは、英国は1946年に、そしてフランスは遡って1936年にそれぞれBANK OF ENGLANDとBANQUE DE FRANCEを完全に国営化した事である。

いずれにしてもアメリカ人ではない私からすれば、CITIとGMを国営化しただけではオバマは保守派が呪う「悪魔の様な男」で終わってしまうリスクを感じる。それでは彼をシカゴ時代から見守ってきた立場としては残念だ。だがら是非ともFRBの完全国営化を達成し、保守派に糾弾される後顧の憂いをなくす事を進言したい。


2009年6月17日水曜日

ゲリラ化する情報

日本では立て続けにプロレス関係者が亡くなった。そんな中で日本より先に米国ではTV放送が完全にアナログからデジタルに移行したが、アナログ放送時代に隆盛を誇った日本のプロレスは今後どうなるのだろう。実はそのヒントは北朝鮮で捕まった二人の米国人女性記者の話からも窺える。まず彼女たちはあのゴアも出資したカリフォルニアを拠点とした小さな局のスタッフだ。そしてその媒介はローカルのケーブルやYAHOOなどのネット。いわゆるデジタル網で発信している。

そのような小さな局が発信する情報は、3大ネットワークやCNNなどが発信する大味なニュースよりも現代において実は真実に近いという評価ある。ただ一方で、危険地帯に少数のクルーで乗り込みゲリラ的な活動をするリスクは大きい。今回も彼女達はカメラマンの男性と3人だけで取材をしていたというが、この様な過小資本の団体の行動に対しては不測の事態でも国家からの救済が遅れる事も多い。今回はまさにそのパターンだったらしい。

振り返って日本のプロレスはアナログTV放送の目玉として発足当初はまさに米国の3大ネットワークに匹敵する影響力があった。流石に私の時代では力道山は知らないが、馬場や猪木を介して力道山が敗戦後の日本の国家高揚の役割を十分に果たした事は想像できる。そしてその戦いが真実ではなく演出であるという批判はその目的が達成される過程ではどうでもよかったのかもしれない。

ただ世の中が豊かになり情報が多様化してくると、プロレスの演技性はマニアを除いて支持を失った。結果プロレスはその存在意義を戦いの真実性に求め、組織の細分化と過激性が促進された様に思われる。だが一部を除くとその過小資本団体の経営は苦しく、リポーターがカメラマンを兼務するように団体の社長がメインイベンターとしてリングに上がる事が恒常となった。しかしやはりどこかに無理が溜まるのだろう。何百回、何千回とこなしたはずのバックドロップの受身を46歳の三沢は失敗した。

そして先にTVの完全デジタル化が完了した米国ではニュース系のMEDIAに劇的な変化が起こっている。まずどの新聞社も経営危機である。最近はWSJでさえ株価に関係なく記事のゲリラ化(すっぱ抜き)が進んでいる。恐らくヘッドライン伝達ではネットに対抗できない中での競争激化の影響だろう。そして情報の氾濫に飽きた受け手は情報に個性と真実を求め始めた。今やネットでまず情報が広まり、ソレを3大ネットワークが後からカバーする事に全く違和感はない。結果MEDIAは益々細分化されるのではないか。

要するに個人的な印象として「デジタル」のインパクトは「情報のゲリラ化」である。三沢の死や北朝鮮に捕まった記者もソレと無関係ではない。そして受けてとしては情報のデジタル化で選択肢が増えるメリットはあるだろう。ただ写真や音楽の世界では究極の美の表現はデジタルでは不可能だと専門家は言う。また昨今の相場の値動きはいたってデジタル的だがその勝者は必ずしもデジタルの専門家ではないようだ。

ところで自分がデジタル人間かアナログ人間か、簡単に判断する方法をサイトで見つけたので紹介する。まず「祈り」をする時に指を組むが、その時にどちらの親指が上に来るか。左手の親指が上に来る人は右脳が鋭敏である可能性が高く、右脳は直感や感覚をのアナログ的な能力を発揮するという。そして右手の親指が上に来る人は左脳、即ち計量分析等のデジタル思考が得意な人との事である。まあ真実により近づくためにはデジタルとアナログの両方のバランスが重要である事は理解できる。だがまず自分の特徴を把握する事はその一歩かもしれない。





2009年6月16日火曜日

国家の寿命と株価

中東の産油国では富を独占する王族支配はそのままに不満分子はテロに向かわせる・・。先進国と王族が裏で妥協した?この構図が続く中、イランは宗教の原理にのっとりイスラム革命を成功させた唯一の国である。その「国家エネルギー」を考慮すると、この選挙結果をそのまま受け入れるだろうか。米国にとってイランの動乱は短期的には時間が稼げるメリットがある。だが個人的には今の米国からはこのイランが持っている国家のエネルギーを感じなくなった。今日はその話をしよう。

まずこのエネルギーとは宗教に関係なく、自分が正しいと思う社会に向けて自分が関わるエネルギーとも言える。独立戦争、フランス革命、明治維新などは其の結集だが、現在の先進国はこれらの動乱を経て今の豊かにたどり着いた。振り返って昨年からの金融危機は今の米国人に米国の何かが間違っていた事を突き付けた。ただ悲鳴の中で政府が取った手段が効いてくると、間違っていた事に対する米国内の自浄への情熱とその探究心が薄れ始めている事が感じられる。

そんな中で今日は総合遊園地チェーンのシックスフラッグの経営破綻のニュースがあった。CNBCに社長が登場し、状況を説明していた。だが全く経営破綻した会社の社長とは思えない饒舌ぶり。血色もよくこれからのハイシーズンが始まる事への期待感を述べていた。この不思議な余裕が今の米国の姿だ。確かに危機は起こった。だが原因とされる金融機関は吸収されるか政府に救われ、自動車もソレに続いた。

その過程でFEDは直接の融資先を銀行から証券、更に事業会社への特例を認めた。そして以前ここで「FEDが街金になった」と揶揄したTALFプログラムに至っては初期の20兆円を大幅に超えて終に100兆円に拡大された。そして今やレンタル自動車大手のHERTSまでもがFEDの直接融資を申請した話がNYTIMESに載っていた。レンタル自動車会社がFEDから直接融資?完全に崩壊した信用創造のモラルがそこにある。

そして今の米国をみると、宗教や社会の善悪の話ではなく万物の寿命を感じる。それを象徴したのが今日のNYTIEMS。そこにはグアンタナモ刑務所に収容されていた4人のイスラム兵のその後の話があった。元々彼等はウイグル自治区から流れてアルカイーダの端末に加わった。要するに捕まるまでは貧しさとカラシニコフしかしらない男達だ。オバマ政権はこの刑務所の廃止を断行すると同時に「必要外」の囚人を釈放した。彼らもその中に含まれた。だが釈放されたはずの彼は祖国に戻らずカリブ海に戻ってきた。ただ今度はビザなどの面で米国の援助付きである。そして生まれて初めてカリブ海の豊さを知った彼等は米国に全く恨みを感じないという。なぜなら米国のおかげで自分たちはこんな夢の世界に来れたというのが理由だ。

この様に、人間は一度豊かさを知ると元には戻れないと考えるのが自然だ。そしてその過程で主義主張がぶつかり合い社会の新陳代謝を永続させる事で豊かさは進化した。だが成長を国是とするはずの米国は危機のあまりの痛みに本来は成長の原点であるはずの新陳代謝を放棄した。そして今の金融市場はその矛盾を知りつつも手元に資金がある間はその負債に対して何らかのストリーを創っては偽りの成長金融ゲームをするしかない。だが矛盾は可処分所得が伸びない中での物価高を呼び、病み上がりの体を今度こそ終末へと導く可能性がある。いずれにせよ、10000の大台を最初に切った米国株がまだその大台を回復できないのは、米国の寿命を象徴している。





2009年6月12日金曜日

10年に一冊の本

「BLACK SWAN」という本がある。著者はナシームニコラス氏(Nassim Nicholas)。彼はヘッジファンドを経験しながら他にも市場の本を書いているので知る人は知っているといった存在。そしてこの本はあまりにも訳するのが難しく、その日本語訳は不可能とまで言われた。だがついにその日本語版が今月下旬に日本で出版される。

そのナシームニコラス氏は本日CNBCに登場した。そして今の市場は「全く先を読めなかった」アナリストや学者の予想に相変わらず振り回されていると直言。そして続いて米国の財政赤字の話題において、個人的にはこの政権が発足してから水面下で模索されていたはずの歴史的プロジェクトについて、彼は偶然自分の意見としてその可能性を触れてしまったのである。

そのプロジェクトとは以前ここでもふれた。そもそもその情報は保守系の人々が集まるサイトで彼らが民主党の動向をチェックするために様々な意見が持ち込まれる中から拾ったもの。だが早くにダウの8000を予測、また時代は株から債券市場へ、そしてその国債市場では30年を超える超長期債の発行があるだろうと的確に時代に流れを予測していた。その中に2月のクリントンの訪中では現政権はDEBT EQUITY SWAP(米国債の株への転換)を中国に打診したとの情報があったのだ。

ただこんな話が表ざたになると大変だ。なぜなら現在米国債を保有する投資家がその話を嫌気して先に売りに回る。あるいは米国債の過剰流通が解消され思惑で金利が急低下する。そのどちらになっても市場は大混乱する可能性が高い。だが本日ナシーム氏は持論としてその可能性を示唆。番組の他の出演者は目が点になっていた。

では債券を持って安定的に利息を受け取っていた人が、その債券を株に変えてもいいと考えるのはどんなケースがあるか。まず破産すれば株の価値がゼロになり、債券も元金を回収できる見込みは低い。ではその債務者に成長が期待される場合はどうか。この場合はダウンサイドリスク(元金の回収率)に大きな差がない場合はいっそのこと債券よりも株に変えてその債務者の将来の成長に賭けた方がいい事もある。

そう。米国はこのシナリオを狙っているのだ。だが米国がこれからも成長すると現在の債権者に納得させるのは簡単ではない。いずれにしてもこのウルトラCが実現可能かどうかも含め、現政権が今考えている事は大体チェックが可能である。逆にいえばそれだけ今の米国には選択肢が少ないという事だ。それが社会にどんな変化をもたらすか。ヘッドラインに振り回される相場に疲れたら頭を切りえる意味でも次の世界を想像するのも面白い。その下準備に冒頭の「BLACK SWAN」は役に立つかもしれない・・。





2009年6月10日水曜日

<迷う組織と迷う相場> <一票の格差>

<迷う組織と迷う相場>
昨日はガイトナー財務長官とサマーズNECが多くの点で衝突している事をNYTIMESの記事を参考に紹介した。だがそんな二人が合致しているのは銀行経営への政府介入を限定する事である。二人ともTARP資金を入れた金融機関のサラリーキャップには反対である。この二人は90年代にWSと歩調を合わせて米国の金融市場をここまで育てた主役。従ってパートナーでもあるWSを弾圧する態度はとれない心情的な影響もあるだろう。だがそれに反対する勢力もある。まずは議会がスポンサーになって政府がTARP資金をどう使うかを見張る機関のエリザベスウォーレン女史。彼女はハーバードの教授だが過去にWSと一緒に仕事した事はない。それどころか映画SHICOやDR.FILL等の番組に反体制派から担ぎ出される事が多い人だ。そして今彼女は FEDと財務省が監査したストレステストは緩すぎるとしてストレステストの第二弾を要求した。

このエリザベスウォーレン女史に感覚が近く、銀行に対する政府の対応が甘いという点で近い立場にあるのがCEAのメンバーであるオーストン グールズビー氏。(Austan Goolsbee)彼はオバマの選挙戦を仕切った経済チームのトップとしてシカゴ大学教授からそのまま政権入りをした。そしてボルカーが担当する経済復興委員会のメンバーとしてサマーズ主導の銀行への「非介入」政策を強く批判しているという。結局オバマの経済チームの面々のアカデミックバックグランドは同等だ。だが以前にWSと一緒に仕事をしたかどうかで現在の方針が異なるという事。

いずれにしても株は一旦ここまで戻った。それは良かったとしても、戻る過程での超法規的な手法に外国からの揺さぶりが入り、「米国の売り」のリスクを目の当たりした政権の経済チームの足並みが乱れ始めたのは確かだ。ストレステストの第二弾があるかどうかはまだ未定だが、この様に方針が定まらない間は流石に能天気な株も影響を受けるだろう。そしてオバマは自分がどうしたいのかもう一度態度を決めるべきだ。彼は当初は金融機関に強い態度で臨み、3月にサマーズの意向を汲んで態度を微調整してからは株が戻るのを横目に殆ど金融と経済に関しては発言していない。だがここで株が下がり出すとそうもいかないだろう。政府が市場の最大のプレイヤーである今市場はこの政府の「迷い」を反映した雰囲気になっている。



<一票の格差>
毎回繰り返される北朝鮮への制裁方法めぐる混乱も然り、一票の格差において常任理事国に拒否権が与えられた国連の安全保障会議ほどバカバカしいモノは無い。それに比べ同じ国際機構でもIOC(国際オリンピック委員会)の一票は平等で民主的である。そしてその一票が平等だとすると、115人で構成されるIOCメンバーの出身においてアフリカ諸国が重要な役割を果たす事は間違いない。

それを前提に昨日こちらで報道された2016年の夏季五輪候補地のレース状況からはやはりオバマの影響力は大きいと認めざるを得ない。東京での開催を期待する日本には悪い知らせだが、アトランタ五輪を仕切り、現在もIOCメンバーと親しいとされるユべロス氏が内部情報として最新の状況を紹介していた。非公式ながらそこではシカゴがトップで2番手がマドリッド。東京とリオデジャネイロが同率の3位となっている。

断わっておくが五輪招致はシカゴでさえも一部が盛り上がっているだけ。全米としてのニュースの価値はない。従ってユべロス氏が米国を喜ばせるために嘘を言う必要は全くない。そんな中で以前ここでではシカゴにIOCメンバーが訪れたのが真冬、それも道がデコボコだった時だったので、思わず「シカゴ五輪危うし」とのコメントを書いた。だがよく考えると、シカゴが不利になる厳しい冬を承知でIOCメンバーが態々シカゴを最初に訪れたのは、彼らの間に「シカゴにしたい」という暗黙の雰囲気がやはりあったのかもしれない。だから東京があれだけ準備したにもかかわらず、メンバーの東京の評価が曖昧だったのはそんな背景ではないか。そして現実的にも開催地を決める平等な一票を握るアフリカ諸国にとってもオバマはヒーローだ。仮にオバマが歴訪とイスラム寄りのスピーチで中東諸国まで味方につけ、そのオバマがシカゴ五輪をプッシュすればシカゴの優位性は揺るがない。ユべロス氏の伝えるところはそんな今の雰囲気ではないか。

そしてそのオバマだが、この二日間は偶然彼を「八方美人」や「ナルシスト」と表現した。だがさすがに彼は状況を読み取り微調整をするのが上手い。今日の発言では、「TARPを返してもFORGIVEしない」と久しぶりに彼自身の強い意志を表明した。この辺りの鋭敏な感覚は盤石な共和党組織に担がれていたブッシュ本人や今の日本の首相からは感じないものだ。組織に迷いが見えた時はトップが指針を示す。当然と言えば当然。だが市場の値動きに左右されず、彼がこの姿勢を貫徹できるかを注目したい。


参考http://en.wikipedia.org/wiki/List_of_members_of_the_International_Olympic_Committee


2009年6月9日火曜日

ナルシストを担ぐ面々

今回の株の反発局面ではアップル株の戻りは著しい。だがその根拠となった膵臓癌で闘病中のスティーブ ジョーブ社長の現場への復帰は、本日の恒例の新製品発表のステージでは確認できなかった。そんな中で株は引け値でSPとNASDAQは僅かながらも連続の陰線を記録。途中の唐突なETFの買いは「ソレ」を避けるためだったと推測しているが、この結果は逆効果のリスクも孕むのではないか。

ところで本日一番の面白い話はNYTIEMSがすっぱ抜いたオバマ経済チームの軋轢だ。そしてその主役はサマーズ。彼はガイトナー財務長官を始め、他の重要メンバーと多くの点で意見の違いを露呈しながらもその剛腕で現在はオバマに日々の経済状況について最も影響力を与える立場になっているという。(NYTIEMSの意訳)

そもそも彼は本来財務長官を希望したが、結局はNEC( National Economic Council)という妙な立場に落ち着いた。この職務はFRB議長への布石としてグリーンスパンやバーナンケが経験したCEA委員長(Council of Economic Advisers)とは違う。だがWESTWING(ホワイトハウス内で大統領に最も近い位置で仕事をする官房長官の管轄下)の立場を利用し、そのトップであるマニュエル主席補佐官を飛び越えてオバマに影響を与え、あわよくばFED議長への異例のスライドを狙っていると記事は伝えている。

そんな彼をボルカーが批判した事が伝わった。だがそもそもボルカーの存在意義が判らない中では今後も押しの強いサマーズが経済チーム主導権を握るのは必定だろう。ただ彼はCITIの給与キャップを外すために上院のクリスドットに働きかけをした一方、そのCITIからコーポレートジェット等の使用なのど特権を貸与された事が判明。また通勤に96年型マツダを使ってカモフラージュしているものの次々に過去の実体が明らかになり、これらの話がいつ彼を失脚させても不思議はない状況であると考える。

いずれにしてもこの先景気が回復しない場合は中間選挙を睨んで政治的な駆け引きが活発となろう。そして共和党は既にそのヒントをつかんだ様子。それはこのところの市場の悪化でオバマが政権を引き継いだ直前よりもモーゲージ金利が上昇してしまった事だ。これだけの金を使い、これだけのドル札を新たに刷っても結局はモーゲージ金利が上昇してしまったとなると、ソレは実体経済に与える影響よりも次の選挙を睨んだ政治模様に与える影響の方が遥かに大きい。そして政局が主役になると、その時点での景気次第ではバーナンケの首など誰も保証できない。

そんな中でオバマ自身は外交を中心にポイントを稼ぐ事で自分自身を美しく見せる事には引き続き成功している。だが既にナルシスト オバマとの揶揄が始まった様に、どこかでオバマも八方美人的な対応を辞めて国民に強い覚悟を示す時が来るだろう。さもないと前述の経済スタッフの軋轢がやがては本格的な内紛になり、「民主党の弱点」が露呈する事も十分あり得る。


2009年6月4日木曜日

世捨て人の心配事

そういえば80年代サミットの顔の一人だったサッチャー元英国首相と比べ、公式の場でのメルケル独首相の服装は地味だ。それは彼女が旧東ドイツ出身である事を差し引いても余りにも地味。ほとんどが人民服を多少崩した程度の華美である。

そのメルケル首相は本日WSJの一面に登場。FEDと英国中央銀行、更にはECB(欧州中央銀行)までを含め、危機対応とはいえ中央銀行はあまりにも行きすぎたとの懸念を表明した。記事の内容はそこまで。だが漠然とこのままではいつかドイツはECBから自国の中央銀行に再び軸を移すのではないかという疑念がよぎった。

あまりにも華美な世界に浸り、ソレが崩壊すると今度は中央銀行までが簡単にルールを変える・・。華美が当然の他の先進国と質実剛健のドイツが今後も「パーティー主義」の枠組みで進むのか。中国がその気になれば、直にでもドイツ国債の一人勝ちの時代になるのではないか。(中国が保有する債券を米国債からドイツ国債に乗り換える・・)

この様にECB(EU)はその対抗軸だった米国の一国支配と旧ソ連圏との政治対立が希薄化する事でECB(EU)自身の連帯が緩み始めたと感じるが、同じように温暖化で北極海を覆った氷が解け始めると、それに伴って北極海に面する諸国の間では新しい利権争いが始まった。またインド洋の支配権をめぐって将来中国とインドで何か起こるかもしれないとの見方も聞いた(NHK特集インドの衝撃)。

今の時代、簡単に戦争は起こらないという見方がある一方で、戦争を知らない世代が世界の実権を握る今は何が起こってもおかしくはないと考える。そして皆が地球が温暖化云々で大騒ぎしている最中に、太陽の黒点が嘗てないペースで減少している話を本日は聞いた。

専門家によると、太陽の黒点が減少するのは太陽の活動が弱まっている証拠らしい。個人的にはこれ以上の衝撃的なニュースはない。仮に太陽が死ぬなら温暖化の心配はいらない。それは今はより多くのリターンを求めてボラティリティーの中をさ迷う資金も、いつか本当に金の価値が無くなったらヘッドラインに一喜一憂する事もなくなる事と同じだろう。


2009年6月3日水曜日

株の変質

先週は倒産直前のGM株にグローバルマクロを称するロンドンのファンドを介して中東の資金が触手を伸ばした。また3月からの金融株の戻り相場では、本来はBUY&HOLD(長期保有)のミューチャルファンドが3ドル前半で買ったCITI株を同日中に3ドル後半で売るというデイトレーダーまがいの売買が一般化している話があった。だがCITIやGMの超大型低位株がダウから外されその流動性を利用した日計りは難しくなるはずだ。

この現象を見ても明らかな通り、今の株は金融危機以前とは大きく異なる。まずはFEDが資金をこれだけ提供してもM3が伸びないという事は、その資金はリターンをこれまで以上に市場での直接運用に求めているという事だ。結果株はこれまで以上にコモディティー化した。一方でFEDは自分でドル札を刷るというインフレの要因を作りインフレ相場を助長。それで長期金利が上がるの防ぐため更にドルを刷って買い支えに回るというポンジーをしている。だがそれは覚悟の上での事。そしてFEDが承知でその行為を行っている間は債券関係者は安心して管理相場に乗れた。

ところがその安心が揺らいだのが先の「米国売り」だ。だがそれもガイトナー財務長官が中国に飛んで今は一服。株は再びコモディティーとして敏感になった。そもそも株が株として200日移動平均線を超えるのは至難の業、だが株が商品なら大したエネルギーはいらない。一方で株は重要なEQUITYでありあくまでも商品とは異なる。そして株が商品の様に身軽に上昇したこの転機を逃すまいとJPモルガンやモルガンスタンレーはTARP(政府資金)を返すための増資に躍起になっている。だがこれはJPのダイモン会長の邸宅の売りと同じ。本心では強気ではない証拠だ。

そういえば為替も商品相場の同様に値動きが激しい。ただこの為替も企業の成長を支える資本とは言えない。そもそもバフェットが体現した成功とは、企業の成長をその株を長期保有する個人投資家が支える相互利益の賜物だったはず。ならば本来その「株の国」の米国で企業成長を支えるはずの株が商品化するという事は本質的に何を意味するのか。恐らくはもう少し先にその答えが我々を待っているだろう。


2009年6月2日火曜日

GMの社長

GM倒産を伝える日本のニュースでは、「影響は軽微」とする意見と、これほどの規模の米国を代表する企業が倒産した例はなく、その「影響は計り知れない」という二つの意見があった。個人的にはその判断は目先の話か中長期の大局かで異なる。

まずこれでGMは名実ともにGOVERNMENT MORTORSだ。即ち本質的な社長はオバマだ。我々の世代は資本主義がピークを迎える過程では政府が経営に関与した企業はどこも競争力を失った結果を見てきた。よって米国という国家が経営に関与しても自由競争の中でGMが復活する保証はないと見る。

では自由競争を辞めたらどうか。オバマは以前スピーチの中で米国人は米国車に乗ろうと呼び掛けた。その時日本のニュースはこの重大発言を全く取り上げなかった。恐らくはオバマの希望に満ちたスピーチ雰囲気に飲み込まれ、己の戦略まで彼に対する期待で結論を出しているのだろう。だが今の状況は仮にGMが復活するならそれは競争力のある日本車のシェアを非競争原理の中で侵食してからになる。

だとすれば「影響は軽微」など言っているアナリストの観点はこちらのDAYTRADERと同じである。またこのような「非競争社会」がまだまだ健全な競争力を持つ米国企業とそれを支える米国人のマインドに与える影響は計り知れない事を私は確信している。