2009年2月27日金曜日

日本人の地力

アカデミー賞に続き、宇宙飛行士でも二人も日本人が選ばれた。こうなると、ますます日本は米国が好きにならざるをえない。さすが民主党政権になると米国は芸が細かい。ところで「あの苦しさ」は競技で距離スキーや長距離スケートをやった人しかわからないだろう。そのスキー複合で男子が金メダルを取ったという。そしてその内容に驚いた。なぜなら今回は90年代の全盛期のパターン、ジャンプで稼いだ貯金で苦手な距離を逃げ切る勝ち方でなく、ガチンコの距離で逆転したからだ。距離スキーで日本人が欧州人に勝つのはソフトボールで米国に勝った事と同じ価値ではないか。一体今の日本人の何処にこんな底力が潜んでいるのか。日本(人)にこれだけの底力があるなら本当は今の苦境など乗り切れるはず。だが今の日本は皆が「まずは米国が回復をしないと」と、どうしても米国を最初に考えてしまう呪縛から逃れらない。だがそれでは永久にコロンブスの卵にはならない。だから米国としても「日本は使われる国」という発想になってしまう。マスコミも自虐的な話題には事欠かない政治を追いかけるのはそろそろやめて、誇張でもいいから日本の潜在能力を浮き彫りにするような話題をもっと提供すべきだろう。現在撮影中のNHKの「坂の上の雲」を早く観たい・・。

2009年2月26日木曜日

治療で病気は治るか

英語の言い回しで「CURE WORST ILLNESS」というものがある。この元々の意味は、主語を立てて「病気は一番悪い部分を最初に直せ(取り除け)」という意味だったらしい。だが最近は特に共和党関係者が「CURE(MAKE THE)WORST(OF)ILLNESS」と、CURE(治療)を主語にして別の意味で使うようになった。この言い回しだと「悪い部分に無駄な治療をするとかえって病気の完治を遅せるか、または更に悪化する」との意味合いになる。米国経済はではどちらが正しいのか。この「堂々巡り」に結論が出る時が近づいている・・。

ところで現在の米国は大まかに3層に分けられる。まずは金融危機を引き起こした張本人の金融機関や市場関係者並びにバブル経済の恩恵を受けた人々。これを「A」とする。そして「B」属する人は「A」の人程の恩恵は受けていないがこれまで自己(責任)で固くビジネスを展開し、それなりに繁栄を享受した人々だ。彼らの多くは今苦しくなった。だがそれでも税金やローンを払う原則を守っている。最後に「C」の人々。ここは元々下層だった大多数に、ブッシュ政権で中間層からすり落ちた人の集合体だ。「C」に属する多くは自分を弱者と考え、税金を払っていない。また「A」と「B」の中間もある。強いて言うと私自身とシカゴの同業者はここに位置する。ここを「AB」と呼ぼう。そしてこの区分けを所得税の納税分布から主観で整理する。するとそのイメージは「A  5% AB  15% B 40% C  40%」となる。

そんな中で先週リックサンテリ氏がシカゴ革命を提唱した背景は、彼を含めてシカゴには「AB」か「B」が圧倒的に多いからである。中西部の保守派は自分は苦しくとも我慢する中で、これまでの政権の救済案は弱者の立場を逆手にとる「C」と、混乱の元凶でありながら政府から有利な条件で救済案を引き出そうとする「A」 に対して甘いと考えてきた。だから彼らは「A」と「C」を「米国の病巣」と見下し、怒りを込めて「CURE WORST ILLNESS」と叫んでいるのである。そしてこの怒りに対し、政府は「怒りで問題は解決しない」と言い続けた。これがここまで米国で起きてきた金融救済案をめぐる堂々巡りの本質である。

ただこの「堂々巡り」は相場には適度な刺激を与え、勝てるトレーダーには都合が良かった。また、これまで様子見だった大手インベスターの一部も、市場の材料が「堂々巡り」であると見切ってからは、債券市場でも相場は行ったり来たりするだけである事を見越した取引をするようになった。これが最近の市場の雰囲気だった。だが、本日はこの構図にもおぼろげながら変化点が見えてきた。本日オバマ政権は遂にストレステストの具体的な内容を提示し、其れを期間を定めて実行に移す事を宣言した。 そして その結果一時的に株がどう動こうとも、それで政策が左右される事はない意志を一部の信頼に足るマスコミを通して市場に流し始めたのである。

ただオバマ政権はここまで中途半端だった事は否めない。ではなぜ政権はここにきて覚悟を決めたのか。実はあるイベントが迫っている。それは4月の金融サミットだ。本日NBCのワシントンリポーターは冷静に指摘した。オバマ政権はG20の段階になっても金融問題で今の堂々めぐりを続けていた場合、米国は本当に他国から見放される可能性を意識し始めたという。これは非常に重要なリポートである。要するにオバマ政権が遂に世界に向けてその「覚悟」を表明する時が来たと考えればいい。逆に言うとここから先も市場の周りで同じ堂々巡りを騒ぐ人がいるとすればそれは覚悟が出来ていない証拠。どの道その人たちが生き残る事はない。従って彼らの話に惑わされる事も愚かである。


2009年2月25日水曜日

日本の最高傑作

本日各放送局ではNY時間夜9時に予定されているオバマの一般スピーチが大々的に取り上げられている。このスピーチは上下両院を前にした正式なモノだ。

そして彼が大統領になってからは初のビックイベントである。従って朝からオバマはその準備で彼は忙しかっただろう。

実は麻生首相との面会はその間隙をぬって行われていた。CNBCとCNNを見た限り、オバマと麻生首相が会談した時間に、その事を報道した様子はない。

もし夕方の一般ニュースで会談が報道されない場合、記憶では、日本の首相が米国に訪米し、その事が完全に無視された初のケースになる。(短命だった安倍・福田の両氏も簡単に報道された)

これは日本が無視されたというより、麻生首相のスケジュールが一国の首相としてはにあまりにも短い印象を残す。

麻生首相は、ダボス会議にもちょこっと顔を出し、トンボ帰りをしていた。国内が尻に火が付いた状態とはいえ、もう少し首相として堂々としたスケジュールが組めないものか・・。

余裕がないなら無理して自分で外に行く必要はない。本来それは国益を考える役人の判断力の話だ・・。

ところで、そんな首相とは逆に、米国で存在感を示したのは日本映画だ。二つの日本の作品がアカデミー賞を獲得したのは確かに快挙。

だがこれも、「日本を大切する米国」を印象付けられた可能性もある。なぜなら、アカデミー会員の大半は政治意識の高い人だ。今の米国は、日本を必要としている・・

逆に、一昨年のアカデミー賞では、事前に専門家が一番評価した作品賞候補は実はクリントイーストウッドが撮った「硫黄島からの手紙」だった。

だがその年はカリフォルニアの日系下院議員マイク本田氏が議会に提出した慰安婦謝罪要求案が成立した年だった。

因果関係の立証はできないが、作品賞を受賞したのはマーチンスコセッシの香港映画のリメーク(DEPARTED)だった。誰かのリメークにアカデミー賞の作品賞が贈られたのは後にも先にもこの時だけである。

スコセッシ監督はそれまでに良い映画を作りながら受賞を逃した悲運の人だったとはいえ、有名俳優が挙って出演しただけの「お祭り」が注目されただけで、脚本も原作をそのまま真似た凡作に「作品賞」が贈られてしまった

ラスベガスのアカデミー賞の賭けでこれまで負けた事はない。個人的にあの年は本当は「硫黄島」の年だったと考えている。いずれにしてもアカデミー賞と言っても政治と無縁ではない事は確かである。

さて、世界で日本の様々な作品や物産は評価されている。ただ麻生総理をみると、逆に「作品」として一番評価されないのは日本の政治家ではないかとの思いになる。

ただ日本国内が平和ならそれはそれで良い。そんな中でこれが「日本の最高傑作」をと個人的に感じた「作品」がある。

それは先週のNHK特集からだった。日本の物造りの確かさやアニメや映画の独自性は今や世界中が知っている。だがまだ世界の多くの人が全く知らない日本の最高傑作とは何か。それはTOKYOではないか。

時々TOKYOはどんな街かシカゴ人に聞かれる。

だがNY人と違い、シカゴ人の多くはまだまだ田舎者である。NYでさえ知らない彼らにTOKYOの機能を私は説明できない。

またNHK特集を見る限り、自分がに田舎者の一人である。そして特集では進化するTOKYOの新しい機能に圧倒された。丸ノ内の三菱地所や森ビルの森社長の飽くなき開発への情熱は企業人として感動した。

ただ最後に自分とは全く違う感性がTOKYOの人々に芽生えている事実も知った。高層マンションが集まる街にできた新しい巨大小学校。

そこに通い高層の階に暮らす子供たちは東京の夜景に、昔自分が北アルプスに感じた感動と同じ美しさを感じている。

この子供達が大人になった時、生物学的に自分と同じ生き物になっているとは思えない。それを彼らの時代は進化と呼ぶだろう。

地下から空へ縦横無尽に空間が発達するTOKYO。その進化する力を今は誰も疑っていない。

この光景と同質の自信を、10年ほど前に私は米国の金融市場の発展の中に観た。だがその自信は、バベルの塔の如く崩れ去った。

まだ知らぬ天変地異の威力や宇宙物理の原則さえも、TOKYOは凌駕できただろうか・・。


2009年2月24日火曜日

5600兆円の借金

いったい米国は国家としてどのくらい借金があるのか。昔からあるこの単純な命題は俗にいう「ドルが基軸通貨の間」は簡単なようで常に難しい難題だ。ただこの問題に対する切り口を未来の米国人が背負っている負債という見方をすると、その答えはズバリ5600兆円らしい。詳細は以下のサイトを参考にしてほしい。
(www.pgpf.org/)

さてこの困窮の中ではオバマは大統領として時より本日の様に倹約を謳い、米国債が本当に崩落する事を防がなければならない。そしてそれはガイトナー財務長官とバーナンケ中央銀行総裁との協調作業でもある。

以前も触れた様に、ガイトナーは株が下がってもそれで国債の入札がうまくいけば役割を果たした事になる。しかしそれも危なくなると今度はバーナンケの出番だ。彼は中央銀行として国債市場で実弾の買いを出す。ただそれも危なくなるとどうなるか。米国債を大量に保有する日本や中国などの周りがその最悪のケースを心配する前にオバマ大統領は世界の米債投資家と国民に向けて倹約/戒めのポーズをとる。実はこれが3人の協調体制だ。ただ現実は米国の総借金は5600兆円。格付け機関が何を言おうが、米国はGDPの5倍の負債を本当は抱えている事に変わりはない。これは一世帯当たりに直すとなんと5000万円の借金である。

そもそも米国ではこの10年に1%の富裕者が80%の富を支配したといわれている。ところが年収で5億円以上が普通だったゴールドマンサックスのパートナークラスにさえ大勢の破産予備群がいると言われる現在、世帯当たりの借金がここまで膨れ上がった以上米国は自力で自身の借金返済は不可能ではないか。

自力での返済が不可能?もしかしたら周りの国はまだ錯覚をしているかもしれないが、米国のこの借金は米国が消費した結果。だがその米国の消費のおかげてここまで世界経済は拡大した。ならば米国の借金は世界全体の借金。米国がそう考えてもおかしくない。そして米国は自身ではこの借金は返す気などはなく、あくまでも返すつもりがある様にどう見せるか。実はオバマ政権の課題は其処に移っている可能性を感じる・・。

2009年2月21日土曜日

シカゴ革命

経済専門のCNBCの債券リポーターのリックサンテリ氏は彼が日系ハウスに在籍した頃からの知人である。そして今も我々のスタッフの送別会に出席してくれる気さくな男だ。その彼は昨日からCNBCという枠を超えて米国のメディア全体で話題の人となっている。理由は昨日の 債券市場リポートの中で、今回の住宅救済案に対し「大統領よ聞いているか。我々は収入を超えた豪華な家を建てそれでローンが払えなくなった隣人のため生きているのではない。これ以上社会主義政策を打ち出すなら、我々シカゴ人は6月に資本主義信奉者を集めてシカゴでTEA PARTYを開催する。」と叫んだからだ。ただこれはどう考えても本来の彼の仕事である地味な債券市場の報道からすれば完全な逸脱行為。また救済案の内容と照らし合わせても反論内容は事実より感情論に近い。しかしその反響を見てNBCは何度もそのシーンを流して意図的に反響を広げだ。結果本日はNBCとは無関係の新聞まで彼の叫びを取り上げている。

遂に米国でも逸脱行為がウケる時代が始まった感がする。そしてこれは予想した危険な兆候の始まりだ。オバマ政権が始まってちょうど一か月。しかし既に不平不満が爆発寸前になっている。結果市場はこの混乱においてGOLDが主役。よってGOLDがホットな限り株の反転は無理だ。ただそのGOLDも本日1000の大台は確実。ここで利食いが出れば株は反転するだろう。

ところでリックが「CHICAGO TEA PARTYを開く」とのレトリックを用いたのは勿論米国独立の切欠となったBOSTON TEA PARTY(ボストン茶屋事件)を意識しての事。レボリューション(革命)は大袈裟だが、オバマがシカゴから出たにもかかわらず、リックに代表される強硬なシカゴの保守派の存在は何を意味するか。それはシカゴの特徴である個人でリスクをとる人々の怒りだ。ご存知の様に金融の街としてのシカゴの本質はマーケットメーク。そしてこの機能を担っているのは基本的に個人である。彼らはボストンのファンドやNYの大銀行のように最後に損失を投資家や国家に転嫁できない。ただ現実それが起きているのが今の政府主導の救済案である。

そんな「他人のふんどしで相撲を取る連中」に対して一線を画すプライドがリックサンテリの怒りだ。一方でCNBC自体もこれまでウォールストリートを中心に報道してきたので今は矛盾を曝け出している。なぜなら金融業界全体としては好調時は資本主義の原則を掲げて規制緩和の旗振りをし、今は逆に政府の救済案は物足りないとゲイトナーに噛みついている。この矛盾を己で認めない様を見ながらあのザッカリーカラベラは「実はCNBCの時代は終わっている」と評した。彼は正しい。いずれにしてもこの彼らの時代の自己否定(反省)が完成しないと株の復活は無理だろう。

2009年2月20日金曜日

組織論の転換点

ちょうど米系大手金融機関でシカゴのビジネスを立ち上げた10年前、当時のCME(シカゴ金融先物取引所)に小渕首相が訪れた。その日の事は覚えているが、ここからはその時小渕首相に同伴した鈴木宗男議員について元外務省職員で現在作家としても活躍中佐藤優氏が雑誌で語った内容を部分的に引用したい。

日本の首相の来場をCMEの名誉会長のマラメド氏は出迎えた。しかし形式的な小渕首相への挨拶を早々にマラメド会長は鈴木宗男議員のところへ行きしっかり手を握って熱くお礼をした。首相を差し置いてのこの歓迎ぶりには当の宗男議員が当惑したという。マラメドがそこまで鈴木宗男議員に逢いたかったのはあの「命のビザ」の杉原千畝に関係している。ご存じのように杉原氏の名誉が公式に回復されたのはこの10年の話だ。それまでは彼の話はマスコミなどでは語られてきたものの外務省としては命令違反をした杉原氏を英雄にする事は出来ず黙殺を続けた。だがこの杉原氏の名誉を回復に尽力した議員がいた。それが鈴木宗男氏だったのである。(文藝春秋、インテリジェンスの交渉術を一部参照)


ウイキペヂアの「鈴木宗男」の紹介には、彼は黒沢明の映画を一本も見た事がなくその存在さえもしらなかった。ところがある時黒沢明の偉大さを教えてもらうと今度は自分が中心となって政府に対して黒沢明への国民栄誉賞授与を働きかけた逸話が載っている。要するに鈴木宗男とはそう言う人なのだろう。そして彼の杉原千畝氏の功績に対する名誉回復運動はイスラエル大使館を通して世界中の有力ユダヤ人の知るところとなった。マラメド会長は幼少時代に杉原氏の「命のビザ」で生き延びたユダヤ人の一人だ。彼の宗男氏への感謝は本物だった。この話から外交上の逸話で思い出すもう一人の日本人はアントニオ猪木だ。彼も一時国会議員だったが90年代初頭に突然イラク戦争が勃発、イラクに残された日本人技師が人質状態にされた。そして米国との関係上外務省主導の正規の外交ルートでの解放交渉は難航した。そこで業を煮やしたアントニオ猪木は単独でフセインに面会。結果的に日本人技師は解放された・・。

恐らく組織の論理では宗男議員やアントニオ猪木の行動、そして杉原千畝氏の判断は暴挙だろう。だから結局その後表舞台から抹殺されたのは彼らの方だった。しかし一たび外国に出れば判る。外国で「組織の論理」は顔のない外交に等しい。最後は人だ。だから米国では「人」を選ぶ過程で民意が反映され、また会社経営はCEOが勝手に決める。従って優秀な人はCEOの下には残らない。自分がCEOになろうとするのである。しかし日本では組織の掟やその硬直性に対する議論がこれまで度々起きても結局は自らその殻を破る事は無かった。ただ組織の論理はこれからの日本の国益につながるのだろうか。ならばなぜ付き添いの官僚はあの状態の中川大臣をTVの前に出したのか。私からすればあの会見は中川氏の責任と同等にこれまで組織論で国益を考えて国政を影で仕切ってきた官僚の大失態である。

そもそも議員が閣僚を兼ねるは無理だ。米国の真似は玉石混合の結果になるが、大統領制の米国では国会議員が大臣を兼ねる事はない。なぜなら米国の下院(日本の衆院)議員は小選挙区制で必ず2年毎に選挙がある。そんな彼らが行政上各省庁において専門知識を顔として断行する立場の大臣など兼務できるはずがない。そして米国では大統領によって任命された大臣(長官)はその道のプロだ。プロである以上彼らが失態をすればそのまま辞任。失業である。一方で中川氏は次の選挙で苦戦するかもしれないが大臣を辞めても議員である。この差はそのまま国政における緊張感と責任感の差になる。ただこの弱点を支えたのが官僚組織だ。言い換えるならこの体制は官僚が優秀であればこそ機能するのである。だが長かった民優先の時代に官僚組織が劣化したのだろうか、中川大臣をこの組織はサポートできなかった。このままでは復活を目指す日米においても「顔」や「人」の緊張感と職業プロとしての知識、即ち個人の資質の差が剥きだしで残ってしまう。日本のマスコミはこの経緯を省略して中川氏個人の資質を攻撃している。ただそれでは片手おち。問題解決にはならないだろう。

この日米の違いは大統領制と議院内閣制の違いなどという硬直的な話ではない。やはり危機感の差か。ただここから窺われるのはいよいよ日本でもこれまでのシステムの崩壊が迫っているという事だろう。そしてその後どうするのか。実は小沢氏の民主党からも具体策が聞こえない。そこで一つだけ提案したい。まず大臣は民間の専門家から選ぶ事。それが出来ないなら参院に優秀な人材を取り込んで大臣として省庁に送り込めばよい。それを繰り返すうち頑強な組織も変化するのではないか。まあ相場的に言えば与謝野氏が3大臣を兼ねる今はまさに大底となって欲しい・・。






2009年2月18日水曜日

いつか来た道

きちんと税金や住宅ローンを払っている個人業者からすれば、金融や自動車などの大会社は最早「みんなで渡れば怖くない」という大きな流れの中で体裁のいい言い逃れを探しているにすぎず、また住宅がフォークロージャー(強制退去)の危機にある多くの個人は自分の収入からの限度をはるかに上回る住宅を購入した顛末を今は世の中のせいにしている。

認識では日本はバブル崩壊後から皆で助け合いながら細々と生き残る道を探した。その縮小均衡の中でこそ生まれたアイデアやビジネスもあった。結果成長は抑えられた。だが人間社会としての矜持が残った。ところが最近まで米国は当時の日本をゾンビ(死んだはずの人間が怪物に変化したもの)とよんだ。しかし米国と日本のどちらが本当はゾンビ国家なのか最早議論の余地はない。そしてGM救済や本日発表されるフォークロージャー救済案はこの国に残った人間を次々にゾンビに変えていくだろう。

ところで、煮詰まったところで事が起これば次のパターンは限定される。しかしその結論に到達するまでの時間がそれぞれの国で異なるようだ。欧州は「国有化」を受け入れるまでの過程は早かった。しかし米国は良くも悪くもデモクラシーのフィルターを通さなければならない。だから相場で儲けるチャンスがある訳だが、その米国でも紆余曲折を経てやっと金融機関の国有化への地ならし整いつつある。

いずれにしても「事」が起きた時点で残されたパターンは二つだった。ソーシャリズム(社会主義体制)かリセット(仕切り直し)。ただ自然と調和した縮小均衡を受け入れる理想的なリセットは消費にどっぷりつかって精神面が劣化した米国人には痛みだ。彼らにそれは無理。しかし理想的ではないリセットには「強引な破壊」がともなう。それも困る。結局一旦ソーシャリズムを受け入れるしかない。しかし、その過程で必ず不公平感から社会不安が生まれる。この後オバマ政権はこのステージに入るだろう・・。

そしてこの政権が強引なら体制を維持するためにナショナリズムの高揚政策をとるかもしれない。保護主義などはまだやさしい。結果「強引な破壊」がその後で起こる可能性が残されている・・。

このシナリオは避けたい。 



任命責任

本日のWSジャーナル紙の一面トップは中川前財務金融大臣のインタビュー時の顔だ。ただ本来この困窮の最中にその本質とは無関係の記事をWSJの一面トップに持ってくる程米国に余裕はない。従ってトップ扱いは写真だけである。そしてこの現実が日米関係を象徴している。恐らく今の日本はヒラリーの来日で浮かれた状態だろう。前にも述べた通り、今ほど米国が日本を必要としている事はあっただろうか。この状況で日本を有効に使うためには飴と鞭が必要だ。ヒラリーを使った懐柔と一方で日本に己のレベルの低さを認識させて「独立への芽」を摘む政策が同時進行している。即ちこの政策は「ペットの躾」と同じだ。成功するペットのしつけは犬の気持ちになって喜ばせること。だが同時に重要なのは犬に自分が人間だと思わせない事。残念だが日本は自分がまだアメリカのペットと同じレベルである事を認識すべき。そしてその状況から脱却するためにはまず任命責任を明確する事だろう。

いずれにしても戦後を支えたの自民党政権がここまで醜態をさらした以上ここから先の任命責任は麻生総理ではない。曲がりなりにも日本が民主国家ならここからの任命責任は国民にある。そしてその専門ではない日本政治を米国との比較で敢えて言わせてもらうなら、国務大臣は民間から選んだ方が明らかに有効だ。認識では議員内閣制の現行では国務大臣は数人を除いて国会議員でなけれならなかったはず。だがそもそも小選挙区の激戦を勝たなければならない国会議員が政権の政策を担当する大臣を兼務する事は物理的に無理だ。理由は二つ。選挙を闘いながら大臣として政策を履行するための十分な知識を大臣自身が身につける事は時間的に難しい。そして今回のような失態で大臣の座を失職すればすぐに失業の身となる米国の大臣と比べ、日本のように辞めても議員としては安泰なら職務期間中の緊張感が同じであるはずがない。この緊張感の希薄が結局は官僚任せの体質を永続させ、また世界で通用しない人材を大臣として外交上の表舞台に送り出している遠因だろう。

英国の首相の名を呼び間違えた麻生氏と世紀の酔っ払い会見をしてしまった中川大臣。世界が困窮する中でGDPがマイナス12%となっても実はちゃっかり生きていかれる日本に対し世界は驚いている。どうせなら大臣の失態も日本の余裕であってほしい・・。


2009年2月12日木曜日

議会証言の感想

本日ワシントンでは大手金融機関のトップが議会証言をした。そこでまず議会証言の意味を確認しておくと、議会証言で偽りの証言してそれが後で発覚した場合はその人の職業プロの人生は終わると考えてよい。よい例が2005年のプロ野球のステロイド疑惑で証言台にたったテハダ選手だ。彼は当時同じ証言台に立たされたホームラン王のマクガイヤーが疑惑に対して肯定も否定もしない沈黙を貫いたのに対し(それは法律で認められている)「自分はやっていない」と証言してしまった。そしてそれが嘘だった事が最近判明した。彼はこれでは彼は今年の開幕戦を迎える事はできないだろう。今はどうやって刑期を減らすか弁護士と相談の日々である。

さてマクガイヤーもそしてあのクレメンスもステロイド疑惑に対して肯定も否定もしない沈黙権でごまかしたが、本日議会に召集された米国の大手金融機関の経営者達も当然入念に質疑応答の準備はしていたはずだ。だがその必要は全くなかった。なぜなら質問する議員の金融に対する素人ぶりは見ていても驚く程。彼らの多くは危機を引き起こした複雑な金融商品についての知識が全く無かった。結果、証言台の攻防は金融機関トップの図々しさというよりも議会の無能ぶりがさらけ出されたつまらないものだった。ただそれでも金融機関のトップ同士では資質の差は十分に出ていた。

CITIのパンデット氏は元々も自分でポジションをとる人らしい態度。面倒くさい説明をしたがらなかった。そしてバンカメのルイス氏は思った通り一番おどおどした答弁だった。そして圧巻はJPのダイモン氏。米国金融は今後は彼中心に動いていく事が明確になる堂々とした答弁だった。恐らくそれぞれの会社の勢力図もこのトップに比例していくだろう・・。


2009年2月11日水曜日

脆い患者への告知

本日の米国株式市場の下落は休日の日本の朝のニュースでもトップニュースで伝えられている。そして下げの理由としてはガイトナー財務長官が発表した金融安定政策の中身が具体策に乏しいと、こちらで言われている理由がそのまま使われている。ただこのサイトの読者には本当の理由を教えてあげよう。下がった理由が具体策に乏しかったからという表現は間違いだ。本当は内容が市場が期待した飴玉ではなかったからである。ではなぜ長官は飴玉をあげられなかったのか。

まず長官が発表した内容はFED(中央銀行)が街金融と同等のサービスを提供する「TALF」プログラムの拡大以外にはこれまで噂になってきた「バットバンク制度」や金融機関の給料制度改革(ボーナス重視から固定給重視へ)、更には「時価会計の緩和」等の話を全く含んでいなかった。そもそもこれらの話はCNBCやWSJなどマスコミが事前に勝手に流したモノだ。ただそれではあまりにもバツが悪い。CNBCのリポーターは長官から具体性を引き出そうとしたがガイトナーは明確に意図してそれを遮った。彼は功をあせるマスコミがこれ以上先走りして市場をぬか喜びさせる事を恐れたのである。実はここにここが今回の危機の本質が隠されている。

本来景気を回復させるためには国民に元気を出してもらわねばならないのは当然。だが危機の本質が今回ほど深刻な場合は国民をどう導くかは非常に難しい。そんな中で本日長官は「銀行はこれからSTRESS TESTをしなければならないと明言した。実がこの言葉が市場にはショックだったのである。このSTRESS TESTとは苦難や我慢の意味だ。だが多くの米国民や市場関係者は既に昨年で苦難のピークは過ぎたと考えている。言いかえればそのためにオバマ大統領やガイトナー長官という優秀な指導者が選ばれたのだ。ところが、その長官が待ちに待った改善策を発表したと思ったら、彼に今よりももっと苦しい状況になると言われた。それがショックだったのである。ただそれでも私からすれば長官は優しい。そしてその理由は以下の通りだ。

仮に前ブッシュ政権を前のホームドクターとたとえるならこのドクターは自らの怠慢で患者(米国と国民)が過度な栄養過多から糖尿病になるのを見過ごしてしまった。そしてなぜ糖尿病になったかの明確な原因を告げず、症状が重くなった時点で場当たり的な処方箋を出して「新しい医者」に交代してしまった。しかしそもそも糖尿病は最終的には合併症で死ぬ事も多い難病だ。また遺伝のケースを除けばその原因は大半が自己管理の失敗にある。ただその原因を曖昧にすると自己管理に失敗した患者はどこまでも甘えるものだ。本当は減量などの苦しい治療をしなければならないはずなのに「新しい医者」には簡単に病気が治りそして苦くない魔法の薬を求めている。だがそんなものがあるはずがない。ただ新しい医者にとって難問は精神的に脆い患者に本当の事を告げると患者はあまりのショックでさらに症状を悪化させてしまう可能性がある事。本日が然り、本日この新しいドクターの患者への説明ははなはだ中途半端なものになってしまったのである。


結局本日株は下がり一気に「ガイトナー株」も急落である。ただ一言でいうとこんな愚かな患者を立ち直らせる大役を負ってオバマもガイトナーも気の毒だ。私が再三触れるリンカーンやルーズベルトが背負わなかった事でオバマが背負っている最大の負担は米国人自身の精神的な劣化であるという意味はこの事である。米国はアレックスロドリゲス(ステロイド使用が判明した野球選手)を批判しながら自分ではまだ麻薬を欲している。だが今の政権はそれを承知で立ち上がった人々だ。巻き返しがどんなものか興味深い。

ところで明日はWSのトップが雁首そろえて議会証言に立つ。昨年自動車のBIG3のトップは議会で公開リンチに近い辛らつな質問攻めにあった。明日WSの彼等にはボーナス問題等でそれ以上の拷問が待っている。またそれを恐れたCITIのPANDIT会長は中国出張を理由に議会証言の欠席を企んだがソレはかなわなかったとCNBCで報道された。

最後に本日議会証言に立ったガイトナー財務長官とバーナンケ中央銀行総裁は議会に対して金融機関に資金を入れる事と引き換えに今後金融機関には更に厳しい態度で臨む事を明言した。しかしこの二人はこれまで銀行の国有化は望ましくないと理想論も掲げてきた。この矛盾が昨日までの金融株の戻しを誘発した訳だが、今日の相場と改めて議会の圧力の狭間に立ってさすがに彼等も矛盾を続ける事の限界を感じたはず。いずれにしても銀行株に投資した人々が諦める事で新しい時代が始まる。その意味で今日の銀行株の大幅下落は正しい過程である。








2009年2月10日火曜日

転換と帰結の法則

週末シカゴは暖かかった。この冬は雪が多く、クリスマスのずっと前からシカゴは白一色だった。そしてそれは極寒の市場と世界経済を象徴するかの様でもあった。しかしそれでも「春は必ず来る」事を実感したのがこの週末である。やはり自然の力はすごい・・。

さて、大勢が職を失う中で普通の人がごく普通に振りこみ詐欺グループに落ちぶれていく・・。そんな中で若者に職業を問うと「仕事は詐欺」と答える若者がいるという。昨日NHKのニュースでは都内の有名大学からメーカーに就職、ホリエモンの時代にリストラで会社を離れてみると、そこには簡単に金を稼げない人間は無能者の烙印を押される世界があったと回顧する男性の話を紹介していた。その男性は振り込み詐欺軍団を組織して荒稼ぎ、今は刑期を終えて出所し過去を振り返っていた。

そう言えば昨年米国NBCのブラインウイリアムス氏がある大学での講演で「我々の時代に米国をこんな国にしてしまって君たち若者に申し訳ない」と謝罪した事を思いだした。彼は私と同世代である。米国を代表するジャーナリストと自分を比べる気はないが親としては同じ気持ちだ。そしてこの20年金融の世界に身を置いた立場からすれば、マードフや波会長ではないが、冷戦後の金融膨張期において金融で金儲けをしたいという願望の中では善悪の線引きは非常に難しかったと言わざるを得ない。

そもそも高度化する金融を管理する規制や法律は古いまま。その中で巨額利益が当然だった金融プレーヤーが抱える弁護士軍団はいかにグレーを黒にしないかという方向性で仕事をしていたのは事実だ。要するに金融で儲けたヘッジファンド/PEとマードフ/波会長を分けたのは法律をどのように逃れたかという手腕である。人としてのモラルや方向性の違いではない。ただそれが金融の本質でもある。

その金融業は80年代にはGDPの15%程度だったがそれが野放しとなった2007年には40%にまで達していた事を考えると、世界がどう変化したかを振り返るは簡単だ。そしてそれ主導した米国モデルが頓挫した。ただ米国には常に国家として明確な目標がある。それは覇権国家体制の死守。この共通の目的のためには米国はいつでも団結できる。問題は日本だ。なぜなら国家として目指すべき方向性が定まっていない。漠然と世界第2位と言われるGDPの世界があるだけ。ただ戦後60年の繁栄が米国の都合と日本人の気質がうまく機能した結果だったとするなら、その繁栄の貯金が最後米国に捧げられるの本当は望ましい事かもしれない。なぜならそれで一つの時代が終わる。

そして金融(相場)を学んで良かった事もある。それは歴史(世の中)には相場同様の「転換と帰結という自然の力」が備わっているという実感である。米国ではその昔最悪の指導者と言われたブキャナンの後にリンカーンが現れた。そして今、同じ希望の下でブッシュの後にオバマが登場した。そして日本。日本の戦後史は吉田茂が指導した「サンフランシスコ講和条約」に始まった。そして今、孫の麻生総理がこの時代の象徴である自民党に引導を渡す。これで「転換と帰結の法則」が私の中では完了する。

麻生氏が総理になったのは偶然ではない。それはの歴史の法則、自然の力だと考える。そしてそれは希望。私ならこの希望を今の日本の若者に示したい・・。


2009年2月7日土曜日

人相と相場

最近TVを見ていてふと思った。それは米国で5兆円の被害を出したあのマードフ詐欺ファンドのマードフ氏と、日本で世間を騒がした円天の波会長の顔が似ている事だ。無論日本人と米国人の違いはある。だがオールバックの髪型、体型、そして何よりもマスコミに対するあの態度が似ている。そう、言い換えるなら「人相」が似ているのである・・。

そもそも「人相」というものは醸し出されるその人物の雰囲気を多分に含む。恐らくその人の人生や価値観が反映されて「人相」は後天的に作られるのであろう。その意味ではマードフ会長と波会長は間違いなく同じ人生を歩んできた。結果一つ一つのパーツは違えどこの二人の「人相」は同じになったのである・・。

そういえば人相の特徴をプロの似顔絵師は上手に捉える。昔何かの番組で警察の検挙率に貢献するのは部分を合成したモンタージュ写真ではなく、専門家が手で書いた似顔絵の方だという話を聞いた。実はこの技法は相場の隠されたテーマやその時の社会の本質を捉える上でも同じだ。事象の細部に拘りすぎると全体像を捉える感性を失ってしまう可能性がある。

まあそんな事はどうでもよいが自分の人相にもこれからは注意したい。なぜなら世の中はさらなる困窮が予想される。そんな中で通常自分の人相の変化は自分では気づかないからだ・・。



2009年2月5日木曜日

ベスト&ブライテストの常識(CQ)と受け皿

オバマが大統領になって3週間が過ぎた。予想された事とはいえ、既に先が思いやられる展開になっている。まず政権の重要スタッフのゲイトナー財務長官とダッシェル厚生大臣の税金不払い問題が露見、オバマ自身の任命責任を含めて大きな失態となった。ゲイトナー氏は今のところ留任しているが、民主党という党派における実質オバマの後見役であり、また議会に対して顔が利くダッシェルの辞任はオバマ政権にとって大きな痛手である。そんなオバマ政権が直面している課題は90兆円の景気対策の法案化だ。法案は無事下院は通過した。しかし上院は共和党の抵抗で時間がかかりそうである。株式市場は既に法案の効果まで織り込んでいる。従ってこんなところで時間を無駄にしている場合ではないのが本音である。

その法案通過を含めて国民を代表する議員を納得させる為に一番重要な課題は既に大量の税金が救済に使われた金融機関の健全化である。実はこれが厄介だ。以前も触れたが今回世界的大混乱を引き起こした張本人の大手金融機関では、税金が投下されているにもかかわらず日本の常識では考えられないボーナスが支払われた。これには国民も怒っている。こんな事が続くようでは共和党どころか民主党でさえこれ以上の金融機関の救済案には協力できない。だとすると株は下がる。株が下がると国民もそして世界もますます困窮するのである。

ただこの問題の根は深い。なぜならこの20年間で米国の金融機関は給料に対する感覚が麻痺してしまった。そもそも米国では80年代まではGDP(国民総生産)における金融業の割合は15%未満だったが2007年にはその割合は40%にまでなった。自動車に代表される製造業が衰退する中で金融が米国の圧倒的な産業の中心になったのである。そしてイラク問題に足を取られたブッシュ政権は金融の野放図な拡大を許したのである。そして自らの自爆がこれ程の大混乱を引き起こしたこの期に及んでも、当の金融機関は過剰報酬に対する自覚が全くないのである。そんな中でついにオバマ政権は行動に出た。政権は税金による救済を受けた金融機関の重役の給料を50万ドル(5千万円)以下に強制的に抑えたのである。

当然とも思えるこの給料上限制度は既に影響を見せ始めている。これまでメリルに在籍した二人の社員はこの話が出た時点でTARP(政府の救済プログラム)とは無縁の会社を探し早速欧州系銀行へ移ったという。TARPが入っていないという意味では米国に進出した日系金融機関も同じだ。恐らく日系金融機関には報酬の上限制度を嫌った米国人金融マンから続々転職の応募があるだろう。ただそれは日系にとっても良い人材が採れるチャンスでもありまた大変なリスクでもある。

なぜならそもそも多くの米系金融マンは今の不幸は一時的な現象であり、いずれは市場も回復するし、自分達の報酬の水準は元に戻ると考えている。よって今の段階でその様な米系金融マンをどう処遇するかは難しい判断になる。判断の分かれ目は今回の金融危機を歴史感で考えるか自己の経験からの相場観で考えるかだろう。

こちらではWSの「ベスト&ブライテスト(超エリート)」をそれなり処遇するのはどんな環境下でも正しい経営であると言う意見が根強い。ただ個人的経験では米国人の現役金融マンで歴史感を持った人間に会った事はこれまで一度もない。言い換えるなら歴史感とは無縁で何十億と稼いだのが米系の金融エリートである。

いずれにしても今回の危機は自らの経験でしか未来を語れない今の米国人が初めて経験する大津波だと考えている。その自分としては彼らの運命がどうなるか、受け皿となる会社の判断力も含めて非常に興味深い・・。

2009年2月4日水曜日

衣食たって礼節を知る

結局戦後自民党政権が守った日本とは一体何だったのだろうか。本日日本のニュースが伝えた「強盗して逮捕されれば雨風がしのげて飯が食える」という派遣の職を切られた男が刃物を持って強盗に入り、逮捕されてから警察で語ったこの言葉の意味は重い。

「衣食たって礼節を知る」という言葉があるが、そもそも日本は米国の真似をしながらマネをする以上は一番重要な性悪説を前提にした社会基盤の整備を怠っていた。結果無防備なモラトリアムが生まれ、市場原理と性善説という相反する要素が共存する不思議な時代が続いた。個人的にはこの感覚は日本特有の節度からの良識と考えた。だが実は違ったかもしれない。

豊かだと錯覚した社会の背骨はこれほど脆いものだったのか。結局は三島由紀夫が憂いだ通りになりそうである。日本は外から攻撃より内部崩壊が先かもしれない。ヒラリーが日本に立ち寄る事に胸をなでおろしている日本。これでは中国どころか朝鮮民族にも絶対に勝てないだろう・・。