2009年5月30日土曜日

ダウ興亡史

予定通りGMがチャプター11(倒産法適用)になると、GMはダウ採用銘柄から外される。そして代替の候補として今名前が出ているのは金融のゴールドマンサックス、ウェルズファーゴ。またハイテクからシスコ アップル オラクル グーグル、そしてアグリからのモンサントだ。

そもそもダウには工業30種という括りがあった。そしてダウのインデックスには他にUTILITY(公共事業1929年)とTRANSPORTAION(鉄道・輸送1884年)の兄弟がいる。古さからいえば工業30種よりもTRANSPORTAIONの方が古い事が興味深いが、これも米国の産業史を眺めれば納得できる。ただここで気付くべき事がある。今はダウは工業30種がその代表になったが、ではなぜ工業種に金融が入っているのかである。

「工業」は日本語であり英語表現のINDUSTRIALに金融は含まれると考えることもできるが、わざわざUTILITYとTRANSPORTAIONを分けた事を考えると不自然だ。また実際に発足から永らく金融は30種に入らなかった。この30種がそこまで工業に拘るならなぜ最初から金融のインデックスを作らなかったのか。当時は既にJPモルガンは存在し金融はそれなりの役割を担っていたはずだ。

このダウジョーンズのインデックス構成をみると、現在共和党保守派が主張する様に当時の米国は金融に支配されてた国ではなかった可能性が感じられる。因みに金融がダウ工業30に入ってくるのは1980年代から。添付したWEBで調べるとアメリカンエクスプレスが82年にやっと顔を出す。

そしてこの事に気付くと、この混乱の後歴史的観点では米国がどこに向かうのか、また民主主義国家としての民意の磁力がどこにうまれるのか。金融市場で生業を立てる我々が今後の米国をイメージする参考になろう。いずれにしてもGSが仮にダウ工業に入るなら、それは逆説的な転換点となると感じている。

https://www.globalfinancialdata.com/articles/dow_jones.html


2009年5月28日木曜日

自給自足への道程

2年前このブログを始めた時、最初に話題にしたのは「タンポポ」だった。それは金融危機が起こる1年前、既に一部では住宅市場が値下がりを始めていたデトロイトの嘗ての高級住宅街の庭に咲き乱れたタンポポの事だった。(政府が公式に認めた住宅市場の天井は2007年10月。しかし自動車産業が完全に崩壊したデトロイトではその時既に高級住宅街でも荒廃が始まっていた。その手入れのなされない庭に咲き誇るタンポポはまさに未来を語るあだ花だった・・)

ところで、今朝のニュースで米国の90%の経営者が年内にも景気は底打ちすると考えている事が紹介された。経済の専門家も概ね同じ感覚だが、このような前向きな姿勢が好結果をもたらしてきたこの国の歴史からすれば当然の結果である。だがその歴史を支えたもう一つの原理原則、市場原理の効果としての経済の新陳代謝は今回無視された。そしてその事には今の米国人は触れたがらない。

そんな中でWSJが生活面の記事で面白い現象を伝えた。そもそも現代人の何人がタンポポが食べられるという事を知っているだろうか。冒頭で紹介したようにタンポポはこちらでは庭の天敵、忌み嫌われる象徴だ。ただ記事によると戦前までは米国でも食べられていたという。そして記事よると最近はこのタンポポなどの雑草が再びこちらの食卓に上り始めたという。

記事はその背景までは解説していなかった。恐らくは元々健康ブームに乗ってスーパーが野菜コーナーの端にでも置いたのだろう。だが今はタンポポだけでざっと計算しても国内全体では年間2億円の売り上げになっているという。(WSジャーナル)想像だが、そのままではニガイが茹でると丁度いい味になるあのタンポポの味を知らない現代の米国人が、生活に余裕が無くなる中で試しに買っていく。そして仮に美味しければこれからはホウレンソウの代わりにその辺に生えているタンポポを使う?そんな変貌する米国人の姿が目に浮かぶ。

さて昨日株は経済指標として重要な消費者信頼度指数が好転したことで大幅高となった。ただ心理が好転する事と実際の消費が伸びる事は重ならない事もあろう。ズバリ、この米国人が雑草に目を向けるようになっては実際の消費は伸びないだろう。そして米国でも自給自足がブームになる時、世界経済は米国に代わる消費大国の登場を受け入れる事になるかもしれない。

2009年5月27日水曜日

核廃絶、平和声明の裏側

あのブッシュ大統領が中東のど真ん中に民主主義国家を打ち立てるとのイラク戦争の(二次的)大義名分を発表した時、大半の人はその実現性はないと感じていたはずだ。だが結局はこのバカげた目標のために大勢の人が死んだ。そして今度はオバマが核兵器廃絶を目指して声明を発表した。恐らくこの声明にも大半は実現性を感じていない。だがソレが米国の大統領という特殊な立場の人の発言である事をまだまだ無視していはならない。

今の金融市場では「米国の格下げ」や「米国売り」がトップニュースだ。だが現実にはグローバルポリティカルマクロ(市場原理が後退し、今の実体経済は各国政府の動向が鍵を握る状態)が金融市場を支配している。そんな中で再び北朝鮮が挑発に出た。これまでも北朝鮮は米国が自国の問題で手詰まり感がある時にこの様な行動を起こした。今回も「米国売り」ムードを逆手にとったいつもの揺さぶりか。だとしたら米国はいつもの様に苛立つ日本をしり目にノラリクラリをするだけだろう。だが仮に最早金正日体制が盤石ではなく、一部で噂になっている後継者を巡り混乱が生じている話が事実なら要注意だ。なぜなら権威が落ちたとはいえ米国は北朝鮮までがパキスタンの様に無政府に近い危険な状態で核を持つ事を容認するとは思えない。

要するにオバマの一見平和を目指した声明の延長上には米国は必要とあらば「相応しくない核保有国」を攻撃する大義名分を実は内胞している事を指摘したい。無論ブッシュとオバマはどう見ても水と油。また今のオバマの平和的な雰囲気からは想像できないだろう。だがそもそも米国の大統領声明とはそういうものだ。その時がくれば、クリントン政権が思い留まった空爆をオバマが決断しても何らおかしくはない。今の状況では今度は実行に移す可能性を十分感じてる。(なお今議会は民主党が完全支配しているが、元々民主党議員たちはイラクよりもイランや北朝鮮への実力行使を主張している)



2009年5月25日月曜日

公然の秘密

NHKスペシャル「マネー資本主義」の第二回を見た。そして見てびっくりした。理由は元々はこの「視点」で使った比喩が番組の冒頭で使われていたからだ。それは金融危機直前のデリバテイブの想定元本が6京円。その金額を1万円札で積み重ねていくと、地球から月までの距離を超える・・とした表現である。

番組では映像を用いて松平アナウンサーがそのインパクトを印象付けていた。NHKにその表現をパクられた証拠はないものの、以前書いた雑誌記事ではわざわざその表現を入れるように依頼されたのでNHK関係者が記事を読んだ可能性はあるだろう。まあ仮にパクられたとしても悪い気分はしない。ただ真実とはその表現の仕方によって様々な現象を引き起こす事を認識する事が重要だ。

その意味では米国が既に破産状態にあり、その政策は国家にだけ許されたポンジースキームの上に成り立っている事をどう表現するかは重要な課題だ。本当はその事に触れないのが一番。皆が触れない事で世界の平和もう少しだけ引き延ばせる相互利益がそこにあったはずだ。だから今頃になってその協定を破るの必然性が私には見えない。

そういえば共産主義体制下のソ連でも同様の協定が存在したという。当時「スターリンは馬鹿だ」という事は皆が知っていた。でも誰もその事を口にしなかったらしい。そしてその協定を破ろうとした者がどうなったかは言うまでもない。では現代において今回この「米国の真実」の扱いはどうなるのか。代替がない以上はパニックになるのはまだ早いと考えるが、市場は必然性が見えずとも突如崩壊するものである事を昨年経験した。今回も安易に高を括るのは亀裂が入り始めたフーバーダムの上に立つ様なものである事を覚悟しなければならないだろう・・。






2009年5月22日金曜日

英雄査問委員会

二日続けてVIXが下がり、一昨日イメージしたじりの貧相場が早くも到来するかと思ったら、今日は全く別の様相だった。まず英国国債に格下げの話があり、その連想で米国債にも影響がでた。そもそも既に米国が国家として破産の危機にあるという話は大勢が紹介している。だがそこは米国、格下げを担当する格付け会社が米国の会社である以上は米国が格下げされる事はないとみられていた。しかし兄弟の様な英国債に格下げの噂が出た事で今日は米国市場も大幅に下落した。だが落ち着いて考えてみるとやはり米国が格下げになる可能性は限りなく低い。よって今日の騒ぎは実はVIXがこのまま下落しては儲けのチャンスが低減してしまう市場参加者による自作自演の騒ぎと考えていいだろう。

ところで今日は議会で歴史的な動きがあった。それは危機が一服した今、上院では今回の危機を精査するための特別委員会の編成が決まったのだ。前回この委員会が編成されたのは9/11のテロを受けた直後。それからしてもこれがいかに重大な意味を持つかが判る。これまで米国は緊急対応に追われ、政府と議会は危機の背景を精査する時間はなかった。今やっとその余裕が出たわけだが、逆に言うとこれから余裕を失う人々が出るという事だ。例えばグリーンスパン。また過去の銀行経営者はこれから社会的制裁の本番が待っている。そんな中でCNBCは来年が最初の任期切れ(満6年)となるバーナンケが仮に再選されない場合次はサマーズとの気の早い噂を紹介していた。

またこの上院の動きとは別に、下院ではあのロンポールがFEDも銀行である以上は監査があってしかるべきと、言われてみると納得する法案を提出。既に共和党を中心に120人の議員の署名が集まっている事が紹介された。要するに今はヒーローのバーナンケでさえ来年はどうなるか判らない、米国にもそんな風が吹き始めたのと考えるべきだろう。


2009年5月20日水曜日

株以外の価値観

今日株は下がった。一見大きな下げではない。ダウで30ドル程度だ。だが実は今日の株の下げの意味は大きい。理由はVIXである。簡単に言うとVIXとはシカゴ市場に上場されている世の中や市場の緊張度を図る指数である。例えば市場や世の中が順風の時VIXの値は小さい。だが一旦危機が発生するとこの指数は飛び跳ねる。具体的には金融危機以前の数年間この指数は平均12前後で推移していた。ところが昨年11月のパニックの頂点ではこの指数は90まで跳ね上がった。そしてこのVIXと株は通常逆相関の関係にある。即ちVIXが高いと株が下がり、株が上がる時はVIXが下がるのが常だった。ところが今日はリーマンショック以来初めてVIXが30の大台を割ったにもかかわらず株も下がってしまった。逆相関が崩れたのである。

繰り返すが、日経平均が小泉政権下でバブル崩壊後の最安値を付けた事、また大恐慌の際も株の最安値は暴落直後のパニックではなく数年後に記録したように、株は混乱の最中に安値は付けない。むしろ市場で戦う気力も失せた静寂の中その死は訪れる。即ち世捨て人の様な究極の株式ベア派が待ち望んでいるのはこの逆相関が徐々に崩れる事だ。ただしそれはゆっくりでなければならない。なぜならパニックで株が下落する時は先物売りやカラ売りが入る。それらは後の上昇要因であることは言うまでもない。だが今は空売り規制が入っている。やはり苦しまぎれの手段は逆効果。そして今回その終末に向けて決定的な要因になるのは米国では初めての反ビジネス、反大企業、親労働者への避けられない潮流である。

本日のクレジットカード新法案が示す政治の潮流は最早は変わらない。簡単に言うとこの法案は銀行やカード会社がクレジットカードの利率を変えられないようにする新法案だ。可決後はカード使う労働者は助かる一方でカード会社の収益が圧迫されるのは必定である。即ち株には悪材料である。因みに下のWEBサイトを覗いてほしい。そこには最近の州別失業率が紹介されている。それをみると民主党地盤のブルーステイトの平均が8.61%で共和党のレッドステイトの平均が7.17%である。ここまで盤石に見えたオバマ政権と民主党だが、2年後の中間選挙で議席減少の危機に見舞われているのは実は彼等である。政治家は敏感だ。この危機を受けて現状は政権と両院の完全支配権を持つ盤石与党体制の民主党が打つ手段は共和党保守派が叫ぶ市場原理の復活ではない。逆だ。実際は弱者救済の社会主義、だがそれ公式には認めないまま覚悟の無い偽りの資本主義を続ける事である。 http://en.wikipedia.org/wiki/List_of_U.S._states_by_unemployment_rate

それでも市場に気力があり主流のモーメンタムトレードが機能する間はダウの10000回復は可能である。しかし長期的には株はゆっくりと究極の安値に向かい動き始めた。そして想像では米国がこのSEA CHANGEの認識と対応が一番遅れる。なぜなら中国に春節がある様に、本来世界の多くの人々にとっては株の上昇だけが幸福感ではない。だが今の米国から株(成長)への期待感をとったら何も残らない。この国には未使用の戦略核兵器やWiiの様なおもちゃ兵器がたくさんあるが、戦争がなければそれさえも誰も必要としない。だから株の価値(成長と金儲け)が世界中で後退するそんなシナリオを米国は認める事はできない。

そんな中でNHKで中国の「春節」を紹介した番組があった。印象に残ったのは「金融危機のおかげで5年ぶりに故郷に帰れる」と、不況で出稼ぎ工場が早めに閉じて何日も前から広州駅で帰省列車を待つ中国人男性が笑いながら語った言葉だ。決して豊かそうではなかった。だがあんな笑顔をこの国で見ることは稀だ。今回の金融危機は再び世界の人々に米国流以外の価値観を覚醒させたかもしれない。いずれにしても米国自身が最早世界の人々を引き付ける魅力がないと感じた場合、この国は本当のストレステストを迎える。その時が本当の株の安値となろう・・。



2009年5月15日金曜日

インガルス一家の引っ越し

CNNのニュースにカリフォルニアに住む40代の夫婦が出ていた。そして妻が怒りをあらわにしていた。夫婦は周りが住宅バブルに浮かれている間も賃貸に住みながら地道に働き、国家に税金を払い、貯金もした。そしていつかマイホームを買おうと、異常なブームが終わり、住宅価格が下がるのを待ち続けた。選挙で彼女はオバマを支持した。だが今彼女は国家にやり場のない憤りを感じている。なぜなら、税金をまともに払わず、本来住宅を持つ資格が無かった人々と、その彼らを利用して暴利を貪った金融機関を助ける為、自分が家を買わずにきちんと払ってきたその税金が使われている。(サブプライムとは税金を払う前提となる収入を持たない人、あるいは身分不相応な住宅を購入させる仕組みである)そして待ち望んだはずの住宅価格の下落を今政府は止めようとしているのである。

これまで米国人として堅実に生きてきたはずなのに今は政府に裏切られたとの思いが彼女にはあるという。続いてシカゴの大手家具店のCMを観た。まずフォークロジャー(競売)の看板の張られた家の写真が次々に現れた。住宅市場が動き始め、家具の需要も喚起されている事を宣伝しているのだ。そして写真の最後に見覚えのある白い邸宅が現れた。この家にもついにフォークロジャーのサインが張れた。その家はホワイトハウスだった・・。

まず、奔放なイメージのカリフォルニアにも上述の様な堅実な夫婦がいる事に新鮮な驚きを感じる。またシカゴの周りの中西部は「大草原の小さな家」のインガルス一家を原型とする保守系の家庭が多い。今彼らは怒っている。勿論いつの時代も世の中が公平だった事はない。またカリフォルニアの夫婦は時代の潮流に乗り遅れたのは事実だ。だが本来米国はこの夫婦の様な人々が幸せになるような国家を目指して設立された。そしてその両輪を支えたのが資本主義と民主主義だった。しかし米国は終に運転を誤った。回転が過ぎ、資本主義の一輪が脱輪した。そしてバランスを狂わせながら残った民主主義の一輪が本体を振り回しはじめた。このままでは個人的には本体は横転しながら最後は大破するのではないかと心配になる。だが今の政権は米国を正しい軌道に戻す荒業をする覚悟はなく、揺れ始めた国家同様にあちこちを救済するために政府が一番振り回わされている。やはりオバマは若すぎたのか。あの「インガルス一家」を目指す我が家としては、早くこの本体から離れなければならないだろう・・。

2009年5月13日水曜日

もう一人の国民栄誉賞

女優の森光子さんが国民栄誉賞になるという。そんな中で週末に日本のスポーツニュースを見た。そして彼女にも劣らない高齢の現役プレイヤーから衝撃的な言葉を聞いた。鈍っていた頭を殴られたような気分になった。自分の中ではその「彼」にも国民栄誉賞を挙げたい・・。

「人生では自分がいいショットを打っても変な所に行く場合がある。でもそこから一生懸命やらないと。」「なった所。行った所。病気になった所から自分を大事する。」「一生懸命やらないと自分が損だ」「行った所から一生懸命やる事をゴルフは教えてくれた・・。杉原輝雄」 (NHKのサンデースポーツの特集にて)

凡人は良いショットを打つために努力する事はできる。だが、せっかく良いショットを打っても自然を相手にするゴルフでは確かに結果的にボールが変な所に行ってしまう事がある。そんな時に凡人は運が悪いと嘆いて終わる。だから凡人と呼ばれる。まあそれでもいい。最近は運の悪さを人のせいにし、腹いせに他人を平気で傷つける人が多すぎる。

そんな中で今も杉原照雄は71歳の現役ゴルファーだ。60代から闘病中の癌は既にリンパ節まで転移した。だが彼は治療をするとゴルフが出来なくなると治療を拒否した。そうまでして貴重な時間を「戦う事」に捧げている。
私の中では彼も国民栄誉賞である・・。

2009年5月8日金曜日

普遍の力

もう一度何かを学ぶとしたら何を学びたいか。それは社会がどう変化しようともソレ自身は変わらない普遍的なモノだ。例えば医学。唐突だが嘗て私にはメンターがいた。彼は1914年ハンガリーで生まれた。最高学府で法律を学び彼は法廷弁護士になった。ところが二度の大戦でハンガリー帝国は二度敗北。大戦が終わると故郷のトランシルバニアはルーマニアに併合された。共産主義を逃れドイツの難民キャンプで2年過ごした後に彼は家族とともににオーストラリアに移住した。家族5人38歳の時だった。そこで彼は無骨なオーストラリア人に混じり鉄道工夫として再出発をした。その彼との出会いは25年前の事だ。当時彼は70歳を超えていた。そして恩を返せないまま5年前彼は亡くなった。彼からは多くを学んだがある時が彼がポツリと言った。「せっかく学ぶなら法律ではなく医学でも学んでおくべきだった。なぜなら国が亡くなれば法律は変わる。だが何時でも何処でも人は人だ・・」

そうだ。法律や経済上のルールはいざとなれば変えられる。その意味では国家がポンジースキーム(円天のようなマルチ詐欺。だが国家が行うと詐欺ではなくなる)を展開するのは国家だけの特権と考えることもできる。そしてそれらを駆使すれば経済を元の姿に戻す事も理論上は可能だ。だが世の中には人間がその都合で変える事ができるルールの世界と変える事ができない自然科学の世界がある。これ以上人間が謙虚さを失えば、最後は宇宙物理(地球環境)や生物学(病気の蔓延)等の普遍の力で淘汰されるだろう。


2009年5月6日水曜日

国家元首不在の憲法

NHKの「JAPANデビュー」の第2回を見た。内容は5月3日の憲法記念日に合わせた「天皇と憲法」。まず明治の大日本帝国憲法は本来優れた内容だったとした上で、現代は嫌われ者の山県有朋の私利私欲で政党政治が弱体化し、代わりに軍部が台頭したために同憲法は輝きを失ったという判断を下していた。これは多くの作品で長州での山県の先輩、大村益次郎の横死を惜しむ一方、山県が仕切った陸軍において薩摩を押さ込むという縄張り争いのために無能な乃木を重要な役につけたとして山県を批判する司馬遼太郎と同じ立場に基づいている様子だった(二百三高地での若者の無駄死)。

そして、東大を舞台にした天皇機関説の攻防と日本の右傾化を直接結びつけた解説は歯切れが良く、これまでのNHKの特徴である客観性の枠を超えられない退屈さと比べるとかなりの迫力に仕上がっていた。しかし、憲法を語る際にまずは一番重要な点であるはずの新憲法における国家元首の規定について全く触れていないのは、やはりこの特集も米国の検閲を通過した証拠だろうか・・。

無論私はその道の専門家ではない。だがそもそも憲法で国家元首の規定がない事は異常だと考えている。今は日本国民の皆が勝手に天皇か総理大臣を想定しているだけだ。だが他国から見れば日本がこれだけの大国になっても憲法で国家元首を規定しなくても国民が平気でいること事態が信じられないはず。これでは日本の国家元首は米国(大統領)?という笑い話が永遠に続いても不思議はない。

何事も曖昧にする事で平和が続く事のメリットは否定しない。ただ社交辞令はともかく、北朝鮮どころか実は友好国の大半も本心では日本を独立国とは思っていないのではないか。米国の衰退とともに曖昧が許される時代は必ず終わる。そんな中でも日本国民がこの事実に無関心でいる間はどんな優れた憲法番組も結局は無意味である。



2009年5月4日月曜日

豚の教え

日本では今年、連休にサラリーマンが資格取得のために短期講座を受講するケースが目立つという。実は米国でもこの日曜日は全国の高校で一斉テストが実地された。(SAT)私事だが今年は娘が受験にあたり、普段興味のないこの種の話題に引きずりこまれる事が多い。そんな中で大手進学塾の帰国子女受験の情報サービスで偶然昨年度の東大受験の過去問題というものを目にした。それは以下のたった2問題である。(A,B)

<平成20年度、東大文科二類外国学校卒業生特別選考小論文問題>

A 17世紀、イギリス人のウイリアムペテイは下記の様な項目についてイギリスを100とした場合のフランス数値を比較し、人口が少なく面積も狭いにもかかわらず、イギリスの国力はフランスに劣らないとする結論する根拠とした。これについて以下の二つの問いに答えなさい。

     イギリス・ フランス
土地面積   100  ・ 273
人口     100  ・ 135
聖職者数   100  ・ 1350
船員数    100  ・  25
手工業者   100  ・  25
内陸から海までの平均距離
       100  ・ 542
貴族ではない一般庶民の一人当たりの消費額
        100 ・  86
国王の華美(注)100 ・ 300
国民一人当たりの貿易額
         100 ・ 33

注)ペテイは、国王の華美は一般庶民から富を取り立てる(徴税の)割合に応じていると考えた。それゆえここの数値は徴税の過酷さを表している。

1) ぺテイは「国力」をどのようなものと考えたと推測されるか。
2) あなたが考える「国力」とはどのような概念か。「国力」をはるか上で重要だと思われる要因を具体的に挙げつつ、説明しない。また、それは1)で解答したペテイの考えるそれに比較し、どのような点でメリットがあるのかについても述べなさい。

B(出願時に選択した日本語以外の言語で解答する問題)

市場経済の論理では「売れたもの」が生き残っていくことになりますが、必ずしも「正しいもの」が生き残っていくとはかぎりません。「正しいもの」が市場で評価されるためには、どのようなことが必要と考えるか、あなたの意見を述べなさい。

(以上、大手進学塾サイトから)

まずこの問題をみて驚いたのは、東大が考えさせる問題を出している事は明白としても、Aの歴史問題、そしてBの時事問題は非常に非アメリカ的な出題である事である。Aの問題の出題意図は明確であり、個人的には非常に良い出題と感じた。だが米国で高校まで過ごした帰国子女にとって 中世ヨーロッパ史をこの切り口で問う事は非常に馴染みが薄い。また問題Bは市場原理と消費社会の現代の矛盾を問うている様だが、コレも米国が主導したこれまでの社会に対するアンチテーゼの香りがする。同塾の情報では この問題には世界中の帰国子女2000人が挑戦し4人が合格したとの補足があった。ただ個人的にはこの問題傾向からは、東大文化二類は米国の影響を受けすぎた高校生には最早興味がないのではないかとの印象を受けた。

ところでやや唐突だが、最近の話題の「豚」に注目した。個人的に東大に縁はないが、その昔の東大総長が卒業生に対し「太った豚になるより痩せたソクラテスになれ」との句を送った話は有名だ。またイスラムとユダヤで豚を食さない理由として、豚は人の排せつ物まで貪る「不浄物」であるからという話も聞いた。だが一方で毛沢東はその豚の習性を「残飯を処理し、その糞尿は畑の肥しとなり、最後には人間に食べるられる」と評価し、国民に豚の飼育を奨励、そして自らの大好物として死ぬまで豚の角煮を愛した逸話がある。

要するに豚は究極のリサイクルの象徴としてその合理性に価値を見出す事も出来れば、一方で宗教の観点からは忌み嫌われる象徴にもなる。この観点は恐らく前述の問題Aが意図する民間の活力が主導する近代的な生産消費社会への進展と、宗教に支配された非合理性社会の停滞が後の国力格差に決定的な差を生む要因となった事と重なる。個人的には東大総長が残した言葉の意味を、豚はそんな人間の思惑とは無関係に考えることなくひたすら貪りひたすら太る事で消費物としての価値を高める生き物の象徴であり、その対極として卒業生を送り出したのではないかと考えている。(東大関係者で総長の真意をご存知の方はご教示ください)

そして金融市場も本来は豚とその支配者の数値が適正水準で存在する事が長続きの原則だったが、情報のスプレッドが無くなった事で知のスプレッドも消えたと錯覚した大勢が傲慢に支配者を目指し、実は皆が豚の様になってしまった顛末が昨年からの出来事だったように思える・・。


2009年5月2日土曜日

遣中使の時代へ

米国政府による生き残りをかけた金融機関の査定、「ストレステスト」の結果発表スケジュールが変更された。この事は株式相場に若干の変化をもたらすと見る。ざっくり言ってこれで株がもう一段上を試せるのではないか。昨日は6月のダウ10000説がにわかに話題になり始めた通り(CNBCラリークドロー)株先は昨日の高値を抜ければ結果発表までにSPMで900を試す可能性が高い・・。

さて世界の消費の中心が米国から中国に代わるとしたら、日本は東京一極集中を見直す好い機会になるのではないかと考えている。まずは中国貿易が盛んだった古に習い、大阪/神戸圏の物流が東京/横浜圏から多少はシェアを奪うのではないか。またそうなれば明治以降あるいは戦後の国家(GHQ)迎合のビジネスモデルに変化が期待できる。

そもそもココが変化しないと官僚支配が崩れない。官僚支配が崩れないと政治のレベルも上がらず、政治のレベルが上がらないと国民のレベルも変わらないという循環が続く。その意味では今起こっているアジア(中国)への回帰は悪い事ではない。


そんな中先ほど朝のCITIの株価の気配が堅調な事を受け、CNBCのアナウンサーはその理由をSelling NIKKO to Mitsubishi-Sumitomo Bankと平気で報道していた(日興の売却先は住友三井であり、住友三菱グループは存在しない)。個人的にも日興の三井住友への売却は衝撃的だ。そして本当にMitsubishi-Sumitomo Bankなどというものが存在する時代になったらどうなるだろう思いながらこれだけ米国に貢献している日本の認知度の低さが再確認された。

浦賀にペリーが来てから、そしてGHQに占領されてから、日本の港の代表はやはり太平洋の玄関として東京横浜。そして政治経済も太平洋の先の米国を見ながら「東京」がすべてを仕切ってきた。しかし遣隋使、遣唐使の時代にならい、これからは九州から大阪にかけての港や地域が復権し、企業グループも再び関西系が躍進する時代になるのではないか。

金融危機でNYを中心としたこれまでの勢力が後退する中、オバマ政権には多くのシカゴの血が入った。そもそもシカゴと大阪は姉妹都市だ。どせなら日本でもその程度の変化は最低限起こってほしいと考えている。