2010年1月30日土曜日

米国版失われた10年

まず訂正がある。先日の<偽ゴールデンクロス>で、米国史上10年間株を持って儲からなかったのは、2000~2009年が初めてというCNBCの紹介をそのまま用いた。だが本日自分でチャートを確認したところ、ダウ指数では1930年~1939年も陰線となっていた。この時期はダウの入れ替えなどがあり、株式市場全体の真の価値により近い時価総額がどうなっていたかは判らないが、ただこれで29年の大暴落直前には386だったダウの指数は196まで下落したものの翌年には297まで戻っている事が判った。そして1930年代のダウの最安値は大暴落から3年後の32年につけた「40」である。

バーナンケはこの間にフーバー大統領とメロン財務長官が当時のFEDに特別な処置を命令しなかった事が大恐慌に繋がったと考えている。確かに当時のマネーサプライ(貸出資金)からは金融機関が倒産してもFEDは何もしなかったようだ。だがフーバーはダム建設(フーバーダム)に着手、民間ではロックフェラーが私財をはたいて現在のロックフェラーセンターの構築にかかる等、超大規模プロジェクトが始まっていた。そして33年に登場したルーズベルトは立て続けにニューデイール政策を出した。だがそれでも景気は回復しなかった。ゆえに29年の終値が248だったダウは39年の終値でも149という更に低位に沈んだままだった。そしてこの米国版「失われた10年」は第二次世界大戦まで出口を見いだせなかったのである。

ならば今は批判を浴びているバーナンケ議長ではあるが、この経験を踏まえるとそのまま戦争に向かうよりは彼の救済という実験の方がまだ良かったのかもしれない。だが一つ問題がある。30年代も規制が野放しになった金融機関が暴走してバブルが発生、そしてそれが破裂した。ただ当時の米国人はまだ純朴だった。バブルを反省し、直後の33年にはグラスステイーガル法をはじめとする様々な法律をつくった。ところが今の金融機関は法律の抜け道を探りながら自己保身をする術は長けている。また「金融機関をいじめると株が下がるぞ」と脅す傲慢さを身に付けた。そして彼れらは今スイスに集まっている。この様な金融機関を救った事がどう出るかは神のみぞ知る。バーナンケの真価が判るのは10年後だろう・・。




2010年1月29日金曜日

魁皇に学べ

スイスという国はやはり食えない。ダボス会議のタイミングを狙っていたのだろう。或いは参加者にUBSの顧客がいるのかもしれない。いずれにしてもスイスはこのタイミングで米国と約束したスイスの銀行に隠し口座を持つ米国人の名前の公表を一方的に延期した。

日本もこのスイスの様な腹黒さが必要だ。そしてその日本では立花隆が「政治と金」で小沢バッシングをしている。彼の場合大昔に田中角栄を追い込んだレポートで名を挙げた事が忘れらないのだろう。だが、ならばこの米国で先週起こった最高裁の判決について、米国の属国に甘んじる日本がその米国に対してどう対処すべきか。彼がジャーナリストならそれも小沢批判と同時に展開すべきだ。

日本では報道されていないが、21日米国最高裁は65年前に制定された大企業が選挙に献金出来る金額の上限を定めた法案の撤廃を5対4で可決した。米国では金が政治を決める事を最高裁が認めたのだ。この判決に大統領と民主党は激怒。オバマは大統領令で対抗する姿勢を見せた。そしてこのムードが昨日の一般教書演説ではそのまま出てしまった。

昨日の演説では通例従い大統領に向い左側に民主党、右側に共和党が陣取る構図。そして大統領を雛段とするなら、主賓席のド真ん中には最高裁判事の9人が座っていた。そしてオバマは眼下の彼等に向かい、間接的表現ながら先の判決を批判するスピーチをした。その瞬間湧きたつ民主党と横で呆然とする判事。最高裁の判事という名誉職にある彼等がこの様な扱いをされた事があるだろうか。

日本ではこの一般教書でも民主党と共和党の対立の構図ばかりが取り上げられた様だが、実はこの光景が一番異様だった。そしてその一般教書全体ではだらっと座ったままのクリスドットや共和党メディアに大あくびの瞬間を取られたハーリーリード等、バーナンケの承認票獲得にかけずり回った民主党上院の重鎮の疲れが今のこの党の状況を物語っていた。

ただ小沢幹事長の隣でいつも居眠りをしている姿をTV等で取られても国会議員を続けられる羽田元総理の様な存在はこの国にはいない。下院議員には2年毎の改選が待っている。そして勢いを増すと勝手に考える共和党だが、激震のマサチューセッツでも民主党候補を否定した州民の75%は共和党の政策には賛同してはいない事が判明した。同様に、日本では鳩山政権の支持率が落ちているが、だからといって自民党が支持されているとも思えない。

ところで朝日新聞のWEBでは、オバマはその一般教書演説で中国やドイツを競争相手としてを挙げたが、日本の名前が出なかった事を「存在感が薄れた」とトンチンカンな解説で論評している。そもそもオバマがドイツを取り上げたのは、民主党と同じ環境への取り組みをしているドイツを誇張したもの。存在感とは全く無縁の脈絡だ。

そして同じ朝日のWEBコラムは小沢問題を女性誌と同じ視点で取り上げている。政治はクリーン、でも経済は米国の競争相手・・とは、最早FOX化した読売を別としても、日本の代表的新聞がここまで非現実的なアプローチでいいのだろうか。

そもそも目立つという事が好いとは限らない。そのよい例が魁皇。魁皇が千代富士の大記録を抜けたのは彼が大関だったからだ。もしまかり間違ってどこかで横綱になっていたら彼は千代の富士に並ぶ事はなかっただろう。なぜなら横綱は9勝6敗を続ける事は出来ない。大記録の前に引退を迫られる。彼の実力では大関だった事が大記録に繋がったのだろう。

そんな中で日本は今年はGDPで3位になるという。これは悪い事ではない。中国を競争相手として意識しなくてよい。古来からの歴史に照れせばこれで日中関係は正常に戻り、アメリカから変な脅しを受けなくて済むかもしれない。しかし居心地の良い3位に留まるためにはそれはそれでその為の戦略が必要。無策では3位からも滑り落ちる。その意味では日本最大の新聞のコラムがこの程度である事はお寒い・・。




2010年1月28日木曜日

金融を守る人と市場を守る人

そういえばこのイベントも冷戦後の産物。だが昔のオーラは失せてきていると感じるのがダボス会議だ。ただそれでも今年はそれぞれの政府から規制強化の圧力を受けている金融機関のトップが強調戦線を張るべく集まっている。この会議を大手メディアで唯一中継しているCNBCには本日バークレイズのダイアモンド会長が登場し、米国政府に対して米国単独で金融に規制をする愚かさを説いていた。彼は米国だけが規制を強化すれば、米国の市場は細り参加者はロンドンやシンガポールに行くだけ。それは米国の利益にならないと説く。これはグローバル金融機関のトップとして偽らざる本音だろう。そして今までのオバマ政権ならガイトナーやサマーズが同調するはずだ。また国益を考えればそんな愚かしい事を米国がやるはずがないと大多数の金融マンが考えるだろう。だがこのままではダイアモンド氏の意見が通らなくなる可能性を個人的には感じる。その理由は米国の金融の発展の歴史にも起因する。

ソレを紹介する前にまずこの国の成り立ちで多くの人が勘違いしている事を指摘する。それはこの国がその名の通りUNITED STATES OF AMERICAである事。これはこの国が州の寄せ集めであり、今でも中央が州を支配している概念は薄い事だ。先進国でこんなカルチャーを維持している国を他には知らない。米国は英国から独立した13州に多くの場合それぞれの州が民意を確認しながら合衆国に参加していったが、ハワイやアラスカを除いても大陸全体が合衆国になるまでには100年程度かかった。そしてこの過程で金融は地域型になり、全体を網羅する大きな金融組織は出来なかった。幸か不幸かこれがこの国では間接金融よりも直接金融が発展した背景とされている。そして自己責任である以上は過度な規制もしない所謂「WIN BY SWORD, DIE BY SWORD」のカルチャーが育った。だが時代と共に金融の規模が拡大、そしてFRBが誕生後は適度に規制も強化された。ただ規制は遅れがちなり、その度にバブルは生まれては壊れた。だがそれでも原則は維持された。ところが冷戦後の頂点においては適度なところでバブルを崩壊させるこの国の防御作用のDNAが失われた。結果、金融危機ではWIN BY SWORD, WIN BY GOVERNMENTという処置をせざるを得なかった。そしてその最大の理由が世界中に張り巡らされた金融ネットワークだ。

だがこの国には昔のDNAが残っていた。それを簡潔に表現するなら市場と金融を分けて考える事。市場は守るが金融カルテルを守る必要はない。これがTOO BIG TO FAILを否定する根源。だが世界の今のスタンダードからは現実的ではない。ただオバマ政権の救済劇は米国が忘れていた金融に対するDNAを呼び覚ました。そんな中で金融はロビー活動に忙しい。ダボス然り。彼等は金融と市場を同一視させ、株の下落を人質にする事で自らの利益を離さない。そしてそれに踊らされるのがクリントン時代からの民主党議員だ。彼等と保守の差が明確になった今、この先は民衆がその本質に気付くかどうかがポイントである。

ただまだ金融側は有利である。なぜなら既に救済がなされた今、反動としてのこのパージを乗り切れば、共和党が盛り返しても次は規制が少ない天国が待っている。だが神様そんな優しくは無い。流動性過多の今の金融市場はまさにバベルの塔の様相である。




2010年1月27日水曜日

肩代わり政策

今日のワシントンポストには米国が中心となりロンドンで開かれたアフガン戦略会議において日本と英国が500億円の新戦略基金の音頭をとるとの記事がある。記事ではこの会議には70の国が代表を送っているとあり、米国からはヒラリーが参加している。どうやら自軍をアフガンに展開するNATO加盟国が中心だが、そこに日本の代表がいるかどうかは定かではない。そして日本は「米国に約束した4000億円のアフガニスタン協力資金」から最大の資金提供が見込まれるとある。

ちょっと待て。そういえば11月ごろ鳩山政権は「アフガン復興」への資金協力を約束をした・・。との報道をさらりと聞いた記憶がある。だがソレが4000億円という巨額である事と、記事が事実なら「復興」の名目だったはずが、まだ戦闘中のアフガンに米国の要請で資金を提供する事になる。これは捨ておけない事態である。

そんな中で日本の報道からは相変わらず小沢問題と普天間以外聞こえてこない。またこの様な重要な会議に日本の代表者が参加者しているかどうかの報道もない。ではなぜ基本的に米国の戦争であるアフガン戦争において日本が英国と同格の責任を持つ国として扱われなければならないのか。こんな事が起きている事態を日本のマスコミは知っているのだろうか。

記事よるとアフガン戦争において米国は大幅な戦略の見直しを迫られた事が判る。以前パキスタン軍と米軍の関係が悪化している話を紹介したが、そんな中で3万人を増派したオバマ政権はこれ以上の犠牲は払えない。そこで戦略を変更し、武器を実弾から現金に変えた。タリバーンの兵士の80%が金が目的である事を知り、米軍は自分の命を危険に晒して彼等を殺すのではなく、彼らに金と仕事を与える戦略にでるという。そこで日本(資金)の出番となった。しかしそれではアフガン戦争は「米国の戦争」から、復興の名目でいつのまにか「日本の戦争」にすり替えられた事になる・・。

そんなバカな。ここでは以前から「魔境アフガン」に侵攻した国は致命傷を負うという呪いの原則に従い、米国のアフガン戦争に日本が巻き込まれない様に再三訴えてきた。だが終に最悪のパターンになりつつある。そしてこれで米国が普天間で平穏を装っている理由が判った。日本が小沢問題と普天間に気を取られている間に規制事実を創ってしまえばよいだ。そしてこの策略を鳩山政権が承知しているならとんでもない話である。

ところで、今オバマ政権は本当に苦しそうだ。昨日オバマは突然今後3年間の政府支出の凍結を発表した。これを一般教書演説の目玉にするのだが、今までの戦略からしてあまりにも唐突。これではじゃぶじゃぶに麻薬とステロイドを打っておいていきなり20キロの減量を強いるに等しい。全てはマサチューセッツの選挙が転換点となったが、経済の根幹の住宅でも、3月をめどにファニー/フレディー(住宅金融公庫)を通しての救済とFEDによる住宅債券の買い取りプログラムを本当に止めるつもりの様子。

だがそれでは市場が再び下落する危険性が高い。だからファニーフレディーから民間が引き取った債券の値下がりは政府保証を付けて民間に出資を要請している。要するに全ての政策が資金的な限界に達しつつある米国はいかに負担を第3者に「肩代わり」させるかという戦略に出た。米国は本当に必死だ。優秀な人材が集まるこの政権はその知恵を終結してこの戦いをするだろう。日本はそれを承知で米国と対峙しなければならない。さもないと米国に引きずりこまれ、死ぬのは日本になる・・。




2010年1月26日火曜日

偽ゴールデンクロス

ここ数日バーナンケの再任問題で揺れている株式市場ではあるが、昨年3月の大底からこれだけ戻ればこの国でも危機を忘れた言動が出るのも当然である。そしてその回復はバーナンケFRB議長とガイトナー財務長官が主導したものだ。そんな中今日まで私はある重要な事実を知らなかった。それは何か。まず2000年と2010年を比べると、米国の株式指数が全く上昇しなかった事が判る。要するにこの10年間は正しく銘柄を売り買いしないと儲からなかったという事だ。ソレは知っていた。だがソレが米国史上で初めての現象であるという事を今日まで知らなかった。株価が1990年の1/3の水準に留まりながらそれなりに国が成り立っている日本からすれば、この米国の状況は驚くに値しないだろう。だが歴史重視の自分としては重大な見落としだった。

元来変化の激しい現象面にとらわれず、本質を考えるようにしてきた。だが10年という長さで物事を考える事は難しい。そんな事が出来るのは学者ぐらいだ。しかし本日これが米国の歴史で初めて起こった現象である事を知り、これがアクシデントではない事を確信した。これはチャートでいう「偽ゴールデンクロス」である。「短期波」は時の政府やFEDが動けば変えられる。だが10年という長期で起こるモーメンタムは一人の大統領やFED議長によって方向性が変化するものではない。今はバーナンケによって一時的ゴールデンクロスが起きた状態だ。だがこのゴールデンクロスが偽物なら、それは国家として長期低落傾向の前兆でもある。

(注)ゴールデンクロスとは短い周波の平均値曲線が長い周波のソレを上回り、それを起点に実際の株価が上昇するパターンを言う。だが同じ事が起こっても株価が上がらない事があり、その場合(偽ゴールデンクロス)は寧ろ株価の大幅な下落傾向の前触れになる事が多い。

そもそも私自身は2000年を前に「米国の2000年頂点説」を唱えた。しかし結果は間違っていた。振り返るとその要因には9/11とステロイド経済へが挙げられるが、この二つの要因も米国の二つの支配者層、即ちそれは「軍産複合体」と「金融カルテル」の最後の手段だったのかもしれない。そして冷戦後はどちらかのカラーに染まってしまった議員はブッシュのイラク侵攻を止める事はなくまたクリントンが提案したグラスステイーガル法の廃案に賛成をした。しかし事態が失敗に終わると政治はポピュリズムという民主主義の悪癖を抜け出せない。そして建国の父が残した見事な民主主義の形態も、国民の資質が変わると機能しない例が上院のフィルバスター制度だ。60年代まではフィルバスターは法案の6%がその対象だった。だがブッシュ政権後は法案の70%がフィルバスターにさらされる。これでは2大政党制という単純な構図の中、議会情勢は激しく変われど大統領は何もできない。そして国が動く時は9/11か金融危機というショックドクトリンだ。

いずれにしてもこれからも個々の現象に市場は敏感に反応するはず。よってオバマ政権が新たに繰り出す刺激策にも市場は反応するだろう。だが米国がいくら永遠の成長神話を信じたくとも必ず真実を知る時が来る。それは中国や南米の成長を先取りしたバブルが弾ける前の住宅市場の再びの下落が切欠ではないか。この絶望的状況に初めて米国は自らの現実を悟る。この時バーナンケはどうなるだろうか。過去の歴史では国家はそんな時に「全体主義」が「共産主義」の両極端に別れた。米国とて例外ではない。第二次世界大戦ではフランクリンルーズベルトのもとで米国も全体主義に傾いた。ルーズベルトがヒトラーや東條と違う点はその戦いに米国が勝ったという事だけである。








2010年1月25日月曜日

半官半民の災い

ここではバーナンケFRB議長の承認では一波乱あるとずっと言ってきたが、この株の動きをみると、やはりその是非は現実的な危機として市場関係者に意識されていなかった事が判る。そしてCNBC(金融市場専門番組)では金曜日からバーナンケ再任のシュプレヒコールがあちこちから起こっった。だがこの国は最早CNBCに出てくる人の常識をこの国の常識とする保証はない。そしてバーナンケ擁護の大半は「FEDは完璧ではなかったが、バーンナンケはその中でベストの仕事をした」というモノ。ならばCNBCとは無縁の世界の人々の怒りは誰が処理するのだ。この様な理性的な分析は衣食が足っている人々の自己弁護にすぎないと感じる。


そして自分達の不人気の原因をバーナンケに押し付け、彼の承認を躊躇する上院議員の弱腰を某ファンドマネージャーは「フランス革命」と表現していたがその通りだろう。そしてこの混乱の責任はやはりオバマ本人にもある。彼は昨年の夏には早々とバーンナンケを指名してしまった。当時市場ではサマーズがバーナンケに代わる存在として浮上しており、オバマはそのような雑音を消すためにもバーナンケ支持を表明した。しかしならば道義的には先週発表された金融機関への規則強化はおかしい。バーナンケは危機後の処理で活躍したとはいえ、彼が危機を防げなかった責任は全く問わず、民間の金融機関だけを悪者にするのは片手落である。オバマ自身がこんな矛盾を続けていれば、先日の規制法案もただ政治的なポーズと受け止められるだろう。

ただこの様な危機を経てこの国の中央銀行の在り方も変わるはずだ。前述のように規制当局としての失態はグリーンスパンやバーナンケ、またNYFEDの長官としてのガイトナーという個人の責任としては語れない世界だ。個人的には元凶はファニー/フレディ(住宅金融公庫)や渦中のJALにも言える「半官半民」という組織形態である。

振り返れば実は健全と思われたころの米国経済にも真の意味で完全な市場原理は介在しなかった。なぜなら米国の消費力はファニー/フレディーという半官半民のエンジンを半官半民のFRBが舵取りをした結果だ。そして人間の欲の結果、「半官半民」はリスク許容の軌道を逸脱してしまった。それはありもしない市場原理を過信したからかもしれない。いずれにしても民間に自主的な規律を求めるなら、まずはFEDが完全な国家機関になる事が先だろ・・。

(注)FRBは米国の中央銀行としての組織名称だが、定款上は国家機関としての規定はない。まず12の支部があり、その支部は元々地元の有力な地銀の集合体である。そして支部のトップの人事権は出資者の金融機関が維持している場合が多い。例えば最大のニューヨークFEDの人事権は株主であるWSの大手金融機関が持っている。即ち現在のNYFEDの長官はゴールマン出身のBダットレーでその前任は現在の財務長官のガイトナー。だが彼等をトップに据えたの実はNYFEDの役員会を牛耳るそのウォール街の民間金融機関である。そしてその12の支部を統括する立場なのがバーナンケ議長をトップとするワシントンのFRB本部。そのバーナンケ議長と彼を補佐する理事の人事は国家機関として議会の承認を必要とする。実はこの構造がFRB批判の温床である。なぜなら今回の金融機関の救済劇はFRB全体で行われた印象を持つが、実際の救済の立案と実行はNYFEDが中心で行われた。そのNYFEDの理事会が救済されたWSの金融機関に牛耳られていては批判が起きるのは当然である・・。





2010年1月23日土曜日

命の覚悟、救済から規制へ

既に相場は動いてしまったが、それだけ昨日オバマの記者会見は重要だった。そして昨年3月の株高への転機となったオバマの記者会見を「南極」とするなら、この会見は「北極」となろう・・。

まずその3月では事前にサマーズの動きが活発になった。彼はクリントン政権で財務長官を務めた重鎮だ。そしてそれまで就任したばかりのオバマは危機の元凶となった金融機関に対して厳しい態度を取っていたが、サマーズが経済政策の前面に出てくると同時に金融機関に対する態度は緩んだ。これは金融機関に対して厳しい態度を続ける事で株安が放置されると、オバマ政権がカーター政権の二の舞になる事を心配した民主党実力者の意向が反映されたからだろう。そして狙い通り株はそのまま上昇軌道に乗った。ソレが2009年までである。ところが、株高は政権と民主党に全く味方をしなかった。それが証明されたのがバージニアとNJの知事選と一昨日のマサチューセッツの上院選挙である。(マサチューセッツ上院選は民主党候補が敗北)

これを受け共和党陣営は健康保険法案を攻撃、民主党の「大きな政府」は間違っていると攻勢を強めた。だがオバマ政権は健康保険案が選挙での敗因だとは思っていない。事実そうではない。敗因は株高を達成しても、それが全く雇用回復に結びつかず、寧ろ金融機関の高給を復活させただけに終わった事実に国民が怒ったと考えたのである。そしてその結果を受けオバマは覚悟を決めた。その意思の表れが昨日の金融機関の業務を限定する記者会見である。この会見でオバマはこれまでにない強い口調で金融機関に警告を発した。

「IF THESE FOLKS WANTS A FIGHT, IT IS A FIGHT I AM READY TO HAVE」(今度逆らってきたらこちらにも覚悟がある。だから金融機関はそのつもりでいろ・・)

こんな表現をしたオバマは初めてだ。そしてその横に立っていたのはサマーズではなくあのボルカー。彼はカーター/レーガン政権下のFRB長官。オイルショック後のインフレを短期金利を20%まで引き上げる強硬手段で退治した。そして3月の「南極会見」を演出したのがサマーズなら、今日の「北極会見」を演出したのはボルカー陣営。即ち今日はWS寄りの株高戦略を演出したサマーズ/ガイトナーから、オバマ政権内の経済政策チームの軸がボルカー陣営にが移行した記念日となろう。ただ一つ気になる事がある。

あまり知られていないが、暗殺されたリンカーンとケネデイーには共通の敵がいた。それは当時の金融カルテルである。リンカーンの時代は古すぎるが、ケネデイーには他にもあまりにも多くの敵がいた。従って暗殺の背景に金融機関の名前が挙がる事はない。だが彼はFED(中央銀行)から紙幣発行機能を取り上げ、ソレを国家のもとに置こうとした(財務省発行の国家紙幣)。そしてそれを大統領として最初に断行したのがリンカーンである。そしてその時の財務省紙幣の裏側が緑色だった事が現在の米ドル紙幣をグリーンバックという呼ぶ所以。だが今の紙幣はFEDが発行している。よってグリーンバックの真の意味からは「偽物」である。ケネデイーはそれを本物に戻そうとした直後に暗殺された。いずれにしても、これだけの事を言い放ったオバマは、本気なら命を掛ける覚悟がいるだろう。



2010年1月22日金曜日

教授とコーチ

徳川5代将軍の綱吉と8代将軍の吉宗は好対照だ。綱吉は派手好みで元禄文化を生む一方財政を傾かせた。そして将軍としての裁量でも赤穂浪士の処罰では決して良く描かれない。一方の吉宗は質素倹約で財政を立て直した一方、淀屋を追放するなど反商業主義、反市場主義を断行。商人の横暴を抑え、武士と民の暮らしを重視した。そして彼は暴れん坊将軍や大河ドラマなどでいつも良い将軍として描かれる。

要するに、実際の庶民生活は綱吉時代の方が吉宗時代よりも豊かだったにもかかわらず、日本史では綱吉を愚帝、吉宗を賢帝としてきた。その理由をこの時代に詳しい堺屋太一氏は、江戸時代、歴史の編纂を担当したのが学問は優秀、だが商人に比べ薄給だった幕府の下級武士だったからだとし、それが現代の官僚の狭小心に通じているとの分析をしている。(日経ビジネス文庫、歴史の使い方 参照)

なるほどそうかもしれない。ならば米国はこんな国だ。いい例が大学。ハーバードの教授陣でも彼等の平均年収は1200万円程度だ。だがフットボールやバスケットなどの人気の大学スポーツのコーチの年収は1億円以上である。いうまでもなく大学は学問の場。そして教授がコーチよりも学問的に優秀である事に疑いはない。だが米国ではコーチの方が教授より給料が高いのが当たり前の社会だ。そして建国以来、米国の成長と金融の拡大はこの論理で機能してきた。

ソレが今の日米では株の国(米国)と債券の国(日本)の違いとなり、更にはそれが「インフレ享受国」と「デフレ享受国」の差になった。だがもっとも大事なのは歴史では米国は250年の実績に対し、日本は2000年存続している実績があるということ。堺屋太一氏は自身が官僚出身であり、また元経済企画庁長官としての視点で米国型の成長の論理が今の日本には必要だと説く。なるほど、だが個人的には吉宗の倹約があったからこそ徳川時代は続き、またその閉塞感があったからこそ維新に向けてエンルギーが蓄積されたと考える。

一方で今の米国の成長の為には手段を選ばない風潮は米国建国の父の遺訓には存在しない。(ベンジャミンフランクリンの13の遺訓参照)。要するに、今の日本が非成長主義に陥ったからといってそれが日本史の全てではなく、また逆に株の国を標榜しても金融に頼る以外に成長の数字が見込めない米国がこれからどうなるかは判らないという事である・・。




2010年1月21日木曜日

ドイツ型への回帰

昨秋NBC放送が共催し、著名投資家のWバフェットと、マイクロソフトのBゲイツがコロンビア大学の学生を前に講演した際のビデオがこちらでは何度も再放送されている。昨日もマサチューセッツの上院選挙の結果を待つ間もCNBCではそのビデオを流していた。

個人的にバフェットにもゲイツにも全く興味がないが、しかたなくその再放送を眺めていると、いろいろな質問の後である学生が「米国の資本主義はこれからも大丈夫か?」とバフェットに質問した。そしてバフェットの答えは「米国の資本主義は過去150年も機能してきた。だからこれからも大丈夫・・」だった。何とピュアな反応だろう。この単純な答えを改めて聞くと、あのバフェットをしても結局米国は「経験主義」の国である事が改めて感じる。

さて、その米国よって開国を迫られ、英国から富国強兵の必要性を教わった日本は国家のシステムに関しては「経験主義」を否定したビスマルクのドイツから学んだ。この組み合わせの妙が明治の日本の近代化が成功した背景である事は有名だが、当時のドイツと米国との違いは元々勤勉である国民を健全な官吏官僚が正しく導いた時の成果をドイツが実証したのに対し、超大国への道程にあった米国は民主主義という回り道をしていた事だと考えている。

そして米国の民主主義と市場原理の資本主義は結果的に両輪として機能し大輪の花を咲かせたが、(それを体現したのがバフェット。彼が天才たる所以はバフェットは米国の成長という必然に合わせて余計な事をしなかった点。だから彼が~をしたと、特別な手法を持っているがごとく周囲が書いた本を読んでも意味は無い。)しかし今や先進国で市場原理といえる国家は実質皆無。ならば、結論からすると市場原理を国是としなくなった米国では民主主義は嘗ての様な効果は期待できない。よって日本ここから先にの米国から学ぶものは少ない。むしろ国民の気質が似ているドイツを見よ。そしてその最たるは政党政治の在り方だ。ドイツは2大政党制を敷いていない。

米国民は昨年オバマを選んだ。だがそのオバマが最も力を入れた健康保険法案はオバマ政権が金融救済を優先したために国家財政が破綻寸前になり、その財政を更にに悪化させるとの共和党の宣伝の前に破れ去ろうとしている。ただ実態は国民の大半は複雑なオバマの保険法案の詳細を理解していない(NBCジョンハワード氏)と言われる中、現状への怒りから反発しているのである。

これはオバマにとっては皮肉な結果である。なぜならそもそもブッシュ共和党が規制を怠り、イラクにかまけて彼らを野放しにした為に金融が暴走して危機が起こった。そしてその後始末をさせられたのがオバマ政権のこの1年。しかしオバマ政権にとっては最も大事な改革を目前にしながら、現状に不満を持った国民が敵側 になびいてしまった。見方を変えればこれは2大政党制という多様性にかける政治体制の側面でもある。

この米国の政治情勢の不安定さはバフェットが経験した中長期の成長を前提にした民主主義と資本主義の両輪の回り道姿と同じではない。端的に言ってバフェットはいい時代に生まれたのだ。そして国力が下り坂での2大政党制がどんな姿になるか。これから米国は初めて体験する事になる。これは世界にとっても未知世界だ。その前に日本はこの2大政党の弱点に気づくだろうか。まあ丸の内オアゾの丸善の入り口にバフェットの本が山積みになっている間は無理だろうが・・。



2010年1月20日水曜日

余裕の言葉の復活

今日の株高の後、株式市場からは久しぶりに「GRIDLOCK」(物事がからまって停滞した状態)という言葉を聞いた。ブッシュ政権2期目の中間選挙で民主党が大躍進した後、国家体制が政権は共和党、下院が民主党になった時、金余りの金融市場では債券のイールドカーブを「コナンドラム」(グリーンスパンの言葉)そしてジリ高が止まらなかった株式をこの言葉で表現した。という事は、今日のマサチューセッツの選挙結果に関わらず、11月の中間選挙で共和党が躍進する事を市場が織り込み始めたという事でもある。

2004年以降、過剰流動性が顕著になる中、金融市場はクレジットに「サブプライム」の魔物を生みだす一方で株式相場にはジリ高の正当性を求めた。その一つの答えがこの「GRIDLOCK」だ。そして今、最高値を更新中のメキシコや南米の株式市場にサブプライム同様のバブルを感じる一方、危機から僅か1年で再びこの言葉に正当性を求め始めた金融市場をみると、バーナンケがバランスシートを3倍にしてまで生みだしたこの流動性の価値が一体何だったのか。それを問われないまま米国がこのまま済むとはどうしても思えない。

そして政治が「GLIDLOCK」である事に危機意識を持たない米国はあまりにも歴史感覚が無さ過ぎる。何度も言うが、国力が右肩下がりになってしまった後の民主主義は醜い。政治は衆愚政治にならざるを得ず、何も決まらないまま右往左往するだけだろう。チャーチルは「民主主義という政治形態は決して理想的ではない。だが、独裁体制や共産主義よりもましだ・・」との有名な言葉を残した。今の米国にはチャーチルほど達観した政治家は見当たらないし、また民間もこれまで優秀とされた人はまだ「金儲け」の領域を抜け出していない。それがこの国の最大のリスクである。

ところで、社会的インフラがある先進国なら何も決まらず停滞する妙を「GLIDLOCK」などと言っていられるが、貧しい国はそうはいかない。そして何も進まない状況が稀に見る危険な状態になりつつあるのがハイチだ。ハイチではこれ以上援助が遅れると被災者は人から獣に変わるリスクがある。この危険性は四川省やスマトラ沖の大地震後の災害では感じなかった事だ。日本の報道からは「神戸の経験」を活かしてなどと悠長な言葉が聞かれるが、今の状況ではハイチへ派遣された医師団やNPO関係者は小泉首相によってイラクに派遣された自衛隊員の10倍の危険がある事を認識しなければならない。そしてその危険性を感じた米国が本日物資よりもまず海兵隊2000人の派遣を決めた事が示す様に、日本も一刻も早く援助団の安全を守るための自衛隊派遣団を増員すべきだろう・・



2010年1月16日土曜日

平和に踊る大捜査

米国で日本の衆議院に相当するのが下院。その下院で与党民主党の重鎮として現在金融改革の先頭に立つのは同性愛者である事を公にしているバーニーフランク議員である。ここでは時より彼を「タヌキ」などと揶揄する。だが人懐っこい庶民的なキャラクターもあり、彼の政治基盤は盤石である。そして彼は一昨年同じ同性愛者だった住宅金融公庫最大手のファニーメイの重役との特別な関係が噂となった。だがそんな噂はものともせず、彼が中心となって決めたファニーメイ救済案のおかげで今のところ米国の住宅市場は崩落を免れている。

また上院のクリスドット金融委員長はTARP法案設立で中心的な役割を果たした。ただ彼はあまりにも巨額な献金を金融機関から受け続けた事と、自宅の住宅ローンではローン会社最大手のカントリーワイドから特別に優遇された低金利待遇を受けた事が公となると失速。今秋の上院選での再選をあきらめた。だがTARP資金で米国の金融市場が救われた事は言うまでもない。そしてこれ以外にも現役の国会議員と業界の癒着のスキャンダルはこの国では日常茶飯事である・・。

さて、日本人は米国は正義が優先される国とのイメージを持つかもしれない。だが前述の例も含め、この国の検察当局の優先順位の付け方は日本とは違う。こちらの検察は正義より明らかに国益を優先している。よって米国では司法長官を抱える政権とその関係者に対して司法が発動するは事は稀だ。以前に現職大統領だったニクソンが微罪で辞任に追い込まれたが、この事件は70年代という特殊な時代に大手MEDIAが先手を打ち政権がソレを抑えられなったという特殊な側面がある。だがその例を除けば、絶えず戦争をしている米国では国家を指揮する立場の人がチンケな理由で途中で起訴される事によるリスクは敢えてとらない。

一方日本。個人的に小沢氏の肩を持つ気はない。また小沢氏は党の幹事長であり表向きは政権関係者ではない。だが小沢氏が最高権力者である事に疑いはなく、ならば東京地検の意図はなんだ。東京地検の優先順位の背景が知りたい。万が一にもそれが自民党や米国の意図を受けたものなら問題だ。そして「小沢詣で」をしながら小沢氏がピンチなると手のひらを返したように辞任を要求する中堅以下の議員の存在も醜い。当選するもしないも小沢次第ではあまりにも政治家として気概がなさすぎないだろうか。いずれにせよ平和の中、国民に戦をしている意識のない間は意味のない話かもしれないが・・。




2010年1月14日木曜日

日本史の原則、蘭麝待の危険な香り

停滞する経済の中、答えを見いだせない現実を何とかしたい気持ちの表れか、日本滞在中に気付いたのは日本が歴史ブームにある事だ。ここ数年の大河ドラマが若い人を引き付ける役者を揃えた事も貢献しているのだろう、「丸善」には懐かしい「山川」の歴史の教科書が新刊コーナーに山積みとなっていた。

ところでその日本の歴史には特定の主役がいる事を改めて思い出してほしい。歴史に特定の主役がいるというのは他国ではあまり例がなく、それは言うまでもなく皇室だ。日本史の流れでは途中武家が織りなしたドラマも結局は天皇を超える事は出来なかった。そしてその「日本史の原則」からすれば、権力を既に掌握したはずの小沢幹事長の昨年の行動は今となっては軽率だった事になるかもしれない。

なぜなら誰も知っている日本の歴史をみても過去権力の頂点にあった人が天皇の存在を超えようとした瞬間、あるいはその存在価値を無視した瞬間にその座を失った事実は有名。ならばなぜ小沢氏はこの原則を無視したのだろうか。習近平が天皇と会ったあの場面はオバマ大統領が自然に天皇に頭を下げた瞬間と比較しても習氏の威圧的な態度は日本人には衝撃だったはずだ。

ただこの国に住んで米国の衰退を目の当たりにする立場からすれば日本が米国から中国に軸を移す選択に議論の余地はない。だが小沢氏の権力は既に盤石だったにもかかわらず、それを敢えて誇張したいがための民主党の大訪中団と胡 錦濤主席との握手は、仮にその代償として習氏と天皇との面会が強引に用意されたならば必要のない拙速かつ勇み足だったのではないか。

個人的には今の日本に必要なのは竜馬ではなく西郷隆盛の様な剛腕と考えているだけに、それにもっと近づいた小沢氏が今失脚するのは残念だ。だが仮にそれが避けられないなら歴史上天皇を超えようとした前例とされる足利義満と織田信長に習い、小沢氏は蘭麝待の御香だけでも嗅いでおくべきだろう。まあこの匂いを嗅いですぐに命をおとさないならば良しとすべしか。


2010年1月13日水曜日

2010年の位置

そもそも「正しい事」と「よい事」は似ているようで全く違う話だが、米国に戻って早々「FEDの昨年の(帳簿上)利益が史上最高になった」との自慢を神聖だったあのFRBがしている様をみると、自分が再びデイズニーワールドに戻って来てしまった事を自覚せざるを得ない。だが「正しい行い」が常に「良い結果」を生むとは限らないのが人間社会とするなら、政治や経済は「正しくない事」をしても「良い結果」になれば合格点が貰えるという事。そして2009年の金融市場が示す通り、そのマネジメントは米国は日本よりも徹底している。だがその人間社会の原則も最後は神の意思が如く万物の原則の中では一時の現象面に過ぎない。2010年はソレが示唆され、2013年ごろにその結末を迎えるのではないか・・。

ところで帰国早々興味深いニュースがあった。いうまでもなくマサチューセッツ州は民主党の総本山。2つの上院議席と10の下院議席の全ての国会議員の議席を民主党が押さえ、また州知事や州議会の過半数も民主党である。そのマサチューセッツで19日に故ケネデイー議員の後任を決める特別選挙が予定されている。民主党は現職の州司法長官の女性を担ぎ、共和党は州上院議員の男性が立候補した。そして昨年末までの支持率は民主党の候補者が一貫して二桁の安定的リードを保っていた。ところが先週末の調査ではそのリードが急速に消滅。中には支持率が並んだ調査まで出ている。19日といえばバーナンケの承認のデットラインでもある。日本滞在中は全くそのニュースは入ってこなかったが、新年に入っても同じような話題しかないこの国では19日前後に今年最初のショックが待っている可能性あり・・。


2010年1月4日月曜日

衆口難調の年初、必要は竜馬にあらず。

久しぶりに新年の始動を日本で迎えた。今年はシカゴで紅白歌合戦を観て翌朝にはJALに乗る慌ただしさだったが、紅白からは演歌歌手を駆逐するジャニーズパワー、(この支配力は米国の金融市場でのゴールドマンに匹敵する)また渦中のJALからは乗務員の懇願にも近い必死さを感じた。しかし滞在中の都心のホテルは一昔前のビジネスホテル並みの低価格。最早このデフレは合理化の過程というよりも崩壊そのものではないか。

そして年末年始は恒例の「日本をどうするか」という討論。ただ今年はことさら「衆口難調」だ。これは誰の口にも合う料理を創るのは難しいという中国の言葉。確かに現状不満から自民党政治には明確なNOを突き付けた日本人だが、その後国家としてまた自分自身で何をすべきか決まっていない。だからこの種の討論議論も不毛地帯の様相だ。

ところでそんな日本では今年の大河ドラマは再び竜馬。そもそも戦後の日本では司馬遼太郎という一人の作家によって歴史上の二人の英傑の評価が激変したと言われている。一人は凋落。そして一人は個人的には過大評価と思えるほどの頂点へ。前者は「坂の上の雲」の後の乃木。そして後者は追うまでもなく「竜馬がゆく」後の竜馬である。

まずどう見ても今のNHKは司馬遼太郎と共にあるが、今年の大河はその竜馬を岩崎弥太郎に語らせるという点が実はポイントだ。原作が無く脚本家はNHKの意向を無視できないだろう、従ってストーリーからはNHKの意図が探れる。そして初回を見た限りでは印象は事前に予想した通りだった。

一部の人には話したが今年の大河ドラマは三菱には迷惑なモノになるのではと予想した。なぜなら現在の日本を代表する財閥としての三菱グループのイメージは岩崎弥太郎本人についての伝記や史実からのイメージとは異なると感じてきたからだ。言い換えると「紳士」という三菱のイメージとは裏腹に、弥太郎の時代の西南戦争での暴利や藩札廃止から通貨としての円の誕生における三菱の影響力についてはこれまであまりドラマ等では取り上げられていない。それを今回の大河では敢えて竜馬と弥太郎を対比させる事で盛り上げる意図が初回かも十分感じられた。

この影響は大きいだろう。ジャニーズパワー然り、若い女性からも絶大な人気を誇る福山の竜馬伝が高視聴率になると、弥太郎のイメージを介して三菱に対する一般のイメージも変化するかもしれない。ただ三菱が先輩の三井や住友を上回る力を築いた背景には激動期の弥太郎自身の能力と戦後の米国との関係があるならば、その米国の力が弱まる中で今後の日本の成功モデルがどうあるべきか。結果的にそこまでフォーカスが当ればNHKとしては成功である。

しかしそれはそれとして今ほど岩崎弥太郎の様な人材が再び日本に必要な時はない。そして主役は竜馬だが必要なのは弥太郎という構図は今の政治も同じ。先日舛添前厚生大臣が今の自民党に必要なのは小沢一郎を超える権力者だと言い放った。再び時流「坂の上の雲」の世界に戻るがあの小説で個々の人物に並んで重要なポイントは国家として姿勢。それが一番に現れるのが「皇国の興廃この一戦にあり」の場面である。

この表現は世紀の海戦を前にした東郷による鼓舞の言葉。だが当時の日本の命運はその表現と大差ない状況であったはずで、その重圧の中で登場人物は奇跡的な活躍をする。追い込まれた今の自民党は権力を誰かに集中して乾坤一擲の戦をすべきとする意見と、民主党の自滅を待つ意見があるのだろう。結果は判らない。だが仮に後者が正しい場合は小沢一郎は失脚しているかもしれないが、だがその時日本の姿は再び「引きこもり」を模索しているに違いない。

結局は今の日本人に本当の危機意識はない。だから権力を誰かに集中して日露戦争の様なリスクをとる事など考えられない。ならばその段階では日本をどうするの議論に結論はでない。だが米国から日本人として日本を眺めてこれまでの様な「引きこもり」には最早勝機を感じない。そして結果はともかく日本に必要なのは竜馬ではなく岩崎弥太郎の様な経営者とその竜馬を暗殺した黒幕とされる西郷隆盛の様な決断者である。