2008年5月18日日曜日

老人の負の遺産

16日付の日経新聞にサブプライムの損失上位が出ていた。そこで気づいた事がある。米系ではCITI メリル AIGが突出している。実は、この3社には共通項があった。それはあのエリオットスピッザーである。

お気づきの人もいると思う。この3人は何十年にも渡り、会社に君臨してきた70歳代の経営者。彼等は会社で中興の祖と言われた。しかし2003年の不祥事を受け、全員スピッザーによって強制的引退を強いられた。

競争の厳しいWSで、70歳にまで近隣するのは異常。しかし「中興の祖」ゆえに社内の突き上げはなく、結局スピッザーによって仕方なく去るまでは皆が強権を維持していた。彼らの強制的引退は突然だっただけに、会社は慌ただしく代わりのトップを決めた。

そして唐突にトップになった経営者がプレッシャーの中で取った手段。それがサブプライムだった・・。

2008年5月16日金曜日

支持者の群像

民主党の予備選は佳境に入ってきた。ここにきてオバマ支持を表明した人々には特徴がある。本日はブッシュに時代、SEC長官だったドナルドソン氏がオバマ支持を表明した。先週CNBCに登場したノーベル経済学賞受賞者の全員がオバマ支持だった事は印象的だが、彼らにに加え、グリーンスパンに代わり、俄かに再評価されているボルカー元FED議長、またオバマ支持の態度を明らかにしているソロス。そしてCNBCが報道した、ところで、あのバフェットも本当は最初からオバマ支持だったという。一体これは何を示唆しているのか。これが今回のテーマである・・。

まず金融市場の巨人、バフェット、ソロスそしてボルカーに共通する特徴とは何だ。あまり知られいないが、バフェットとソロスは同年同月生まれである。(1930年8月)。ボルカーは2歳年上。要するに彼らは米国がまだ覇権国家として君臨する前の時代を知っている世代である。

ただバフェットとソロスは全く違う環境だった。ソロスが命からがら欧州から米国にたどり着いたのに対し、バフェットは米国大繁栄をあますことなく体現した人だ。恐らく、その苛酷な体験から、ソロスには人間の愚かさと物事の限界を悟る嗅覚が身に付き、そしてバフェットはあくまでも陽気に米国の本質の成長を体現したのだろう。

彼らはまさに陰と陽、だがバフェットが成功者がよく陥る罠に落ちなかったのは、田舎のネブラスカを動かなかった事大きいと考える。NYは常に時代の先端を走る。よってブームを客観的に眺める事は難しい。彼は巨万の富を築いても、家は昔からの3BEDルーム。車は普通のキャディラックだ。この環境が、時代そのものを眺めるには必要だったのではないだろうか。

そして二人の投資スタイルも対照的。ソロスは物事の限界を感じとる能力にたけ、逆にバフェットは成長がどこにあるかを惑わされず自分で判断した。結果ソロスが英国ポンドやタイバーツを売り、近年ABXの売りで成功したのに対し、バフェットは選別した分野での長期の順張りで富をなした。

一方ボルカーとグリーンスパンの違いは大学である。ボルカーはソロスと同窓のLSE(ロンドンスクールオブエコノミクス)を経験している。だが、同世代のグリーンスパンは、英国から米国を見るを経験していない。このあたりが、その支持者を選ぶ観点にも反映している・・。

2008年5月10日土曜日

偽りのグリーンバック(ドル紙幣)

民主党の予備選も終盤になった。一方共和党の候補者は本来マケインで決まっている。しかし実は共和党の投票用紙には、まだハッカビーとロンポールの名前があり、先のインデイアナの予備選では、それぞれ10万/6万人の票を集めている。このロンポール氏は、選挙公約にFEDの廃止を掲げていた・・。

FEDを廃止などと言えば、突拍子もなく聞こえるだろう。しかしこの種の意見に最初に出会ったのは、グリーンスパンの神格化が始まった90年代後半である。そういえば、日本では日興証券からメリル、出雲市長を経て国会議員になられた岩國議員が同じ事(日銀廃止)を言っている様子。議員のブログを見ると、彼の考えはどうやらロンポール氏やその勢力と同じである・・。

ところで米国には絶対変えられない史実がある。それはFED誕生が1913年(議会)である事。1913年と言えば、米国が英国を抜き、事実上世界の超大国に躍り出た時期だ。要するに、欧州で繰り返される戦争を他所に、モンロー主義、西部開拓(メキシコ戦争)南北戦争を経て、米国が世界のNO1になる過程で、米国の金融システムに中央銀行制度(FED)は必要なかったのである。これは変えられない史実。そして、それは偶然ではなかったのである。

最近こちらのTVで建国の父の一人、ジョンアダムスが取り上げらた事を紹介した。そして、米国の創生期に根源的アイデアを提供したのが、建国の父の中でも100ドル紙幣の顔のベンジャミン フランクリン。彼の残した13の訓戒も紹介した。彼は、欧州の優れた部分を取り入れる一方、既に英国の中央銀行として存在していたイングランド銀行、即ち中央銀行制度は米国には持ち込まなかった。理由は、彼はその存在が引き起こす弊害を欧州から学んでいたからである・・。

では当時の中央銀行が齎す弊害とはなんだったのか。ベンジャミンフランクリンが感じたのは、金融は特殊な才能を持つ特定少数の人々による支配が起こってしまう事だった。それは国益を担う中央銀行でも起こる危険があり、よって彼は金融の機能を拡大せず、また国家としての信用の象徴である紙幣の流通額は議会の承認、即ち中央銀行の裁量ではなく、あくまでも国家が保持する事を建国の国是としたのである。そしてその精神はリンカーンにも引き継がれた・・。

ロスチャイルド4兄弟の一人であるネイサンが、戦時下の英仏両国に資金を提供して儲けた事は有名だ。そしてナポレオンが敗れたワーテルローでは、本国よりも早く英国の勝利を知り、英国債相場でも儲けた事もこの世界では有名である。しかし最近知ったのは、当時情報戦略において既に突出した存在だったネイサンの動向を皆が注目する中、彼は英国勝利の一報を受けとると、まずは英国債を売りに出たという事。そして周りが慌てて投げ売りを出したところで逆に買いに転じたという裏話である。

この話が真実なら、そんな輩をリンカーンが相手にしなかったのは当然。南北戦争では欧州の金融カルテルが北軍リンカーン政府と南軍の両方に資金提供を申し出た。リンカーンはその申し出を断り、米国の未来と真義の象徴として、裏を緑色にした国家紙幣を発行した。これがグリーンバック(ドル紙幣の通称)の本当の由来である。しかし紆余曲折を経て、1913年米国にFEDが誕生した。

そこから現在に至るまで、ドル紙幣の発行権限はFEDに移管されたままである。しかしFED誕生直後からその効果に疑問を持ち、その存在に対して批判を続ける勢力は存在した。しかしその意見は、グリーンスパンが神格化された90年代後半からは殆どカルト集団の様にしか扱われなかった。だが事ここに至り、ロンポールの様に、再び注目する人々が出始めた。

さて、昨日のWSJには、FEDが、準備金に金利を払う事を前倒しで実行する許可を議会に申し出た事が紹介されている。名目は流動性危機への対応と、短期金利が歪な状況に陥る事を防ぐとなっている。しかし実態は金融機関の救済に他ならない。そのコストとして、FEDから国庫への収益が減少する事と、再びドル紙幣が増刷される事が一部から懸念されてる。

FEDは流動性の危機という名目で、対インフレの責務を捨て、金融機関の言いなりになった。その結果増刷されるグリーンバック(ドル札)は、リンカーンが発行した「本物」からはかけ離れたモノになっている。

ノーベル賞学者のフリードマンは、大恐慌はFEDが流動性を過剰に高めた後で急速に締めすぎた事による失態との論文を確かに書いている。一方でFEDの失態は偶然ではなく、外部の力で意図的に操作されていると信じる人もいる。FEDがこのパターンを繰り返すと、世の中のVOLATILITYは停滞と高騰を繰り返す。そしてそこで生き残るの者は益々焼けぶとる。そういえばベアを吸収したJPに対し議会証言では異常な攻撃を仕掛ける人々がいた。彼等は下院の銀行委員としても論客のロンポールの影響を受けていたのだろうか。

今この意見を持つ人々は、FEDは再び過剰流動性と引き締めの失態を意図的に使い分け、VOLATILITYを演出し(インフレはその材料)、新たな焼け太り層の構成という詐欺に着手しているとみるだろう。そしての詐欺に使われるのは、建国の父やリンカーンの理念からかけ離れたいわば偽りのグリーンバックである。

いずれにしても物事には両面がある。FED廃止を主張する意見は、表裏の片面だけを繋いだカルト的論理である事は否定しない。だが、昨日のWSJの記事や、ルール厳守の信義を失ってしまった今の米国の実態を考慮すると、個人的には彼らに賛同せざるをえない・・。

2008年5月7日水曜日

無責任は議会の特権

先週のニューヨークタイムスに財務長官からCITIへ天下ったルービン氏の特集があった。まず興味を引かれたのは、彼はGSのトップだった時、デリバテイブの規制に賛成だったという話。ブラックマンデイは先物が原因とする説が当時あったが、。その際に彼は先物規制に乗り出そうとしたのである。しかし、当時のCBOTから「GSがそんな事をするなら、CBOTはGSを締め出す」と脅され、話はうやむやになった。(ルービン本人弁、しかしCBOTは否定・・)。今のGSの力からすれば、GSが先物取引所の連合に屈したのは意外だった。

それから10年、財務長官の彼は逆の事をした。98年に議会をでデイバテイブ危険論が高まると、ルービンはグリーンスパンとサマーズと協調して規制を阻止したのである。同紙によると、CITIに天下ってからの7年間の彼の報酬は120億。その間は彼は「ヨーダ」の様な役割を期待されたというが、CITIがここまで落ちる間、何の役にも立たなかった。そして今になり、批判が上がっている。

もともと彼は「自分はGSと財務省で究極の責任を担った。もう疲れたのでCITIでは責任を持つ立場には絶対になりたくない」と条件をつけてワイル氏の三顧の礼に応えたと弁明。それは事実だがただ120Mを貰ったのも事実。ならばグリーンスパンと並び彼にも批判向かうのは仕方がないのかもしれない・・。(NYTIMES)

そんな中、本日は議会が銀行の規制強化を言い出した。個人的にルービンやグリーンスパンを一度も英雄視した事はない。だがだからと言って今さら彼らを批判しても仕方がない。実は一番の批判の対象は米国議会である。

ここでは2004年ごろから米国経済をステロイド経済と呼び始めたのはご承知の通り。そしてその起点は99年のグラスステイーガル法の廃止だった。この法案廃止はワイル前会長のCITI帝国を誕生させる野望の一環だったが、当時の議会はグリーンスパンの賛成のレターを参考に殆ど議論もなく決めてしまったのである。

そして、今になりCNBCでさえもグラススティーガル廃止が失敗だったと公言。やっと議会が動きだした。議会は個人でなはい。よって過去の判断の失敗の責任を追及されない特権を持つ。

いずれにしても、庶民が苦境の真の理由が解らないままヒラリーだマケインだと騒いでいる限り、議会の特権は続く・・。