2009年9月30日水曜日

金融ゲームのルール

今日のワシントンポスト紙にはゼネラルモータースやワシントンミューチャル、更にリーマンがと言った倒産株(ゾンビ株)がいまだに活況を呈している事への警鐘がある。具体的には倒産後3セント(2円)まで下落したリーマン株はこの2カ月で30セント(25円)まで買い上げられた。理由はない。ただその過程ではリーマンのビジネスを引き継いだバークレイズの名前を語ったデマが市場に出回った。それからすれば早大OBの株価操作の手口など単純だ。日本のニュースからはリーマンの様な「風説の流布」があった様子もない。逆に言うとこんな単純な手法で40億円も稼げる今の日本の株式市場の異常さには驚く。

繰り返すが今米国で起こっている株価操作はもっと複雑でその分悪質でもある。ところが米国ではその違法行為をマスコミは取り上げても司直の手はまだ伸びていない。これには二つの理由が考えられる。まず米国はあのマードフ事件もいまだ全貌が解明されておらず、責任を問われている証券取引委員会は手いっぱいである事。またNY司法局も金融危機の最中で発生した様々な案件にかかわっている。そしてそれらの案件は複雑な非上場市場が舞台だ。それに比べれば上場市場はオープン。そしてそこでの取引に最早不正の入る余地それほど残されていないとだれもが知っている。

結局オバマ本人が掲げた理想とは裏腹に、国家がラスベガス化した米国では株が上がれば全てが許される風潮は危機以前よりも今の方が強い。そしてその金融市場で重要な要素はゲーム感覚である。一方日本ではゲーム感覚そのものがどうやら否定される。また小僧が簡単に金を儲けする事も社会として許せないのかもしれない。ただ金融国家としてゲーム感覚の蔓延を黙認する米国と精神論でソレを否定する日本は金融市場を通して繋がっている。

そんな中で鳩山政権は金融の本質の性悪説と、物作りの本質の性善説のミスマッチにどう対応するのだろう。その国家的戦略が注目される。


2009年9月26日土曜日

アフガン高原の鳩

「If I must choose between righteousness and peace , I will choose righteousness.  もし私が正義と平和との間の選択をしなければならないなら、私は正義を選ぶ・・。第26代合衆国大統領 セオドアルーズベルト 」

日本の歴史の教科書ではフランクリンルーズベルト(民主党)は大恐慌から米国を救い、第二次大戦に勝利するまで12年間米国を導いた事になっている。だが彼は有名なラシュモア山の岩場にその顔が刻まれていない。最も敬愛された大統領として米国人がその顔をラシュモア山に刻むべく選んだのは、ワシントン、ジェファーソン、リンカーン、そして「フランクリン」ではなく、「セオドア」ルーズベルト(共和党)である。その理由は冒頭の言葉に凝縮されているのではないか。

そして最後にその顔が刻まれるか検討されたのはレーガンだ。だが冷戦を勝利に導いたレーガンでさえこの4人の顔に並ぶ事は出来なかった。また「この言葉」を愛したとされるG.W.ブッシュはまったりとした平和の中で米国の衰退が始まった頃に登場した。彼は何かに焦り、テロを切欠に都合良く周りが演出した独善的正義に乗っかりイラクに突き進んでしまった。

今米国民はその演出を見抜けなかった事を悔やみ、リンカーンからセオドアルーズベルト、またアイゼンハワーからレーガンまで、共和党が伝統的に受けついできた「正義の為の原理原則」まで拒んでしまった。結果米国にはPEACE(平和)への傾斜のみが残った。

そこに登場した友愛(PEACE)という日本の「鳩」。表面的にはどこまでも寄り添う日本がある。日本の国益上今はそれでよい。そして冷戦後の平和が常識となった米国民は今アフガンに絶望している・・。

そんな中でいったいオバマ政権は「イランカード」をどう使いたいのだろうか。日本の平和な「鳩」はその見極めをしなければならない・・。



2009年9月25日金曜日

協調主義下の流動性

オバマが国連で協調主義の重要性を演説する中、ブッシュ政権で米国の国連代表を務めたジョンボルトンは共和党のWEBサイトで「協調主義は米国の利益にならず」とバッサリ切り捨てた。そもそも国連が世界が強調する場として設けられた意義からすると、ボルトンの様な「単独主義者」を国連に代表として送り込んだブッシュ政権の感覚には今更ながら驚く。

だが一方で国連の限界も明らかだ。昨日ガタフィーが国連憲章を投げ捨てた行為は下品、しかし彼がその理由にした常任理事国が持つ拒否権による国連の形骸化という本質は正しい。その意味ではG20も国連の本質と同じ。そこは為政者たちの社交場であって国民生活に変化が起こる新しい方向性が生まれる可能性は低い。

ところでこのサミットがその役割を果たしたのは85年の東京サミット前後までとの分析がある。当時はG7と言われた頃。顔ぶれは米国のレーガンを筆頭に英国はサッチャー、ドイツはコール、フランスはミッテラン、日本は中曽根だった。そしてこの頃のサミットが最も意義があったと評価される背景は彼らには堅固に団結する理由があったからだ。それは冷戦である。だが冷戦が終了してからは会議に仇敵ロシアまで加わった。そしてそこからサミットは社交場へと変わった。

こう考えると冷戦終結がいかに重大な変化点だったかが今更ながら確認できる。そして冷戦を知る世代と知らない世代では人間としての基準が違う事が庶民の声からも感じられる。例えば日本のニュースでは鳩山首相が掲げた25%の排ガス削減の目標について、30代と思しき日本人男性は日本の首相がその目標を世界の公の場で断言した事は良いとしながら、一方で自分の生活が窮屈になるのは困るとも発言していた。

この発言は真に冷戦終結後の世代の感覚を代弁しているのではないか。冷戦前世代の自分からしても彼の発言に違和感はない。寧ろ冷戦後世代には世界の理想を追う余裕がある。だがその協調には緊張から発生する強制の裏付けがないのだ。そして今回のG20は金融の新しいあり方を探るの事が目的。だがその強制力についてはやはり未定だ。

そう考えると昨日のマイヤーのコメントもうなずける。マイヤーはFRB理事時代はタカ派だった。しかし彼は昨日「ドルの水準はFEDの仕事ではない」という言い切った。この発言が本気なら彼は今後はドル安になってもそれがインフレにつながらない事を前提にしている。そして本当に長期金利が上がらないとしたら、それは現行のFEDが直接市場に介入し、またその米国の資金調達を支える国際関係が続く事が示唆する。そうなるとドルの価値が下がるとインフレで国民が困窮すると騒ぐのは共和党保守派の原則論に過ぎないという事か。

そうだ。新しい「協調主義世界」では中国や日本など米国の債券を買い続ける。この様に各国が補完関係を構築する事が米国が目指す協調主義という事である。そしてその理想が永続するなら、金融市場の過剰流動性は本質的に許容範囲かもしれない。ただこの協調主義は永続するだろうか。いずれにしてもドル下落の意味を米国人が実感するのは何らかの理由で協調主義が崩壊してからであろう・・。




2009年9月24日木曜日

ミッション インポッシブル

最新の国勢調査では、直近の統計期間で米国への定住を前提に入国した外国人と、その様な外国人が米国から本国に帰国した数が初めて逆転した事が判明した。原因はまだ不明。だがこの現象は移民の活力が国を強くしたという米国の歴史からすれば無視できない話である。

そもそも国内の米国人にとっては、インフレが進まない限りドル安は緊急の問題ではない。だが米国に在住しながら永住を前提にしない外国人の感覚は別だ。なぜなら彼らが米国を去る時にドル安では、この国で稼いだお金が減ってしまうからだ。そして今その危険を抱えているのは私自身でもある。

前回も紹介したが、米国が「デイズニー経済」を楽しむのは勝手。だが米国在住の外国人は自分で身を守る必要がある。そしてその外国人からすれば今の米国はまるで「老人ホーム」だ。そこには以前の様な新陳代謝の活力はなく、ひたすら痛みを和らげる世界が広がっている。これでは米国に長居は無用。だが外国人にその様に思われ始めた事を「デイズニーワールド」を楽しんでいる米国人は気にする様子はない。

ところで、そんな中で昨日はアフガニスタンで米軍とNATO軍の指揮を執るマカリスタ司令長官の米国政府に充てた手紙の内容がワシントンポスト紙に掲載された。ただ「極秘」との注釈がつきながらなぜ新聞にすっぱぬかれるのか。この甘い結束は良くも悪くもブッシュ時代とは逆である。そしてその内容は来年までに兵員の大幅増派を要請しており、(最終的に全体で40万の部隊が必要)実現しないとミッション(作戦)は失敗に終わると警告している。

完全に成功したとは言い切れないイラクに続き、仮にアフガンでもミッションが失敗するなら、ベトナム戦争後の米軍の戦闘でそのミッションが完了したといえるのは精々グレナダ侵攻と、僅か500人のパナマ兵を相手にしただけのノリエガ政権打倒ぐらいか。

振り返るとその後のソマリア紛争も然り、米軍は限界を露呈している。そして経済における中央銀行の政策に加え、軟弱なイメージを嫌う共和党保守派の抵抗をしり目に金融市場ではドル安が止まらない。だがこのドル安も今の米国の株式には好材料として受け止められている。この現象がデイズニー経済の特徴である。

いずれにしても、保守派が掲げる痛みを伴う米国の権威復活が国民から支持を得られない場合、ドルの価値はこのまま沈んでいくのだろう。ならばその前にこの国を脱出しなければならない。さもなくば自分のミッション(作戦)も失敗という結末になるリスクがある・・。

2009年9月19日土曜日

地区連銀と保守派の復活

来週のFOMCは確かに重要である。その要因として危機の最中は事実上「FRB=NYFED」だったが、このFOMCからは地区連銀が意見を言える状況が整った事を指摘したい。そしてFOMC後の25日からはロンポールが主導したFEDを監査する法案の審議が下院で始まる予定である。既に過半数超の288名が賛成しており、下院は通過する可能性が高い。ただ恐らく上院は通らず、またオバマはサインしないので法案としては成立しないだろう。だが生き残った大手金融機関が焼太りしたのは事実。結果株が上がり、FEDにもTARP資金の大半が金利と共に返還された事で国益にかなった言う事も可能だが、ここまでドル安が進んだ事を怒る米国の保守派勢力を侮るべきではない。

それでも今は内需が弱くインフレがない。またキャリーの結果でドル安が進んでいるだけとの説明も通る。究極は能天気にドル安は株高に繋がっている。だがよく考えると相対価値の為替に絶対価値の株が連動するのはどこかで限界が来る。そして流動性だけで景気を維持する手段は保守派が絶対に認められない新陳代謝を否定した米国の日本化を意味する。そんな中今は商品に入る余剰資金もチャートポイントの手前で引き返す躊躇を見せている。だがこのままサイクルに留まる保証はない。仮にブレークしたら病み上がりの消費者はひとたまりもないだろう。

いずれにしても民主主義の米国ではこのまま金融機関だけが焼け太りしたまま終わる可能性は低い。それを予期してか、救済の恩恵を受けた勢力は健康保険や人種問題等の波風を荒立てて時間を稼いでいる。だがそれでも保守派の逆襲が一旦は起こらざるを得ない状況に米国は煮詰まった。恐らくそこから株は下落に転じる。そのリスクを考慮し、一方で変わりつつある政治の風向きには逆らわずバーナンケは軸をどこに合わせるのか。学者型の彼にはどちらかという不得手な舵取りを迫られるだろう。なぜならまだこの種の手腕で彼は前任者の領域まで達していると思えない・・。



2009年9月18日金曜日

デイズニー経済

世界最大の債券ファンドのモハメドエルアリアン氏は今の米国の株価と経済を「シュガーハイ」と呼んでいた。私ならステロイドや麻薬と表現するところをさすが上品な彼らしい言い方である。だが本日はそれよりもさらに素晴らしい表現を耳にした。それは「デイズニー エコノミー」。

TVや漫画のデイズニーキャラクターは現実を知らない子供達に夢を与える。そしてフロリダや浦安のデイズニーワールドは、実世界から離れる事で日常に疲れたを大人にも楽しさを与える。この事から「デイズニー経済」とは楽しさのみを追求した経済を比喩しているのだろう。だが「楽しい経済」と「正しい経済」は別だとしたらどうか。この言葉の真意はそんなところだろう。いずれにしても経済番組でこの表現を使ったゲストはアジアから世界経済を眺める若い市場関係者だった事には驚いている。

そして来週のFOMCを控え市場参加者はFEDの変化の可能性を探る時期に入った。その点についてCNBCに登場する有力ゲストは今はインフレとデフレ、どちらのリスクが高いかと聞かれている。印象では7:3でデフレが多い。だがこの期に及んでFEDの動向をインフレかデフレかだけで探ろうとするのはいかにも米国らしい。この現象は米国人がどれだけ鮨を食べるようになってもまだ好きなネタが限られている状況に似ている。彼らはまだ素材の世界に浸る事は出来ない。結局マヨネーズかマスタード或いはケチャップの決めてが必要なのだ。

そして素の薄味を楽しめない米国では、豊かになるにつれて清涼飲料をより甘くしてきた。結果大量の砂糖を摂取する事になり、そこで今起こっているのがシュガー飲料に税金をかけるという案である。この案に当然コカコーラは怒り心頭、現状は法案化される可能性は低い。だが健康保険の財源として、また国民が健康になれば国家の健康保険の負担が抑えられるという理想からもオバマはも乗り気の様子。だがその理想は「デイズニーワールド」に住む人々には無理だろう。



2009年9月17日木曜日

米中の足先

鳩山政権が発足した。米国に住んでいる身としてはまずは米国との外交がどうなるかを見たい。そんな中で本日は経済面で日本と中国が米国債の買い増しをしている事実が判明した(TCI)。これは中国はドル資産からの逃避をちらつかせながら相変わらず米国債を買い続けている「コラテラル状況」を示唆している。そして日本は民主党が政権を獲得する前に打ち出していた「影の内閣」で財務大臣だった中川氏がドル建ての米債に懸念を表明した事から、実際に民主党政権が発足してどうなるか。まずはそれを見たい。

ところでその米中は久しぶりに貿易でつばぜり合いをしている。まず米国が中国産タイヤへの関税を持ち出し、それに中国が米国からの鶏肉輸入削減で応戦した。ただこれは立場が衰えている米国側から仕掛け。よって米国は本気ではないだろうし中国もそれを承知しているはずだ。恐らくは健康保険や金融規制強化案で議会から大幅譲歩を引き出さなければならない政権がまずは議会に点数を稼がせたのだろう。それは米国がタイヤというメジャーにならない題材を選んでいる事もさることながら、中国側が鶏肉で応戦した事からも窺える。そしてその理由は「足先」である。

今日のNYTIMESによると、米国は中国に年間4000億円程度の鶏肉関連の商品を輸出しているという。内訳をみると、国内で消費される胸や腿の精肉部分は20%程度で輸出の大半は手羽と米国人が殆ど食べない「足先」だという。そういえば中国料理には足先を甘辛く煮たメニューがあるが、遺伝子改良で肥大化した米国産ブロイラー足先は大きく中国人が最も好むらしい。結果、豊かになった中国人の趣向は変わらず、どうしても米国産の足先が必要になると米国の輸出関係者は楽観しているとの事である。

こう考えると米国と中国は食品でも興味深い関係を築いている。米国では誰も食べない足先は1ポンド当たり10セントで流通しているのみ。ソレを中国は70セントで購入してくれる。そしてこの関係は金融と同じだ。中国は米国のリスク資産を買わないが、米国は日中が国債を購入する事で国内の株を支える体制を確立している。

要するに外交とは基本は互いの「足元」を見てするのものなのだろう。鳩山政権からは理想的な話が聞こえてくるが、果たしてこの米中関係の様な駆け引きが出来るだろうか。






2009年9月15日火曜日

記念日、実は主役交代

同じ記念日でも9・11とリーマンショックの記念日の本日では米国内の雰囲気は違う。当然か。前者では多数の人命が奪われたが、後者では当事者の中に人命の損失は稀だ。あったとしてもそれは中枢からから離れた末端の人々である。ただこの二つの記念日の共通点がある。それは米国は真の意味で反省をせず、あくまでも己の存在は常に正しいという前提に立った行動に出ている事であろう。

ところで、この週末にBBCが作った「リーマン最後の日」という1時間ドラマを見た。(参照WEB)。見覚えのある米国人俳優を使い、当事者達が実名で登場していた。そして内容は評価のしようがない代物だった。理由はストーリーが事実なら、世界が「この程度の人々」にここまで振り回された事へのバカバカしさがにじみ出ている点で作品としては評価できる。だがソレが制作したBBCの想像なら、ウォール街のトップをここまでSTUPID(愚か者)に描くのは滑稽すぎる。ただその中で興味を引かれた点がある。それはポールソンがリーマンを救わなかった真の理由をポールソンがGS会長だった際にファルドとの間にあったとされる確執にその可能性を残した事。現在リーマンショックの表向き理由はその時点でTARPが成立していなかった事になっている。だが確かにそれだけではないだろう。ドラマではリーマンの協調救済を前提にした会議でJダイモンとJマック、それにブランクファインが罵り合うシーンがある。また同席したメリルのJサインはあまりにも姑息な男に描かれている。だがリーマンの倒産が決定後、競争相手が消え、そしてこれで政府による救済が発動される状況が整った事から彼等がラウンジでほくそ笑んでいるシーンはBBCならではの演出だった。

そしてその記念日の本日、オバマは態々ウォール街まで出向き、あのジョージワシントンが大統領就任演説をした26番地で声明を発表する。これは彼が就任当初に掲げた金融改革法案の促進を狙ったもの。だが今日のワシントンポストが指摘する様に、オバマの「改革法案」の主役が「金融」から気が付くと「保険」に移ってしまった現状では国民は関心がないのは実情ではないか。実はこれが再三指摘した増税という禁句で国民を焚きつけ、健康保険に主役をすり替える事に成功した金融側の勝利の実体である。

だがそれでも今日の市場はどこか変だ。5月に瞬間的に発生した「米国売り」の前にもこんな雰囲気があった。これは中国が関税を巡って久しぶりに米国に噛みついた事と、今日の記念日から何かの仕掛けを警戒しているのが理由ではないか。だが「米国売り」は中国が材料にされても長続きはしない。なぜなら中国と米国は一蓮托生な状況、ソレで得をするのは「G2時代」など言われて面白くないロシアぐらいであろう。個人的にはロシアには世界の過剰流動性をその本質(米国売り)に向かわせる力はまだないとみる。

参考、リーマン最後の日(英語バージョン ウイルスに注意)

http://xtshare.com/toshare.php?Id=18583

2009年9月13日日曜日

アテンション プリーズ

日本のニュースでは企業として万策尽きた日本航空がデルタ航空に救済を求めた事を報道していた。単刀直入に違和感である。まず日米の航空会社を単純に比較する事に意味を感じない。なぜなら自由化の荒波が激しかった米国ではマージン(利ざや)の下落で1990年代後半から航空会社は軒並み経営が行き詰まり、結果、「アメリカン」と一部ローカル航空会社を除き、大手の「ユーナイテッド」「デルタ」「ノースウエスト」は事業を続けながらも軒並み倒産した。そしてデルタが会社更生法を抜けだしたのはほんの2007年の事である。その意味では米国の航空会社は市場原理の洗礼を最も受けた産業かもしれない。ただそれが日本の航空会社が目指す姿として果たして正しいのだろうか。

そしてデルタにすがりついた日本航空の覚悟はいか程のものか。デルタの社員はパイロットを含めて何度も給料カットを経験している。労働省の資料によると、現在米国のパイロットの平均年収は6~7万ドル(700万)である。一方日本航空に関してはこれまで甘い体質が何度も批判の対象となってきたが、一方で一日本人としてJALの存在は捨てがたいと感じる。日本独特のサービスも然り、そのサービスが高コストの元凶なのは明白だが、一方で平和主義国家日本の翼としてJALはテロの標的になりにくいという安心感がある。結果私自身は多少値段が高くとも日本へはJALかANAだった。

そのJALが競争の原理にさらされた米系の傘下でどうなるのか。国もJALの甘い体質を変えるにはこの手段は有効だと考えたのだろう。JALを完全な民間企業とするならこの様な試練は正しいかもしれない。だがJALを完全な民間にする事は真に国益につながるのか。私はこの救済はどこか違和感が残る。JALに肩入れするつもりはないが、島国である日本の航空会社をまるで国内に乱立したタクシー業界の淘汰と同じ考えていいのだろうか疑問だ。問題は半官半民をという中途半端な状況を長く放置しすぎた事ではないか。米国でも金融危機の遠因にファイニー/フレデイーとい半官半民の住宅公社の存在があった。半官半民は途中までは効果的かもしれない。だが長すぎると国家にとって癌化する・・。





2009年9月12日土曜日

悲しい目をした男たち

9/11のテロ直後、初めての記者会見を開いたブッシュは対象を確定しないまま「犯人とその組織」に対して米国は報復する義務があると述べた。その時点で米国内には既にアルカイーダの犯行との認識があり、誰もがアフガニスタンへの攻撃を想定していた。ところがCNNの記者であるジョンキング氏が唐突な質問をした。彼はブッシュに向かって「これはイラク攻撃に繋がるのか」とに切り出したのである。その時はブッシュ本人も当惑気味な反応を見せた。そのシーンは今でも覚えている。なぜならここでイラクを持ち出すのはあまりにもトンチンカンに感じられたからだ。だがその後の経緯は言うまでもない。正しかったのはキング記者だった。

それから8年、米国は再びアフガニスタンに軸を戻した。だがイラクに軸を移していた空白の時間の代償はあまりにも大きい。以前NYTIMESで掲載された「比べものにならない」というイラクを経験した海兵隊員のアフガンでの心境をここでも紹介した。これだけの精神的負担を兵員に強いる中、専門家は米軍の絶望的な状況を解説する。今米兵が戦っている相手は殆どがタリバーン系であり、アルカイーダではないという。そんな中で先日オバマはアフガニスタンをアルカイーダの巣窟にしてはならないと主張した。だが実態は米兵はアルカイーダにまで届かない状況で血を流している。そして誤爆の恨みと貧困から、アフガニスタンとパキスタンの魔境からは次々に正式なタリバーンでもアルカイーダでもない「インサージェンツ」と呼ばれる悲しい目をした男達が湧き出している・・。




2009年9月11日金曜日

天上り、(国破れて金融あり)

昨日健康保険に関するオバマの議会演説では、米国では珍しく議員から野次が飛んだ。野次を飛ばした共和党下院議員は後から謝罪したが、考えてみると野次はエリートがその真価を問われる演説での自己主張ではない。

そもそも米国では演説する能力を早くから未来のエリートは養う。政治家は当然のこと、経験ではウォール街の金融機関のエリートも、感情を抑えつつ部下をどう使うかの感覚は、隙を見せると訴訟の対象になる厳しい環境下で研ぎ澄まされた人が多い(但し人間性は別)。そして政治はこの様な人々による演出能力のゲームとしてポピュリズムの風を受けた者が勝つ。

結果、健康保険問題にしても、反対する庶民の多くは内容を完全に理解する前に第三者に増税の恐怖を焚きつけられて反対しているのが実態だ。また米国は「政府は何もせず、自分の事は自分で決めるのが伝統」だと美しい言葉でオバマを阻む人々がいる。だが彼らは庶民に増税の恐怖をたきつけて彼らを利用している。なぜなら彼らこそ年収1億以上を筆頭に自分達が増税の対象になるからだ。だが何度も言う。彼らこそ政府の救済で最も助けてもらった人々である。。

あまりにもばかばかしいが、まあ自分の国ではないのでどうでもよい。だが民衆とエリートの知識力にここまで差がある米国ではどうする事も出来ないかもしれない。そう考えると、国会で野次が少ない国と野次が多い国の違いは、国民とその代表者の議員の知識のスプレッド(格差)である様な気がしてきた。

ところでその議会は財務長官のガイトナーを本日議会に呼び、昨年政府が施した救済での資金の流れを質問した。だが議会がガイトナーをいくら詰問しても結果は同じ。長官は自分は正しいと信じているのでブレない。その点は明らかにバーナンケより上だ。また議員が各論で突っ込んでも、総論としてOTHERWISE(もしそうしておかなければ)では最終的には米国民が更に困窮したと言われればそこで行き止まりである。

救済をめぐる議会と政府のやりとりはこんな事の繰り返し。だが本質は既に明白で、危機が起こる前からFED(中央銀行)や財務省という「公的」にゴールドマン等のウォール街の金融関係者をを送り込み、また危機が起きてからは当事者の一人であったガイトナーを財務長官に据えた金融カルテルの勝ちである。ロンポール議員を中心とする共和党保守派の一派はこの顛末の可能性を憂いでいた。だが結果はFEDを頂点とする、或いはそのFEDを取り込んだ金融カルテル側の勝ちである。

そして、私からすればこの現象は日本の役人の「天下り」の逆だ。個人的にこれからは米国の金融の「天上り」と呼ぶ事にする。そしてこの結果この国で起こる事は「国破れて金融あり」であろう・・。


2009年9月9日水曜日

続編、主役は豚

元々「彼」は証券マンの息子として生まれ、少なくともイエールに入るまでは金融(業)の恩恵を受けた事を認めている。しかし大学を1年で休学すると、何を血迷ったかエリートは参戦しなくてもよかったベトナムに志願した。帰国後、「彼」は映画監督という天職を選ぶ。その後自身で経験したベトナム戦争を題材にしてアカデミー賞を獲得したプラトーンを皮切りに、その後の作品には一貫して国家に対して自己反省を促すボトムラインが敷かれていく。そしてあのブッシュを題材にした「W」から1年。「彼」ことオリバーストーン監督はプラトーンと並ぶ代表作の「ウォールストリート」の続編に取りかかるという。(NY TIMES)

そもそも前作の公開は紆余曲折を経て自分が証券マンになった年だった(87年)。当時株は勿論のこと金融に疎かった自分としては、新聞を朝日から日経に代えてCATCH UPを試みた。だが当時はまだ金融業に対する違和感が残っていた。そんな折、この作品を新人の研修所で観た。素直に面白いと感じ、金融市場での金儲けを前向きに考えた。その後自身もGREED IS GOOD(強欲は善)に挑んだ。そして一敗、地にまみれた。だがそこで米国赴任となり、反対の世界に放り込まれた。そこは債券の世界だった。債券は「強欲は善」の者どもが失敗するとより明かるくなる世界だ。そして在米(債券)経験が長くなるにつれ、感覚はGREED IS BAD(強欲は悪)に戻った。結果その後の米国の大繁栄は横目で眺めているだけに終わった。

ふと考えると、この様に金儲けが下手な自分の話でも聞いてくれる人がいるのはありがたい事だ。ただそれはそれとして、続編の大筋は主役のゲッコーが実刑を終えて金融市場での復活を試みる過程で若い金融マンに関わっていくという話らしい。その若い金融マンを今度はあの「トランスフォーマー」の主役、シャイアラブーフが演じる。そしてその撮影にあたり、監督とゲッコー役のマイケルダグラスは2003年の金融不祥事でマーサ スチュアートまでも巻きんだ一大インサイダー事件の中心、インクロンの創業者WAKSAL氏と接触。氏の5年に及ぶ実刑経験から様々な情報を得たという。

そして今から新作が注目される背景は、新作では脈絡がGREED IS BAD(強欲は悪)に変わるとの話だからだ。俄かには想像しがたいが、Mダグラス自身も続編モノには出演しないというポリシーを曲げてまで出演を快諾したのは金融危機を経て米国は変わる必要があると感じたからと述べている。またオリバーストーン監督自身は前作でのテーマである「強欲社会」がここまで長持ちするとは実は想定していなかったという。監督は続編の制作を検討したものの、この作品がアカデミー賞で主演男優賞と作品賞をとる決定打となったとされる有名なシーン(ゲッコーが総会でGREED  IS GOODと演説するシーン、尚このシーンはAボウスキーのUCLAでの演説がヒントとされる)を見てWストリートを目指したと若い証券マンからエールを送られる状況が続き、時節が来なかったという。

そして終に時が来たと判断、監督は辛辣な言葉でその心境を語っている。彼はここまで続編の制作を待った理由をGLORIFY  PIGSをしたくなかったと表現した。直訳すると「豚を誉める事はしない」である。強烈な言い方だ。確かに豚の社会では旺盛に貪った豚が一番商品価値が高い。もし思いやる豚がいるならそんな豚は痩せて価値が無い。まさに豚社会では「強欲は善」である。一方でWストリートの価値観をこれまでアニマルスピリットと呼ぶ事もあった。だが失敗しても大手は救済される事が証明された今のWストリートにそんな格好いい表現はおかしい。そもそも肉食動物の頂点のライオンや狼は意味のない殺しはしないし彼らにはどこか調和する本能が備わっている。(ソロモンの指環で紹介)。それからすると、自分は救済されてもスプレッド(貧富の差)を拡大する事でしか生きられないなら、その精神は豚と同じかもしれない。


2009年9月4日金曜日

鳩山VS人工的市場主義

鳩山氏の論文に対して米国が警戒しているとの話がある。またこの話を受け「虎の尾を踏んだ」などと馬鹿げた評価を下している輩がいる。まずこの様な輩こそ米国の手先か、或いは米国の内情を知った様にみせかけて名前を売っているだけの「偽者」であると個人的には確信している。今米国は困惑の意思表示をする事で日本が躊躇すると踏んでいるのだろう。確かにこれまで日本は米国の一言に勝手に尻込みをしてきた。永らくそんな関係が続き、日本に注意を注ぐ必要が無くなった事と、小泉政権後の自民党の崩壊過程が米国の地殻変動と重なった為に対日戦略に空白が生じた。客観的に見て米国の現状はこんなところだろう。そして日本が米国の困惑に対して躊躇する事で米国は時間を稼ぐ事ができる。その間に一気に戦略を練り上げ、ソレが施行された時が鳩山首相の最初のトライアルである。

そして米国が対日戦略を急ぐ理由がもう一つある。それは二日前に中国政府が発表したとされる声明である。(添付WEB参照)内容は中国企業がこれまでに欧米の金融機関と交わしたデリバテイブの契約に関し、今後中国企業はその履行責任を負わないというとんでもない代物である。内容があまりにも唐突な為か今のところCNBCなどのMEDIAでは殆ど取り上げられていない。だが中国を頼りに米国はここまで自国の株式市場の回復を煽った。そしてその中国を重視し、米国が指導した市場原理とは距離を置くと主張する鳩山氏がとなりの日本に登場した。確かにこれは米国にとって思案の時だ。ただこの状況において仮に自分が米政権の対日戦略担当なら、米国から先に動く事はしない。なぜなら日本は民主主義の形態が確立した国だからだ。


そもそも民主主義が確立した国の政治家はポピュリズムに支配される。ならば仮にここで米国が日本に対し威圧的な態度を鮮明にすると、小泉政権後米国に対して距離を置く必要性を感じ始めている?国民を刺激する危険性がある(米国からは日本人の実態は判らないものの、NHKの番組を観察しての想像)。国民が米国に今以上に違和感を感じると、鳩山首相は更に強気に出るかもしれない。米国はそんなリスクを取るより日米にとってカギとなる中国を味方にした方がよい。なぜならいずれ日本は新旧どちらかの超大国と歩調を合わせるかの判断を迫られる立場だ。ならばその超大国同士が日本を必要しない程の盤石な関係である事を見せつければよい。米中にはその演出のメリットが十分ある。

そんな中で前述の中国の声明も日本の政変に乗じた米国への先手だったのかもしれない。中国は本気で契約放棄を強制する気はないだろうし、またソレを承知の米国も敢えて事を荒立てない。まずはG20の場での妥協で収まる筋書きではないか。そしてこの2カ国の金融市場は益々政府主導のARTIFICAILな人工的市場主義を続けるだろう。昔も今も体裁を気にする必要がない中国では直接政府が市場の方向性の号令をかける。一方で市場原理の体裁を気にする米国はFEDがGSを介してやらせればよい。いずれにせよ性悪説の根源が似ているこの二つ超大国は結局その同床異夢が明らかになるまで演出を続けられる。そして金融市場ではソレを先取りした人間の勝ちである。

(ご参考)
http://www.reuters.com/article/rbssFinancialServicesAndRealEstateNews/idUSSP
47327420090831?pageNumber=2&virtualBrandChannel=11604


2009年9月2日水曜日

日本人の本性

80年代にそれまではロシアや西域を多く取り上げてきた司馬遼太郎が珍しく米国を題材にした「アメリカ素描」という本を書いた。氏は「米国については素人の域を出ない」と断った上で、初めてじっくりと観察した当時の米国を彼流の視点で紹介していた。中でもハーバード大を訪問した際に地質学が専門の米国人男子学生と話をする機会があり、そこで話が太平洋戦争の話題になると、学生は「へえ~そんな戦争があったのですか。それでどっちが勝ったんですか」と聞いてきたという。この事から司馬氏は米国という国家が持つ多様性に衝撃を受けたという。

まあこれは司馬氏が遭遇した特殊な例にすぎない。大半の米国の子供は「真珠湾」は誰がやったかを認識しているし、また米国は戦争に負けた事はないと考えている。そしてその米国では歴史的選挙を終えた日本のこれからを各新聞はかなりの紙面を割いて分析している。ただ今のところは現象面の解説に留まり、民主党のマニュフェストの一部が米国の利益にそぐわない事を触れているものの全体としては警戒感はない。ただ今の米国はどの程度日本人の本性を知っているのかをふと考えた。

ただその前に日本人でさえも日本人の本性を知っているか疑問だ。安倍元首相は「美しい国・・」という本を書いたが、日本人が日本に抱くイメージと、歴史の中で時より日本人が見せた集団的な変節はそもそも一致しない。また今は選挙の分析が盛んだが、その中には米国で先に起こった変革と今回の日本の選挙結果を同質と受けているモノのある。だが個人的にはその分析には完全には同意できない。なぜなら変節を迎えた際の日本人は米国人より残酷だからである。

象徴的だったのは小泉チルドレンが涙ながらに最後は「情け」に訴えていたシーンである。そもそも小泉改革は「情け」と真逆の改革を志向したモノ。元々米国では「情け」を前提した戦略はないが、日本人は小泉改革に新鮮味を感じた一方で今回は情けにすがったチルドレンに冷たかった。また先日のNHK特集でも海軍のエリートが「日本人がここまで残酷になるとは思わなかった」と述べているが、実は日本ほど一旦変節するとその度合い大きい国民は少ないのではないか。そしてそれは組織なると尚更である。だが当の日本人はその特徴を客観的には殆ど認識していない。

そういえば国交復活の準備で極秘に訪中したキッシンジャーが、毛沢東に「日本(人)はこのまま起こさない方が両国(米中)とって望ましい」と述べたとされる逸話を以前紹介した。きっと毛沢東やキッシンジャーまでの時代は日本人の本質を意識した戦略があったのだろう。だが時代は変わった。日本も変化したかもしれないが米国も変化した。今の米国のかじ取りは司馬氏がハーバード大学で遭遇した学生の世代に移っている。