2011年1月31日月曜日

ソーシャルメデイアと米国

今週は不思議な週だった。オバマの一般教書では、骨抜き共和党から、今年この国の民主主義は「仲良し主義」になる気配を感じ、その妥協はホーニングが去ったFOMCに引き継がれた。ところが世界を見渡せば、永年中東問題で頼りになったエジプトのムバラク政権が国民の蜂起の対象になり、また民主化はとっくに終わっているインドでも、インフレと貧富の差でカレーの材料さえままならない現状に国民の過半数が怒り始めている。

そんな中で年老いていく国々には、国家の借金は膨らむ一方中央銀行によって刷られた金だけが溜まり、そのペーパーマネーの行き場をめぐって金融関係者がスイスの観光地でブランデーを片手に葉巻をふかしている・・。

米国も、2年前に金融危機を招いた金融カルテルの改革を掲げて大統領になったオバマがその金融に担がれてしまった今となっては、欧州で主流だった一部のサークルによる支配を米国もついに受け入れた印象である。

ではこれから米国と米国市場はどうなるのか。まずは海外の喧騒に対し、米国はその影響を受けるというより防御で固まるのではないか。つまり一見国家の安定性が際立つ。ならば一体株はどこまで上がるのだろう。

ただFACEBOOKやWIKILEAKの「ソーシャルメディア」の影響力はその米国もいずれは取り囲む。それは真実を知りだした米国の若い世代にも確実に浸透する。まあその前に米国が世界に貢献し続けるかあるいは元凶として禍をまき散らすか。まずはその顛末が先に来るだろうが・・。



2011年1月28日金曜日

民主党の中枢(顧客レターから)

考えてみれば、イリノイ州がこんな困窮に陥ったのは、これまで指摘してきた民主主義の負の一面だけが原因ではないかもしれない。改めてそれを感じたのは、オバマの片腕だったラムマニュエル氏がオバマ政権を離れてまでも挑戦したシカゴ市長選の混乱からだ。

そもそもマニュエル氏のシカゴ市長への挑戦は既定路線だった。出来れば政権に残ってほしかったオバマも、「旧友」の挑戦を快く受け入れた。そして予定通り支持率では有権者の40%の支持率を確保。彼の当選は間違いない状態だった。ところがシカゴの裁判所の判事は対抗馬から提出された「シカゴ市長への立候補者は事前の1年間をシカゴに住んでいなければならない」というルールを適用、彼の名を投票名簿に載せてはならないとの命令を下した。これはシカゴ市の選挙管理委員会の判断を覆すものだった。

もともとこのルールの存在は皆が承知していた。だが例外として「国家への奉仕でシカゴを留守にした場合は除く」との条項があった。マニュエル陣営は「首席補佐官」としてのワシントン勤務には当然この例外条項が適用されると考えた。選管の判断もその通り。そして何よりも難問を抱えるシカゴ市民の半数がマニュエル氏の手腕に期待していた。それにもかかわらず、判事はその総意をひっくり返した。

「唖然」傍から見ていてもこの言葉以外見つからない。マニュエル氏は即刻上告手続きを取ったが、投票日が3週間後に迫る中、手続き上も彼の申し立てが通る可能性は50%である。

それにしてもシカゴの政治のデタラメは今に始まった事ではない。有名な禁酒法時代、カポネが牛耳った1920年代のシカゴはまさにマンガのような社会だった。そしてギャングの時代が去ったあとも現市長の父親のリチャードデイリーシニアが市長だった60年代は、彼が民主党の大親分としてミシガンまでRUST 地帯の労働組合を傘下に置き、ケネデイー政権誕生の陰謀(ニクソンとの大統領選挙での不正)の中心的な役割を果たした。つまり、「シカゴの政治」は全米の中でもどろどろとした権力闘争とその腐敗の象徴でもある。

こんなシカゴが中枢ではイリノイ州の政治も同様である。過去四代の州知事の内3人は刑事被告人として告発され、一人はいまだ収監中、最後のブラゴヤビッチ氏は判決を待つ身である。この事実からすれば、オバマ自身がどれほど清廉潔白でも、彼がシカゴの民主党を地盤にしている事実は重要だ。事実ラムマニュエルの後任として任命されたウイリアムデイリー氏は、クリトン政権の商務長官として紹介されたが、彼が知名度を上げたのはゴアの大統領選挙で選挙参謀を務めてから。その後JPに身を置き、再び中央入りした彼はデイリ氏は一族の末男だ。つまりオバマ政権はケネデイー時代からの「デイリーダィナステイと切っても切れない。そう考えればマニュエル氏への仕打ちはこの勢力への一撃かもしれないが、この米国の大仕掛けと比べれば、小沢問題などは幼稚な世界である・・。

<追加> 後日、マニュエル氏の名前の投票用紙への記載が決まった。

2011年1月26日水曜日

魂の抜けたスピーチ(顧客レター)

http://www.bloomberg.com/news/2011-01-23/super-cycle-leaves-no-economy-behind-as-davos-shifts-to-growth-from-crisis.html

本日聞いた話で一番おもしろかったのはダウの36000説。これは所謂ツイッター系の話だが、それでもダボス会議でも使われる予定のスタンダードチャータードロイズ社のスーパーサイクル論を基にしてる。(冒頭のブルーンバーグWEBに詳細)これを読むと、人類は産業革命以来3度目の超成長過程に入っており、結果何もかもが暴騰するという論理である。つまり株も最早コモディティーとしての扱いだ。ならばその時は豚肉一キロが10万円しているかもしれない。

そしてそんな成長が見込めない日本の宮崎県では、牛豚に続いて鳥が病気に感染した。これではリスクのあまり、日本で肉を飼育する人がいなくなるのではないか。もし同様の被害が世界の食べ物で起こればダウの36000は全く人類の幸福を意味しないだろう。

いずれにしても昨夏フラックシュクラッシュの後遺症でダウは10000前後をさ迷ったが、その時にエリオット派動の専門家からダウの2000説が出た。当時極論が出ると相場は反転するモノとした。その通り株は反転した。ならば今回は逆の反落にもそろそろ注意が必要になる。

その上で今日のオバマの一般教書演説が重要だ。そもそも一般教書とは大統領が議会に重要な今年のテーマを投げかけるのモノだが、先週、注目されない中、オバマは一般教書の前としては前例のない動きをした。それは2012年に向け、選挙事務所をシカゴで立ち上げた事である。

もともとこのチームはホワイトハウス内にあった。だがこの動きは前任のブッシュやクリントンと比べても早い。これには違和感だ。なぜなら、昨年のこの時期、彼は公約だった健康保険に目処が立たず、国民に訴えた。「私は再選されるために大統領になったのではない。信念を曲げず、それで(支持率が下がり)4年で去るのは本望である・・。」

この頃のオバマの眼はまだ大統領選の時と同じ眼をしていた。だが中間選挙後、彼の眼は別人である。一言でいえば魂を売った状態。これは同じように中間選挙を負け、そこから立ち直り、その後の繁栄を謳歌したクリントン政権の後期を経験した民主党の総意に彼が妥協した結果だろう。その頃から急にヒラリー擁立の話は消え去った・・。

そして選挙公約を忘れ、オバマと妥協してしまったのは共和党議員の方である。だが若手を中心に原理原則である財政緊縮へもう一度プッシュが始まった。だがどうやら共和党の内部はすでに分裂模様。この状態ではオバマにエッジがある。そして株を押し上げる事で景気を支える政権の立場は変わらない。ならば一般教書の後で買われるのは債券でなく株か。株は20日移動平均線がサポートされればダウの12000を試すだろう。

個人的には一般教書演説での緊縮財政相場を期待するのも無理なら(債券投資家にとって)、新しいメンバーでのFOMCのステートメントに変化を期待するのも無理(時期尚早)と考えている・・。





2011年1月25日火曜日

感情の露出 顧客レターから

一部上院議員の間でイリノイやカリフォルニアを破産宣告させる話が進んでいる。この話がもっとモーメンタムを得れば、横行するインモラルトレードはひっくり返る。ただその場合イリノイの教職員や警察官はバタバタとクビ。また公務員を引退した人々の年金は打ち切られる。こんなことになればイリノイの住宅価格はさらに下落は避けられない。つまりそれは個人的には大損害を受ける。一方日本の米債投資家にはありがたい話。

個人的にはそんな暗雲を想像する中で、別の理由で今日のシカゴ人には明らかに失望感が漂っている。先週はウイスコンシン知事とミルウォーキー市長がシカゴまで訪れ、財政危機から増税になるイリノイからウイスコンシンに企業を移そうと積極的に活動していたが、イリノイからすれば、人の不幸につけいる隣人への怒りはシカゴベアーズの勝利によって清算されるはずだった。だが、結果は違った・・。

それにしても昨日は数年前にベアーズがスーパーボールに行った時にもなかった異様な雰囲気だった。それはパッカーズファンも同じで、普通は熊肉など絶対に食べないこの国で、ミルウォーキーのスポーツバーではハンターが撃ち殺したブラウンベアーを姿を残したまま燻り、その肉を客にサービスするイベントで盛り上がったという。(実際は客への肉の提供は衛生局が止めさせた)。だが結果はご承知通り。今の州の勢いがそのままゲームに出た。(パッカーズ勝利)

個人的にはゲームの途中で日本語放送にチャンネルを変えた。するとそこでは大相撲の表彰式、内閣総理大臣杯の授与シーンだ。だが土俵上にいたのは枝野官房長官だった。

やはり・・日本も鳥インフレや何やらで大変、菅首相すれば大相撲どころでなかったか。だが個人的にはここに彼の限界を感じる。ここで小泉首相を引き合いだすのも変だが、彼が足を引きずった貴乃花の優勝に「感動した」との自分の感情を国民の前でぶちまけたシーンが思い出された。

あの時小泉首相は計算していたのかもしれない。一国の総理がスポーツに「感動した」と自分を曝け出す事で国民が魅かれることを。一方今の菅首相から感じるのは、首相として、自分の弱さや隙を見せてはいけないという焦りだ。

あの信長が部下や敵の武将には自分の弱さを見せなかった一方、尾張の民百姓には敢えて人間性を出していたのは有名。個人的な理想を言えば、菅総理は日本の首相として米中に対しては毅然と、そして国民が楽しんだ国技の大相撲の土俵の上では総理大臣杯を抱えてひっくり返るぐらいのパフォーマンスが欲しい。まあそんなことを考えるのは自分だけだろうか・・。


2011年1月22日土曜日

ケネデイーとトオバマ

昨日1月20日はジョンFケネデイー大統領就任演説の50周年記念日だった。1961年のその日は大雪の後の寒さが東海岸を襲った。そんな中、多くの米国人がケネデイーのスピーチに聞き入った。その彼のスピーチはあまりにも有名だが、昨日簡単な特集を流したCBSは、スピーチで使われたのその言葉のほとんどは、ケネデイー本人がスピーチライターに直接指示したものだったことを紹介していた。

番組で、ケネデイーのスピーチを見た当時10歳の女性ジャーナリストが、それまで学校で教わった大統領のイメージは皆髪がグレーになったおじさんばかり。彼女はグレーヘアーは憲法で大統領の条件に決められていると思っていたという。そんな時代にケネデイーは登場した。それも自分の言葉で。

    「  これから新しいアメリカを一緒に創ろう。それは国が自分に何をしてくれるかを考えるのではなく自分が国に何ができるか。国民がその意識を持つことで始まる・・・ 。」

だが、現在の米国の総人口の70%はこのケネデイーのスピーチの後に生まている。そんな中、前述の女性ジャーナリストのようなベービーブーマーはこのケネデイーのこの言葉を今どう考えるのだろう。

金融危機の後、彼らは国家に救済を求めた。米国は国是であった市場原理を止め彼らを救った。そして国民に負担を戻そうとしたオバマは国民から拒絶された。その先頭に立ったのもベービーブーマー世代である。

ケネデイーのスピーチを聞いたのは戦争から帰ってきた世代。ケネデイーはスピーチで彼らを魅了したが、実際に大統領として自分がやりたかったことに着手したのは最後の100日だったという(CBS)。

それは公民人権法の制定と核兵器テスト禁止条約。だが彼はその本台に着手したところで狙撃された。

大統領就任前後のオバマはケネヂィーを意識していた。彼も米国を変えようとした。だが彼は挫折した。中間選挙後、国民に施しを続け、負担をさせないこを表明して彼の支持率は回復した。もしオバマが金融改革など、本気でやりたいことを貫くなら、ケネデイーと同じリスクを覚悟しなければならない。

個人的にはそれを心配した。だが今はその必要もない。今の米国の株価は国家が国民に妥協した結果である。つまり、米国が試練に対して弱くなればなるほど株は上がり続けけなければならない。これをどう考えるか、自分で考えてほしい・・。




2011年1月21日金曜日

ボーイングと米中関係

胡錦濤首席は今日シカゴを訪れている。中国の国家元首がワシントン以外の米国の都市を訪れるのは稀。よってシカゴでは厳戒態勢がひかれる中、巷では何のため?という意見が多い。ただそれは今回の訪米で中国が手土産にした4兆円のビジネスの半分はボーイングへの発注であることからすればその理由は想像できる。そしてこのボーイングへの発注は様々な本質を含む。

まず米国は輸出を増やしたいとしても世界がほしいMADE IN USAは限られているということ。その点ボーイングは何と言っても米国を代表する輸出アイコンである。だがそこで思い出したのはブッシュ政権時代の話だ。2002年、中国は江沢民の専用機としてボーイングに767型機を発注、しかし運ばれた飛行機には30個以上の特殊な盗聴器が仕掛けられていた。中国側の発表では、ボーイング社が絡んだというより、中国向けの商品にCIAが勝手に盗聴器を仕掛けたという説が有力だった。

当然米国はノーコメントを貫いたが、個人的に読んでいた共和党新聞では、それを事実を仮定した上で、当時の中国が米国の盗聴器を発見できたことに驚嘆する記事があった。それからすれば時代の変化はすごいの一言。そしてそんな過去を気にせず、に航空機200機(1.5兆円)の商談が決まるのが今の米中関係である・・。



2011年1月20日木曜日

米中首脳の蜜月

考えてみればオバマ政権は本当に中国に配慮している。ダライラマの訪米に際しても、オバマはダライラマとの会談を避けた。米国の大統領がダライラマと会見をしなかったのは実は90年代以降では初めてのことである。

このように、米国はオバマ個人が持つ平和主義者としてのカリズマを利用し、本当はかなりえげつない外交を展開している。逆に言うとそれが今の米国の実情である。

その事実からすると、今朝のNHKのニュースはあまりにもニュアンスが違う。今朝NHKは、7時のニュースのトップで、米国と中国は人権問題で隔たりを残したままだったと強調していた。その通りだが、それは全体の中の一部だ。

確かにジャーナリストとしての記者の注目はその部分だった。だが胡錦濤主席はオバマとの共同会見の前に米国のビジネス界を代表するそうそうたる面々と建設的な会議をしている。そして実際の商談成功のニュースも米国内の経済専門ニュースでは大きく取り上げらた。

要するに、今回米国は大事な「顧客」としての中国のトップを招いているのであり、そんなところで人権問題などを本気で議論するつもりは毛頭ないのだ。その証拠に、主席はオバマの地元のここシカゴを明日訪れる。

では米中首脳の蜜月の実態をなぜ日本のニュースはそのままは日本人に伝えないのか。米国からみていると、米中蜜月の事実は誰かにとって都合が悪いようだ。

まあこれではいつまでたっても日本の政治は米国から自立できない・・。




2011年1月15日土曜日

民主主義と民主共和国の違い

NHKの新しい4回特集が始まった。初回は国際連盟脱退の真相。海外からの日本の中国侵攻の批判が高まる中、国際連盟を使って事態の打開を画策しながら、希望的観測と外務省と陸軍の対立から結果的に外国の信頼を失い、逆に予定していなかった国際連盟脱退を強いらた経緯を新資料をもとに検証していた。そしてこの時期の混乱を象徴したのが首相の交代。場当り政治に終始した結果、3年間で9人の首相が交代した。

ここまでで番組が何を言いたいのかは明白。NHKは民主党政権の混乱を見て、国民に過去の失敗例を紹介している。意図は判る。ただNHKには申し訳ないが、今の日本人はこの番組を見ても変わらないだろう。なぜなら、日本は戦争の反省からひたすら生命第一主義になり、バブルを反省してからはひたすら城に籠りきり。そして今国民は閉塞感の不満を言う。だが籠っているのは己ではないか。閉塞感を言う日本人はまず自分が狭いところを出る勇気を持っているか、自問自答するのが先だ。

そして日本がここまで米国一辺倒なら、米国の優れた点も真似てほしい。ソレは、「建国の父」が目指したのは単純な民主主義国家ではなかった事。ジョンアダムスは、「純粋な民主主義はそのままでは必ず自壊する」と断言している。

つまり建国の父が目指した米国は民主主義国家ではない。民主共和国である。アダムスは、選挙で選ばれた人間が国を治めるも、烏合の衆のでしかないマジョリティーに国家の決断を委ねる構造にしてはならない決意を示した。その時代と比べ、今の米国も衆愚政治への凋落は激しい。ならば本来日本は今の米国を反面教師にするのが理想。まあソレは無理としても、今の日本に必要なのは政治家やメディアが国民を叱りつける事だ。その勇気がない群れは役に立たない。


2011年1月14日金曜日

中東に勝て

エコノミスト誌の新年号は「オバマの避けられない戦争」とのタイトルが付いていた。どこの戦争?と思いきや、中東の話だった。そう言えば、ここ数年イスラエル関連では小康状態が続いている。だが同誌の予想ではそれも昨年までの話。今年はイスラエルとヒズボラの争いは避けられない状態だという。

背景は、イラク戦争が一段落し、世界の関心がイランの核開発疑惑に移る中、その間隙をぬってヒズボラはいつのまにか5万発ものミサイルを準備してしまったという。その性能はイスラエルの中核都市を狙えるモノであり、殺傷力はこれまでイスラエルとの小規模紛争の切欠となったミサイルとは規模が違うらしい。

オバマはこのミサイルがイスラエルに向けて発射される事を恐れている。犠牲者が千人規模になれば、イスラエルはその10倍の攻撃力で仕返しをする。そうなるとシリアは間違いなく参戦、もしかしたらイランも加わるかもしれない。米国の一部にはイランとの戦争を欲している勢力がいるが、少なくともオバマ個人は望んでいないのは確かだろう。

ところで、そんな中そのシリアとイランと対峙して堂々と勝利した日本のサッカーは評価できる。今日の試合、イランの審判団はあからさまにシリアに味方した印象はないが、あまりにも審判としてレベルが低かった。そんな中で驚かされたのは本田。てっきり遠藤が蹴ると思った勝ち越しのぺナルキーキックを当然のように自分が蹴ってしまった。

遠藤のぺナルティーキックの成功確立は本田よりも高いはず。だが解説者が言っていたように、本田はボールを放さなかった。監督は本田が蹴るのを了承したのだろうか。そんな事にはお構いなしに本田のキックは決まった。

まさに気合い。真正面に蹴っただけでどう見てもミスキックが入ってしまうのが本田の真骨頂なのだろう。外した場合の責任など全く考えていない自分本位は、タイガーマスクがブームになっている今の日本では異質である。だが孤立した個性が組織の活性化には重要。その重要性を海外から眺めて一番感じるのは、実は日本の政治家の群れ。民主党も自民党も群れているだけで小泉総理以後、個はいない。



2011年1月12日水曜日

インモラル バタフライ (儲かる不道徳。顧客レター)

日本でも報道されたアリゾナの議員集会銃撃事件。今日の3大紙(WSJ NY TIMES WPOST)の一面トップは全て不気味な笑みを浮かべた容疑者の顔だった。オバマは明日アリゾナまで飛び葬儀に参列する。この事からも、いかにこの事件がインパクトがあったか、窺えると言うものだ。

ところで、6人が亡くなったこの事件では、殺人罪は二件に分かれる。理由は判事などの国家公務員への犯罪は連邦法が適用され、アリゾナ州法とは区別されるからだ。今回は犠牲者の二人が連邦法の対象者である。そして連邦法の最高刑は死刑。だが州法では最高刑は異なる。米国では死刑を廃止した州はNYを直近に現在16州(15州+DC)ある。ただアリゾナは死刑を堅持している35州の一つだ。よって責任能力があれば被告が死刑になるのは間違いないだろう・・。

この様に米国は州によって何から何まで違う。昔からテキサスでは一人殺せば死刑といわれる一方、マサチューセッツでは10人殺しても死刑にはならない(州法のみ適用なら)。そういえば以前州によってモーゲージがノンリコースかリコースか別れている事を紹介したが、では死刑もありモーゲージもノンリコースではないイリノイがなぜ真っ先に財政危機に陥ったかのか。理由は何度も紹介した。イリノイは全米で最も2大政党のバランスが取れた州だからだ。そしてソレが右肩下がりの民主主義の運命・・。

恐らくイリノイが米国の先行指標である事を知っている人は既に動いているかもしれない。自分が非情な投資家なら、イリノイ州債売り/ カリフォルニア州債買い/ 米国債売り/の「バタフライ」でもするだろう。

いずれにしても過剰流動性量下ではインモラルプレーがスマートプレーだ。ただそれが人間社会に何を齎すか、本来そこは国家の英知が責任を持つところ。ところが今の米国ではオバマ政権は当初の志が消滅し、「金融の僕」に下ったも同じだ。ソレが何を意味するか。あくまでも覚悟した上での金融ゲームである・・。






2011年1月11日火曜日

ミステリージャパンへの挑戦

テレビ東京の「ガイアの夜明け」を観た。新年の初回、取り上げられたのは日本一の名門旅館の加賀屋だった。日本の温泉を海外へ。この大胆な試みとして同社が選んだ先は台湾。ただ日本特有の「もてなし」の心をいかに現地のスタッフに教えるか。番組はここを追った。そして筆者が一番興味をもったのは、加賀屋ではなく、台湾では日本のように入浴の際にスッポンポンにはならず、水着を着ている事だった。

台湾人は日本人と外見は変わらない。裸になれば尚更だ。ところが日本人と同じ顔の老若男女が水着で温泉につかっている。筆者にはここが不自然に見えた。戦中戦後を通して日本の文化が最も浸透したはずの台湾でも、日本文化のこの部分だけは浸透しなかったのだ。

この日本人の「スッポンポン文化」はザビエルが本部に向けた手紙の中で最初に西洋に紹介されているという。ザビエルはかなり驚いた様だがそれも当前。なぜなら彼は名目上キリスト教の普及のために日本に来ていたわけで、そのキリスト教の古典でもある旧約聖書では、禁断の木の実を食べたアダムとイブが最初に隠したのがお互いの陰部だった。

つまり神との約束を破った人間の弱さの象徴が「性」なら、その弱い部分を隠す心理を持たなかった日本人にザビエルは驚いたに違いない。これではキリスト教が浸透するか、疑問に思っただろう。そして今、ザビエルと同じ疑問に直面しているのがFACEBOOKのマークザッカ―ブルグである。

今日のニューヨークタイムスは、世界に6億人のユーザーを抱え、上場を控えて破竹の勢いで拡大する同社が全く浸透できないのがジャパンである事が紹介されている。同社は2008年に日本にも拠点を構え広告収入拡大を図った。だが現在もFACEBOOKの日本人ユーザーは200万人に届かず、先行するMIXIなどが2000万口座を優に超える中で全く歯が立たない状態だという。そしてその最大の理由はコンテンツの中身ではなく、「日本人は自分を隠す」という根本的な違いからだという。(FACEBOOK関係者)

日本人は自分を隠す?。ザビエルは「隠さない日本人」に当惑したが、FACEBOOKは、本名を使わず、仮名で全てが進む日本のネット社会の異様さに当惑している。それでも同社は日本を避けて通る事は出来ないという。だが筆者はFACEBOOKの日本での普及は疑問だ。なぜなら同社の強みはまず自分が誰であるか明かし、其処からの自己主張でユーザーを引き寄せるネットワークがビジネスの基本らしい。ならばそれは今の日本文化には存在しない価値感だからだ。

そしてそのジャパンミステリーに日本の大企業のCDSを買う事で挑戦しているスコットランド人がいる。その人の名はHUGH HENDRY。ECLECTICA FUNDのファンドマネージャーの彼は、添付した投資家向けのサイトの中で、NIPPON STEELのCDSを邦銀から購入した事が紹介されている。彼によると日本は世界経済の胸部(中枢)に取り残された核爆弾との事。そうだろうか。個人的には彼にはまだジャパンミステリーの本質を知らない未熟者の部分を感じる。

ただこのブログは役所関係者も見ているらしいので敢えて言うが、彼の話が本当なら、日本企業のCDSを邦銀が安い価格で今販売している事になる。まあ西欧の真似しなくてもよいところまで真似ると、場合によっては日本に禍を引き寄せる可能性は否定できない・・。


http://kingworldnews.com/kingworldnews/Broadcast/Entries/2010/9/28_Hugh_Hendry.html




2011年1月8日土曜日

今年のキーワード、NORMALCY BIAS (正常性へ傾斜)顧客レターから

NORMALCY BIASと言う言葉がある。直訳すると「正常性への傾斜」。これはずっと警告されていた危険が現実になっているにもかかわらず、既に予見された事と、過去の経験がアダとなり、危険を回避する行動が遅れる現象を言う。例えばカテリーナの上陸を軽く見た犠牲者。或いはヒトラーのユダヤ人排斥の度合いを見誤り、ナチスが乗り込んできても逃げようとしなかった人々を指す。彼等がどうなったかは言うまでもないが、個人的には今年のキーワードはこのNORMALCY BIASと考える・・。

ところで、下げ幅は少ないが、株が今日下がった意味は大きい。なぜなら市場は住宅などの現実の癌には目をつぶりいい話ばかりをしてきた。これからもソレが続けられるかどうかのヒントは微妙な小さな下落が続く事かどうかだ。そして何よりも興味深いのは、本日GSは公式にSPが1500に到達するとの予想を出したこと。この予想には二つの見方が出来る。GSはヤン氏が昨年11月にQEは総額で2数兆ドル超になると予想。ところが年初のGSの顧客レターは「QEはQE2で終わる」修正された(CNBC発表)。つまり、GSの予想はマーケを動かすが、結局当らないと見る事も可能だ。一方で悪くもなく良くもない今日の様な数字が続けば、批判をかわしながらダラダラとQEを続ける事も可能。その時はPOMOプログラムが株式インデックスへの買いになるとしてS&Pの1500は達成可能。ただその前提はインフレが起きない事である。つまりこの国の今年の最大のリスクはインフレである。バーナンケは「15分で利上げは出来る。だからインフレはコントロール出来る」と断言した。だがバーナンケの実績も完璧なネガティブインデイケーターである・・。

さて、ここでは2004年頃から、米国はインフレよりもデフレが致命傷になると言い続けてきた。そしてその見方は昨年一般化された。ならばここで断言しよう。次にこの国がインフレになる時、その時はTHE ENDである。なぜならデフレはもう怖くない。バーナンケがいる。彼がQEをすればよい。だが米国の健全な体は既に死んでいる。今は死んだ体を薬で動かしているにすぎず、そのワンダーランドは副作用のインフレによる突然死で終わる。それまではインフレの危険性を皆が語りながら誰も本気にしないNORMALCY BIASが続くだろう・・。





2011年1月6日木曜日

FAITH バリューリスク (顧客レターから)

こちらではヘッジファンドによる円売りと日本国債の空売りが再びゲームになる気配がある。では迎え撃つ日本の情勢はどうだ。今の日本は、為替はともかく、老齢化と低成長が当たり前になり、個人の預貯金という限られたコップの水しかない。だが実際の債券市場では、その限られた水でこれまで何度も海外勢のショートの仕掛けを跳ねのけてきた。では円債市場は今度も海外勢を打ち破れるだろうか。個人的にはかなり苦しい局面が来る可能性は否定しない。だが最後には勝つだろう。そしてそれは坂の上の雲のもう一つの側面である。

まず、当時高橋是清が戦費工面にかけずり回った事はドラマでも紹介された。だが当時の日本の国家予算が2億円の時代、既にロシアとの戦争が視野に入る中で、第1回発行分の1億がどれほどの大金だったかを司馬遼太郎はあまり誇張していない。日本は日清戦争に勝ったとはいえ、当時の欧州は欧州以外の国に戦争で負けた事がなかった(台湾を除く)。その常識の中、一体誰が強国ロシアに立ち向かう日本の国債などを買ったのか。

半分の5000万を同盟国の英国が出資した。そして残りの半分を仕切ったのは米国人のジェイコブシフだ。まあ同盟国家として日本にコミットした英国はともかく、シフは民間人である。またルーズレルベルト大統領を配する国家としての米国は、日本が強国ロシアに勝てると思っておらず、日本に投資はしなかった。ではいったいジェイコブシフは何を考えていたのか。

その前に、ジェイコブシフはFED設立時の陰謀説を探るとその端に出てくる人である事を紹介しておく。そもそもFED設立は、欧州を支配するロスチャイルドが、子分のJPモルガンを使い、事前に米国に放っていたウォーバーグに策略を練れさせて10年がかりで達成したと言うのが通説である。そのウォーバーグを義弟に持つシフは、FED設立の中心人物ではないものの、数々の国家への貢献で最終的にFED設立を決めたウイルソン大統領への影響力は絶大だった。その点からFED設立とも無関係ではないという扱いである。

結果的に彼の力で日本は20億の資金調達が可能性になり、それで坂の上の雲のドラマの土台が出来上がった。(恐らくそれが無ければあの物語り事態が存在しない)そして世界中のユダヤ人に働きかける上でシフが重視したのは日本人の責任感だったという。確かに破産という法の逃げ道を知る前の日本人には責任を取る方法は切腹。きっと今の日本人よりも更に責任感が強かっただろう。ユダヤ人で世界にネットワークを確立していたシフは、日本人からその責任感が消えない限り、仮にロシアに負けたとしても、日本の使い道はあると考えていたはずである。

いずれにしても、FEDさえまだ存在していない当時の世界の流動性は今とは比較にならなかった。そんな中でもリスクを求める投資家は世界中にいた事に驚く。そしてゴールドを嫌ったシフが選んだ投資基準が日本の地理的妙味と日本人FAITH(矜持、信頼性、信義)だった事は注目される。

ではその時代と比べて今はどうだ。お金はあり余っている。だからギリシャもアイルランドも潰れない。だがFAITHはあるのか。そしてそんな中で日本国債のリスクとは何だ。筆者には判らない。あるとすれば日本がFAITHを失った時だろうが、その前に既にFAITHが失われかけている国はいっぱいある。しかし市場は全く気にかける様子もなく相対価値のゲームをしている。最大の原因は、この時代まで世界を牽引しスタンダードを築いてきた米国からFAITHが失われかけているからだ。

そういえば正月に子供達が人生ゲームで遊んでいた。子供達はゲームで紙のおカネを使いサイコロを振っていた。筆者にはこのゲームと米国から見た今の金融市場の違いがよく判らなくなった。そして今の株高もその中での話だ。ただ一つ言えるのは、次に待っている国債のリスク、つまり真のソブリンリスクとは、FACE VALUEをGDPで測るのではなく、その国の責任感を反映したFAITH VALUEのリスクだろう。




2011年1月5日水曜日

庶民の初夢

この国でお金がどうなっているかを現わすバロメータに宝くじがある。初めてアメリカに渡った90年代は、ビックゲームと呼ばれる全国系宝くじ(パワーボールとメガミリオンの二種類)でさえめったにくり越し額が50億円にまでなる事はなかった。ところが2004年頃からだろうか、あっと言う間に100億円を超えるようになり、ソレが当前のように続いた。しかし金融危機後、ここでもおカネの勢いが衰えた。プール資金の鈍化が明確になったである。生活が苦しくなれば宝くじでも買うか・・そんな人が増えるイメージは逆だった。

そもそも宝くじを買う人はおカネが必要な人だ。つまり金持ちではない。金融危機後、恐らく彼等の多くが宝くじに回すポケットマネーに窮したに違いない。だが今回久しぶりにメガミリオンの繰り越し賞金が300億円を超えた。庶民の懐具合はあまり変わらないが、たばこ一箱、ビール数本を抜いてでも300億円の夢でも買うか。庶民が夢に払うお金が動き出した証拠だろう・・。



2011年1月4日火曜日

年初雑感、おカネは稼ぐモノか、創るモノか、

個人的な2011年初頭のテーマは、お金は稼ぐモノか、それとも創るモノかである。通常米国ではその英語表現に区別はない。「メイク マネー」である。だが昨年末のG20の頃、財政健全化に舵を切り、米国の掲げた成長最優先と決別した欧州を代表してドイツのメルケル首相が「お金は創るモノではなく、稼ぐモノです」と敢えて区別した。

メルケル首相は中央銀行の量的緩和に頼るだけの米国に警鐘を鳴らしたわけだが、これは「セカンドバージン」で金融王子が検事に非難される場面の「汗水たらして働かず、マネーゲームで儲けるなんて間違っている」という日本人の感覚に近い。だがそんな警鐘は今の米国には全く無意味である。

その理由は二つ。まず今の米国はモノ作りのDNAが希薄だ。よって進化論からしてもその選択は有効ではない。そしてDNAに関係なく、レーガン政権後の成功例ではマネー(富)は創られる(た)モノだったからだ。どうやらその最新のパターンがFEDのQEというハシゴ経て今新たに始まろうとしている。その主役はズバリFACEBOOKである。

米国内でFACEBOOKがクリックされた回数がグーグルを抜いたのは今から半年前。その時からFACEBOOKがグーグルに代わる次世代の主役との見方は一般化されていた。たが、年明け早々、ゴールドマンサックスが中心になり、いよいよFACEBOOKの新規上場の話が具体化してきたのは驚きである。

振り返ると、ブラックマンデイ直前の86年に上場したマイクロソフトは90年代の主役であり、ドッココムバブルが弾けた後の2004年からの復活ではグーグルが主役になった。そして金融危機を経て今度はグーグルがFACEBOOKにバトンを渡す。こんなリレーが完成すれば国家としてもありがたい話だ。ではなぜ彼らがマネーをメイクした事になるのだろう。

まず彼らには共通の特徴がある。それは後にドル箱に成長した分野には元々先行者がいた事だ。その先行者たちのモデルは市場を席巻するまでの力はなく、彼らが改良を重ねる事で消費者の理想に近づいた。(マイクロソフトの前のアップル、グーグルの前のYAHOO、そしてFACEBOOKの前のマイスペース)そしてちょうどその頃を見計らってウォール街の錬金術師が近づいてくる。

錬金術師は老獪だ。本日ゴールドマンはFACEBOOK株の時価総額は非公開の現時点で既に4兆円を超えているとのレポートを出した。だがその前にゴールドマンはFACEBOOKに400億円の自己資金を投下していた事が判明した。

こうして競争相手に決定的な格差をつけたところで株を公開し更に自己資金を潤沢する。そうしておけばその後の開発競争も有利に進む。グーグルもこうして最高の人材を集め更に飛躍していったではないか。

この様に、発明者でなくとも改良の技術力をベースに決定打を打ち、そのあとの会社の付加価値はWSの錬金術師たちに委ねる。この仕組みからはマネー(富)は稼ぐというよりやはり創るモノと言った方がふさわしい。これが米国流であり、そしてそこには国策に近い策略の印象さえ受ける。

ではゴールドマンが演出するFACEBOOKがもたらす国家利益とは何だろうか。FACEBOOKはマイクロソフトのような生産性の革新をもたらすとも思えないし、グーグルの様な「知」への探求心をサポートする使命を背負っているとも思えない。まあ来年の今頃には判ってるかもしれないが、原石の選び方そのものが人類にとって最後のバブルの領域に入った感もするのは自分だけだろうか・・。