個人的な2011年初頭のテーマは、お金は稼ぐモノか、それとも創るモノかである。通常米国ではその英語表現に区別はない。「メイク マネー」である。だが昨年末のG20の頃、財政健全化に舵を切り、米国の掲げた成長最優先と決別した欧州を代表してドイツのメルケル首相が「お金は創るモノではなく、稼ぐモノです」と敢えて区別した。
メルケル首相は中央銀行の量的緩和に頼るだけの米国に警鐘を鳴らしたわけだが、これは「セカンドバージン」で金融王子が検事に非難される場面の「汗水たらして働かず、マネーゲームで儲けるなんて間違っている」という日本人の感覚に近い。だがそんな警鐘は今の米国には全く無意味である。
その理由は二つ。まず今の米国はモノ作りのDNAが希薄だ。よって進化論からしてもその選択は有効ではない。そしてDNAに関係なく、レーガン政権後の成功例ではマネー(富)は創られる(た)モノだったからだ。どうやらその最新のパターンがFEDのQEというハシゴ経て今新たに始まろうとしている。その主役はズバリFACEBOOKである。
米国内でFACEBOOKがクリックされた回数がグーグルを抜いたのは今から半年前。その時からFACEBOOKがグーグルに代わる次世代の主役との見方は一般化されていた。たが、年明け早々、ゴールドマンサックスが中心になり、いよいよFACEBOOKの新規上場の話が具体化してきたのは驚きである。
振り返ると、ブラックマンデイ直前の86年に上場したマイクロソフトは90年代の主役であり、ドッココムバブルが弾けた後の2004年からの復活ではグーグルが主役になった。そして金融危機を経て今度はグーグルがFACEBOOKにバトンを渡す。こんなリレーが完成すれば国家としてもありがたい話だ。ではなぜ彼らがマネーをメイクした事になるのだろう。
まず彼らには共通の特徴がある。それは後にドル箱に成長した分野には元々先行者がいた事だ。その先行者たちのモデルは市場を席巻するまでの力はなく、彼らが改良を重ねる事で消費者の理想に近づいた。(マイクロソフトの前のアップル、グーグルの前のYAHOO、そしてFACEBOOKの前のマイスペース)そしてちょうどその頃を見計らってウォール街の錬金術師が近づいてくる。
錬金術師は老獪だ。本日ゴールドマンはFACEBOOK株の時価総額は非公開の現時点で既に4兆円を超えているとのレポートを出した。だがその前にゴールドマンはFACEBOOKに400億円の自己資金を投下していた事が判明した。
こうして競争相手に決定的な格差をつけたところで株を公開し更に自己資金を潤沢する。そうしておけばその後の開発競争も有利に進む。グーグルもこうして最高の人材を集め更に飛躍していったではないか。
この様に、発明者でなくとも改良の技術力をベースに決定打を打ち、そのあとの会社の付加価値はWSの錬金術師たちに委ねる。この仕組みからはマネー(富)は稼ぐというよりやはり創るモノと言った方がふさわしい。これが米国流であり、そしてそこには国策に近い策略の印象さえ受ける。
ではゴールドマンが演出するFACEBOOKがもたらす国家利益とは何だろうか。FACEBOOKはマイクロソフトのような生産性の革新をもたらすとも思えないし、グーグルの様な「知」への探求心をサポートする使命を背負っているとも思えない。まあ来年の今頃には判ってるかもしれないが、原石の選び方そのものが人類にとって最後のバブルの領域に入った感もするのは自分だけだろうか・・。
0 件のコメント:
コメントを投稿