2008年11月26日水曜日

末期治療

緒方拳の遺作となったこともあり、フジTVの開局50周年ドラマ「風のガーデン」が話題だという。早速便利なVEOH(パソコンテレビ番組)でダウンロードして観てみた。そこでは中井貴一演じる主人公の麻酔医が自身の末期のすい臓がんに究極の「痛み止め」を打ちながら失われた家族との時間をとり戻そうとする姿が描かれている。まあこれはドラマなのでいい。だが現実の米国では末期症状の痛みに耐えられず最終的なモルヒネをあちこちに打ってしまった。こちらでは痛みを無くす事と病気の根源を治す事を錯覚したキリギリスの終末はいかなるものかが興味深い。ただその結果には自分も世界も巻き込まれる。だがせめて最後の?クリスマスまでの時間はそっとしておくのがいいだろう。今日の株の終わり方にはそんな冷めた憐れみが漂っている。。。

2008年11月25日火曜日

<今日の視点>米国に必要なモノ

NHKの大河ドラマ、篤姫が佳境である。女性の情念を描く宮尾登美子という存在には毎回感心するが、やはり女性が主人公のドラマは女性が描く方が面白い。ただ中高年の男性歴史ファンには日本史が一番輝いた時代の男性ヒーローの描き方において、やや物足りなさを覚えた人もいるだろう。

その大河ドラマは米国でも日曜の夜に放送する。昨日は西郷隆盛にむけて篤姫が手紙を書く一番のシーンをやっていた。 ところで米国で暮らす自分にも日本史との接点がある。まず私はシカゴの先物取引所のメンバーとして日本人の見学者を取引所に案内した経験数では一番多いだろう。そして見学者を案内する時必ず話す逸話がある。それは記録に残る最初にシカゴの取引所を訪れた日本人の話しである。それは誰か。答えは岩倉使節団である。

篤姫では「片岡鶴太郎」が演じている岩倉具視は中高年には二つの写真が印象的だ。一つは使節団のメンバーと一緒に映ったちょん髷姿の岩倉。大久保や木戸が既に洋服姿であるのに対し、主賓の岩倉のちょん髷は異様である。そしても一つ昔の五百円札に写ったあの岩倉である。その姿にはちょん髷はない。

実は岩倉が髷を切ったのはこのシカゴであると言われている。米国に留学していた息子にここシカゴで再開し、その時に近代化を急ぐ「日本国の代表がちょん髷ではおかしい」と息子に説得されて彼は髷を切ったと言われている。そしてこの岩倉使節団にはあの西郷隆盛が入っていない。

日米の歴史や経済の転換点を見る上で最近感じるのは、西郷が岩倉使節団に加わらなかった意味である。視察から得た知識をもとに富国強兵を推し進めた大久保や伊東と次第に意見を違えた西郷。当然だった。グローバルな知識という観点では視察団に加わらなかった西郷の時代ではなかった。

自分の役割を知った西郷は郷里に帰る(一般的には征韓論での対立)。ただ司馬遼太郎流に言うなら彼にはもう一つ役割が残っていた。それは前の時代を完全に終わらせる為、即ち自分が死ぬ事だった。

篤姫では本来温情家の西郷が前の時代を完全に終わらせるためには徳川慶喜をどうしても討つ必要があると迫るシーンがある。理由はともかく史実では勝海舟との会見後に西郷は慶喜を助けた。しかし、程なくして慶喜と同じ宿命が自分に回ってきた時、西郷は甘んじてその運命を受け入れた。

私にはここが西郷の真骨頂である。そして視察から近代化へのスピードが日本の運命を左右する事を知っている大久保は西郷を助けない。これはこれでやはりさすがである。そしてその大久保も伊藤も後に暗殺される事は誰でも知っている。

いずれにしても今の日本人の生活水準はこの時グローバルな歴史のうねりの中で散った英雄の活躍があってのものだ。そして今の米国。初めての敗北といっても過言ではない困窮の米国。この米国の期待を集めるオバマ大統領の取り巻きの顔ぶれをみると、皆知識や経験(失敗も含めて)は豊富である事は確かだ。しかしどこかで空しい。CITIの救済案を見ても然り。既に終わったモノを歴史としてきちっと葬り去れない甘さ。また巨額な報酬を稼いだ人間達の織りなすこの不釣り合いなこの小粒さは何だ。

その昔勝海舟が西郷と初めて会った時の感想が勝から坂本竜馬にあてた手紙の中に残されている。その中で勝は「知識や見識、あるいは議論では自分の方が上である。だが今のような国難において、国に必要な男とはまさにあのような者(西郷を指して)ではないか」と結んでいる。そして、今米国に必要なモノが何かやっと分かった気がする。金ではない。ドル札は刷ればよい。必要なものは人、人材である。目先の変化はともかく、この国はオバマだけでは何も変わらないだろう。

2008年11月22日土曜日

市場原理は国家への反逆

今日の株の市場はCITI(日興シテイーの米国本社)の会議の結果を待ちながら上下のリズムを繰り替えしてた。そして突然オバマが新財務長官を発表すると株価は急上昇した。そのため株を空売りしていたヘッジファンドはあわてて買い戻す羽目になった。

細かな話をすればオバマがノミネートしただけでガイトナー氏本人が財務長官職を受託したかどうかはまだ分からない(普通なら受諾)。ただ市場関係者はガイトナー氏を最後の希望として待ち望んでいた。だがガイトナー氏に何かできるら、クリントン時代から今に至るまで彼はずっとその立場にいた。その点ではグリーンスパンと同じである。その現実をどう説明するのか。新大統領としてのオバマへの期待が大きすぎる事と合わせてガイトナー氏への期待感も私には後の悲劇の材料にしかおもえない。

さてCITIの会議の結果がどうなろうと市場関係者が意識しなければならない事が一つある。それは前回の金融救済法案の結果すでにCITIには25B(2兆5千億円)の税金が投下されている事だ。それにもかかわらず今日の終値でCITI株の時価総額は20B(2兆円)である。政府の救済資金は優先株として投下されたとはいえ、本日市場はその25Bを下回るところまでCITI株を売り崩した。(CITI株の終値は3ドル台)

今は新政権への移行の最中でいわば権力の隙間である。その中で国家は既に税金を金融機関にを投下した。必要があればこれからも大金を投下するだろう。そしてこの隙間を狙ったようにヘッジファンドは銀行株を売った。彼らはルール違反はしていない。だが国民の血税さえも食い物にしている事実だ。これは米国の国是だった市場原理を今後も野放しにする事は、国家経営そのものに重大な危機をもたらす転換点を迎えたということだ。

そもそもヘッジファンドは余裕のある富裕層の資金を元手にしている。ただ今回の金融危機ではその富裕層の資金も傷ついた。今ファンドマネージャーはその損を取り戻すために必至だ。したがって市場のルールの中では何でもする。今回のCITI株の急落の本質を解りやすく分解すると、CITIに投下された国民の血税がそのままヘッジファンドの収益につながっている。


今金融機関はどこも脆弱である。その中でもCITIは負け組だった。原因はCITIの経営にある。しかし仮にこのままCITIが倒産に追い込まれると衝撃は甚大だ。リーマンショックの3倍は覚悟しなければならないだろう。国益上CITIは絶対につぶせない。 米国はついに腹をくくる時が来た。


ルールとは国家利益のもとで変化する。それが国家経営だ。しかしヘッジファンドは損失の取り返しに必死になるあまり、現状のルールの中で暴れまわりすぎた感がある。江戸時代、栄華を誇った淀屋は幕府によって追放された。当時のルールでは淀屋に非はなかった。米国でもヘッジファンドの行動はいよいよ国家利益への反逆になりつつある。国家には誰も逆らえない。それは歴史が証明している。大転換点が近づいている。

2008年11月21日金曜日

天罰

2005年のドキュメンタリー映画「WHY WE FIGHT(なぜ我々は戦うのか)」の中で、イラクで地元の民間人が米軍の誤爆で大勢死に、それでもフセイン後の世界に一旦は希望を持っていた老人がしみじみと語るシーンが最後に用意されている。「俺には難しい政治の事はよくわからねえ、でも、米国がどんな大国であっても、こんな酷い事をする国がこのままで済むはずがない、必ず天罰が下る。。。」と彼は警告していた。米国に天罰が下るのはこれからが本番だろう。そしてその米国の暴走を止められなかった世界もその禍に巻き込まれる事を覚悟しなけれならない。今日の株式相場はそれを示唆している。

2008年11月19日水曜日

ビジネススクールの限界

BIG3救済の反対派の意見は、トヨタがハイブリットの開発に時間をかけていた時BIG3は間違った経営をしていた。だから潰れても仕方がない。むしろ潰すべきだとの意見に纏まっている。ただ議会が救済を承認するかどうかの判断基準は最早その会社の経営者の能力云々ではなく労働者である。これはオバマも選挙中に約束した。よって救済は不可避である。

しかし救済しても現経営陣の説明からは復活の見込を感じない。なぜならワゴナー氏(GMのCEO)はGMがトヨタに敗北したのは基本的な技術力の差ではなく、国が健康保険を負担する日本のトヨタと、労働組合による巨額な負のレガシーを抱えたGMとのコストの差であると言っているが、個人的な意見ではこれは完全に間違っている。

そしてワゴナー氏は本日の議会証言でも同様の証言をしていた。しかし一方でGMは本業の業績に関係なく、この10年間に年間10M(10億円)のロビー活動費を予算に計上している。当然今議会に救済を働きかけているロビイストへの支払も今年の予算に含まれているわけだが、私にはこの現実がGMはメーカーとしての品質競争を既に放棄していたとしか思えない。

10年で100M(100億円)をロビイストに払うなら、なぜ良い車を作る為にその金を使わなかったのか。やはり米国はマネーゲーム大国になってしまい、報酬を超えてモノづくりに情熱を感じる人は少ないのだろう。この事にはここ数年ビルゲイツがいつも警鐘を発していた。

MBAに行っていない自分には分からないが、恐らくこういう常識は米国の一流大学のMBAでは教えないのだろう。ただこの疑問がある限り個人的にGM車は買わない。いずれにしても、今の米国の課題は金融システムの再構築だけでなく、これまで世界の経営の模範とされたビジネススクールに代表されるマネジメントのあり方にも改善の余地はありそうである。

2008年11月18日火曜日

NYダウ6000台への足音

巨額の財政出動という現実に反して米国の債券市場は堅調である(金利が上がらない)。今の米債市場には需給や指標を前提にしたファンダメンタルからの常識と、乱世における国家間の駆け引きを前提とした相場感が混在する。個人的には今回の金融危機が起こるまでは前者だった。しかし2月にあるレポートを読んでからは後者の考え方も考慮した。そして今の債券市場は完全に後者の支配するところとなった。

そのレポートはNYダウが8000になるという内容だった。そもそも株の国の米国でダウが8000になるという事はシステムの崩壊を示唆する事と同じである。市場原理が終わり、国家による新しい枠組みが必要なる事は必然だった。そしてそれは起こった。ただ自分にもその予感があり、驚きではなかった。そんな中でそのレポートが斬新だったのはそれまでの米国の金融市場の常識を覆し、米国で一番重要な市場、即ち主役が株から債券に変わるという示唆さだった。

オバマ時代には一連の救済や新しい枠組み構築に5兆ドル(500兆円)以上の資金が必要になるという。その資金を誰が払うにせよ、調達のための債券市場は生命線である。株が主役だった時は企業はどんどん時価発行増資をして自分で景気の活力を維持した。しかし今民間は死んでいる。国家だけが頼りだ。これがこの米国でも主役が株式から債券市場に変わる具体例だ。この結果株は一次的に見捨てられるだろう。その時NYダウは6000台へ入る可能性が高い 。

そして、米国自身は金欠である以上別の誰かが払った資金はオバマ政権によってばら撒かれる。国の枠組みが崩壊し、パニックを起こしながら国家の資金がばらまかれる時は実は一攫千金のチャンスである。明治維新、戦後の復興、そしてソ連の崩壊のどのケースでもしたたかに財閥が形成されたではないか。

同じ事が米国で起こる。ただその主役になるのはこれまで主役だった金融機関ではない。また先日議会の前に引きずり出されたソロスに代表される老練な市場の専門家(ヘッジファンド)でもない。あの日のソロスにはその昔、米相場での儲け過ぎを咎められて幕府によって追放された淀屋の逸話を彷彿させる何かを感じた。市場原理の中で荒稼ぎした彼らの命運も実は尽きているのかもしれない。では誰が次に儲けるのだろうか。

今その絵図を描く人々がオバマの周りに集まりはじめた。ブッシュ政権がプラトンの言う「正義とは強者の利権」を実践した政権だったとするなら、オバマ政権で予想される弱者の救済は一体誰の利権に繋がるのか。その答えはそのうちだれの目にも見えるだろう。

この様に米国では更に株が下がる事で国のあり方を作りかえる理由が生まれる。その形態が一次的に社会主義に近くなっても国益に叶えばこだわる必要はない。国民の悲鳴はその為の条件である。そう考えると今回の危機は金持ち層の入れ替えが伴う試練だが避けては通れない運命である。運命は早く受け入れた者が勝つ。それが戦略である。一方でそこまでの国家戦略があるかどうか不安なのが日本だ。

本来「債券の国」であるはずの日本の弱点は株である。日本の金融機関が米国に同調する日本株の下落で体力を失う様は欧米とは異質の光景だ。そんな中でダウが6000までなった時、一番窮地に陥るのは日本であるのは言うまでもない。日本は早く戦略を持て。

2008年11月15日土曜日

日本人とポーカー

今週のこちらのニュースでいちばん印象に残ったのは、ラスベガスで開催されたポーカーの国際大会でデンマークからの19歳の大学生が優勝し、翌日の新聞に掲載された9憶円の札束に埋もれながらガッツポーズをしているその青年の顔である。まだあどけなさを残した彼は今後の予定を質問されると、大学に戻るだろうが、自分は「もっと賢い人間」になれるだろうし、そのための努力をしたいと答えていた。

そのポーカーゲームは日本人にとって馴染みのあるの娯楽とはいえない。私自身もこのゲームに精通していない。恐らくポーカーは嘘や虚を前提にしない性善説の国ではその本質が理解されにくいのだろう。一方性悪説が常識である欧米社会ではポーカーゲームは重要だ。なぜなら手持ちのカードの善し悪しと別に、心理戦を制する事で交渉やゲームを有利に進める事ができる。そのためにまず体得する習慣は手の内を晒さない事。そして今の混乱期の世界ではこのポーカーゲームでの才能がより必要とされているのである。

さて、米国からすれば地球儀上で大西洋を挟んで大陸を見据える役割の英国。英国のゴードンブラウン首相はブレア時代には財務大臣として米国と歩調を合わせた。しかし今回の金融サミットでは、同類ではないが、仏などの大陸諸国と歩調を合わせている。ブラウン首相の決断の結果の善し悪しは別として、彼の変身は世界情勢の変化の状況をかんがみ、首相として英国の国益考えた結果だろう。

一方、米国から太平洋を挟んで大陸を見据える日本の麻生首相はどうか。彼は相変わらず日本の国益は米国の言いなりになる事だと考えている様子である。金融サミットに臨むあたり、NHK特集で米国に唆された「日本の役割を示す時が来た」という馬鹿げた妄想で今回は主導権をもたない米国の援護にやっきである。

英国と日本。昔も今もそしてこれからも米国にとって最重要国家である。ただ英国は時に駆け引きを用いながら米国との関係を堅持するだろう。一方の日本。いくら米債を買い込み過ぎたとはいえ、日本は相変わらず人質国家のままだ。同じに米債を買い過ぎた中国がどんな対応に出るか、日本は中国から学ぶ姿勢を示せ。それだけで米国はびびるだろう。

なぜなら日本がより米国を必要とした時代が終り、今は米国がより日本を必要とする時代が始まった。そして米国はこの本質を必死で日本(人)に隠している。先のNHK特集もその為である。そもそも日本が米国との友好関係を維持する方法は米国の言いなりになることだけではないはずだ。英国とは米国に対する歴史が違うのは承知の上で、敢えて今は勇気をもって駆け引きの世界に飛び込む時が来た。

そう、ポーカーゲームの世界だ。この欧米流のポーカーゲームに対応できなければ日本において国益は結果論だけのモラトリアムが続く。

2008年11月14日金曜日

シカゴの暗雲、市況から

本来オヘア空港(シカゴの国際空港)から高速道路でダウンタウンへ下る途中に見えてくるシカゴの摩天楼にはスッキリとした美しさがある。其れはロングアイランドから眺めたマンハッタンの雑多な景色とも違う「建築の街」としてのシカゴ特有のシャープなコントラストである。しかし今日のシカゴのダウンタウン上空には見たこともない暗雲が立ち込めていた。そして心なしか街全体がなんとも言えない雰囲気に澱んでいた。まるで今の株式市場を映し出しているようだった。

ここまで株の雰囲気が澱んだのはなぜか。それは昨日のポールソン財務長官のスピーチが代弁している。彼は米国という国家が世界中を混乱に導いた責任を認めた。そして財務長官個人としても、数々の政策の場当たり的な変更を謝罪した。

もともと米国は単純な国家である。だからあのぺイリン女史が副大統領候補になりえたのだ。よって単純だった人々を束ねるはずの政権を含めた国家機能がブレるとどういう事が起こるか。米国が今のように統制力を失った醜態をさらすのは在米15年で初めての経験である。これでは株は上がらない。最早経済指標などどうでもよく、この澱んだ雰囲気をどう払拭するか。そこが全ての相場に影響するだろう。

2008年11月11日火曜日

理想と現実 過大な期待感の罠

オバマ大統領の誕生。ケニアの血を引き、アジアで暮らした経験を持つ彼が米国の大統領になる。これが世界史にとって画期的な出来事である事は、世界がその誕生を祝福している事からも覗える。ただ、オバマが類稀なる優れた資質の持ち主だったとしても、2004年まで無名だった彼が僅か4年で米国の大統領になるという政治史上の奇跡は一人の立役者がいなければ起こり得なかっただろう。ではその立役者とは誰か。答えは簡単、ブッシュ大統領その人であることは言うまでもない。そんな中ブッシュ大統領は本日オバマとミッシェル夫人をホワイトハウスに招き、引き継ぎの準備に入った。

ニュースは二人がホワイトハウスの廊下を仲良く歩いている姿を映した。不思議な光景だった。そこには選挙中火花を散らした共和党と民主党の新旧の中心人物としての確執の残像はなく、水と油の二人がホワイトハウスの白い回廊に自然に調和していた。オバマはブッシュに敬意を払い、ブッシュも党の困窮を尻目にどこかで肩の荷が下りた安心からか朗らかにオバマを迎えていた。そうだ。結局この二人は米国史において南極と北極のような磁力を放っていたのかもしれない。そして歴史が大転換する節目において、その両極の磁派は反発しているようで実は引き合っていた。だからこの奇跡が起きたのである。

オバマ大統領を誕生させたエネルギーには彼の資質とその運命から発せられた正の力だけではなく、実はこれもまた米国史上類を見ないブッシュ大統領からの反発のエネルギーが加わっていた。言い換えるなら、仮にブッシュ政権が普通の退屈な政権だったらまだオバマ大統領は誕生していないだろう。なぜならこの政権がここまで米国をぶち壊さなければ、若者は大した危機感も持たず政治は退屈に流れたはずだ。そしてその場合民主党の大統領候補者はヒラリーだっただろう。その意味でヒラリーの女性初の大統領への野望はオバマに負けたというより、ブッシュに邪魔されたのである。

さてそのオバマはシカゴで著名人との経済会議を終え、今後の米国経済をどう立て直すかのスピーチをした。とっさに飛ばした冗談は頭の回転の良さを語っていたが、ただ選挙中にみせた自信漲るあのスピーチは影をひそめ終始表情は硬かった。それも仕方がない。これからの彼のスピーチは夢を語る為のものではない。現実の米国に直面し、具体策を国民に伝える為のものだ。

要するに実際に大統領になった後のスピーチには楽しいものは少ないという事だ。そしてそれは彼にとって初めての経験である。選挙中の夢を語る彼は凛凛しく、その雰囲気にサポーターは酔った。しかし今米国が直面する危機は国民に飴を与えることだけでは解決しない。むしろ苦痛を要求する事になるだろう。彼の表情が物語るものは、改めてその現実の厳しさと具体策は夢ではない事を実感した証ではなかったか。

いずれにしても、熱狂の中で実際にオバマに投票した米国人の期待感は外からこの国を分析している人に説明する事は難しい。ただ今のオバマを見る限り、以前から抱いていた「熱狂の中での期待が大きければ大きいほど結果が満足できない場合の失望感は大きい」との不安がより重く感じる。その失望が米国人に広まった場合、市場には何が待っているのだろうか。

2008年11月9日日曜日

メイドインUSA

今日のNYTIEMSの一面は下院議長のナンシーぺローシと対面しているBIG3(GM  フォード クライスラー )のトップたちの写真である。その写真から窺われる雰囲気は和やかで、とてもこの3人が倒産に直面した自動車会社の経営者とは思えない。むしろ営業利益が1兆円減ったとはいえ、真の余剰資金額ではもしかしたら欧米の金融機関が全部集まっても勝てないかもしれないトヨタの副社長の苦渋に満ちた決算発表での姿の方がよほど危機感に満ちていた。それもそうだ。この3人の経営者で生え抜きはGMのワゴナー氏一人。そしてその彼とて財務担当のアナリスト出身。またクライスラーとフォードCEO(経営者)はエンジニアではあるもののそれぞれHOMEDEPOT(住宅材デパート)とボーイングというの畑違いの出身だ。全員が油の匂いがする車作り現場とは程遠い印象である。(たとえば本田総一郎のような)

金融の仕事がらBIG3の凋落は金融市場と同時に常に見守ってきた。そしてこの3人に共通するのは金融市場がBIG3 の倒産の危機を叫んでいる時もどこかで他人事のような覚めた雰囲気を維持している事だった。業績が落ちぶれてからオーナーに請われて就任したフォードとクライスラーのCEOはともかく、なぜGM生え抜きのワゴナー氏からもそんな他人事のような覚めた雰囲気を感じるか。

想像するに、彼らがCEOとして責任を感じるのはビジネスの根幹の車の性能ではなく、株主に配当を払うバランスシートであるとの感覚がその様な冷めた雰囲気を醸し出しているのではないか。ならば国家による救済が必然となった今、彼らから写真のような笑みがこぼれるのも当然かもしれない。ただ個人的には経営者がバランスシートは気にしても自社の製品の性能に対して責任感をもたないメーカーの車は絶対に乗らないだろう。

2008年11月7日金曜日

<今日の視点>歌手の器量

今日のナンシーぺローシ(民主党下院議長)と明日のオバマ。来年以降このBLUE国家(民主党主導の国家)を率いる民衆党の主役があいついで経済政策に取り組んでいる。本日ナンシーはBIG3と会談。明日オバマは大統領になる事が決まった上で初の経済対策を発表する。ただ市場はその方向性については既にに織り込んでいる。それはBIALOUTだ(救済)。

金融機関にあれほどの救済を施した以上は自動車のBIG3も救わざるを得ない。そして最後は個人を救う。そしていったん崩れはじめた原理は途中で止める事は難しい。なぜなら不平不満が起こる。不平不満は更なるモラルの低下を発生させるのだ。

そこでその時代に備え、敢えてモラルをどう無視するかを小声で話したい。ズバリこれからは借金を返してはいけない。なぜなら最後に徳政令が待っているとすると、まじめに借金を返すと馬鹿をみる。現金はどこかに隠しておくべきだ。そんな悪いこと考えながら最近の話題から小室哲哉とあの千昌夫の違いを考えた。

小室哲哉の凋落はこの米国でも類を見ない。ただ借金の金額では千昌夫の足元にも及ばない。小室の借金は数十億、千昌夫が抱えた借金は数千億の世界だった。一説よると千昌夫の借金はピークで3000億に達したという。そしてその債権を抱えた金融機関はBAILOUTされ、国民の税金が投入された後外資の手を経て立ち直った。未確認情報であるが、この過程で千昌夫の借金は1000億に減額されたという。借金が1000億になってもその金額を歌手業で返済するのは無理だろう。それでも彼は破産宣告を選ばないという。

今多くの日本人は小室の凋落に驚き、様々な感情でこの事件を受けとめているはずだ。ピーク時、小室の派手さに嫌悪感じた世代もあるだろう。そんな中でその世代からは千昌夫の批判はあまり聞かない。むしろ私の家族には今でも彼の熱烈なファンがいる。小室はたかだか数十億の借金のために詐欺を働き、犯罪者となった。一方で数千億の借金を棒引きにした千昌夫はまだ1000億の借金が残っている事で私の家族からは侮蔑というよ同情されながら時より「北国の春」を歌っている。ある意味で男の器量の話かもしれないが、ただ日本国民に迷惑をかけたのは本当はどちらだろうか。これも世の中の原理である。BAILOUT(救済)の時代とは一体どんな時代になるのだろう。

2008年11月5日水曜日

小さな変化と大きな変化

まだ米系に在籍してた頃に米国の市場原理の終焉を感じ「視点」を書き始めた。そしてそのイメージが確信に至ったのは余りの流動性に自分自身が慄いた2004年である。そして崩壊が実際に起きた過程のスピードとエネルギーは自分の想像を遥かに超えていた。一方、いつか米国に非白人の大統領が生まれる事を想定はしていたが、オバマの事を初めて其の候補者として紹介したが2004年だった。そこから僅か4年だ。本当にそんな事が実現してしまった。これも想像を超えたスピードだった。

世の中が変わる際のこのマグニチュードとスピードをどうマネッジするか。「先を読む」という事はそう言う事だ。しかし今回その難しさ改めて認識した。そして、昨日はオバマを応援してきた世界中のオバマファンには夢がかなった事になるが、喜びの時間は短い。今日からはこのスピードでこれから起こる事に準備しなければならない。まず株は上がってもあと500ポイント前後。そこからは長く苦しい道のりが待っている。

昨日勝ったのはオバマと民主党だが、その意味は本当の勝者は「資本家から弱者へ」という国是の変化である。実は世界は米国のこの変化に接するのは歴史的に初めてだ。そして過去の民主党政権がどうのこうのと持ち出すのは全く意味はない。なぜならバフェットが言う「右に行き過ぎた修正は左に行き過ぎる事で修正される。」は他でも同じ現象をもたらすだろう。「上がりすぎた価格は下がりすぎる事で修正される。」「喜びすぎた人は悲観のどん底にたたき落とされて修正される。」そして、仮に地球上の人口が増えすぎたなら、それはどういう形にせよ減ることで修正される。

世の中にはこの極端なエネルギーがする。だからこそ昨日の結果となったのだ。我々はこれからその大きな変化の現実に対処しなければならない。オバマの言う変化とは、実はその小さな一部である。

2008年11月4日火曜日

生殺与奪の権限

実質大半が脳死状態に落ちた米国金融機関に対する救済策。どの銀行に資金を入れ、どこには入れないか。その判断は財務省が任命した救済策の担当者にゆだねられる。即ちこの担当者にはその「生殺与奪の権限」が与えあられた事になる。本日のNYTIMESには中心となる5人のメンバーのプロファイルが載っていた。ただ先週彼らが行った第一弾の資金注入は議会の間で評判が悪い。例えばバーニーフランク。彼は紛糾した法案設立の過程で政府と議会の間を奔走、ポールソンを助けた。しかし不良債権の買い取り案が突然資金注入案に変更した際、財務省は金融機関のボナースパッケージに手をつけなかったことに憤慨して今は救済案の第二弾には反対票を投じる事を示唆している。要するに米国は金融危機に落ちた過程での脆弱さもさることながら、この危機から立ち直るプロセスにおいてもかつて我々の世代ががハリウッド映画を通して信じてきた「正義の味方、不死身のヒーロー」といった米国の象徴は何処にも感じられないのである。

その失望感を前提に先日報道されたNHK特集の日本とアメリカの第二弾をみると、NHKの報道の意図は全く理解不能である。ワシントンの日本大使館のスタッフが次の政権に備えてオバマ/マケインのアジア(日本担当スタッフ)から情報を得るために奔走する。そこで次々にぶつけられるのが日本の役割に対する未来の政権スタッフによる脅しにも近い強要である。特に共和党政権下のスタッフは中国の台頭を引き合いに出して日本は国際社会から忘れ去られると何度も強調していた。一方民主党の未来のスタッフは、オバマが世界に対する米国の態度を改める事を示唆している事に合わせ、米国の力の低下を素直に認めて日米関係強化を紳士的にアプローチしている。

そこで気になったのはNHKの報道がオバマ・マケインどちらの政権になっても日本は米国に強調しないと大変な事になると圧力をかけるような内容になっている点だ。ただ冒頭の金融機関の救済案の顛末からも、今の米国は日本が盲目的に追随しなければならない絶対性は既に無いという見地を日本は持っているだろうか。持っているのは米国である。だから彼は必至なのだ。共和党はこれまで通り単純なアプローチで直言し民主党は柔らかいが老獪である。いずれにしても今の米国は日本が戦争で負けたあの米国ではない。今の米国は日本に対して「生殺与奪の権限」の剛腕はもっていない。ただ現状の国際政治の相対性からも日米関係が軸である事にだれも異論はない。しかし米国に脅される時代は明らかに終わった。幸いNHKの報道の仕方とは裏腹に、大使館の外務省スタッフの発言には冷静に日本の国益と米国との距離を測る意図が十分感じられた。