2009年8月29日土曜日

気のりのしない革命

海賊のドレークを擁し、エリザベス一世がスペインの無敵艦隊を破ってからヨーロッパの勢力図と英国の歴史が変わったのは周知の通り。その後七つの海を支配した英国は19世に世界の工場とも言われた。だが米国にその座を奪われてからは金融国家として生きる道を選んだ。そして今、中国が迫りくる中で米国も英国と同じ道程に入ったと考えれば今ここで起こっている現象は自然だ。その証拠に今日のワシントンポストには金融危機前と比べ、今は大銀行の支配力が格段に増している事が紹介されている。

具体的には危機以前は米国には単一の銀行がの国家全体の預金の10%以上を保有してはならないという厳格な規制があった。だが今はJP モルガン、バンカメ、ウエルズファーゴの3社の預金高はそれぞれ米国の総預金量の10%以上であり、また地銀と比べた彼らの調達コストの優位性は危機以前の8BPから今は25BPに拡大した。(低い金利で資金調達が可能)

この現象は危機を切欠にしたコンソリデーション(淘汰)の結果と考えれば当然だ。そもそも金融の世界ではその過剰な流動性を原因とした危機が一旦起ると結果的に混乱を起こした張本人が焼け太る事になるのを昔の米国は知っていた。だからその繰り返しで大陸の支配を強めた金融カルテルを見ながら、黎明期の米国には英国の辿った道程は通らないという覚悟があった。そしてその建国の父が残した伝統は中央銀行が発足した後も受け継がれ、少なくとも近年までは機能していた。

しかし100年以上を経て金融があまりにも巨大になりここまでグローバルに繋がると、そのシステムリスクという脅しを掲げられては金融批判を旗頭に登場したオバマもなす術はなかった。それが今の米国の現状である。そして今、(恐らく本人は無意識に)このまま米国が英国化すると考える人にとっては今の株価の戻りは当然と感じられるはずだ。だが素人が値動きだで米国が復活したと考えるなら、そこにはラスベガスと変わらないリスクがある。

ところで今日のWSJには日本の選挙の特集がある。そしてその書き出しは日本はRELUCTANT REVOLUTION(気乗りしない革命)に直面している言うもの。だが、そもそもRELUCTANT(気乗りしない)かどうかは日本人が決める事で米国人が決める事ではない。こんなところにも米国は現象を科学的、論理的に分析する手法にはたけていても歴史の中の意味として考える事は出来ない事が窺える・・。




2009年8月26日水曜日

男の仕事、西部劇3:10 to YUMAより

余程の西部劇ファンでなければ日本人にはあまり知られていない1957年制作の「3:10 TO YUMA」(グレンフォード主演)が昨年リメークされた。実はこのオリジナル版は米国人が選ぶ名作西部劇の上位に必ず入る作品である。そこで休日にオリジナルとリメークを見比べた。オリジナルはハッピーエンドであるのに対し、リメークは主人公が最後に死んでしまう点が若干違うが、両方ともエルモアの原作の意図した骨子は伝えていた。

話は1880年代のアリゾナが舞台。干ばつで不作が続き、生活が困窮した主人公のエバンスは偶然有名なWANTED(おたずね者)のウェイドに出くわす。そしてそのウェイドが酒場で油断しているところを保安官と協力して見事捕縛した。そこで治安担当者はウェイドの護送に保安官に加えて市民から二人の協力者を募る。その報奨金は200ドル。1880年代の200ドルがどの程度の価値かは想像力の世界である。だが一家4人、干ばつで苦境が続くエバンスにはリスクを取るに十分な金額だった。

この後話はウェイドの逃亡やインデイアンの急襲など、西部劇独特のドンパチが続く。そして何といっても原作が意図したこの作品の妙は200ドルというお金に対するエバンスのコミットの姿である。それはオリジナルでは極悪人のウェイドを誰かが護送しなければ住民が安心して暮らせないという正義感として現わされ、リメークでは不敵な笑いで200ドル以上の賄賂でエバンスの買収を試みるウェイドに対し、知らぬ間に息子が付いてきてしまったエバンスは「男の仕事」は金だけではなく、約束に対する信義も試される事を教えようとする父親の姿で描かれる。

そしてリメークでは最後エバンスはウェイドの手下に撃たれて死ぬ事になるが、護送の間にエバンスに対して不思議な友情が芽生えたウェイドは敢えてエバンスの息子に捉えられ、そのまま絞首刑が待っている予定の3:10発のユマ行きの護送列車に乗る・・。(因みにリメークではエバンスはバットマンなどの主演が続くクリチャンベレが演じ、ウェイドはラッセルクロウが演じている)

さて本日この話題を出したのは1880年代の米国には現在はFEDとして君臨する中央銀行が存在しなかった事を今一度触れたいからである。金貨を持ち歩くシーンがふんだんにある西部劇から当時の米国を想像する事には異論が出よう。だが当時既に英国やフランスでは紙幣を発行する権限を持つ中央銀行の支配は強まり、日銀でさえも1883年には発足していた中で、米国は意図して中央銀行機能を持たなかった。従って結果的に慢性的な流動性が不足する状態に置かれていた事は間違いないだろう。だが不足していたからこそ本来の貨幣の価値が保たれ、またそこに信義が宿っていたと考えるのは間違っているだろうか。

そして本日正式にオバマからバーナンケの再任が発表された今の米国はこの時代とは似ても似つかぬ世界に変貌している・・。


2009年8月25日火曜日

捻じれたタスキ

週末、こちらの日本語テレビでもNHKの日曜討論をそのまま放送していた。投票まで一週間を切る中、そこでは各党首が今後の日本をどうするかを議論していた。

まず良くも悪くも戦後の日本は戦争をひたすら反省し、米国の傘下で経済成長を実現する以外は何も考えなくてもよかった。だがここに至り、再び自分で国家としての生き方を考える必要性が生まれた。その意味では金融危機は有意義だった。だが無論答えは簡単ではない。党首の話も全て一長一短である。そんな中で個人的には一番大切だと考えるヒントが野村総研シニアフェローの関志雄氏が2002年に出したレポートの中にある。

関氏は国家政策はその国家が性善説、性悪説のどちらを前提にしているのかを認識し、その方向性に合った社会と経済のシステムを構築するのが望ましいと述べている。即ち性悪説の米国では市場原理が有効だった。ただだからといって性善説の日本がソレを真似てもいずれ無理が来ると彼は当時既に指摘していた。結果はその通りになった。

そして今の米国が醜いのは性悪説の米国にオバマ政権は「救済主義」を持ち込んでしまった事。これをすると失敗者が救われる一方で救済そのものは同等にならない。その意味では日本もタスキをかけ違えたかもしれないが、実は今の米国も本来の姿からはタスキが捻じれたままだ。だが米国人でもこのねじれ現象を危機感として訴えると、今は市場関係者からは陰湿者扱いされる。

まあこの国の行く末はどうでもよい。日本はまずその価値観をどこに据えるか、それを確立するのが選挙後の課題となる・・。


2009年8月20日木曜日

マイケルの故郷

シカゴからミシガン湖の湾岸道路を30分程南下したインデイアナとの州境にゲーリーという街がある。そこには古くからUSスティール の鉄工所があり、70年代迄は栄えたと聞く。しかし米国の製鉄業が衰退すると工場は閉鎖され、街全体が廃墟になり、そこに低所得の黒人層が住みついた。そして80年代は全米で最も殺人事件が多い街と言うありがたくない称号が付いた。実は、やっと埋葬される事になったマイケルジャクソンはこの街で生まれた。

だがジャクソン一家がロスに移った頃からこの街は変貌する。80年代のジャンク債市場発達の結果、潤沢な資金を得たDトランプなどのカジノ産業が大都市シカゴの需要を狙い、シカゴから30分のこの街に次々にカジノを建設したのである。イリノイ州は地上でのギャンブルを禁止する条例があり、景気回復とあいまってギャンブルに飢えたシカゴ人は週末にこの街に繰り出した。実は自分もその一人だった。結果ゲーリーの街は潤い、治安も改善した。そして90年代後半は次々に全米で同じ現象が起こった。

その後カジノを利用した都市活性化のモデルを米国は国家にも導入した。それがブッシュ政権後期の姿である。しかし殆どのプレーヤーは昨年そのチップをすってんてんにしてしまった。だがそこにガイトナーとバーナンケが登場し、無料で新しいチップをプレーヤーに配り直した。それが今の米国の姿である。そして今、米国と言う国家が再び活気づくかどうかは再び過剰流動性が支配する金融市場、即ちこのカジノが成功するかどうかにかかっている。

だが国家全体がカジノになり失敗、その回復を再びカジノに頼るという現状に憂いを表明する米国人は学者を中心に大勢いた。そんな中で面白いのはバフェットだ。彼は学者ではないプレーヤーだ。従ってガイトナーとバーナンケを褒め称え、無くしたチップをしっかりと取り返した。するとどうだろう、今度は学者の様な事を言い出した。それが本日の彼がNYTIMESへの寄稿した内容である。個人的にはバカバカしくて読む気にもならないが、再選を控えるバーナンケは別だ。バフェットからの警鐘を受けてバーナンケがどうするか。毎年ジャクソンホールでのFED議長の発言は波乱要因になる事が多い。今年もその予感がする。

そういえば先週ミシガン州でのキャンプの帰りに久しぶりにゲーリーの街を通過した。昼間だったので夜の賑わいはわからなかった。ただ昼間のゲーリーからはUS スティールの古い工場を引きついだ「ミタル」が細々と煙を出していただけ、その雰囲気は寒々とした荒廃そのものだった。カジノしかない街が、そのカジノに人が集まらくなった姿は想像すると無残である。その姿は近未来の米国の姿だろうか。


2009年8月19日水曜日

変わらぬ弱点

当然ながら毎年8月15日前後になると日本は反戦ムード一色になる。今年もNHKは4夜連続で今ではかなりの高齢になられた戦争経験者達の証言を取り上げていた。その中で一般の兵隊を取り上げた初回と、海軍関係者の裁判を取り上げた4回目は衝撃的だった。初回では戦後、米寿になるまで沈黙を守った元兵士が、戦時中に上官の命令で仕方なく敵兵を刺殺した状況を番組の中で告白。夫の秘密を知らされぬまま永年連れ添った妻はあまりの衝撃に涙する場面があった。そして上級海軍関係者の告白を元に総集した最終回では、恥ずかしながら個人的にその存在さえ知らなかった「三灶島(さんそうとう)」での日本海軍による住民の大量殺戮行為の告白はこれまでのこの種のドキュメンタリーでは無かった新証言であり、その内容には一人の日本人としてめまいがする衝撃を受けた。(元々その島には12000人前後の住民がいたが、秘密の基地建設を目的とした日本軍の殲滅作戦で全員が殺されるか島外へ逃避。そして生き残った証人は父と兄を殺された後で母と妹を連れて山に逃げたがそこに日本軍が迫り、泣き出した妹を仕方なく自分の手で絞殺した事を告白した・・。このシリーズは戦争を扱ったNHKドキュメンタリーとしてもこれまでとは異次元の内容を含んでいる。)

それだけこの特集は日本人が戦争を反省するには十分。だが現状からすると、日本人があの戦争を反省する事と、これから世界が平和になれるかどうかは無関係である。世界の見地からみると日本は勝手に無謀な戦争を英米に挑み、そして今は勝手に反省しているにすぎない。更に言うならもし日本が英米に勝っていたらどうなったか。人が死んだのは日露戦争も同じ。だが日露戦争は勝った。そしてその日露戦争が中心の「坂の上の雲」はNHK開局以来の総力で制作され、9月からいよいよ放送が始まる。司馬遼太郎の同作品を読んだ人なら知っているはずだ。「坂の上の雲」ほど日本人が日本に誇り感じる作品は少ないという事を・・。

この事実はNHKは昭和の時代に日本は無謀な戦争を起こしたという反省を促す一方で、明治の時代には大国ロシアに勝つほど日本人には底力があったとの結果的に正反対のメッセージを送っているのである。これは私からすれば表向き命の尊さをテーマしつつ、本質は勝ったか負けたかの話である。まあそれはそれでよい。だが整理すると、これまで明治と昭和の違いは明治の日本人が優で、昭和の日本人が劣という視点のみだった。ただこれでは片手落ち。今後は戦った相手の国にも視点を充てるべきだろう。

では米国とロシアは何が違うのか。簡単に言うと盛りを過ぎたロシアには勝ったが国家として勢いを増した米国には負けたという事である。そして前述のNHK特集で繰り返し触れられた日本の弱点は実は今も変わっていない。「神の国は負けない」と昭和の日本人は信じた。そしてその「絶対性」を米国に完膚なきまでに叩きのめされた。すると今度は「米国は絶対に正しい」と戦後の60年間信じ続けてきた。そうだ。日本は昭和天皇の絶対性を米国に置き換えただけだった。私もその一人だった。だが今は違う。今の米国は日本が負けた米国ではない・・。

この事に気づかず、或いは気付いても国家として行動に移す(米国から精神的に独立する)勇気がない間は弱点はそのままだ。それでは何のための反省だろうか。そしてそんな日本が真の意味で戦争のない世界平和に貢献する国になる事はないだろう・・。


2009年8月18日火曜日

ハイブリット VS 神通力

ハイブリットの威力は何も自動車だけの話ではない。昨日ゴルフの全米プロの最終日、一打差のまま最終ホールの一打目を左のラフに入れたヤン選手が持ったクラブは3番アイアン。但しソレはハイブリットだった。

深いラフからショット。更に木を超えて直線で200ヤード以上の距離を残したヤンに対し、一打差を追いかけるタイガーは完璧なティーショットの後、残り175ヤードを通常の5番アイアンを持って待っていた。そしてその瞬間までは誰もがいつも劇的なドラマを想定していたはずだ。しかしヤンの2打目は全てを変えるスーパーショット。この日、米国の繁栄のピークを象徴し、世界のスポーツ界の旗手だったタイガーは超人から人間の世界に戻り、代わってボルトが人間から超人になった・・。

ただこの勝負の本質はヤンの奇跡というよりタイガーの自滅だった。振り返ると大きな失敗(全英の予選敗退)の後、満を持して臨んだ今年最後のメジャーでタイガーは完璧に見えた。しかし土曜日、セーフティーリードを保ったまま惜しいパットを立て続けに外したタイガーは、これまではあまり人前で見せたことのないプレーをした。それはパットを外した後、片手で投げやりにタップイン処理をしたのだ。これを解説のニックファルドは見逃がさなかった。マナーとしてではなく、彼はこのタイガーらしくない精神的な乱れが勝負事において後に災いを残す可能性を示唆していた。

そして勝負が決した後の米国人による解説は白々しかった。アジアの台頭を称え韓国の国旗が映し出される演出とは裏腹に、「ハイブリット」という新しい道具の登場に疑問を投げかける雰囲気を残した。そして表彰式においては「英語を全く理解しない」というヤンに対し、「YOUR ENGLISH IS NOT GREAT、だから通訳を用意しました」と司会者としてはあるまじき表現で彼を持ち上げた。事実ヤンは英語が理解できなかった事が功を奏した事を勝利インタビューの中で認めていた。「90」を切れない自分が言うのもなんだが、同じ韓国人でも実力はKJチョイの方が上であるのは明らか。だがKJは英語は達者だ。そして米国での経験も長く、雰囲気も感じる事が出来る。皮肉だがKJには同じ奇跡は起きないだろう。

いずれにせよあの冷静なハリントンでもパー3で8をたたくのがゴルフ。彼は最終日の前半タイガーを追いかける一番手だったが8番のショートで8をたたき突然消えた。想定した競争相手がそこで消えた事もタイガーに影響を与えたかもしれない。ヤンが周りの雰囲気とは隔離された意識の中で淡淡とした時間を過ごした中で、タイガーは恐らくプロになって初めて勝つべき試合を自滅して失った。

無論この敗北でタイガーの時代が終わったというわけではない。彼はこれからも第一人者として勝利を重ねるはずだ。だが、奇跡の大逆転で全米アマ3連覇を成し遂げてから10年以上にわたり「研究対象」としてこれまで眺めてきたタイガーから、はじめて神通力が消えた事を個人的に確認した。


2009年8月14日金曜日

大失敗の後

米国で「CASH FOR CLUNK」のキャッチフレーズで始まった政府による新車購入補助制度はついにロシアでも始まったという。一早く同様のプログラムを組んだ欧州の先進国ではGDPがプラスになり、アジアでも中国はもとより韓国や日本などの追随組も着実に効果が現れた。その意味では米国やロシアは一番最後に参入した事になるが、逆に言うとこの2大国はなぜもっと早くやらなかったのか。恐らくこの2国では政府は応急処置に追われ、そこまでの余裕がなかったのだろう。

そんな中で消費者の懐が痛んだままのは今日発表された小売の指標でも明確になった。「住宅」という「打ち出の小づち」を失った消費者のわずかな資金はこの制度によって車に向かった。しかしその煽りを受けて他の小売は惨憺たる結果となったのである。ただ何とかこのままの車の販売の好調が続けば、米国でも第三四半期のGDPを劇的に改善すると言われている。ところが最新の情報では「CASH FOR CLUNK の息切れ現象」も一部で散見され始めた。 (シカゴのロカールニュースから) 。

そしてその原因は二つ考えられる。一つはポンコツ車の数に限りがある事。そして二つ目は、新車購入に最低限必要なクレジット(信用力)の保有者は既に買ってしまった可能性がある事。要するに、国民が貯金をせずに借金で消費をしまくった米国ではこんな時にも民間には最低限必要な貯えがないのである。ならば他国に続いて米国がこの補助制度で景気を浮上させるためには危機以前のようにクレジットの上限をデタラメな水準まで下げる必要がある。この国がソレをするかどうか、見ものである・・。

さて、この様な「大失敗の後」の光景は他にもある。まず大損失の直後にどう対応するか。トレーダーの真価が問われるのはそこから。精神的に追い込まれ、無理をして更に失敗を積み重ねた経験は誰にでもあるだろう。そんな中でゴルフでも全英で予選落ちしたタイガーは満を持して今日からの全米プロに臨んでいるはずだ。だがゴルフも相場と同じ。メンタルな部分がどう影響するか。それが全てと言っても過言ではない。

その意味では今回のタイガーを見るのは通常のメジャーとはまた違った意味で興味深い。期待の石川はこのタイガーの精神のマネジメントと、愛妻の癌という重荷を背負うミケルソンがどんな戦いを見せるか、それをぜひ心に刻んでほしい。そして初日タイガーはトップ (3時現在) 。このまま圧勝すれば彼の価値は更に新次元に到達する。

ところで本日IOCはシカゴと東京が立候補している2016年の夏季五輪から「ゴルフとラグビー」を新たに正式種目に加える事を粗確定したとの一報が入った(ESPN)。そしてタイガーは「自分が選ばれたら出場したい」と表明した。この一言で決まりだ。IOCの選考委員もタイガーウッズがオリンピックに出る姿を見たいはずである・・。


2009年8月11日火曜日

もう一つの構造改革

選挙後に日本がどんな構造改革を断行すべきかを考える前に、実はより緊急を要する構造改革があるかもしれない。近年日本を頻繁に襲うようになった熱帯雨林型の大雨の被害をみながらそんな事を考えた。

まず日本を離れて時間がたつと、日本固有の四季の変化への郷愁はつのる。だが思い返すと日本は地震と台風以外の自然の営みに対しては然程警戒をしなくてもよかったともいえる。そして本当に日本の気候が熱帯雨林型になるなら、米国の衰退や中国の台頭という国際情勢への対応の前に、日本は永年育んだ木造住宅や都市計画に抜本的構造改革が必要になるのではないか。そして個々では経験や勘で行動する事がいかにリスクが高いかを改めて認識すべきかもしれない。災害で亡くなられた方に高齢者が多いのは体力の面もあろう。だが自然の力は図りしれない。それまでの長い人生の経験からの判断が逆にアダとなった可能性も少なからずあったはずだ。

いずれにしても恵まれた自然環境を歴史的に享受してきた日本はどうしても「自然は恐ろしいモノ」という意識は希薄。それは恵まれた境遇に人生の大半が重なった米国のベビーブーマーも同じだ。彼らは自分が国家の中枢になった今、必要ならルールを都合の良いように変え、またお金が足りなければ紙幣を増刷する事で危機対応は可能だと証明した。だがそれは自然の力を侮っている人同様に、世界(自然)は人間の為に存在すると錯覚しているにすぎない・・。



2009年8月7日金曜日

2千億円の価値

1フォーカス(フォード) 2カローラ 3シビック 4プリウス 5カムリ・・
ここに挙げたのは、米国で新車販売の促進剤となっている政府の還付金「CASH FOR CLUNKER」を目当てに新しく購入された新車の上位5車である。これをみると、1位にフォード車が入ったものの、売れているのはやはり日本車だった。

トヨタやホンダは既に米国で車を造っている。従って彼らを純粋な日本車と考える必要はないが、この状況はGMとクライスラー株を保有する米国政府としては好ましいとは言えない。トヨタとホンダはいずれ何らかの調整があると覚悟すべきだろう。

ところでその「CASH FOR CLUNKER」の追加予算の2B(2千億円)はどうやら上院でも今週中にも認可される見通しとなった。まあ考えてみれば当然。そもそもこれだけ評価が高い政府の救済案に米国がこの程度の予算しか組めない事がおかしいのかもしれない。米国で2千億円という金額は成功したファンドマネージャーの1年のボーナスである。(2006年以降1~2千億円の報酬のファンドマネージャーは複数出ている。ルネッサンスのジムサイモンや金融危機を逆手に取ったジョンポールソンなど)

そして米国は昨年AIGだけで10兆円規模の救済をした。結果、世界の金融システムは救われた事になっているが、一方でAIGのCDSの取引先だったGSも救われ、その後GSは勝ち組として様々方面で救済からの収益を重ねる事ができた。この結果GSは1兆円を上回る規模のボーナスを今年社員に支払う予定である。(平均すると社員一人当たり7千万円)

ただこれは何かがおかしい、そう考える米国人が増え始めた。GSはAIGが救済された事と、自分達が儲かった事を結びつけるのはおかしいと主張する。だがNY TIMESはほとんど毎日このGSの記事を特集してGS包囲網を築き始めている。この様な逆風に対してGSの会長は社員に対して「貰ったボーナスで高額の買い物をするな」との御触れを出した。これも変な話だ。どこかに後ろめたさがある事を自分で証明している。

個人的には金融しかない米国では、救済される事で結果的に金融機関が大儲で終わる事はシステム上は自然と考える。よってその場合には特別な税金を金融機関にかけて調整するのが最もフェアだと考えるが、ただいずれにしても日本人の感覚からはこの国はどこかおかしいままだ。その矛盾はこれからじっくりあぶりだされるか、あるいはこのまま突っ走ってもどこかで突然死が待っているだろう。なぜならそれが過剰なマネーに支えられた世の中の宿命だからである。その意味では途中で誰がうまく立ちまわり、また誰が馬鹿をみるかはそれ程重要ではない。宇宙の原理は最後に帳尻を合わせに来るだろう・・。


2009年8月6日木曜日

純粋培養型人間の利用方

8月5日の日経新聞を見ると、経済面に「ガイトナー激怒」との囲み記事があった。読んでみて失望した。内容はガイトナーが規制強化案の審議において、更にFEDに権限を与える政府案(サマーズ・ガイトナー案)に対し、各役所のトップが賛同せず、ガイトナーはその「縄張り争い」に怒りを露わにしたとなっている。ただこれでは正義はガイトナーで、それに対して他が小言を言っている様にしか読者は感じないだろう。だがその理解では今の米国を客観的に捉えた事にはならない。まず個人的分析では、彼等が政府案に異論を唱えるのは少なくとも縄張り争いからではない。彼等はその案では変化が期待できないか、場合によって悪化すると国益に照らして心配している。

まず今の米国はオバマ人気を利用した彼の後ろにいる人々が実は利益を享受している状態である事を日本も知るべきだろう。ブッシュ政権と違うのは彼等はチェイニーとハリバートンの様な単純明快な関係を好まないだけだ。無論オバマは全体が見えているが今は何もできない。そしてガイトナーとバーナンケは民間で働いた経験が無い事が恐らくアダとなっているのではないか。そもそもグリーンスパンはFEDの前には民間で働いた経験があった。だがバーナンケは大学卒業直後の26歳からFEDに参加するまで学者一本。またガイトナーは官僚になる為に生れてきた環境で育ち、大学卒業後にキッシンジャーの元で3年間修業してからはそのまま官僚一筋の人生である。

FED議長はともかく、財務長官職にガイトナーの様な「純粋培養型官僚」が就任した事は米国の近代史からは実は異例。そのせいか、ここまでの経過を見てもこの二人には民間なら必ず経験する「私利私欲の汚れ」が少ない事が逆に自分の考えが正しいと思い込んでいる危険性を感じる。そしてこの二人を上手に利用したWSは再び勝ち組となった。そんな中で現在政権下で金融を管轄する様々の機関で多くの人が辞め始めたという(CNBC)。今回各役所の反発はその様な声も反映しているはずで、この政権の限界に失望した人々が辞め始めたのではないかと個人的には考えている。

いずれにしても日経がこの程度の認識でソレを国民に広めてもらっては困る。これでは90年代フレッシュなクリントン政権が発した「見かけのスマート」さに惑わされ、気がつくと国益上はとんでもない失敗をしてしまった当時の国策の二の舞になる可能性を感じる。・・。




2009年8月4日火曜日

下取りブーム

冷え込んだ消費を掘り起こす手段としてまず日本で先行した「下取りセール」は米国にもヒントを与え、その新車販売キャンペーンの「CASH FOR CLUNKER:ポンコツを捨てて現金を手にしよう」は米国でも大成功をおさめた。そしてその自動車の成功をみて他の商品でも次々に下取りセールが始まった。

まずシカゴ最大手の家具のチェーンストアでは新品購入者に対して古いソファを最大250ドルで引き取る広告を打った。そしてびっくりしたのは我が家の斜向かいに2年以上さらされたままの新築住宅だ。週末から次のような看板がついた「You buy this home,I buy yours: この家を買えばあなたの家は私が買います。」

ところでピーク時に確か5000兆円以上だった世界の株式時価総額は昨年の最悪期に2000兆円以上が失われた。だがここまで戻れば1000兆円は回復しただろうか。そんな中で本日のNY TIMESには、昨年、株と住宅が中心の米国の一般家計の富は1300兆円が失われたと紹介されている。(この金額はちょうど日本の個人の貯蓄に匹敵するのは不気味) 。そしてその穴を埋めるために今後米国の一般家計の所得はかなりの長い期間貯蓄に回され、エコノミストが予想する程には消費には回らないとの意見があった。

さもありなん。この状況では下取りセールが好調といっても、政府が還付金を出す自動車はともかく、上述の通りに他の産業は収益を犠牲にした「肉を切らせて骨を切る」ぎりぎりの営業を迫られる。だがそれはGMを結局倒産に追い込んだ2001年の戦略と同じではないか。

それにしてもグリーンスパンは私にとって最早完全に過去の人となった。彼は昨日ABCの番組で「住宅市場は大底を確認したかどうかは未定。場合によってはもう一段の下落もある」と言いながら、一方で「株と景気は最悪期を脱した」とも述べた。一般の家計において株よりもはるかに資産効果が高い住宅の底打ちが未確認でありながら、景気は底打ちしたと述べるグリーンスパンに個人的には興味はない・・。

2009年8月1日土曜日

「今日の視点」の始まり

ここに掲載する話はほとんどが私が金融機関の顧客に送っている「今日の視点」というコメントからの抜粋である。ここでは一般向けに砕いた表現にしているが、今日はそのコメントを書き始めた切欠を紹介する。

2001年11月「KEEP ROLLING AMERICA(アメリカは死なない)」このキャッチフレーズを用いてジェネラルモータースが発表したゼロ金利プロモーションは衝撃的だった。そしてその言葉の響きは斬新だった。また同時期に別のキャッチフレーズも米国を鼓舞した。「LET’S ROLL」(さあいくぞ)、これはテロで墜落した飛行機の乗客が、「座して死を待つ」より僅かな可能性に賭けてテロリストに反撃を挑むその瞬間に発した言葉である。そう、まだテロ後の重苦しい雰囲気が漂っていた2001年の初冬、米国を復活へ導いたのはこの二つの言葉だった。

そもそも日米を比較しても、巧みなキャッチフレーズを生み出す能力は日本人が上。しかし日本人のキャッチフレーズはどこかシニカルで技巧的。それに比べこの二つの言葉には米国の前向きなエネルギーが満ち溢れていた。実は「今日の視点」を始めたのがこの言葉は流行った頃。当時はまだ米系大手に籍を置いていたが、既に「船」を下りて個として勝負する覚悟を決めていた。その準備のつもりで始めたのが自分の視点でコメントを書く事だった。そしてこの二つのキャッチフレーズから予想される米国の復活の可能性が記念すべき最初のテーマとなった。

実は本日の話題「CASH FOR CLUNKER」から8年前のその時を思い出した。(直訳はポンコツを捨て現金を手にしよう:政府が発動した新車購入補助制度)そして今、政府はこのプログラムの思わぬヒットに戸惑い気味だ。だがここまでの救済策の中で、庶民を対象とした一連のプログラムは殆ど評価を得られていない。例えばフォークロジャー(競売)阻止のプログラムでは銀行は政府の意図した行動に出ていない。むしろ政府から銀行に卸された救済資金は別なところで回され、決算を良く見せて高額報酬の復活の正当性に利用されている。

また新健康保険制度は中身があまりにも複雑な為に理解されない段階で政治的に死にかけているのはご存じの通り。そんな中で庶民から評価が得られたのがこの新車購入プログラムである。政府もそして議会もこのチャンスを逃す手はない。またエコノミストはこれで年間300万台の販売の増加が見込めると期待を寄せている。その意味ではこのプログラムが2001年のGMのKEEP ROLLING AMERICA の代わりになる可能性は否定しないし私自身もそれなりの効果は確信している。だが2001年にこの国に感じた感動を今は感じない。あの時と比べてもこの国は変わってしまった。それが残念なだけだ・・。