2007年12月28日金曜日

年末特集2007年雑感

ところで2007年は一言ではどんな年だったか。米国の衰退、ドル安、インフレ、そして最も恐れていた住宅市場の崩壊・・。考えてみれば予想されてきた事が実際に起こり始めた年。そんな印象である。ただ言い換えるとまだそれはパニックではないと言う事の裏返し。本当に「未知との遭遇」になった場合一体どうなってしまうのか、それはまだ解らない。そこで今できる事はただ一つ。可能な限り多くのパターンを過去から学び、自分なりのイメージを準備しておく事。ただそれは一方的に送られてくる情報を整理しているだけでは限界がある。これからは老若男女を問わず、また自身のヒストリーを超えたDIMENSIONで思考する事を心がける。さすれば他人より余裕を持って金融市場の値動きも眺められる可能性が高まる。これが今年の個人的結論(雑感)だ。

豪商が存在した元禄の終焉がそうであった様に、冷戦後の世界的平和とその終焉は金融市場の多様化と信用拡大というマネーのゲーム化の終焉とも重なるかもしれない。今、平和で豊かな米国や日本では子供がWIIで戦争ゲームに熱中している。しかし実際に人が戦争で殺されている国の子供は仮にWIIがあったとしても戦争ゲームをするだろうか。マネーもそれと同じだろう。マネーがゲーム化する背景は、その絶対量の問題もさる事ながら、寧ろ平和期のVOLATILITYの欠落が刺激を求める人間の神経を麻痺させ、過度のリターンへと誘導する危険なゲームに向かわせていると考える。そしてこの20年、金融市場関係者が追い求めた市場の規制緩和や証券化金融商品の開発は言わば紳士協定が前提である事が多く、一旦その協定が崩れるとどうなるかまだ誰も想定していない。そんな中で周りの取引所関係者の多くはだからこそ取引所の会員権はこれからも上昇を続けると確信している。中には会員権の上昇益を枕にリタイアを決め込む同世代もいる。だが本当に彼らは正しいか。市場は万能ではない。その長期的メリットが短期的な政治手段に負ける事は多数決の原理からも否定できない。そしてそのリスクは静かに露見し始めており、その片鱗が現れたのはまずは銀行間の短期信用市場ではないだろうか。ただ今のところ信用不安は金融機関の間の話。これが末端の預金者に影響が出ると猶予はない。実はプレトンウッズ体制下が最も銀行倒産が少なかったという記事を最近読んだが、感情が理性に勝ると民主主義と市場原理は両立しない。もしこれが今のリスクの本質だとすると、それに対して政策金利の調節という術しか持たない中央銀行の存在は虚しい。まるでそれは自分で中毒や糖尿病を治す意思がない患者を前にした医者と同じである。

<2008年とは>
さて来年のテーマは何か。米国大統領選挙は重要だが、最早それは今年の中央競馬の様相だ。ディープインパクトのいない今年のレースは全く観なかった。こちらの大統領選も稀に見る団子レース。このままでは先週の有馬記念以上の結末の可能性もあり、現時点での予想などに意味はない。ただ次の大統領が誰になっても共通のテーマとして浮上するのはイランである。ブッシュが一定の役割の終えたイラクから撤退する日は遠くはないとみるが、これまでの様に期日が曖昧で楽観的部分撤退の予想繰り返しでは笑われるだけだ。よってその時は期日切って完全撤退を発表しなければならない。そしてそのタイミングは以前予想した様に選挙効果を考えれば民主党の攻激目標を奪った上で景気がさらに落ち込んむはずの来年初夏か。

いずれにせよ主要国にとってイランは格好の材料だ。独仏が急速に米国にすり寄ったのはブッシュ後の米国へのヘッジもさる事ながら、プーチンロシアへの恐怖の裏返しである事は明白。逆にそのプーチンはイランへの影響力行使を一層強めるだろう。そんな中でアラブ諸国は反イランで結束した様子。最近のイスラエルのシリアへの不可解な干渉(軍事行動)は互いに本気だった年初の緊張とは全く別物である。シリアの豹変は結果的にイラクに小康状態を齎し、ヒズボラやハマスを最近の紙面から追いやってしまった。これはイスラムであり、中東でもあるがアラブではないイランには相当な重圧。ただシーア派革命を起こしたイランに対するスン二派アラブ王族の結託と米国のシナリオへの便乗は合理性があるとみる。だがこれでイスラエルが自由になり、其れにビンラデインが怒ると彼の生死にかかわらず再び米国は危ない。なぜなら彼の配下の組織はアラブと米国の妥協が過ぎると事を起こす習性があるからだ。

もしかしたら最近のアラブ資本の米国への流れもこの様な妥協が前提になっているのかもしれない。だが皆でイランを包囲して締め上げる事で利益を享受するシナリオは本当に機能するのか。そんな中で米国は自ら望んではいないが、場合によって経済政策で減量的政策を強いられる可能性にも準備はしている。しかし長い間冬を経験していないキリギリスに減量をさせるのは大変だ。ダイエットの為にトレッドミルで走るのは辛い。だが景色が変わる外を走ると気分もまぎれる。仮にインフレ対応、緊縮経済で減量を図る場合はこの手法でいくしかないだろう。元々民主党はイランと折り合いが悪いが、共和党政権が続いてもイラクからから返す刀でイラン極悪説を展開して国民の再びマニピュレートする事は可能だ。政府は国民の関心を経済以外に向けさせながら、今の完全市場原理から徐々にから市場中心主義的モデルの新しいレジーム手段を考えればよい。いずれにせよ先日のブッシュのイラン挑発声明はイラク戦争前のソレと全く同じパターンを踏襲していた事に気付いた人は多いはずである。

しかしそれにしてもイランは場所が悪い。真にキリスト教文明にとっての鬼門。アレキサンダーの東進もここでまでだったがが、一旦足を踏み入れると泥沼と言わるアフガニスタンとパキスタンが隣にある。そもそも冷戦終結はレーガンとゴルバチョフの時代。だがソ連が崩壊したのは米国に屈したというより自壊。ソ連はその前に魔境のアフガニスタンで負けた事が大誤算だったはずだ。そして今その魔境に今度は米国が踏み込んでしまった。米国がソ連の轍を踏まない為にはパキスタンの安定が大前程である。

米国はフセインというパンドラの箱の紐を取り除いて代償を払った。現時点で魔境のパキスタンのパンドラの箱はムシャラフという紐で結ばれている。そして彼に替わる紐はなさそうだ。だから表向き民主主義世界のリーダーとしてポーズでブットとムシャラフを引き合わせたものの実際に其れはムシャラフへの支持率3割に対してビンラデイン支持が5割というこの国のかじ取りをムシャラフ政権の継続で乗り切る以外に手段がない事の証明でもある。今回のブット暗殺は個人的にはビンラデイン系のアルカイーダの仕業とみているがその内に解説も出よう。いずれにしても米国はムシャラフを擁護するはず。ただ本日の暗殺事件は来年の世界情勢が「風雲急を告げる」様な状況にある暗示ではないだろうか。  

皆様、よいお年をお迎えください。

2007年12月20日木曜日

民主主義は名君か

江戸時代、いくさが終わり、町人文化が発展した元禄には淀屋や紀伊国屋文左衛門といった豪商がいた。特に淀屋はシカゴに受け継がれる会員による決済制度という画期的な市場原理が存在した堂島米市場の元締めだった。だが突然徳川幕府によって追放を命じられた・・。

堺屋太一氏はこの時代の小説を沢山書いている。そして作品を通し、彼は「淀屋に落ち度はなかった。」という立場を貫いている。堺屋氏と同じ立場をとるなら徳川幕府は今のプーチン政権、そして今シベリアの何所かに抑留の憂き目にあったユーコスの創設者、コゾロコフスキーはその時の淀屋辰五郎にだぶる。

その時代は史実として飢饉などもあり、米相場が乱高下をして江戸時代の庶民が苦しんだ。ただそのコメの乱高下の元凶が先物取引でそしてその先物市場で儲けた奴は悪い、だから追放されたというなら、部分的な徳政令を配下の武士に施し、大岡越前を擁し、庶民には名君だった吉宗や幕府関係者は、世界に先駆けて市場原理を実践した大阪商人には暴君だったと言う事になる。

そんな中で米国も来年は選挙の年。だが、大統領選挙の前にここまで中間層が希薄化した米国を見るのはいつ以来か。以前より市場原理が機能する前提の一つに中間層の存在を主張してきた。なぜなら、中間層が市場原理を有効と考える限り、多数決の論理である民主主義は市場原理を守る理由が生まれるが、中間層が希薄化し、数の上で弱者が優勢となれば、多数決の民主主義は今度は市場原理を否定してもおかしくはないからだ。

ところで淀屋の権益はその後どうなったのか。解説本では住友本社や三和へ発展した鴻池などに引き継がれていった様になっているが、それらの関西勢力が引き続き中央の権力から距離を置いて「商い」をベースに発展したのに対し、幕府のお膝元江戸では三井が、そして新政権では三菱が国家権力と結合して発展した事は言うまでもない。

2007年12月17日月曜日

自然分娩

駐在として米国に赴任し最初に日米の差を感じたのは95年に長男が生まれた時だ。妻はその2年前に長女を日本で産んでいた。だが海外での出産にはそれなりの覚悟が必要だった。妻は悩んで麻酔出産を選択した。彼女が入院したのは慶応が研修生を送る医学部の名門、ノースウエスターン大学病院。そこの麻酔医は、「今どき麻酔をしないなんて野生動物の出産だ」と言い放ち、麻酔を当然の事としていた・・。

ところで、デリバテイブにおいてシカゴ大学とシカゴの街が果たした役割は有名。その前の債券の証券化時代に最も貢献したのはペンシルバニア大学ウオートン校で学んだ人脈にその専門家が多かったが、振り返ると、シカゴ大学やペンシルバニア大の生み出した金融の発展は出産時の麻酔のようなものだった気がする。

米国では世界から優秀な頭脳と野心が結集し、様々な分野で革新的技術が生まれた。一方で効用に浸った利用者の感覚はNO PAIN、MORE GAIN(努力や痛みが伴わない成長)が当前の如くなっている。しかしPAINが無い世界はそれ自身が健康的なのか、結局は革新技術を使う人間のバランス感覚に最後は行き着く。ただバランス感覚程曖昧ないものはない。

米国はまだ若い。個々が野心を持って成長路線を突き進んでいる。これらの個々によってこの後の米国の歴史は積み重ねられるが、総じてそんな個々は答えのない世界でバランスを保つ事は下手である。

市場では大勢が同じ方向に行きすぎると屍の山となるが、今までは群れをコントロールをする政治も、金融市場とそのかじ取るFEDとの関係はピラミッドの様に比較的安定していた。ただ最近はおかしい。勝ち負けの差が激しくなった結果、中間層が希薄した為政治は騙りを繰り返すだけ。そして最早PAINなどは絶対に受け入れられない金融市場とその参加者に対してFEDは掌握力を失っている・・。

その後、同病院でもう一人麻酔で産んだ妻は米国での麻酔出産を後輩に勧めている。そして金融を通してPAINのない世界の怖さを感じ始めている私はそれを黙って聞いているだけである・・。

2007年12月1日土曜日

田舎で暮らそう。

直近ゴールドマンサックスは不況になる可能性を40%にまで引き上げ、結果金利の見通しを引き下げた。そのGSについて、個人的には二つの顔を持っている印象だ。

表の顔は一般が理解しやすい説明で利下げ/利上げの幅の予想と景気見通しを発表する。そして裏の顔は、相当な報酬を貰いながら外部には名前が漏れない人々。そんな人はポルシェではなくホンダにのってる。そして彼らの中から将来の幹部が選ばれるが、姿はあまり漏れない・・。いずれにしても、個人的な印象では前者の予想は当たらない。つまり私にとってのNEGATIVE INDICATOR(逆張りの目安)である。

その米国ではペーパーマネーの世界から、生命の存続に必要な絶対的必需品に価値の基準が移行する過程に入った。ただペーパーマネーの世界はそれが有り余っている事もあり、絶対価値の物質への移行をまずはペーパーマネーそのものが取り込もうとした。その最初の過程が商品相場ブームであり、そして結果としての取引所の価値増大である。

そんな中、先週の日経新聞には面白い話があった。東京への人の流れ(集中)が80年代のバブルにならんだという記事である。そこで閃いたのは、今こそ田舎で暮らす時が来たという事。日本は美しい。地震は怖いがコメも十分取れて何より生命維持に必要な水と空気は心配ない。

いずれにしてもOILもGOLDも紙幣も価値を持たない世界を見つけたモノが次の時代は生き残るだろう。ただその前に混乱は必ず待っている。そろそろ田舎に目を向ける時が来ているのかもしれない・・。