駐在として米国に赴任し最初に日米の差を感じたのは95年に長男が生まれた時だ。妻はその2年前に長女を日本で産んでいた。だが海外での出産にはそれなりの覚悟が必要だった。妻は悩んで麻酔出産を選択した。彼女が入院したのは慶応が研修生を送る医学部の名門、ノースウエスターン大学病院。そこの麻酔医は、「今どき麻酔をしないなんて野生動物の出産だ」と言い放ち、麻酔を当然の事としていた・・。
ところで、デリバテイブにおいてシカゴ大学とシカゴの街が果たした役割は有名。その前の債券の証券化時代に最も貢献したのはペンシルバニア大学ウオートン校で学んだ人脈にその専門家が多かったが、振り返ると、シカゴ大学やペンシルバニア大の生み出した金融の発展は出産時の麻酔のようなものだった気がする。
米国では世界から優秀な頭脳と野心が結集し、様々な分野で革新的技術が生まれた。一方で効用に浸った利用者の感覚はNO PAIN、MORE GAIN(努力や痛みが伴わない成長)が当前の如くなっている。しかしPAINが無い世界はそれ自身が健康的なのか、結局は革新技術を使う人間のバランス感覚に最後は行き着く。ただバランス感覚程曖昧ないものはない。
米国はまだ若い。個々が野心を持って成長路線を突き進んでいる。これらの個々によってこの後の米国の歴史は積み重ねられるが、総じてそんな個々は答えのない世界でバランスを保つ事は下手である。
市場では大勢が同じ方向に行きすぎると屍の山となるが、今までは群れをコントロールをする政治も、金融市場とそのかじ取るFEDとの関係はピラミッドの様に比較的安定していた。ただ最近はおかしい。勝ち負けの差が激しくなった結果、中間層が希薄した為政治は騙りを繰り返すだけ。そして最早PAINなどは絶対に受け入れられない金融市場とその参加者に対してFEDは掌握力を失っている・・。
その後、同病院でもう一人麻酔で産んだ妻は米国での麻酔出産を後輩に勧めている。そして金融を通してPAINのない世界の怖さを感じ始めている私はそれを黙って聞いているだけである・・。
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