2007年12月20日木曜日

民主主義は名君か

江戸時代、いくさが終わり、町人文化が発展した元禄には淀屋や紀伊国屋文左衛門といった豪商がいた。特に淀屋はシカゴに受け継がれる会員による決済制度という画期的な市場原理が存在した堂島米市場の元締めだった。だが突然徳川幕府によって追放を命じられた・・。

堺屋太一氏はこの時代の小説を沢山書いている。そして作品を通し、彼は「淀屋に落ち度はなかった。」という立場を貫いている。堺屋氏と同じ立場をとるなら徳川幕府は今のプーチン政権、そして今シベリアの何所かに抑留の憂き目にあったユーコスの創設者、コゾロコフスキーはその時の淀屋辰五郎にだぶる。

その時代は史実として飢饉などもあり、米相場が乱高下をして江戸時代の庶民が苦しんだ。ただそのコメの乱高下の元凶が先物取引でそしてその先物市場で儲けた奴は悪い、だから追放されたというなら、部分的な徳政令を配下の武士に施し、大岡越前を擁し、庶民には名君だった吉宗や幕府関係者は、世界に先駆けて市場原理を実践した大阪商人には暴君だったと言う事になる。

そんな中で米国も来年は選挙の年。だが、大統領選挙の前にここまで中間層が希薄化した米国を見るのはいつ以来か。以前より市場原理が機能する前提の一つに中間層の存在を主張してきた。なぜなら、中間層が市場原理を有効と考える限り、多数決の論理である民主主義は市場原理を守る理由が生まれるが、中間層が希薄化し、数の上で弱者が優勢となれば、多数決の民主主義は今度は市場原理を否定してもおかしくはないからだ。

ところで淀屋の権益はその後どうなったのか。解説本では住友本社や三和へ発展した鴻池などに引き継がれていった様になっているが、それらの関西勢力が引き続き中央の権力から距離を置いて「商い」をベースに発展したのに対し、幕府のお膝元江戸では三井が、そして新政権では三菱が国家権力と結合して発展した事は言うまでもない。

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