2010年12月30日木曜日

北島三郎の紅白(顧客レターから)

米国の投資家に向けたアンケート調査で、来年の株式市場に対する予想で61%のファンドマネージャーが強気になっていると紹介されていた。この数字が6割を超えたのは最近では2007年の秋、その前はドットコムバブルがはじける直前だったらしい(CNBCより)。ならばこの調査は完璧なまでのネガティブインデイケーターではないか(予想を必ず外す)。だが、今回もその通りなるかは判らない。理由は、米国でも国が株を買い支える事が公然の事実になっているからだ。表向きフリーマーケットを言い続けるこの国でこんな管理相場がまかり通るのは誰も経験した事は無い。ならば来年の米株の新高値更新の話は可能性として否定しない。

そんな中、日本で北島三郎が紅白歌合戦に関してNHKに意見をしたというネット記事が目にとまった。「今の若い人達の歌もいいけど、この一年頑張ってきた50代以上の人が聴きたいのは演歌だと思う。生活の歌である演歌を大事にしてほしい・・」。サブちゃんのこの言葉を聞いてうなずく中高年も多いだろう。だが演歌をしみじみ聞いている世代が世の中の中心にいる間は、残念ながらいつまでたっても日本人が自分で1990年の日経平均の最高値を更新できると考える様にはならないと断言できる。そもそも日本のバブルとその崩壊を目の当たりにした筆者自身がそう考える一人である。

だが理論的にはその断定は間違っている。そしてその可能性を改めて感じたのは、今年のNHKスポーツハイライトを見ていてだ。この特集も然り、何かを成し遂げた人の言葉には惹かれるモノがあり、毎年この番組は楽しみにしている。今年は真央とキムヨナの激闘が再びハイライトされていたが、子供の頃の記憶を思い起こしても、日本のサッカーがワールドカップでベスト16に残り、またスタイルが良い白人の特権だったフィギアスケートで日本が世界でも屈指の最強国になるとは夢にも思わなかった。だが現実にソレは起こった。

ならば日経平均があの4万円寸前まで行った興奮が再び起こる事も否定できないはずだ。だがソレには過去の経験は邪魔かもしれない。なぜならみんながその気にならなければソレ起きないからだ。つまり、北島三郎の願いとは逆になってしまうが、恐らく彼が紅白から完全に引退した頃に現実味を帯びるかもしれない話ではないか。まあ「紅白」が後ろ向くか、前を見るか。来年のNHKの対応が見ものだ。



2010年12月29日水曜日

北斗の拳の厄除け

世の中のバランスにおいて人間があまりにも安易な方向に走るとどうなるか。以前解説したように、困った時は救済してもらえる事が判ってしまった金融市場では、呼応する中央銀行の緩和政策で金融関係者の仕事は常に満たされるが、一方でリスクに晒される危険な方面には人は行かなくなる。その代表が農業だろう。近年は農業の工業化が進み、また仕事にあぶれた若者や都会の生活に疲れた人が癒しを兼ねて農業をかじるようになった。だが農業がそんな甘いものではない事は判っている。そして世界の食料の総需要はまだまだ自然の恵みに頼っている。つまり金融経済のユーフォリア(桃源郷)は常にとんでもないインフレ(多すぎるマネーの自滅)のリスクをはらんでいると言う事だ。

そしてこのリスクを意識した頃から米国ではそんな未来像に警告を与える映画が立て続けて公開された。例えば2009年の「THE ROAD」や2010年の「THE BOOK OF ELI」。この二つの映画の共通は初っ端から「北斗の拳」の世界が展開される事。そして登場する人間はマネーの残骸(道端に散乱する紙幣) には目もくれず、食べモノとしての人肉、(THE ROAD)や水(THE BOOK OF ELI)を求めて暴力の限りを尽くす。そしてそんな世紀末も人間にもう一度希望を齎すモノが「聖書」(BOOK OF ELI)と「親子の愛」(THE ROAD)というオチ。

ハリウッドの役割からしてこれらの映画は「厄除け」である。近未来の惨状をイメージさせ、実際にはならないようにする効果だ。だが昨日、そんな映画や漫画の役割を台無しにする悲しい話を聞いた。それは米国との国境に接するメキシコの町での事。人口8000人のこの町では近年警察官が次々に麻薬マフィアに殺され、ついに今年は警察官が誰もいなくなった。そんな町に現れたのが28歳の勇気ある女性だった。彼女は怖気づく男どもをしり目にたった一人で危険な職務に立ち向かった。だが先週からこの女性警察官も行方不明になってしまったという。

統計では今年の米国内の警察官の殉職数は140人だという。一方アフガン戦争での米兵の死者氏は800人。140人の殉職が多いか少ないかは日本人には想像できない世界か。だがまだこの程度で収まっている間は米国も幸福であるという事は確かである。




2010年12月28日火曜日

生命第一主義国家のガス抜き

米国では何事も概ね3カ月で結果を問われる。決算もテレビも3カ月先しか予定は入らない。ところが「坂の上の雲」は3年がかりで放送する。昨日やっと旅順の海戦が始まり、退屈だったドラマが盛り上がってきた。ところが何と次の「二百三高地」の放映は一年後だという。バカな。よく考えてみよ。このドラマを見ている高齢者も含めて、3年間かけて一つのドラマの完結を迎える悠長な国は少ない。逆に言うとそれだけ日本は乱世や死を前提にしていないと言う事ではないか。

評論家の西部邁氏は、死ぬ事の価値を前提にした「武士道」と「葉隠」を題材に、「日本人は戦後命を賭ける程の最高の価値を見つける構えを全て投げ捨て、何よりも命が大事で通してきた」と評している。なる程この解説は見事。そして同氏は今の日本を「生命第一主義国家」と一刀両断にしている。予算の都合で3年になった説も考慮しても、NHKは今の日本人の感覚を代弁している。では日本以外に真の意味で「生命第一主義国家」国家はあるだろうか。

ソレを見極める一つの基準は徴兵制度。ただ米国の様に、徴兵制度はなくとも社会の格差を維持する事で、常に一定の人員を軍に引きよせる仕組を持っている国もある。いずれにしてもその国が「生命第一主義国家」かどうかは、平時にその国の仕組みに常に「命」に対して値段があるかどうかではないか。日本には病気や事故を確率ではじき出した生命保険の価格はあるが、先代の福田首相が「人の命は地球より重い」と言った頃からか、日本は「武士道」からは最もかけ離れた国になった。

ではなぜ今の日本で広瀬武夫や龍馬なのか。彼等の死から日本人は何を感じたいのか判らない。日本の閉塞感をこの国から眺めた2004年、NHKが「坂の上の雲」を遂にヤルと聞いて踊り立った。確かにこれだけの俳優を揃え、これだけの準備で臨んだドラマは国家的プロジェクトと言ってもいい。だが何か違う。未だに小沢問題をやっている異常さに疑問を抱かない日本人の感覚は、坂の上の雲が「生命第一主義国家のガス抜き」である事を示唆する・・。




2010年12月24日金曜日

願い事と環境

年末になるとテレビは特集を組むが、40半ばになってもテレビで育った本性は変わらず、この時期はチャートよりPCで録画したテレビ番組を観る事が多い。だがそれでもそれなりの発見がある。今年の発見は、年末の米国は、クリスマスと重なるためか、特番は重苦しいモノはない。その殆どは来年はどんな年になるかの未来志向の観点である。一方日本は来年よりもまず今年を振り返る。反省すべきを反省し新年を迎えたいという区切りを大事にする。そんな中、今年は日本のテレビ界で際立った存在がいた。俳優の香川照之。彼は今年は「龍馬伝」で難役岩崎弥太郎を演じ、また「坂の上で雲」では正岡子規を演じるという大車輪の活躍だった。そして、彼は年末にもう一ついい仕事をした。それは松田優作のラストデイズを追うNHKの特番だ。

我々の世代に松田優作の解説はいらない。バカげた話だが、大手米系を辞めた時、もし将来自分だけのオフィスを持つ事があったら、三船敏郎と松田優作のポスターを壁に飾りたいと考えた。理由は当時この二人がハリウッドで唯一認められた「個の日本人」だったからだ。大昔米国入国の際に税関で「スピリッツ(酒)は?」と聞かれ「YAMATO魂なら持っている」と答えたという三船。彼は黒沢とのコンビでサムライを米国に植え付けた。そして、役を取るか、命を取るかの決断で、あのリドリースコットとマイケルダグラスを唸らせた松田。この二人は「米国のポチ」としてしか生き残ろうとしない日本への自分の挑戦の象徴だった。

松田優作は香川に「タイプは違うがお前は俺のようになれる」と言い残して死んだと言う。そしてそのラストを追う香川。判ったのは「東大卒の俳優」という肩書だけではなく、香川は実に深い男だった。もしかしたら役以上に深い。彼はずっと父親を知らず、25歳の時に初めて父親に逢いに行ったら、「あんたは僕の子供じゃないから。あんたを捨てた時から僕の人生は始まっている、だからもう来ないで」と、実父の三代目市川猿之助に言われたという。

結局香川は松田がなぜ自分にそんな事を言ったの結論は出せなかったが、彼が感じたのは「環境が人を創る」という点。ただそこで生まれる人間の個として巨大なエネルギーは、時に悪い方へも振れるという。香川は自分の中にも感じるそのエネルギーを、歌舞伎の血でありながら歌舞伎ができない己への怒りがコントロールしている。そして在日として下関の遊郭で生まれ、父親が判らないまま育った松田優作の強大で強烈な個を導いたのは、彼の「父性」へのあこがれだったのではないかという。これを凡人の自分にあてはめるなら、今の自分の環境に甘んじたままでは来年へのどんな願いもかなう可能性は少ないと言う事だろう・・。



2010年12月22日水曜日

ミネソタの男

ミネソタ州の人は自分達を米国で最もMODERATEと表現する。このMODERATEという言葉は穏健、控えめ、と言う意味だが、どうやら彼等は「我慢強い」と一番言いたいようだ。確かにミネソタの冬は寒い。一方短い夏もそれなりに内陸の特徴を持っている。まさに「アメニモマケズ」の世界だ。だがそのミネソタ経済は今も昔も堅調である。そしてそこにある野球チームがツインズ。そのミネソタの地に日本の野球人として初めてロッテの西岡選手が行く。大都会で日本人も多い海岸沿いの人気チームではないツインズで西岡選手がどう活躍するか。同じ日本人して注目している。

そしてそのツインズとシカゴのホワイトソックスはアリーグのライバル。昨年一昨年と、ソックスとツインズは最後まで地区優勝を争い、ソックスが優勝した年もレギュラーシーズンは互角だった。それゆえツインズの動向を気にしているソックスファンから早速筆者に西岡についてのチェックが入った。「イチロー級だよ」そう答えると、筆者が福留を然程評価しなかった事を覚えている彼は何とも言えないうめき声を出した。

ではツインズはなぜ強いのか。今でこそ大リーグを代表するマウアーがいるが、伝統的にツインズはスターのチームではない。選手獲得に大金をかけないところは大昔の広島カープ。だがその広島には山本や衣笠いた。ツインズはその意味でアメフトのバイキングスよりも地味でまたバスケットボールのティンバーウルフよりも常に好成績を残す点で最もミネソタらしいチームだ。

話は変わるがそんな中で日本では「坂の上の雲」がいよいよ佳境に入ってきた。先週の御前会議のシーンは歴代の大河ドラマの主役がそれぞれ重鎮役で一堂に会した重厚なシーンだった。この後の展開は二百三高地から奉天と日本海海戦のクライマックスに流れ込むはず。そこで一つ指摘しておきたい。前述の明治天皇の元で元勲が最終決断するシーンは、分解すると龍馬が活躍した維新からの薩長のOB会である。そして英雄視されるこの時代の帝国陸海軍も、山本-東郷の薩摩海軍ラインと、児玉-乃木の長州陸軍ラインの派閥争いに、秋山兄弟が絡んでいるにすぎない。よって、言い換えれば「坂の上の雲」は歴史の教科書に出てくる彼等の列伝になってしまうの当然の成り行きだ。だが世界史の観点で絶対に見落としてならないのは、厳しい自然の中で鍛えられた東北の兵士ではないか。司馬遼太郎もその事実を少しだけ触れている。小説では双方で60万が激突した世界史上稀に見る奉天会戦で、児玉が引いた正面の主力軍は東北出身者の部隊であり、3月の奉天では「南国」薩長のサムライの威勢の良さよさだけではどうにもならなかったとしている。

話をツインズとミネソタに戻すと、筆者が其処から感じる強さは、まさに「坂の上の雲」でもさらりと触れらただけの寡黙な東北人の強さである。英語で言うとMODERATE。そして時代を前後した欧州戦線では、ロシアの冬にナポレオン軍ももナチスヒトラーも勝てなかった世界史と比較すれば、名もない東北の男の強さはもう少し「坂の上の雲」でも特筆されてもよかったと考えている。まあそれは司馬遼太郎の仕事ではなく、宮沢賢治か藤沢周平の世界かもしれないが・・。



2010年12月21日火曜日

戦略とサーカス(顧客レター)

昨日のNYジャイアンツ対フィラデルフィアイーグルスの試合は衝撃的だった。レギュラーシーズンも終盤、地区優勝を争い8勝4敗で並んでいた都会の人気チームの激突は注目されたが、試合は第4Qの残り8分からイーグルスが21点差をひっくり返して劇的な幕切れとなった。

そして何よりも衝撃だったのはイーグルスのQBのマイケルビックスの動き。ジャイアンツからすれば彼の動きは規格違反だったろう。なぜなら彼の動きはアメフトのQBのポジションにバスケットボールのマイケルジョーダンが入っている様なモノだったからだ。

無論ビックスの動きはルール違反ではない。だがこの試合の彼の動きは、これまでのアメフトの試合で米国人がQBの動きとして許容してきたイメージを遥かに超えていた。言い換えると、アメフトにおける戦略が米国の組織論を代弁できるとするなら、QBがこの様な動きをすれば試合には勝つが戦略は成り立たない。つまり其処にあるのは戦略ではなく、マイケルビックスという並はずれた運動神経を持った黒人プロスポーツ選手のサーカスである。

何となくこれで判った。なぜ5年ほど前に彼が逮捕されたのか。彼はアトランタの黒人QBとして華々しくデビューしたものの、動物愛護法違反だった闘犬を趣味にしていた事が発覚逮捕された。そして入獄、その間にアトランタから解雇され、20億近い契約金を棒に振った。その後自己破産を経て再起を窺う彼を雇ったのはフィラデルフィアだった・・。

スーパールーキーから入獄、自己破産・・そこからの復活は真にアメリカンドリーム。ただアメフトという国家の基本カルチャーの常識を揺るがしかねない彼の活躍に一抹の不安を感じる・・。

蜘蛛女と鉄女と餌男と肥男

カマキリや蜘蛛の中にはメスが交尾後に体の小さいオス食べてしまう種がある。そう言えばあの「セカンドバージン」での「金融王子」はそんな生命力の薄い終わり方だった。(あれでは金融庁が怒る?)そしてNHKに出演した脚本担当の女性の雰囲気は真に蜘蛛女の迫力。(悪い意味ではなく)。ただ金融王子然り、日本の女性の社会での躍進は心強い一方で、現実社会でも生命力が薄い日本男児の迫力はやはり問題か。

そんな中で冬のスポーツの人気度はその国のカルチャー出ると何度も紹介している。米国のアメフト、欧州圏のサッカー&ラグビーに対し、日本は駅伝の人気がここまでありながら、女子はともかく男子は瀬古や中山そして宗兄弟が2時間8分台で激闘を繰り広げてから20年も経っているのに、この10年、マラソンで2時間10分を切ったのは二人だけだという。男子マラソンの世界記録が2時間3分台に突入した中、サッカーや野球の球技が躍進しても、マラソンが勝てない間は日本の躍進はないだろう。

ところで、下のサイトは米国の「鉄の女」メレデイスウィットニーが出演した昨日の「60ミニッツ」だ。彼女は地方債を米国が抱える問題としては住宅に次ぐ最大の問題として取り上げている。CBSの司会者は「ではなぜ政府もWSもこの問題を黙殺するのか」という単純な疑問を隠さないが、黙殺しているのではなく、政府には考える余裕がなく、またWSは救済になれば自分は儲かる事が判っているので何も言わないのだろう。

そして地方の財政問題を先送りしない姿勢が評価され、あのコーザインを破りNJの知事になった共和党のクリスティー知事。彼はこのビデオの主役。そもそも彼とバージニア知事の補選が共和党躍進の切欠だったがこのビデオを見ても一目瞭然、彼は州民に緊縮を訴えるならまず自分の体型を見直した方が良い。共和党的と言えば共和党的。もし彼のあの脂肪が意志ではどうにもならない病気ではなく自己管理の延長でがついたなら、どんな緊縮財政の演説をしてもあまり効果があるとは言えない・・。

http://www.cbsnews.com/video/watch/?id=7166293n





2010年12月17日金曜日

GIVE AND GIVE 映画の様な現実

この国に暮らし最近判らなくなったのが、ハリウッド映画と現実社会の境目である。元々米国はハリウッド的な社会だ。つまり厳粛よりも未来に向かっての夢を語る事でその発展を現実化してきた。だが今回金融危機後の経済の回復が鈍化すると、FEDはバランスシートを縮小する公約を変え、一気にQEと呼ばれる量的緩和にかじを切った。そしてその金融政策だけでは選挙に勝てない現実を突きつけられると、今度は世界に向け米国が呼びかけていた各国の国家財政の改善を自らここに来て無視、自国の財政健全化を棚上げし、金持ちへの減税の延長と、失業者や貧困層への救済の延長という「GIVE AND GIVE」の政策へ傾いた。結果、金融機関のレポートは一斉に米国経済の成長率を上方修正するところとなり、株価も上がった。

だが考えてもみよ。これらはすべて金融危機を招いた原因を正すための政策をことごとく途中で諦め、再び快楽を追求するだけの世界に舞い戻っていると言う事。そして、直前の正論があまりにもポーズだけの白々しい結果となったため、長年この国に住んでいる筆者も、何が現実問題で、何がハリウッド映画の夢の世界なのか判らなくなったのである。ただこの新たな「ハリウッド映画」が盤石に続くと言うならその世界に浸り続けたいのが本音。敢えてここで興ざめするような野暮な話はしたくない。だが、途中で現実に引き戻されるなら今度こそそのギャップはこの国にとって命取りなる。そしてその米国に盲目的にコミットする日本はどうなるのか。

そしてもう一つ、ハリウッド映画と現実が混在する話がある。それは今年のゴールデングローブ賞ーに複数の分野でノミネートされた「ソーシャルネットワーク」だ。これはFACEBOOKの創設者のマークザックバーグを描いた作品。彼は現在26歳で7000億円の資産を持つとされるが、それは彼が保有する非上場のFACEBOOK株を現在の米国株式市場のEPS(収益率16倍)で類似批准評価して事。そして今このFACEBOOK株は非公開市場で盛んに取り引きされている。従業員などが、公開時の利益狙いのヘッジファンドに売っているのだ。

こんな現象はバブルの頂点でもあっただろうか。そして考えてみれば26歳で7000億の資産はビルゲイツでも成し遂げられなかった快挙だ。確かにFACEBOOKは凄い、3人の子供は皆がその世界に浸っている。だが90年代に人類の労働生産性の次元を変えたあのマイクロソフトよりも早いスピードでFACEBOOKの価値があると言われも、それが現実なのか、映画の世界の話なのか、筆者には正直いって区別がつかない。


まあこれも過剰流動性の中でそのマネーが行き場を求めているのだろう。そんな中、今日本でも話題の本「TOO BIG TO FAIL」を書いたニューヨークタイムスの記者が言った。「今の米国市場とその関係者は全員が自分たちはサバイバーと表現する。つまり災害を生き残ったような感覚で、まるで彼らは被害者だったような理屈。そして誰もREMORS(良心の呵責)を持っていない。これでは「TOO BIG TO FAIL]が繰り返されるのは時間の問題だと・・

2010年12月16日木曜日

今年の顔 (顧客レター)

今日上院を通過し、今週中に下院を通過するとされる減税パッケージは、日本の投資家はその詳細を見ない方がよいかも。なぜならこのパッケージはブッシュ減税の延長ばかりが話題だが、付随されたEARMARKも膨大なら、また所得減税以外、例えば5Mの価値を持つ住宅への固定資産課税の凍結など、これまで話題ならない「甘さ」がとんでもない量で含めれている。これだけの「甘さ」があれば、金持ちに元気が出ても当然だ。それをデフレ信仰の日本勢が米国債買いで支援する事は、冷静見れば自殺行為。さすがに日本の債券投資家も「米国がここまで自分に甘い」とは思わなかったのだろう。だが米国からすればこれが自分達は「絶対に日本にはならないと言う意思表示」。つまり日本は米国にとって悪のサンプルでありながら、その米国が日本をBAD SAMPLEとして踏み台にする条件(金利低下)をこれまで盲目的に支援してきた事になる。そしてこの構図に気づいた日本が反対を向く時、おそらく米国は今まで以上にFEDを使ってその流れを止めようとするはず。FEDは米債投資家がこれ以上ダメージを受けないために何でもするだろう。後はソレがWORKするかどうかである・。尚TIMES今年の顔は、FACE BOOKのマークザックバーグとなった・・。



2010年12月15日水曜日

去る男、来る男 (顧客レターから)

危なかったが今日株が最後までプラスを保ったのはGEのおかげだろう。GEは増配を決定したが、GEの洗濯機を買い直す事にした我が家も僅かながら貢献をしてしまった。

ところで、FOMCの結果を確かめながらバーナンケが出た「60ミニッツ」を思い出した。彼は「いざとなればFEDは15分で利上げが出来る。インフレをコントロールする事への自信は100%だ」と語気を強めた。本当だろうか。

そもそもバーナンケは元々インフレ目標値を標榜していた人。つまり、もしかしたら彼は相場的なモノに対して嫌悪感があるのかもしれない。そして2008年の危機直前の「住宅市場は健全」発言など、バーナンケは「予想する」事に関して全く正しかった実績がない。

その人が「インフレを100%コントロールできる」と言っても、市場が信用できないのは実は無理もない事か。ならば債券市場の苦難は自分の予想を上回る可能性を覚悟しなければならないかもしれない。

さて、今日を最後にFOMCからホー二ングが去る。そこでNYTIMESはホー二ングの特集を組んだ。彼は以前ここでも触れた様に、アイオアで生まれ、中西部一筋の人生を歩んで来た人。そして紙面が新たに伝えたのは、FED関係者には珍しく、彼はベトナム戦線にも従軍していた事である。FED関係者のヒストリーは概ね頭の中に入っているが、ホー二ングに従軍経験があったのは知らなかった・・。

そもそも今のFEDなどは学位はあっても甘やかされたベービーブーマー世代の集まり。その殆どが東海岸出身者で占められ、同じところで生まれても議長時代のボルカーの様な狂犬は誰もいない。そんな中でホー二ングは異彩を放った。考えてみれば当たり前か、彼は中西部の生まれである。

その中西部の穀倉地帯は今でこそ「グレートプレーンズ」と言われるまでになったが、入植が始まった19世紀中旬は、インデイアンに襲われるは、コウロギの大群に襲われるはで、とても人間にやさしい環境ではなかった。そしてあの寒さ。この日曜もミネソタバイキングスの本拠地のドームの屋根が崩壊した様に、何よりもマザーネイチャーの力に人間が逆らう事が出来ない場所だ。

結果、入植が始まっても、19世紀の終わりまでに東海岸から着た人々の60%は入植を諦めて返ってしまったという。つまり、今その地域で生まれ育った人々は、その環境を生き抜いた人々の孫やひ孫達である。彼等にとって何が大切か。それは言うまでもない。甘やかされた人間が小手先の手段で取り繕ってもそれは続かないという自然の力、万物の原理が教える市場原理である。

そのホー二ングは、「回復過程は長く苦しいモノ。急いではいけない。その意味でバーナンケ議長は悪魔に魂を売った」とまで言った。国益を理由にそのバーナンケ議長を操っているのは東海岸の金融カルテルであるのは現実として正しい。ただそれも国家としては多数決が優先された結果。その構図は日本で言うと沖縄とそれ以外の差に等しい。だがホー二ングが去ってもバーナンケへの攻撃は終わらない。今度はあのロンポールが金融サブコミッティーの委員長としてやってくる。

ただサブコミッティーの立場は弱い。そこの委員長より、コミッティーのランキングメンバーの方が実際の法案審議には有効だろう。その意味でロンポールは上手く棚上げされたのかもしれないが、もし他の議員が皆でロンポールを支えれば、新コミッティー委員長のバッカスも無視はできない。来年はこの国の分裂模様がどうなるか、眺めるには面白い。だがFEDの事をよく知らない投資家は大変だ。自分が本当にFEDの事を知っているかどうか、まずは整理してみる事を勧めたい。






2010年12月14日火曜日

日米(経済)同盟

日米安保を特集したNHKスペシャルの4回シリーズが終わった。最終回は討論だったが、こんな時に必ず出演していた岡本某が出演していなかった。親米一筋の彼がいない分、討論はこれまでこの様な堂々巡りとは違った終わり方をした。つまり、参加者全員が米国に頼るのではなく、日本が自分で考える時に来ているという点で一致たのだ。そして、このシリーズで知ったのは、あまり意識しなかったが、「日米安保」はあの印象薄い鈴木善行総理の時代にいつのまにか「日米同盟」に格上げされ、それが中曽根から小泉時代に日本人に違和感なく浸透したという事実だ。

確かにこれまで無意識だったが「日米同盟」は「日英同盟」とは違い、条約としての「日米安保条約」がいつの間にかなし崩し的に「同盟」に発展していた事実を理解するのは重要だ。そして近代になり、冷戦が終わると日米同盟は意味を変える。ここからはNHKの討論から離れるが、日本が無意識に同盟の強い枠に組み込まれたのは、軍事より実は「日米(経済)同盟」の方ではないか。アーミテージ氏は「同盟」とは「お互いの為に血を流す事」と言明したが、実際には軍事同盟として日本はイラクに参加者したものの、血を流す協力したのは(経済)同盟の方である。

今回の様に金利が急騰するリスクも承知?で米債を買い支え、また不条理な円高では輸出企業は泣きながらリストラを断行した。そして日本はいつの間にか毎年3万人が自殺する社会になった。日米同盟の結果としての戦闘では日本人は誰も死なないが、市場経済の敗戦では多くが死ぬ。無論市場原理からすると「死」は悪ではないし、何も米国だけに押しつけられた結果ではない。だがこれからの労働市場を支えるべき世代、また年金を負担する世代にが死に追い込まれる社会は経済の面でも損失である。そして日本人にこの本質を気づかせない様にしてきたのが、軍事面で日米同盟を殊更強調する風潮である。

討論の主役だった寺島実朗氏は「日米安保」は途中から本質が変わり、冷戦後は「マスコミも含め、日米安保で飯を食う人々によって乗っ取られた」と表現していた。この視点は筆者の主張と重なる部分が多い。筆者は冷戦後、クリントン政権は日米安保条約が変質した「日米同盟」を利用し、実際は日米経済同盟から日本が自分では抜けられなくなる仕組みを作ったと考える立場だが、クリントンの院政が誰の目にも明らかなオバマ政権はその二番煎じを狙っている。

たが時代はそれを許さないかもしれない。なぜならオバマ政権は実際に日本に軍事作戦への参加を要請する様になった。これは日本を起こす(覚醒)する事に繋がりかねない危険な賭けで、本来民主党政権下の米国が理想とする姿ではない。(共和党政権下は日本の自覚を促してきた)

ただまだ先は長い。番組で紹介されたNHKの国民調査では、日本の自立を支持する層が確実に増える中で、まだ12%が軍事力を持たず、外交だけで世界平和に貢献するべきと答えている。それが可能なら何も苦労はない。この層に地球の現実を浸透させるためには、アイドルが主演する明治維新の大河ドラマでは限界がある。それこそメディアの地道な努力が必要だろう。そしていつの日か精神的な自立が近づいた時、日本はデフレ信仰からも脱却しているはずだ・・。




2010年12月11日土曜日

裸の金融王子

昨年からNHKはどうして「坂の上の雲」を一気に放送しないのか疑問だったが、どうやっても小説には勝てない間伸びしたドラマよりも、話題の「セカンドバージン」の方に興奮するのは自分だけだろうか。主演の女性も魅力的だが、相手役の若者を「金融王子」とした演出はなかなか興味深い。

彼は将来を嘱望された金融庁の若手エリートでいながら、コモディティーと株を一つの口座で取引出来ない日本の古い縦割り行政に反発。役人を辞めて自分自身でネット証券を立ち上げる。偶々90年代に個人的にも同じ課題に現実問題として直面した。それだけにどんな結末になるのかも含め、いつの間にかドラマに嵌ってしまった。

確かに話題のベッドシーンはこれまでのNHKからすれば挑戦だ。そして男と女のドロドロした葛藤の描き方は、民報のソレを上回る迫力がある。だがそんな中、ドラマの本筋とは無関係ながら全体のストーリーには重要な薬味のようなセリフが突然登場した。まず、違法の可能性を承知で、合併を画策するライバル企業の会長の個人資産管理会社の買収劇を検察に責められた際のやり取り。

「金融庁にいたら偉くなっただろうに、なぜ役所を辞めてネット証券なんか立ち上げようと思ったんだ」と迫る担当検事。それに対し金融王子は「日本経済を活性化するためです」と間髪入れず応える。そして検事は「日本経済を再生させるなら、皆が汗水たらして働く価値を、再認識する事ですよ。金を動かす事で儲けるなんて虚業に過ぎない、そんな事で日本を再生しようなんて考えが間違いなんだよ。」と、最後は役人として侮蔑感をぶつける・・。

そして最終回を控えて、主人公の女性の上司の出版社社長が言う。彼はそれまで金融王子が書き下ろした相場関係の本で儲けさせてもらった立場だ。ところがドラマの終盤、それまでの商売人に徹した軽妙なセリフから、突然部下の主人公の女性に直言をする。「あの男はダメだな、(裁判の)公判を傍聴したけど、地に足が付いていない。君の様な出来る女はああゆうガラスの様な男を守りたくなるんだろう。しかし、国民の金融資産を投資に回せばみんなが豊かになるなんて言う理屈はとんでもないよ。頭の良すぎる人間の机上の空論だ・・」。

中年の男として、メロドラマを楽しんでいる時に、いきなり日頃の自分のコメントに引き戻された妙な感覚に戸惑った。一体このドラマは何だ。NHKは何か意図しているのだろうか。まあなんであれ、NHKが敢えて裸のリスクを取った点は評価したい。

ところでそのNHKは、遂に日米安保を4回シリーズで取り上げた。個人的にはこの効果を見守りたいが、今から思えばこの60年代の日本はエネルギーがあった。そして、近年は本来おとなしい国民性のタイで暴動が頻発している。そんな中、終に英国ではチャールズ皇太子の車が英国の若者の怒りの矛先になった・・。

日本 タイ 英国。戦後この三国は多少政治が混乱する事はあっても、王室の絶対性を堅持することで国家のLEGITIMACY(国家の正当性と統率の序列)が揺らぐような事はなった。その意味では極めてソブリンリスクの少ない国だった。(近年はソブリンとソルベンシーが同じ意味で使われ過ぎ)。だがどうやら世界は少しずつ動き始めた。

ただそんな中で2008年の金融危機は名実ともに終わったとしたい米国。頭の良い米国人はソレが無理な事を本当は知っている。しかし大半の市場参加者は、そんな世界の動静は他人事と思っているはず。

彼等が金融ゲームに没頭するだけで世界を考えるなら、ソレがいかに愚かな事か、それ程遠くない未来に証明されるだろう・・。






2010年12月10日金曜日

白物家電の不思議

先週家の洗濯機が壊れた。そこで新品を買うかそれとも修理するか、1週間かけて考える提案をした。結論はその後に出すとして、その間は洗濯物は手洗いである。同意しない妻をなだめつつ、自分の洗濯は自分でする事は、高校生になるまで利便性を当前として育った子供の教育上必須であると説得した。しかしその一方で昨年の乾燥機に続き簡単に故障するMADE IN USAに怒りを覚えた。そこで改めてこちらのブランドをチェックすすると、冷蔵庫や洗濯機といったいわゆる白物家電はSEARSでもBEST BUYでも買えるが、その殆どがMADE IN USA ブランドである。残念ながら日本ブランドはゼロ。そして韓国ブランドも目にする事は殆ど無い。結果的に我が家のキッチンはGE商品、そして洗濯機と乾燥機はMAYTAGだが、どれも5年で壊れた・・。

そもそもなぜこの分野に日本のブランドが進出しないのか不思議。もしかしたらGEという国策企業が耐久消費財を作っている分野では、長持ちする日本のブランドは参入出来ないのではないかという疑念が生まれた。そして金融大国米国の技術力の弱さがまざまざと証明されたのがその金融での話。QEを断行しているFEDは実際は銀行に直接クレジット枠を与え、世間が象徴的に批判する紙幣のプリントはしていない。だが紙幣には寿命があり、来年から新しい100ドル札が順次導入される事になっていた。ところが、日本では20年前に導入された偽造防止様の特殊な色付けを何重にも施す機械がこの国はなかった。FEDが使った印刷マシーンはその要求に応えられず、紙幣が途中で折れ曲がってしまい、来年早々に市場に出す予定で印刷した分が全て不良品になったのである。

つまり架空の過剰流動性で金融市場を浮上させたはいいが、そんな安易な方法でしか経済を活性化できない米国の技術の劣化は実際にマネーをプリントする段階になって障害を齎している。笑い話の様な顛末。だが、物は造るモノではなく消費するモノ。米国は世界経済発展の為にモノを大切してはいけない構造にあまりにも長く置かれ過ぎたのかもしれない。自分の下着を洗濯する羽目になった子供には、何とかその事は教えたい・・。




2010年12月9日木曜日

野球とベースボール

日本の野球では、何処かのチームで選手が球団からの1億円の提示を「高すぎる」として自ら辞退した記事が出ていた。仮に同じ事が米国で起こったらどうなるか。恐らくベースボールをデフレという暗黒の世界に引きすり込むとして、この選手にはバッシングが集中するだろう。

そんな中、日本人には理解しがたいベースボールの強欲システムに巻き込まれた楽天の岩隈。彼は「サバサバした」と応えていた。その通りだ。野球でもこれだけ違う日米の感覚。米国のベースボールはスポーツとしては日本人が考える健全で最高の場ではないのかもしれない。ただその様な社会の価値観と人間性の違いを利用し、当然のごとく日本の資金が米国債に流れ込む仕組みを構築した米国。日本が世界の中で賢く生き残る上で、今回の米国金利の上昇は貴重な経験だろう。


再出発の前途

昨日で筆者の中では2008年の金融危機に一定の区切りがついた。背景はCITI。この米国最大手の銀行が絶頂期と言われた2000年の頃、筆者は日系大手証券からこの銀行のNY本社に転籍し、そしてシカゴ勤務の命令を受けて日本機関投資家向けに金融の先物オプションの業務を始めていた。

だがルービン財務長官が経営陣に加わった頃だろうか、同社の構造に違和感を覚え、同社の崩壊を静かに感じ初めていた。そして、幸いにもビジネスが軌道に乗ったのを確認した2002年、このタイタニック号を降りた。その時の株価は44ドルだった。

その後米国は住宅市場のピークを迎え、それに伴って株は上がった。だが、一旦崩れ始めると、沈没は想像を超えるスピードでやってきた。結局リーマンは無くてもいい存在だったのだろう。だがCITIの規模は別格だった。統合のやりくりではどうにもならず、米国は国家でCITIを抱えた。

この様に、政府の救済で生き残ったとはいえ、筆者にとってCITIは米国の資本主義と市場原理の敗北の象徴である。だがGMに続き、昨日米国はその象徴を再び市場に戻した。国家が保有していたCITI株を売り切ったのだ。そして本日はAIGについても米国は来年には株を再び市場に売り出すと発表した。

一方昨日バーナンケFRB議長は、テレビで「米国経済はまだ独り立ちできている状態ではない」と明言した。この発言は、FRBの超緩和策への批判をかわすためのものだろう。だがならばなぜ政府はそこまで急いでGMやCITI、更にはAIGの株を市場に戻すのか。この余裕の無さに今の米国の危うさが見える。

いずれにしても、ここからのこの銀行の運命がどうなるか、再び心の中で注目している。TOO BIG TO FAIL(大きくてつぶせない)の象徴でもある同社は、今後の米国を占う上で丁度良いサンプルになるだろう。

2010年12月8日水曜日

役者の心得

出勤間際、日本のニュースで市川海老蔵の記者会見が流れていた。思わず見入った。一言で言うとさすが歌舞伎俳優。真実はともかく、直立不動の体躯と乱れのない眼差しからの語り口。まるで歌舞伎の世界に引き込まれたかのような会見だった。

こなると真実などはどうでもよい。この感覚はその昔クリントンの贖罪記者会見をTVで見入った時に感じたモノと同じだ。そして別のニュースでは、海老蔵を殴ったとされる人物の怪我の治療をした医者の証言があった。そこからは一体誰が悪いのか判らない疑念が生まれた。

ところで「悪人」であるウイキリークのアサンテ氏は英国当局に自分から飛び込んだ。その行動は石田三成を思い起こさせる。三成は長年の怨念から自分に直情的な怒りを向けた福島正則等から逃れる為、本当の敵である家康の懐に自分から飛び込んだ。家康はその立場から彼らの喧嘩に加担する事が出来ず、三成を助けざるを得なかった。

英国も米国の同盟国、だが英国にはアサンテ氏を応援している人もいるだろう。ならばアサンテ氏は最後まで英国に助けてもらえる可能性はある。一方米国や日本のメディアは彼を弁護する事は出来ない。中国も別の意味でアサンテ氏の様なメデイアの使い手を応援する事はないだろう。

そして米国では善悪が演出力で決まるケースがこれまで以上に増えた。言い換えれば、実社会とハリウッド映画の境が判らなくなったという事である。ならば皆が役者の心得を体得しなければならない。










2010年12月4日土曜日

忘れ去られた需要

今週末は子供のサッカーの試合がメンフィスである。よって早々に仕事は切り上げ、その準備をしなければならないが、夜に出て渋滞を避けたとしても、車で10時間はかかる距離だ。正直先週ニューヨークまで行ったばかりで気が重い。おまけに今晩から中西部は雪だ。だがこれも仕方がない。他に選択肢がない。実は米国には日本人があまり知らない欠陥が存在する。それは米国では日本や欧州では当前の高速鉄道網が全く整備されていない事である。

そもそも米国の鉄道は南北戦争時に北軍の物資輸送の目的と、ゴールラッシュで活気あふれるカリフォルニアの需要に応えて大発展を遂げた。恐らく19世紀の半ばにあれほど整備された鉄道網は世界のどこにもなかったはず。そしてこの鉄道がなければ、カーネーギーも鉄の為にあれほど大きなリスクを取らず、またロックフェラーが油田を次々に買収したところで運べなかった。バンダ--ビルドはその意味では彼等の可能性を引き出した米国タイクーンの中興の祖と言えるだろう。

だが、これほど輝かしい歴史の米国の鉄道は、その後極端に役割を縮小していく。逆に言うと、それだけ米国の航空網と自動車の発展が目覚ましかったのだろう。今では米国で最も早い高速列車の最高速度はせいぜい時速200キロ前後。そして実際は115キロ前後でボストンからニューヨーク、フィラデルフィア、ワシントンDCを走るのみ。理由は列車の性能はもう少し早く走れるものの、それを支えるレールがバンダービルドがアムトラックを創設した頃と変わらないからだ。

そんな中、今日は中国の高速列車が時速500でキロ以上の世界最速で来年から稼働する話が出ている。ならば世界標準との差において、米国がここまで遅れている現象は他に例があるだろうか。圧倒的に世界に先駆けて発展したはずの米国の鉄道は、今や世界標準からは骨董品である。これではシカゴからメンフィスまでの列車の移動時間が、車よりも3時間も余計にかかるのは仕方がない。

だが、だからこそ米国が本気でここを整備するなら、30年代のロックフェラーによる都心大改造や、フーバーによるダム建設に近い本物の需要が生まれるはずだ。そして、その可能性に気づいたオバマ政権は高速列車網の整備を先の景気刺激策の中に入れた。だがその予算は僅か80億ドルである。今の米国には、高速列車の車輛を造る技術もなければ、新幹線の様なシステム基盤もない。だが、これも金融市場に麻薬を流す効果しか考えられなくなった国家の宿命だろう、このれ程のチャンスに僅か80億ドルの予算とは・・。

これではあまりにももったいない、バンダービルドが墓場から怒っているだろう・・。




2010年12月2日木曜日

過ち(失策)への褒美

常々米国は北朝鮮問題で「No reward on bad behavior」という表現を使う。これは過ちや失策の愚行に対し、決して褒美をやってはいけないという決意だ。まあ正義を重んじるなら当たり前の事。だが、はたして米国はこの決意を国内で実践できているのだろうか。

本日FEDは、金融危機の際に、どの銀行にどんな救済をしたのか、これまで発表された以外の詳細を発表した。これは議会から強制されたモノ。FEDは好んで公開したわけではなかった。

そもそもあの救済は正しかったとしても、救済を受けた人が高給を復活させた上になるべく税金を払わない画策した結果が中間選挙の側面である。ウォール街の金融マンは、救済を受けるとすかさず何十億のボーナスを要求、国民は当然のこと、政権とFED関係者もはらわたが煮えくり返る思いでその要求を受け入れた。なぜなら彼らを機能させないと株が下がり、事態がさらに悪化すると判断したからだ。つまりこれは脅されて、彼らの我儘を飲んだのである。だがそれは金融の犯した過ちに対し、褒美をやったに等しい。

バブル崩壊後の日本経済は、技術力で何とかここまで頑張り続けた。だが、米国には金融以外に経済が回復する手段がない。日本の銀行が80年代のバブル発生と崩壊の責任をいつまでも背負わされているイメージがあるのに対し、米国は国民のモラルに問題が起こるのは承知の上で、これからも実利を優先するだろう。しかしそれには副作用が必ず伴う。

その副作用は経済成長の鈍化と共に突然社会の表面に現れる。今の時代、それが内部告発やリークとしてインターネットに流れる。まあ考えてみれば自業自得。だが国家としては、国家に非を認める事は出来ない。そんな事をしたら更に国家がバラバラになる。だがこれも「右肩下がりの民主主義」か。元々雑多な人間が豊かさを求めて集まった国で正義が綻び始めるとどうなるのだろう。

昔チャーチルは「米国の民主主義は遠回りする事もあるが、最後は正しい場所に行きつくシステムだ」と言った。だがその原理が健在かどうか、個人的には確信は持てない。



2010年12月1日水曜日

錆びた街の傍観者

サンクスギビンの休日を挟み、シカゴから車でニューヨークまで行ってきた。時速120キロの走行で片道約12時間の旅は、インデイアナ、オハイオ ペンシルバ二アの「RUST BELT」(錆の地帯)と言われる嘗ての米国のモノ作りの中心を遡る道程だ。カーネギーの鉄がフォードの車になるまで、1960年年代までの米国の脂と汗がしみ込んだ地帯がどんな空気なのか、以前より興味があった。だが高速道路からの眺めだけでは何かを感じるまでは至らなかった。ただ一つ発見したのは、ハドソン川の西から見えたマンハッタンは、見慣れたイーストリバーの東からの眺めとは何処か違った事。以前CNBCの英国人キャスターが、「ハドソン川から西は景色が違う」との表現を用いていたが、ニュージャージーはマンハッタンに同化した川岸エリアを少し西に入っただけで、そこには「RUST」に近い「鉄錆」の雰囲気が漂っていた。それに比べればイーストリバーから東、ロングアイランドにはマンハッタンの景色を織りなす人々が住む場所がある。90年代、駐在員時代に住んでいたポートワシントンには特殊な地区があり、「華麗なるギャツビー」の舞台でもある超富裕層にとってはそこからのマンハッタンの夜景は彼等の特権であり一部だった。いずれにしても、多くの日本人が知りえる米国の情報のはハドソン川より東の人々が見た米国の世界。ならば時間に余裕がある人は、マンハッタンから車でハドソン川を渡って西に行ってみるのもいいだろう・・


ところで、ちょうど一年前、オバマ政権は憲法で認めれている「事実を発表しない」権利を発動した回数が、ブッシュ政権の8年間の総数を上回っている事を紹介した。元々この政権が発足した時から外交は聖人君子のオバマを冠し、実際は仮面を被ったクリントン政権下のベテランが脇を固めている言ってきた。(例えばルース大使が見せた涙など)だが、こんな形でその実態が公になるのは流石に政権も予想していなかっただろう。そんな中でWIKILEAKのアサンテ氏は次のターゲットは米銀大手と言明、結果米銀の一つ二つは崩壊するだろうとの予想までしている。これにはさすがに政権も動揺した模様で、1917年に整備されたESPIONARGE ACTでアサンテ氏を刑事告発するプロセスに入る構えを見せている。相場を傍観する立場としては面白くなってきたが、米国の同盟国の多くがこの問題は刑事事件ではなく政治問題と考える(ワシントンポスト)中で早速コメントを発したのが前原大臣だ。だが大臣の発言には誤りがある。アサンテ氏は嘗てはハッカーとして情報を盗んだかもしれない。だが今WIKILEAKが流そうとしている情報はその殆どが内部告発によるものだ。内部告発が横行する事態。実はこれが成長が終わった右肩下がりの民主主義の側面であり、米国が直面する最大のリスクである。その本質をすり替える大臣のコメントは、米国の窮地を承知の上で米国の味方をしているのか、あるいは勝手に勘違いしているのか。これは日本人にとって大きな差となろう。

そんな中で再び傍観者の立場で言うなら、中央銀行が自分で国債を買っている米国と、限界を理由に金利が上がる欧州は、どちらもピークは過ぎているとしても、本来はどちらにまだ健全性が残されているのだろう。そもそも欧州は人種と宗教が入り乱れながらが長年かかって今の形態に行きつた。その長い歴史からすれば一瞬である「今」に投資家がパニックになるのもどうか。それよりも米国の民主主義は前述の例も含めてこの国の歴史でも初めて直面する事ばかり。言い換えれば、筆者には欧州の落とし所はその歴史からすればまだ想像可能、だが一方の米国については17年も学んだつもりでもここから先の米国の落とし所は全く見えない。ならば傍観者の立場からは中央銀行の買い取りに残高をぶつけて歴史的な高値圏である米債からおさらばするのが本来は安全な判断に思える。だがそれはせず、更に米債を買い増している国があるとしたら、その国はかなり米国に精通し、筆者には見えない米国の将来に確信があっての事でなければならない。仮にどこかの国がその確信もなく、横並びと思考停止の場当たりの結果として米債投資を続けているとしたら、実はその国の国債が歴史的には一番のリスクという事になるだろう。まあそんな国はないと信じたいが。