2010年12月28日火曜日

生命第一主義国家のガス抜き

米国では何事も概ね3カ月で結果を問われる。決算もテレビも3カ月先しか予定は入らない。ところが「坂の上の雲」は3年がかりで放送する。昨日やっと旅順の海戦が始まり、退屈だったドラマが盛り上がってきた。ところが何と次の「二百三高地」の放映は一年後だという。バカな。よく考えてみよ。このドラマを見ている高齢者も含めて、3年間かけて一つのドラマの完結を迎える悠長な国は少ない。逆に言うとそれだけ日本は乱世や死を前提にしていないと言う事ではないか。

評論家の西部邁氏は、死ぬ事の価値を前提にした「武士道」と「葉隠」を題材に、「日本人は戦後命を賭ける程の最高の価値を見つける構えを全て投げ捨て、何よりも命が大事で通してきた」と評している。なる程この解説は見事。そして同氏は今の日本を「生命第一主義国家」と一刀両断にしている。予算の都合で3年になった説も考慮しても、NHKは今の日本人の感覚を代弁している。では日本以外に真の意味で「生命第一主義国家」国家はあるだろうか。

ソレを見極める一つの基準は徴兵制度。ただ米国の様に、徴兵制度はなくとも社会の格差を維持する事で、常に一定の人員を軍に引きよせる仕組を持っている国もある。いずれにしてもその国が「生命第一主義国家」かどうかは、平時にその国の仕組みに常に「命」に対して値段があるかどうかではないか。日本には病気や事故を確率ではじき出した生命保険の価格はあるが、先代の福田首相が「人の命は地球より重い」と言った頃からか、日本は「武士道」からは最もかけ離れた国になった。

ではなぜ今の日本で広瀬武夫や龍馬なのか。彼等の死から日本人は何を感じたいのか判らない。日本の閉塞感をこの国から眺めた2004年、NHKが「坂の上の雲」を遂にヤルと聞いて踊り立った。確かにこれだけの俳優を揃え、これだけの準備で臨んだドラマは国家的プロジェクトと言ってもいい。だが何か違う。未だに小沢問題をやっている異常さに疑問を抱かない日本人の感覚は、坂の上の雲が「生命第一主義国家のガス抜き」である事を示唆する・・。




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