2010年12月2日木曜日

過ち(失策)への褒美

常々米国は北朝鮮問題で「No reward on bad behavior」という表現を使う。これは過ちや失策の愚行に対し、決して褒美をやってはいけないという決意だ。まあ正義を重んじるなら当たり前の事。だが、はたして米国はこの決意を国内で実践できているのだろうか。

本日FEDは、金融危機の際に、どの銀行にどんな救済をしたのか、これまで発表された以外の詳細を発表した。これは議会から強制されたモノ。FEDは好んで公開したわけではなかった。

そもそもあの救済は正しかったとしても、救済を受けた人が高給を復活させた上になるべく税金を払わない画策した結果が中間選挙の側面である。ウォール街の金融マンは、救済を受けるとすかさず何十億のボーナスを要求、国民は当然のこと、政権とFED関係者もはらわたが煮えくり返る思いでその要求を受け入れた。なぜなら彼らを機能させないと株が下がり、事態がさらに悪化すると判断したからだ。つまりこれは脅されて、彼らの我儘を飲んだのである。だがそれは金融の犯した過ちに対し、褒美をやったに等しい。

バブル崩壊後の日本経済は、技術力で何とかここまで頑張り続けた。だが、米国には金融以外に経済が回復する手段がない。日本の銀行が80年代のバブル発生と崩壊の責任をいつまでも背負わされているイメージがあるのに対し、米国は国民のモラルに問題が起こるのは承知の上で、これからも実利を優先するだろう。しかしそれには副作用が必ず伴う。

その副作用は経済成長の鈍化と共に突然社会の表面に現れる。今の時代、それが内部告発やリークとしてインターネットに流れる。まあ考えてみれば自業自得。だが国家としては、国家に非を認める事は出来ない。そんな事をしたら更に国家がバラバラになる。だがこれも「右肩下がりの民主主義」か。元々雑多な人間が豊かさを求めて集まった国で正義が綻び始めるとどうなるのだろう。

昔チャーチルは「米国の民主主義は遠回りする事もあるが、最後は正しい場所に行きつくシステムだ」と言った。だがその原理が健在かどうか、個人的には確信は持てない。



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