2007年11月20日火曜日

仁義なき戦い

一週間遅れでNHK特集の「ヤクザマネー」を見た。感想は、こちらの金融市場は、合法である必要はなく、非合法でなければよい隙間で、ヘッジファンドとプライベートエクイティーが「シノギ」を削っているいる。一方今の日本では、この役割はヤクザが担当しているという現実である。

今の金融市場は一日10ドルを稼げば十分というインド人さえも参入できる時代になり、全体はアルゴリズムと言う電子が支配している。よってこの激しい値動きを嫌う投資家にはクレジットという桃源郷が必要だったが、其処も長期的にはなかなか儲からない事は今回明らかになっている。

ならば本当に儲ける覚悟がある「青い血の集団」は、凡人には見えないスプレッドを固める為にこのグレーゾーンで暗躍するしかない。ただグレーだから儲かるこの世界も、光が当たると終わり。一瞬のチャンスに稼ぎ切った者が勝つこの非情な世界には真に「シノギ」と言う事が似合いである。

そしてシノギと言う言葉がふさわしい人々は、日本では「ヤクザ」という人々になる・・。これが今回のNHK特集の感想である・・。

2007年11月17日土曜日

386回目のサンクスギビング

サンクスギビングが近づいている。

メイフラワー号で大陸に渡った人々が、苦難の1年目を経て、インディアンに生活の手段を教わり、2年目の冬を迎えられた事に対する「感謝の気持ち」がその起源だったのは日本でも有名。だが今の米国人はその感謝の気持ち忘れてしまったのではないだろうか。これが、その苦難の時から数えて386回目のサンクスギビングを迎える今年の私個人の印象である・・。

そもそも人が感謝の気持ちを持つためには、その前に苦難が必要である。その意味でこの国にどんな苦難があったかを戦争を通して振り返る。主だった戦争を遡ると、戦死者はイラク アフガン戦争の5000人。ベトナムが6万人。朝鮮が3.6万人。第二次世界大戦が30万人、第一次世界大戦が5.8万人、米西戦争が3000人となる。そして、米国が戦争で最大の戦死者を出した南北戦争では60万人が死んでいる。

この頃までにはポルク大統領による西部地区併合が完了しているので、インディアンに対する感謝の気持ちは実際にはなかったはず。だがこれだけの戦死者を出せば、生きている事への感謝の気持ちはあっただろう。

起源となったメイフラワー号で渡った120人は、半分がその年の冬に死んだ事からすると、米国はその歴史が始まった瞬間が最大の苦難で、その後は戦争はあったものの、徐々に苦難は和らいでいったと考えるのが妥当かもしれない

しかしそれが可能だったのは、開拓者が苦労を言い伝え、また近年ではレーガン政権までは大戦経験者が国かじを取り、苦難に対しての敬意と戒めの原則を忘れなかった事が意味があったからだと考える。しかしその後ベトナムに行かなかったクリントンが登場し、ブッシュ政権は、戦争は大好き、でも親族からは誰もイラクやアフガンの前線には行かないという人々が政権を支えた。

まあサンクスギビングが何であったがが忘れられた頃に再びその意味が問われる時代が来る・・。そんな事を感じながら今年はターキーを食べてみたい・・。

2007年11月14日水曜日

私の履歴書、懐かしきバブル

この話は以前したが、もう一度回顧したい・・。

バブルが華やかし85年、東京のホテルオークラの「平安の間」には人工の川が造られた。カーペットの上に砂利を引き、ポンプで水流を造って周りには本物の庭石が運び込まれた。そして見事な氷の彫刻が何体も運び込まれ、通常の宴会ではあまり入らない「久兵衛」や「桃花林」の屋台が何台も運び込まれた。

いったい何が始まるのか?当時東京サミットの準備で英語が出来るサービス経験者を囲い込んでいた同ホテルに、偶々職を得ていた自分には新鮮な驚きだった。そして宴会直前、集まった配膳のプロ達や派手な衣装を着たバンケットの女性達にむかい「これからホテルオークラ史上で最高額の宴会が始まる」とホテル側のベテラン黒服マネージャーは気合を入れていた。

個人的には宴会の主役に興味はなかったが、宴会の後の片付けで、ホテルの目を盗んで料理の味見をしていた経験からして、その日の料理は自分には特別な興奮だった・・。

宴会の雰囲気は異常だった。日本仏料理界の大御所ムッシュ小野が会場で料理全般に目を光らせる中、マッカーサーに対して財閥解体などの影のアドバイザーだったと言われる野田岩次郎ホテルオークラ名誉会長がまでが登場していた。(私の履歴書“野田岩次郎から”)。

宴会は、当時世界的に隆盛を極めた証券会社、野村証券の「大」田淵、「小」田淵による「会長、社長」同時就任パーテイーだった・・。

昔話はさておき、日経新聞では今「私の履歴書」をその田淵前会長が書いている。証券会社時代に感じた組織としての野村の強さは今でも新鮮だが事11日付の項は非常に面白い。なぜならそこには40年不況時の野村の話が出ているからだ。「売れるものは全て売れ」と言う決断の元、市場を無視して野村は売り続けた。そして、評価が下がりきってしまった債券は、第3者に抱えてもらったなどと田淵氏は暴露している・・。

この時の野村の行動はほめられるものではないが、それが今の野村の強さにつながった。一方、戦後日本の証券市場を支えた山一証券は、トップの義務にすでに疲弊しており、この不況で倒れてしまったのは有名である。

偶然今ウォール街でではジェンタイル的赤と、クラウド的青の「血の色」の差が今回の金融危機で浮き彫りになっている。(前者はモルガンなどの伝統的米国の金融の血統、後者はユダヤ的な金融機関)その折に、大物と言われた田淵氏が私の履歴書に登場したのは何かの因果だろうか。商品と場所の違いこそあれ、そこで紹介されている逸話は、そこで生き残る者とそうでない者との差を浮き彫りにしている事が興味深い・・。

2007年11月8日木曜日

ニュー「ニューディール政策」

最近ブッシュ政権の首脳の動向があまり話題に上らない。チェイニー副大統領等は殆どTVで見かけないが、先週のハロウィンの際にはブッシュ大統領から「彼はハロウィンでダースベイダーの仮面をかぶっていた・・」などを言われ、記者団の笑いを誘っていた。

そんな中で金融市場は金融機関を中心に荒れている。ただまだまだ株式インデックスでは5%以上の年率上昇率を維持しており、所詮はポールソン以外金融には疎いテキサス人々にとって、今の市場からのシグナルは緊急事態には程遠いのかもしれない。

そんな中今日のGMの決算は驚きだった。本業の車以外の収益源のGMACはいまどうなっているのか。決算でははっきりしない。因みに我が家の住宅ローンはGMACがアンダーライターである。今のところ金利はきちんと払っている。よって我が家のローンはサブプライムではない。だが、今後の世の動向次第でいつサブプライムになるかわからない。

その意味では、今市場はサブプライムとして組成されたモーゲージの把握にやっきになっているが、この後の問題は、今はサブプライムでない人々の債権が、今後サブプライムになってしまうかどうかである。しかしながら、このリスクに政府の関心が薄い様に感じるのは、自分自身の心配が過度なのだろうか。

そもそもこの政権ほど市場原理主義とマネタリズムを断行した政権はない。よって今起こっている事も所謂「BAD APPLE」現象であり、最後には駆逐されるべきAPPLEは市場の原理で駆逐されるので、安易に政府が手を出すべきではないというレーガン以降の共和党大原則が働いている様にも見える。

だがそこまで「市場」の機能は万能か。また人間はそれを完璧に使いこなせる程有能なのか。端的に言って今の米国の住宅市場は市場の原理にまかせたままでは絶対に救えないと個人的には考えている。痛みを伴いながらも市場原理が最後にWORKする大前提は、その主体の環境が生命で言うなら成長過程にある事が大原則ではないか。

米国自身が歴史の市場の原則に従いいずれは滅亡する事をも否定しない覚悟であれば別。だが本人が意識していないだけで、既に米国がピークを越えて長期下降トレンドに入っているならば、そこで市場原理を徹底する事は私には自殺行為に映る。

ある専門家は米国の住宅市場は史上初めて「住宅のコモディティ化」を経験したと断言する。子供の頃から「株には手を出しても小豆には手を出すな」と言われて育った。何の因果で今CBOTにいるか判らないが、大豆、コーン、小麦を横目でみながら、その値動きの激しさに観念としてこの教訓は忘れた事はない。だからこそ米国の住宅がその小豆の様な存在になった後の後始末に直面し、市場原理などと言う聞こえの良い言葉はリスクであると感じる・・。

やはり米国は今一度大恐慌の後のニューデイール政策を必要としているのではないか。しかしながら問題はその政策を断行した当時のルーズベルト政権は今はなく、その基盤となったケインズなどは死語に近い事である。

そしてその政策が必要なのは、市場原理が牙をむく前の正に今であるはず。だがブッシュ共和党政権は「政策の損切り」は容易にしないだろう。選挙対策として「イラク撤退」のカードはどこかで切られると考えるが、それよりも優先度が低くまた気付きにくいこの経済の原則論は英断の足を引っ張るだろう。

ただ、仮に来年が大統領選挙の年として、現政権が何もしないで終わったら、次の政権がFDRの様な民主党政権になったとしてもその時点で住宅市場は既に手おくれになっている事だろう・・。GOING BACK 1933・・

2007年11月1日木曜日

生き抜くためのスタンダード

80年代初頭、ホームステイ先のシドニーではアルコール中毒になった原住民のアボリジニが街中に徘徊していた。せっかくの世界の港の三大景観に選ばれたシドニーの美しさは細部では台無しだった。

彼らは当時の社会党政権の福祉政策と、最高裁の原住民に対する保証の残骸だった。本来なら彼らは原野で風から水の位置を知り、空を見て災いを避ける動物の本能を持っていた。それが福祉政策で十分な補償がされると、都会に出た彼らは本能を失いそのままゴミの様な存在になってしまったのである。

ところで、最近の日本からのニュースは名門「赤福」などの不正表示の話ばかりだ。こういう話は出始めると芋づる式に暫くは続くモノである。だが発端は中国からの輸入食品の安全性かもしれない。

不祥事は景気が後退すると、どんどん出てくる。結果企業や個人の社会的役割が終焉する事もある。よって行政は国益を加味し適宜に手加減が必要だ。一方受け手も騙した相手を非難するだけでなく、自らの眼力を反省する事も必要である。

三重県に5年住んだので赤福を食べる機会は多かった。実は当時から今回の様な操作の可能性は感じていたものの、味も、健康でも問題なかった。そもそも冷凍技術は何のためにあるのか。商売の売り文句が過ぎると懲罰対象になる。よって赤福はどこかの時点で現実に即した対応が必要だった。だが赤福だけを悪者にして終わっていいのか。

米国でも同種の話として90年代の卵がある。そのころ米国に赴任した私として最初に先輩から注意を受けたのが米国で生玉子は食べてはいけないという事。サルモレラ菌が米国の卵には多いという話からだった。だが我が家では忠告を無視し今日まで米国の普通の食料品店で買った生卵を食べ続けている。

幸い14年間一度も卵であたった事はない。無論出鱈目に食べている訳ではなく、サルモネラは卵黄より卵白に多い事から白身を外し、何よりも食べる時にはそれが古すぎないかの見極めには細心の注意を払っている。(米国の生卵の食中毒はサルモレラというより食品会社の日付の付け替えが最大の問題。最悪半年にわたって古い卵が偽りの日付で店頭に出ていた)

冒頭のアボリジニの様に、人間が本来の本能を失ってしまうパターンはまず二つ。一つは便利になった代償で、思考力や神経が退化して行く事。この経験は最近個人的にマイカー入れたGPSで、本来使わなければ迷わないはずの近隣で迷ってしまった事からも痛感した。そしてもう一つはメディアを使ったマニュピレーションである。

性善説の日本ではどうしても騙す方が悪いという結末が必要、だが自分が真贋を見極める力を持つ事に重点が変わる。勿論大半はそれが出来ない。だからこそそれが出来る人の一人勝ちの構造が生まれるのだ。

いずれにせよ、世界ではこれまでのスタンダードが行き詰まり新たな基準が生まれるかどうかの鬩ぎ合いが始まったばかり。ならば生き残る為の自ら基準と眼力は持ちたいと考えている・・。