2007年11月1日木曜日

生き抜くためのスタンダード

80年代初頭、ホームステイ先のシドニーではアルコール中毒になった原住民のアボリジニが街中に徘徊していた。せっかくの世界の港の三大景観に選ばれたシドニーの美しさは細部では台無しだった。

彼らは当時の社会党政権の福祉政策と、最高裁の原住民に対する保証の残骸だった。本来なら彼らは原野で風から水の位置を知り、空を見て災いを避ける動物の本能を持っていた。それが福祉政策で十分な補償がされると、都会に出た彼らは本能を失いそのままゴミの様な存在になってしまったのである。

ところで、最近の日本からのニュースは名門「赤福」などの不正表示の話ばかりだ。こういう話は出始めると芋づる式に暫くは続くモノである。だが発端は中国からの輸入食品の安全性かもしれない。

不祥事は景気が後退すると、どんどん出てくる。結果企業や個人の社会的役割が終焉する事もある。よって行政は国益を加味し適宜に手加減が必要だ。一方受け手も騙した相手を非難するだけでなく、自らの眼力を反省する事も必要である。

三重県に5年住んだので赤福を食べる機会は多かった。実は当時から今回の様な操作の可能性は感じていたものの、味も、健康でも問題なかった。そもそも冷凍技術は何のためにあるのか。商売の売り文句が過ぎると懲罰対象になる。よって赤福はどこかの時点で現実に即した対応が必要だった。だが赤福だけを悪者にして終わっていいのか。

米国でも同種の話として90年代の卵がある。そのころ米国に赴任した私として最初に先輩から注意を受けたのが米国で生玉子は食べてはいけないという事。サルモレラ菌が米国の卵には多いという話からだった。だが我が家では忠告を無視し今日まで米国の普通の食料品店で買った生卵を食べ続けている。

幸い14年間一度も卵であたった事はない。無論出鱈目に食べている訳ではなく、サルモネラは卵黄より卵白に多い事から白身を外し、何よりも食べる時にはそれが古すぎないかの見極めには細心の注意を払っている。(米国の生卵の食中毒はサルモレラというより食品会社の日付の付け替えが最大の問題。最悪半年にわたって古い卵が偽りの日付で店頭に出ていた)

冒頭のアボリジニの様に、人間が本来の本能を失ってしまうパターンはまず二つ。一つは便利になった代償で、思考力や神経が退化して行く事。この経験は最近個人的にマイカー入れたGPSで、本来使わなければ迷わないはずの近隣で迷ってしまった事からも痛感した。そしてもう一つはメディアを使ったマニュピレーションである。

性善説の日本ではどうしても騙す方が悪いという結末が必要、だが自分が真贋を見極める力を持つ事に重点が変わる。勿論大半はそれが出来ない。だからこそそれが出来る人の一人勝ちの構造が生まれるのだ。

いずれにせよ、世界ではこれまでのスタンダードが行き詰まり新たな基準が生まれるかどうかの鬩ぎ合いが始まったばかり。ならば生き残る為の自ら基準と眼力は持ちたいと考えている・・。

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