2007年11月17日土曜日

386回目のサンクスギビング

サンクスギビングが近づいている。

メイフラワー号で大陸に渡った人々が、苦難の1年目を経て、インディアンに生活の手段を教わり、2年目の冬を迎えられた事に対する「感謝の気持ち」がその起源だったのは日本でも有名。だが今の米国人はその感謝の気持ち忘れてしまったのではないだろうか。これが、その苦難の時から数えて386回目のサンクスギビングを迎える今年の私個人の印象である・・。

そもそも人が感謝の気持ちを持つためには、その前に苦難が必要である。その意味でこの国にどんな苦難があったかを戦争を通して振り返る。主だった戦争を遡ると、戦死者はイラク アフガン戦争の5000人。ベトナムが6万人。朝鮮が3.6万人。第二次世界大戦が30万人、第一次世界大戦が5.8万人、米西戦争が3000人となる。そして、米国が戦争で最大の戦死者を出した南北戦争では60万人が死んでいる。

この頃までにはポルク大統領による西部地区併合が完了しているので、インディアンに対する感謝の気持ちは実際にはなかったはず。だがこれだけの戦死者を出せば、生きている事への感謝の気持ちはあっただろう。

起源となったメイフラワー号で渡った120人は、半分がその年の冬に死んだ事からすると、米国はその歴史が始まった瞬間が最大の苦難で、その後は戦争はあったものの、徐々に苦難は和らいでいったと考えるのが妥当かもしれない

しかしそれが可能だったのは、開拓者が苦労を言い伝え、また近年ではレーガン政権までは大戦経験者が国かじを取り、苦難に対しての敬意と戒めの原則を忘れなかった事が意味があったからだと考える。しかしその後ベトナムに行かなかったクリントンが登場し、ブッシュ政権は、戦争は大好き、でも親族からは誰もイラクやアフガンの前線には行かないという人々が政権を支えた。

まあサンクスギビングが何であったがが忘れられた頃に再びその意味が問われる時代が来る・・。そんな事を感じながら今年はターキーを食べてみたい・・。

0 件のコメント: