2009年8月20日木曜日

マイケルの故郷

シカゴからミシガン湖の湾岸道路を30分程南下したインデイアナとの州境にゲーリーという街がある。そこには古くからUSスティール の鉄工所があり、70年代迄は栄えたと聞く。しかし米国の製鉄業が衰退すると工場は閉鎖され、街全体が廃墟になり、そこに低所得の黒人層が住みついた。そして80年代は全米で最も殺人事件が多い街と言うありがたくない称号が付いた。実は、やっと埋葬される事になったマイケルジャクソンはこの街で生まれた。

だがジャクソン一家がロスに移った頃からこの街は変貌する。80年代のジャンク債市場発達の結果、潤沢な資金を得たDトランプなどのカジノ産業が大都市シカゴの需要を狙い、シカゴから30分のこの街に次々にカジノを建設したのである。イリノイ州は地上でのギャンブルを禁止する条例があり、景気回復とあいまってギャンブルに飢えたシカゴ人は週末にこの街に繰り出した。実は自分もその一人だった。結果ゲーリーの街は潤い、治安も改善した。そして90年代後半は次々に全米で同じ現象が起こった。

その後カジノを利用した都市活性化のモデルを米国は国家にも導入した。それがブッシュ政権後期の姿である。しかし殆どのプレーヤーは昨年そのチップをすってんてんにしてしまった。だがそこにガイトナーとバーナンケが登場し、無料で新しいチップをプレーヤーに配り直した。それが今の米国の姿である。そして今、米国と言う国家が再び活気づくかどうかは再び過剰流動性が支配する金融市場、即ちこのカジノが成功するかどうかにかかっている。

だが国家全体がカジノになり失敗、その回復を再びカジノに頼るという現状に憂いを表明する米国人は学者を中心に大勢いた。そんな中で面白いのはバフェットだ。彼は学者ではないプレーヤーだ。従ってガイトナーとバーナンケを褒め称え、無くしたチップをしっかりと取り返した。するとどうだろう、今度は学者の様な事を言い出した。それが本日の彼がNYTIMESへの寄稿した内容である。個人的にはバカバカしくて読む気にもならないが、再選を控えるバーナンケは別だ。バフェットからの警鐘を受けてバーナンケがどうするか。毎年ジャクソンホールでのFED議長の発言は波乱要因になる事が多い。今年もその予感がする。

そういえば先週ミシガン州でのキャンプの帰りに久しぶりにゲーリーの街を通過した。昼間だったので夜の賑わいはわからなかった。ただ昼間のゲーリーからはUS スティールの古い工場を引きついだ「ミタル」が細々と煙を出していただけ、その雰囲気は寒々とした荒廃そのものだった。カジノしかない街が、そのカジノに人が集まらくなった姿は想像すると無残である。その姿は近未来の米国の姿だろうか。


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