選挙後に日本がどんな構造改革を断行すべきかを考える前に、実はより緊急を要する構造改革があるかもしれない。近年日本を頻繁に襲うようになった熱帯雨林型の大雨の被害をみながらそんな事を考えた。
まず日本を離れて時間がたつと、日本固有の四季の変化への郷愁はつのる。だが思い返すと日本は地震と台風以外の自然の営みに対しては然程警戒をしなくてもよかったともいえる。そして本当に日本の気候が熱帯雨林型になるなら、米国の衰退や中国の台頭という国際情勢への対応の前に、日本は永年育んだ木造住宅や都市計画に抜本的構造改革が必要になるのではないか。そして個々では経験や勘で行動する事がいかにリスクが高いかを改めて認識すべきかもしれない。災害で亡くなられた方に高齢者が多いのは体力の面もあろう。だが自然の力は図りしれない。それまでの長い人生の経験からの判断が逆にアダとなった可能性も少なからずあったはずだ。
いずれにしても恵まれた自然環境を歴史的に享受してきた日本はどうしても「自然は恐ろしいモノ」という意識は希薄。それは恵まれた境遇に人生の大半が重なった米国のベビーブーマーも同じだ。彼らは自分が国家の中枢になった今、必要ならルールを都合の良いように変え、またお金が足りなければ紙幣を増刷する事で危機対応は可能だと証明した。だがそれは自然の力を侮っている人同様に、世界(自然)は人間の為に存在すると錯覚しているにすぎない・・。
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