2008年11月18日火曜日

NYダウ6000台への足音

巨額の財政出動という現実に反して米国の債券市場は堅調である(金利が上がらない)。今の米債市場には需給や指標を前提にしたファンダメンタルからの常識と、乱世における国家間の駆け引きを前提とした相場感が混在する。個人的には今回の金融危機が起こるまでは前者だった。しかし2月にあるレポートを読んでからは後者の考え方も考慮した。そして今の債券市場は完全に後者の支配するところとなった。

そのレポートはNYダウが8000になるという内容だった。そもそも株の国の米国でダウが8000になるという事はシステムの崩壊を示唆する事と同じである。市場原理が終わり、国家による新しい枠組みが必要なる事は必然だった。そしてそれは起こった。ただ自分にもその予感があり、驚きではなかった。そんな中でそのレポートが斬新だったのはそれまでの米国の金融市場の常識を覆し、米国で一番重要な市場、即ち主役が株から債券に変わるという示唆さだった。

オバマ時代には一連の救済や新しい枠組み構築に5兆ドル(500兆円)以上の資金が必要になるという。その資金を誰が払うにせよ、調達のための債券市場は生命線である。株が主役だった時は企業はどんどん時価発行増資をして自分で景気の活力を維持した。しかし今民間は死んでいる。国家だけが頼りだ。これがこの米国でも主役が株式から債券市場に変わる具体例だ。この結果株は一次的に見捨てられるだろう。その時NYダウは6000台へ入る可能性が高い 。

そして、米国自身は金欠である以上別の誰かが払った資金はオバマ政権によってばら撒かれる。国の枠組みが崩壊し、パニックを起こしながら国家の資金がばらまかれる時は実は一攫千金のチャンスである。明治維新、戦後の復興、そしてソ連の崩壊のどのケースでもしたたかに財閥が形成されたではないか。

同じ事が米国で起こる。ただその主役になるのはこれまで主役だった金融機関ではない。また先日議会の前に引きずり出されたソロスに代表される老練な市場の専門家(ヘッジファンド)でもない。あの日のソロスにはその昔、米相場での儲け過ぎを咎められて幕府によって追放された淀屋の逸話を彷彿させる何かを感じた。市場原理の中で荒稼ぎした彼らの命運も実は尽きているのかもしれない。では誰が次に儲けるのだろうか。

今その絵図を描く人々がオバマの周りに集まりはじめた。ブッシュ政権がプラトンの言う「正義とは強者の利権」を実践した政権だったとするなら、オバマ政権で予想される弱者の救済は一体誰の利権に繋がるのか。その答えはそのうちだれの目にも見えるだろう。

この様に米国では更に株が下がる事で国のあり方を作りかえる理由が生まれる。その形態が一次的に社会主義に近くなっても国益に叶えばこだわる必要はない。国民の悲鳴はその為の条件である。そう考えると今回の危機は金持ち層の入れ替えが伴う試練だが避けては通れない運命である。運命は早く受け入れた者が勝つ。それが戦略である。一方でそこまでの国家戦略があるかどうか不安なのが日本だ。

本来「債券の国」であるはずの日本の弱点は株である。日本の金融機関が米国に同調する日本株の下落で体力を失う様は欧米とは異質の光景だ。そんな中でダウが6000までなった時、一番窮地に陥るのは日本であるのは言うまでもない。日本は早く戦略を持て。

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