2008年11月25日火曜日

<今日の視点>米国に必要なモノ

NHKの大河ドラマ、篤姫が佳境である。女性の情念を描く宮尾登美子という存在には毎回感心するが、やはり女性が主人公のドラマは女性が描く方が面白い。ただ中高年の男性歴史ファンには日本史が一番輝いた時代の男性ヒーローの描き方において、やや物足りなさを覚えた人もいるだろう。

その大河ドラマは米国でも日曜の夜に放送する。昨日は西郷隆盛にむけて篤姫が手紙を書く一番のシーンをやっていた。 ところで米国で暮らす自分にも日本史との接点がある。まず私はシカゴの先物取引所のメンバーとして日本人の見学者を取引所に案内した経験数では一番多いだろう。そして見学者を案内する時必ず話す逸話がある。それは記録に残る最初にシカゴの取引所を訪れた日本人の話しである。それは誰か。答えは岩倉使節団である。

篤姫では「片岡鶴太郎」が演じている岩倉具視は中高年には二つの写真が印象的だ。一つは使節団のメンバーと一緒に映ったちょん髷姿の岩倉。大久保や木戸が既に洋服姿であるのに対し、主賓の岩倉のちょん髷は異様である。そしても一つ昔の五百円札に写ったあの岩倉である。その姿にはちょん髷はない。

実は岩倉が髷を切ったのはこのシカゴであると言われている。米国に留学していた息子にここシカゴで再開し、その時に近代化を急ぐ「日本国の代表がちょん髷ではおかしい」と息子に説得されて彼は髷を切ったと言われている。そしてこの岩倉使節団にはあの西郷隆盛が入っていない。

日米の歴史や経済の転換点を見る上で最近感じるのは、西郷が岩倉使節団に加わらなかった意味である。視察から得た知識をもとに富国強兵を推し進めた大久保や伊東と次第に意見を違えた西郷。当然だった。グローバルな知識という観点では視察団に加わらなかった西郷の時代ではなかった。

自分の役割を知った西郷は郷里に帰る(一般的には征韓論での対立)。ただ司馬遼太郎流に言うなら彼にはもう一つ役割が残っていた。それは前の時代を完全に終わらせる為、即ち自分が死ぬ事だった。

篤姫では本来温情家の西郷が前の時代を完全に終わらせるためには徳川慶喜をどうしても討つ必要があると迫るシーンがある。理由はともかく史実では勝海舟との会見後に西郷は慶喜を助けた。しかし、程なくして慶喜と同じ宿命が自分に回ってきた時、西郷は甘んじてその運命を受け入れた。

私にはここが西郷の真骨頂である。そして視察から近代化へのスピードが日本の運命を左右する事を知っている大久保は西郷を助けない。これはこれでやはりさすがである。そしてその大久保も伊藤も後に暗殺される事は誰でも知っている。

いずれにしても今の日本人の生活水準はこの時グローバルな歴史のうねりの中で散った英雄の活躍があってのものだ。そして今の米国。初めての敗北といっても過言ではない困窮の米国。この米国の期待を集めるオバマ大統領の取り巻きの顔ぶれをみると、皆知識や経験(失敗も含めて)は豊富である事は確かだ。しかしどこかで空しい。CITIの救済案を見ても然り。既に終わったモノを歴史としてきちっと葬り去れない甘さ。また巨額な報酬を稼いだ人間達の織りなすこの不釣り合いなこの小粒さは何だ。

その昔勝海舟が西郷と初めて会った時の感想が勝から坂本竜馬にあてた手紙の中に残されている。その中で勝は「知識や見識、あるいは議論では自分の方が上である。だが今のような国難において、国に必要な男とはまさにあのような者(西郷を指して)ではないか」と結んでいる。そして、今米国に必要なモノが何かやっと分かった気がする。金ではない。ドル札は刷ればよい。必要なものは人、人材である。目先の変化はともかく、この国はオバマだけでは何も変わらないだろう。

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