2009年9月25日金曜日

協調主義下の流動性

オバマが国連で協調主義の重要性を演説する中、ブッシュ政権で米国の国連代表を務めたジョンボルトンは共和党のWEBサイトで「協調主義は米国の利益にならず」とバッサリ切り捨てた。そもそも国連が世界が強調する場として設けられた意義からすると、ボルトンの様な「単独主義者」を国連に代表として送り込んだブッシュ政権の感覚には今更ながら驚く。

だが一方で国連の限界も明らかだ。昨日ガタフィーが国連憲章を投げ捨てた行為は下品、しかし彼がその理由にした常任理事国が持つ拒否権による国連の形骸化という本質は正しい。その意味ではG20も国連の本質と同じ。そこは為政者たちの社交場であって国民生活に変化が起こる新しい方向性が生まれる可能性は低い。

ところでこのサミットがその役割を果たしたのは85年の東京サミット前後までとの分析がある。当時はG7と言われた頃。顔ぶれは米国のレーガンを筆頭に英国はサッチャー、ドイツはコール、フランスはミッテラン、日本は中曽根だった。そしてこの頃のサミットが最も意義があったと評価される背景は彼らには堅固に団結する理由があったからだ。それは冷戦である。だが冷戦が終了してからは会議に仇敵ロシアまで加わった。そしてそこからサミットは社交場へと変わった。

こう考えると冷戦終結がいかに重大な変化点だったかが今更ながら確認できる。そして冷戦を知る世代と知らない世代では人間としての基準が違う事が庶民の声からも感じられる。例えば日本のニュースでは鳩山首相が掲げた25%の排ガス削減の目標について、30代と思しき日本人男性は日本の首相がその目標を世界の公の場で断言した事は良いとしながら、一方で自分の生活が窮屈になるのは困るとも発言していた。

この発言は真に冷戦終結後の世代の感覚を代弁しているのではないか。冷戦前世代の自分からしても彼の発言に違和感はない。寧ろ冷戦後世代には世界の理想を追う余裕がある。だがその協調には緊張から発生する強制の裏付けがないのだ。そして今回のG20は金融の新しいあり方を探るの事が目的。だがその強制力についてはやはり未定だ。

そう考えると昨日のマイヤーのコメントもうなずける。マイヤーはFRB理事時代はタカ派だった。しかし彼は昨日「ドルの水準はFEDの仕事ではない」という言い切った。この発言が本気なら彼は今後はドル安になってもそれがインフレにつながらない事を前提にしている。そして本当に長期金利が上がらないとしたら、それは現行のFEDが直接市場に介入し、またその米国の資金調達を支える国際関係が続く事が示唆する。そうなるとドルの価値が下がるとインフレで国民が困窮すると騒ぐのは共和党保守派の原則論に過ぎないという事か。

そうだ。新しい「協調主義世界」では中国や日本など米国の債券を買い続ける。この様に各国が補完関係を構築する事が米国が目指す協調主義という事である。そしてその理想が永続するなら、金融市場の過剰流動性は本質的に許容範囲かもしれない。ただこの協調主義は永続するだろうか。いずれにしてもドル下落の意味を米国人が実感するのは何らかの理由で協調主義が崩壊してからであろう・・。




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