昨日健康保険に関するオバマの議会演説では、米国では珍しく議員から野次が飛んだ。野次を飛ばした共和党下院議員は後から謝罪したが、考えてみると野次はエリートがその真価を問われる演説での自己主張ではない。
そもそも米国では演説する能力を早くから未来のエリートは養う。政治家は当然のこと、経験ではウォール街の金融機関のエリートも、感情を抑えつつ部下をどう使うかの感覚は、隙を見せると訴訟の対象になる厳しい環境下で研ぎ澄まされた人が多い(但し人間性は別)。そして政治はこの様な人々による演出能力のゲームとしてポピュリズムの風を受けた者が勝つ。
結果、健康保険問題にしても、反対する庶民の多くは内容を完全に理解する前に第三者に増税の恐怖を焚きつけられて反対しているのが実態だ。また米国は「政府は何もせず、自分の事は自分で決めるのが伝統」だと美しい言葉でオバマを阻む人々がいる。だが彼らは庶民に増税の恐怖をたきつけて彼らを利用している。なぜなら彼らこそ年収1億以上を筆頭に自分達が増税の対象になるからだ。だが何度も言う。彼らこそ政府の救済で最も助けてもらった人々である。。
あまりにもばかばかしいが、まあ自分の国ではないのでどうでもよい。だが民衆とエリートの知識力にここまで差がある米国ではどうする事も出来ないかもしれない。そう考えると、国会で野次が少ない国と野次が多い国の違いは、国民とその代表者の議員の知識のスプレッド(格差)である様な気がしてきた。
ところでその議会は財務長官のガイトナーを本日議会に呼び、昨年政府が施した救済での資金の流れを質問した。だが議会がガイトナーをいくら詰問しても結果は同じ。長官は自分は正しいと信じているのでブレない。その点は明らかにバーナンケより上だ。また議員が各論で突っ込んでも、総論としてOTHERWISE(もしそうしておかなければ)では最終的には米国民が更に困窮したと言われればそこで行き止まりである。
救済をめぐる議会と政府のやりとりはこんな事の繰り返し。だが本質は既に明白で、危機が起こる前からFED(中央銀行)や財務省という「公的」にゴールドマン等のウォール街の金融関係者をを送り込み、また危機が起きてからは当事者の一人であったガイトナーを財務長官に据えた金融カルテルの勝ちである。ロンポール議員を中心とする共和党保守派の一派はこの顛末の可能性を憂いでいた。だが結果はFEDを頂点とする、或いはそのFEDを取り込んだ金融カルテル側の勝ちである。
そして、私からすればこの現象は日本の役人の「天下り」の逆だ。個人的にこれからは米国の金融の「天上り」と呼ぶ事にする。そしてこの結果この国で起こる事は「国破れて金融あり」であろう・・。
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