「If I must choose between righteousness and peace , I will choose righteousness. もし私が正義と平和との間の選択をしなければならないなら、私は正義を選ぶ・・。第26代合衆国大統領 セオドアルーズベルト 」
日本の歴史の教科書ではフランクリンルーズベルト(民主党)は大恐慌から米国を救い、第二次大戦に勝利するまで12年間米国を導いた事になっている。だが彼は有名なラシュモア山の岩場にその顔が刻まれていない。最も敬愛された大統領として米国人がその顔をラシュモア山に刻むべく選んだのは、ワシントン、ジェファーソン、リンカーン、そして「フランクリン」ではなく、「セオドア」ルーズベルト(共和党)である。その理由は冒頭の言葉に凝縮されているのではないか。
そして最後にその顔が刻まれるか検討されたのはレーガンだ。だが冷戦を勝利に導いたレーガンでさえこの4人の顔に並ぶ事は出来なかった。また「この言葉」を愛したとされるG.W.ブッシュはまったりとした平和の中で米国の衰退が始まった頃に登場した。彼は何かに焦り、テロを切欠に都合良く周りが演出した独善的正義に乗っかりイラクに突き進んでしまった。
今米国民はその演出を見抜けなかった事を悔やみ、リンカーンからセオドアルーズベルト、またアイゼンハワーからレーガンまで、共和党が伝統的に受けついできた「正義の為の原理原則」まで拒んでしまった。結果米国にはPEACE(平和)への傾斜のみが残った。
そこに登場した友愛(PEACE)という日本の「鳩」。表面的にはどこまでも寄り添う日本がある。日本の国益上今はそれでよい。そして冷戦後の平和が常識となった米国民は今アフガンに絶望している・・。
そんな中でいったいオバマ政権は「イランカード」をどう使いたいのだろうか。日本の平和な「鳩」はその見極めをしなければならない・・。
0 件のコメント:
コメントを投稿