2009年9月2日水曜日

日本人の本性

80年代にそれまではロシアや西域を多く取り上げてきた司馬遼太郎が珍しく米国を題材にした「アメリカ素描」という本を書いた。氏は「米国については素人の域を出ない」と断った上で、初めてじっくりと観察した当時の米国を彼流の視点で紹介していた。中でもハーバード大を訪問した際に地質学が専門の米国人男子学生と話をする機会があり、そこで話が太平洋戦争の話題になると、学生は「へえ~そんな戦争があったのですか。それでどっちが勝ったんですか」と聞いてきたという。この事から司馬氏は米国という国家が持つ多様性に衝撃を受けたという。

まあこれは司馬氏が遭遇した特殊な例にすぎない。大半の米国の子供は「真珠湾」は誰がやったかを認識しているし、また米国は戦争に負けた事はないと考えている。そしてその米国では歴史的選挙を終えた日本のこれからを各新聞はかなりの紙面を割いて分析している。ただ今のところは現象面の解説に留まり、民主党のマニュフェストの一部が米国の利益にそぐわない事を触れているものの全体としては警戒感はない。ただ今の米国はどの程度日本人の本性を知っているのかをふと考えた。

ただその前に日本人でさえも日本人の本性を知っているか疑問だ。安倍元首相は「美しい国・・」という本を書いたが、日本人が日本に抱くイメージと、歴史の中で時より日本人が見せた集団的な変節はそもそも一致しない。また今は選挙の分析が盛んだが、その中には米国で先に起こった変革と今回の日本の選挙結果を同質と受けているモノのある。だが個人的にはその分析には完全には同意できない。なぜなら変節を迎えた際の日本人は米国人より残酷だからである。

象徴的だったのは小泉チルドレンが涙ながらに最後は「情け」に訴えていたシーンである。そもそも小泉改革は「情け」と真逆の改革を志向したモノ。元々米国では「情け」を前提した戦略はないが、日本人は小泉改革に新鮮味を感じた一方で今回は情けにすがったチルドレンに冷たかった。また先日のNHK特集でも海軍のエリートが「日本人がここまで残酷になるとは思わなかった」と述べているが、実は日本ほど一旦変節するとその度合い大きい国民は少ないのではないか。そしてそれは組織なると尚更である。だが当の日本人はその特徴を客観的には殆ど認識していない。

そういえば国交復活の準備で極秘に訪中したキッシンジャーが、毛沢東に「日本(人)はこのまま起こさない方が両国(米中)とって望ましい」と述べたとされる逸話を以前紹介した。きっと毛沢東やキッシンジャーまでの時代は日本人の本質を意識した戦略があったのだろう。だが時代は変わった。日本も変化したかもしれないが米国も変化した。今の米国のかじ取りは司馬氏がハーバード大学で遭遇した学生の世代に移っている。

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