2010年1月30日土曜日

米国版失われた10年

まず訂正がある。先日の<偽ゴールデンクロス>で、米国史上10年間株を持って儲からなかったのは、2000~2009年が初めてというCNBCの紹介をそのまま用いた。だが本日自分でチャートを確認したところ、ダウ指数では1930年~1939年も陰線となっていた。この時期はダウの入れ替えなどがあり、株式市場全体の真の価値により近い時価総額がどうなっていたかは判らないが、ただこれで29年の大暴落直前には386だったダウの指数は196まで下落したものの翌年には297まで戻っている事が判った。そして1930年代のダウの最安値は大暴落から3年後の32年につけた「40」である。

バーナンケはこの間にフーバー大統領とメロン財務長官が当時のFEDに特別な処置を命令しなかった事が大恐慌に繋がったと考えている。確かに当時のマネーサプライ(貸出資金)からは金融機関が倒産してもFEDは何もしなかったようだ。だがフーバーはダム建設(フーバーダム)に着手、民間ではロックフェラーが私財をはたいて現在のロックフェラーセンターの構築にかかる等、超大規模プロジェクトが始まっていた。そして33年に登場したルーズベルトは立て続けにニューデイール政策を出した。だがそれでも景気は回復しなかった。ゆえに29年の終値が248だったダウは39年の終値でも149という更に低位に沈んだままだった。そしてこの米国版「失われた10年」は第二次世界大戦まで出口を見いだせなかったのである。

ならば今は批判を浴びているバーナンケ議長ではあるが、この経験を踏まえるとそのまま戦争に向かうよりは彼の救済という実験の方がまだ良かったのかもしれない。だが一つ問題がある。30年代も規制が野放しになった金融機関が暴走してバブルが発生、そしてそれが破裂した。ただ当時の米国人はまだ純朴だった。バブルを反省し、直後の33年にはグラスステイーガル法をはじめとする様々な法律をつくった。ところが今の金融機関は法律の抜け道を探りながら自己保身をする術は長けている。また「金融機関をいじめると株が下がるぞ」と脅す傲慢さを身に付けた。そして彼れらは今スイスに集まっている。この様な金融機関を救った事がどう出るかは神のみぞ知る。バーナンケの真価が判るのは10年後だろう・・。




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