2010年1月22日金曜日

教授とコーチ

徳川5代将軍の綱吉と8代将軍の吉宗は好対照だ。綱吉は派手好みで元禄文化を生む一方財政を傾かせた。そして将軍としての裁量でも赤穂浪士の処罰では決して良く描かれない。一方の吉宗は質素倹約で財政を立て直した一方、淀屋を追放するなど反商業主義、反市場主義を断行。商人の横暴を抑え、武士と民の暮らしを重視した。そして彼は暴れん坊将軍や大河ドラマなどでいつも良い将軍として描かれる。

要するに、実際の庶民生活は綱吉時代の方が吉宗時代よりも豊かだったにもかかわらず、日本史では綱吉を愚帝、吉宗を賢帝としてきた。その理由をこの時代に詳しい堺屋太一氏は、江戸時代、歴史の編纂を担当したのが学問は優秀、だが商人に比べ薄給だった幕府の下級武士だったからだとし、それが現代の官僚の狭小心に通じているとの分析をしている。(日経ビジネス文庫、歴史の使い方 参照)

なるほどそうかもしれない。ならば米国はこんな国だ。いい例が大学。ハーバードの教授陣でも彼等の平均年収は1200万円程度だ。だがフットボールやバスケットなどの人気の大学スポーツのコーチの年収は1億円以上である。いうまでもなく大学は学問の場。そして教授がコーチよりも学問的に優秀である事に疑いはない。だが米国ではコーチの方が教授より給料が高いのが当たり前の社会だ。そして建国以来、米国の成長と金融の拡大はこの論理で機能してきた。

ソレが今の日米では株の国(米国)と債券の国(日本)の違いとなり、更にはそれが「インフレ享受国」と「デフレ享受国」の差になった。だがもっとも大事なのは歴史では米国は250年の実績に対し、日本は2000年存続している実績があるということ。堺屋太一氏は自身が官僚出身であり、また元経済企画庁長官としての視点で米国型の成長の論理が今の日本には必要だと説く。なるほど、だが個人的には吉宗の倹約があったからこそ徳川時代は続き、またその閉塞感があったからこそ維新に向けてエンルギーが蓄積されたと考える。

一方で今の米国の成長の為には手段を選ばない風潮は米国建国の父の遺訓には存在しない。(ベンジャミンフランクリンの13の遺訓参照)。要するに、今の日本が非成長主義に陥ったからといってそれが日本史の全てではなく、また逆に株の国を標榜しても金融に頼る以外に成長の数字が見込めない米国がこれからどうなるかは判らないという事である・・。




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