2010年1月25日月曜日

半官半民の災い

ここではバーナンケFRB議長の承認では一波乱あるとずっと言ってきたが、この株の動きをみると、やはりその是非は現実的な危機として市場関係者に意識されていなかった事が判る。そしてCNBC(金融市場専門番組)では金曜日からバーナンケ再任のシュプレヒコールがあちこちから起こっった。だがこの国は最早CNBCに出てくる人の常識をこの国の常識とする保証はない。そしてバーナンケ擁護の大半は「FEDは完璧ではなかったが、バーンナンケはその中でベストの仕事をした」というモノ。ならばCNBCとは無縁の世界の人々の怒りは誰が処理するのだ。この様な理性的な分析は衣食が足っている人々の自己弁護にすぎないと感じる。


そして自分達の不人気の原因をバーナンケに押し付け、彼の承認を躊躇する上院議員の弱腰を某ファンドマネージャーは「フランス革命」と表現していたがその通りだろう。そしてこの混乱の責任はやはりオバマ本人にもある。彼は昨年の夏には早々とバーンナンケを指名してしまった。当時市場ではサマーズがバーナンケに代わる存在として浮上しており、オバマはそのような雑音を消すためにもバーナンケ支持を表明した。しかしならば道義的には先週発表された金融機関への規則強化はおかしい。バーナンケは危機後の処理で活躍したとはいえ、彼が危機を防げなかった責任は全く問わず、民間の金融機関だけを悪者にするのは片手落である。オバマ自身がこんな矛盾を続けていれば、先日の規制法案もただ政治的なポーズと受け止められるだろう。

ただこの様な危機を経てこの国の中央銀行の在り方も変わるはずだ。前述のように規制当局としての失態はグリーンスパンやバーナンケ、またNYFEDの長官としてのガイトナーという個人の責任としては語れない世界だ。個人的には元凶はファニー/フレディ(住宅金融公庫)や渦中のJALにも言える「半官半民」という組織形態である。

振り返れば実は健全と思われたころの米国経済にも真の意味で完全な市場原理は介在しなかった。なぜなら米国の消費力はファニー/フレディーという半官半民のエンジンを半官半民のFRBが舵取りをした結果だ。そして人間の欲の結果、「半官半民」はリスク許容の軌道を逸脱してしまった。それはありもしない市場原理を過信したからかもしれない。いずれにしても民間に自主的な規律を求めるなら、まずはFEDが完全な国家機関になる事が先だろ・・。

(注)FRBは米国の中央銀行としての組織名称だが、定款上は国家機関としての規定はない。まず12の支部があり、その支部は元々地元の有力な地銀の集合体である。そして支部のトップの人事権は出資者の金融機関が維持している場合が多い。例えば最大のニューヨークFEDの人事権は株主であるWSの大手金融機関が持っている。即ち現在のNYFEDの長官はゴールマン出身のBダットレーでその前任は現在の財務長官のガイトナー。だが彼等をトップに据えたの実はNYFEDの役員会を牛耳るそのウォール街の民間金融機関である。そしてその12の支部を統括する立場なのがバーナンケ議長をトップとするワシントンのFRB本部。そのバーナンケ議長と彼を補佐する理事の人事は国家機関として議会の承認を必要とする。実はこの構造がFRB批判の温床である。なぜなら今回の金融機関の救済劇はFRB全体で行われた印象を持つが、実際の救済の立案と実行はNYFEDが中心で行われた。そのNYFEDの理事会が救済されたWSの金融機関に牛耳られていては批判が起きるのは当然である・・。





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