2010年2月2日火曜日

仁義無き戦いの始まり

今日のNYTIMESの一面には原型をとどめない白いレクサスが掲載された。まるで「ターミネーター」の撮影にでも使われた様な悲惨な状態。これを見る限り、車にどんな不具合がったにせよ、異常なスピードを出さない限りこの様な結果にはならない事は一目瞭然である。そしてこの車を運転していた本人が運転には長けたハイウェイパトロールの警官なら誰もその技術は疑わない。そこに録音された運転手のパニック状態の声。これだけをとるとトヨタの車が一方的に悪いと思われても仕方がない。だが真実はそんなに単純ではないはずだ。

多少のアクセルの不具合はどんな車にもある。そしてこのレクサスのケースでは、トヨタはアクセルに欠陥はなくマットを二重にした事が問題としたが、どうやらそれには正当な理由があった様子。なぜなら2008年までにレクサスブランドで同じ苦情があった6件のケースでは当局(NHTSA:道路交通全局)は欠陥を発見できず、原因がマットにあると言う事を納得していたという(NYTIMES)。これは今日まで知らなかった話だ。この事実から、あの惨状には高速道路で日頃スピード出す事に慣れている運転者の職業的な悲劇も重なった可能性を感じる。しかし真実が何であれ罪の重さの判断をするのは人間と国家。トヨタはこの判断を間違えた。

そもそもレクサスを作る愛知県の田原工場はトヨタの工場の中でも別格だと言う。そこは聖域とされ、技術力維持の為の努力はトヨタの真骨頂だった。だがトヨタは問題の事後処理を誤り、このレクサスブランドと米国内で生産するそれ以外の8車種とを一緒にされてしまった格好。元々のこの騒動の発端はレクサスの事故。私自身のこの車の「兄弟」に乗っているが、確かにマットは厚い。そこにゴムマットまで引いたら危険だ。だがその後に出てきた問題は米国内生産の8車種である。報道を見る限りこの8社種では死亡事故はない。だが今は全てが混同されてしまった。そしてトヨタが犯した最大のミスはレクサスの事故で田原工場の技術力を弁護する事に固執しすぎたためか、それによって米国の当局のメンツを潰した事だろう。そして今日のNYTIMESには、米国トヨタの米国人社長が事前にワシントンに呼び出され、そこでの尋常ならざる雰囲気を愛知県の本社に飛んで報告した模様が紹介されている。しかしそれでもトヨタ本社は生産中止までは決断しなかったという。だが先週終に当局が販売中止を迫った。これが今回の顛末らしい。 (NYTIMES参照)

いずれにしても技術だけでは勝てない時代が始まった。それは米国経済が市場原理を前提とした平和時の拡大期が終われば尚更のこと。今日のトヨタに関しの報道のされ方は大げさでなく金融危機で倒産に追い込まれていく過程のリーマンを彷彿させる。この状況を今の米国が70~80年代と同じ苦境に陥った事の一時的反動と考えてはいけない。米国のMEDIAは米国の成長が終わったとは絶対に言わない。だが業界は違えどGSとJPの関係を見ても然り、事実としてそれなりの大手企業は縮小を前提にした仁義無き戦いに出ている。

「サバイバルに情け無し」この変化はオバマ個人への期待の余韻が残る日本人説明する事が難しい。ただ経済だけでなくアフガン戦争などの政治面を含め、今日本が知らなければいけない最も重要な事である・・。


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