2010年2月19日金曜日

喪中の資本主義

子供の頃、共産主義とは、あるいは社会主義とはなんなのかを本当は知らないままソ連を暗黒帝国として考えた。その後、学校を出るとアクシデントで証券会社に入り、金融の世界を知った。そして何の因果が資本主義の権化の米国に転勤になった。

この様な偶然を経て、金融を生業にしてから米国の中央銀行の存在はバイブルだった。だがそのバイブルが金融危機で書きかえられた。バイブルがなくなった世界。ソレが今の金融市場だ。そこでは何が悪で何が正義なのか判らない。違いは間違いを犯しても救われるTOO BIG TO FAIL(大きすぎてつぶせない)と、何をしても救われないTOO SMALL TO MATTER(小さすぎて問題にならない)があるだけだ。

そんな中で米国では中央銀行の救済で潤う大手金融機関と、それ以外の人々の差がますます拡大している。民主主義の基では過半数が自分は平均以下の下層に属すると感じ始めると資本主義は機能しないはずだ。いつか自分もマルクスの軍門に下り、あの暗黒帝国のソ連が正しかったと考える時がくるのだろうか。それはそれで恐ろしいが、意外に楽しいかもしれない。

まあそんな世の中で自分の身の置き場をどこにするか。今はそれを整理して立ち向かう。これがこれからの世界感だ。ただ弱者は自分で満足感を探すしかない。そんな時、個人的には「悪い奴をぶすっと刺す「中村主水」は痛快だった。この番組を含め、なにやら朝日系の番組を見る事が多くなった気がする。ただどこか実家の父親に似ていた藤田まことが死んではもう「必殺」も見ないだろう。資本主義と藤田まことの喪に服したい。

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