こちらでは郊外のコミュニテイーの豊かさを図る尺度の一つにその町のスポーツ施設の充実度がある。平均所得が低い荒れた町では学校への拠出もままならないが、そんな町にもあるのはサッカーグランド。そこではヒスパニック系の子供が元気にボールを蹴っている姿を目にする。そしてこのシカゴ近郊ではあるスポーツ施設の有無がその町のステイタスを物語る。それは真夏でも氷を張り続けなければならないスケートリンクだ。幸い自分が住む町にもスケートリンクがあり、隣接のゴルフレンジに出向くと、駐車場では男の子はホッケーのステイック、そして女の子はフィギアスケートの靴を持った親子に出くわす。だが金融危機後減収が続くこの町ではスケートリンクの存続が議題である。
さて最近の米国の冬季五輪の金メダルには特徴がある。ソレは米国人が好きなフィギアなどの伝統種目では勝てない一方新しい種目で米国は強い。そしてこれらの新しい種目は90年代以降に正式種目になったものが殆どである。冷戦後の浮かれた20年をここで過ごした自分としては、名目経済がまだ右肩上がりだった頃から既に庶民の暮らしが疲弊していく様はコミュニテイー施設の劣化を通して感じていた。その一方で社会が金融ゲームのような軽薄さを纏う中で富裕層を中心に新しいレジャースポーツの開拓も盛んだった。そしてソレを後押ししたのは企業がスポンサーになったスポーツコマーシャリズムである。
そもそも冬のスポーツは金がかかるが、平均的な白人家庭の子育に余裕がなくなると町のスケートリンクでフィギアの練習をする子供にはアジア系が増える。その一方で裕福な白人家庭の子供は新しいスポーツをホビーとして楽しむ。また貧乏な地域では路上でのスケボーが盛んだ。そんな子供達からショーンホワイトの様な新しいスターが生まれるのは自然な成行きだろう。その意味で豊かさが前提の冬の五輪でどんな種目にせよ米国がまだ強いという事は米国はまだ貧乏ではないという事かもしれない。だが米国を貧乏にしないようにお金を貢いでいるのが、金メダルの数でも、また実際のデフレでも貧乏になりつつある日本である。その事実が今日の指標(TICS)で判明した。この指標では日本が米国債の保有残高で中国を抜き返して再びトップになっていた。これを受け最近米国の手先の様な記事が目に余る読売はその事実をあたかも名誉であるかのような解説をしていた。
最後に、若い読者のために米国が最も輝いていた頃の冬季五輪の話をもう一度したい。何度も触れたがソレは80年のレークプラシッド冬季五輪だ。その当時は米国経済はどん底。また国際情勢もソ連率いる共産陣営に西側は押され気味だった。その国威のどん底でマネーとは無縁の米国の若い力は圧倒的組織力をバックにした職業軍人兼プロフェッショナルのソ連のアイスホッケーの代表チームを打ち破った。またスピードスケートではエリックハイデンが500 1000 1500 5000 10000の全ての種目で金メダルを取るという前人未到の偉業を成し遂げた。事前試合ではNHL選抜の米国のプロ集団を蹴散らしたソ連代表チームがなぜ大学生に負けたのか。その答えはHBOの傑作MIRACLE ON ICEにある。そしてその答えは真面目な医学生だったハイデンが科学的トレーングを専門とするプロのコーチではなく、地元のコーチの元で重いタイヤを腰に巻きつけての負荷に耐えるというスピードスケート経験者の自分としても信じられない訓練をしていた事と同じである。
ハイデンはその後自転車に活躍の場を変えたが、彼が今の選手と違うのは最後までその偉業を金に換えなかった事。彼は群がったスポンサーの申し出を全て断り、現役引退後の現在は整形外科医として地道に暮らしているという。そしてこの時代を境に米国は景気回復過程に入る。ただその一方でスポーツはその本質を変えてしまった。マネーが主役になった。リードしたのはスタインブレナー(ヤンキースのオーナー)とその方向性に便乗したMLBとのスポーツジャーナリズムの声がある。だがそれは金融危機においてGSだけを批判するようなものだ。冬季五輪に拘るならば新種目がホビー化した冷戦後の世の中の流れのほうが影響が大きかったと考える。
いずれにしてもハイデンからタイガーが主役なった米国。その米国の金メダルを支える豊かさの永続のために日本が奉仕する。その象徴が米国債の残高なら、ソレを競う金メダルだけはいらない・・。
0 件のコメント:
コメントを投稿