2010年2月9日火曜日

QBの役割とアメフトの本質

スーパーボウルに先立って経済専門チャンネルのCNBCのリポーターが出場するNFLの選手にFRBのバーナンケの写真を見せた。そしてそれが誰であるか判った選手は5人の中で一人だけ。中には「ドクターフィルだろ」との痛快な返答もあった。(ドクターフィルとは米国の「みのもんた」の様な存在)のそしてこの国の失業率を聞かれると、彼らは臆せず50%と答えていた。

そもそもNFLの選手は現役時代には年間5億稼いでも、引退して10年も経つと100円も持っていないという話しが珍しくない。だがこの様な単細胞的な選手を使い戦略的にゲームを組み立てるのがアメフトの最大の面白さである。そしてそこがプレイヤー個々に心身ともに紳士としての技量を求めるラグビーとの違いだ。ずばりアメフトの面白さが判らないければ米国の仕組みは判らない。そして相撲や駅伝を愛する日本人より、或いはラグビーにエリートが集まる英国より米国が戦争に強かった事実にこのアメフトというスポーツの本質が凝縮されている。

そんな中昨日のスーパーボウルは久しぶりに2人の一流QBの対決で面白かった。そのQBはアメフトがラグビーから進化する過程で米国人が編み出したものだと聞く。初期のアメフトはラグビーに近く、肉弾戦のランプレーが主体だったらしい。ラグビーでもアメフトでもランプレーは第一次世界大戦までの地上戦の演習が背景。だが米国人にはボールを前に投げるのがなぜルール違反になるのかという発想があった。そこで新しいルールをつくった。これは長篠の戦いの発想である。そしてそこからQBというポジションの価値が生まれたと考えるのが自然ではないか。

要するに、ビジネスでも政治でも、米国と対峙する時は誰がコーチで誰がQBなのか。そして一見すると単細胞なキャラクターは全体の作戦でどんな役割を演じているのか。この辺りをイメージしないと結局日本は米国には永遠に勝てない気がする。そしてその意味で先日の朝青龍の引退劇は日本の社会に重要な課題を投げかける。その課題は言うまでもなくデフレ経済である。

そもそも個人的にはデフレが本当に悪いのかどうかの議論が必要だと考える立場。だが日本経済がデフレを本気で克服したいのなら朝青龍を否定してはいけない。なぜならガッツポーズが許されないスポーツは興奮を否定するようなもの。逆言うとインフレと成長が前提の米国にはそんなスポーツ競技はない。そして経済面の処方箋と日本社会の価値観が矛盾している証拠がある。それは日本人が横綱には品位を求める一方で戦後の停滞期にはその相撲の枠を飛び出した力道山に救われた事実だ。

そう。本当は日本人はデフレを克服するために必要なのは双葉山の品位ではなく力道山のカラテチョップである事を知っている。だがその矛盾を戦略的に整理する事ができない。だがそれでは米国を相手に誰がQBなのかはっきりしないままアメフトというゲームをやっているに等しい・・。







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